シフラしげさんの掲示板で
ツールドフランスのアームストロング氏が話題になったことがありました。
シフラしげさんが抗がん剤を休んだときに
ダイヤモンドコスモスさんが引用して励ましたこともありました。
![]()
ダイヤモンドコスモスさんの手記から
(2005/7/26
読売新聞 (ダイヤモンドコスモスさん提供)
< 黄色 >
今日はちょっと元気の出るお話しをお届けします。「奇跡の人”ランス・アームストロング”」
趣向を変えてドキュメント・タッチでね。
それは2004年夏のこと,3週間で3,000kmあまりを走るツール・ド・フランス。
そう自転車競技の最高峰、過酷なロード・レース。
レースの最大の焦点は、ランス・アームストロング(アメリカ)の6連覇なるか?にあった。
アームストロングのあまりの強さに、人々の記憶の中から彼が癌を患って死の淵をさまよった
人間 だ ったことが薄れつつある。
1993年の世界選手権で21才という記録的な若さでチャンピオンになって以来、
アームストロングはワンデーレースを中心に活躍した。
ところが、1996年、睾丸にできたがんが肺や脳にまで転移し、生死の境をさまよう。
25才のときであった。睾丸は手術で摘出。
当時彼女のいなかった彼は,将来のために最後の精子を冷凍保存した。
脳の腫瘍は、頭蓋骨のすぐ下にぶどう大のものが2箇所,手術をしたが,既に壊死していた。
肺には12個の腫瘍、ほとんどが点であったが,2.7cmになるものもあった。
肺は手術できる状態ではなかった。
すぐにインディアナポリスの「インディアナ大学医療センター」でプラチナ製剤をベースにした
VIP(ビンプラスチン・エトポシド・イフォスファミド・シスプラチン)を月曜から金曜まで5日間,
毎日5時間投与した。
3ヶ月で4クールの治療をしたが,強い副作用に苦しみ,彼は24時間吐き続けた。
アームストロングが突然のがん告知を受けたのが水曜日,翌木曜日には手術、
そして金曜日の夜にはいったん退院。
そして月曜日から抗がん剤による化学療法が始まった。
こんな早業が日本で可能だろうか?否!!
アームストロングはものすごい精神力と自転車で鍛えた体力でかろうじて生命を取りとめた。
しかし自転車からは遠ざかってしまう。
1998年、みちがえるほどスリムになったアームストロングは、
ブランクを乗り越えてレースに復帰。
最初は無残な結果に終ったものの、その年の秋には世界選手権と、プエルタ・ア・エスパーニャ
(ツールドフランスと同規模のスペイン一周レース)で4位という好成績を収め周囲を驚かせた。
そして2004年夏、1999年からなんとツール6連覇の偉業を成し遂げたのである。
100年以上の歴史のある自転車競技史上に燦然と輝く快挙である。
アームストロングはゴールすると真っ先に,
最愛の妻とそして冷凍保存しておいた精子から生まれた最愛の息子の下に駆け寄った。
そして勝利者のみが袖を通すことが許される黄色いジャージー、
マイヨ・ジョーヌを着て誇らしげに天に向かって両手を突き上げた。
アームストロングは声を大にして言う。
「がんこそ自分の人生に与えられた最良のものだ」と・・・
そして、がんCANCERの頭文字を使って、われわれに癌と闘う道しるべを与えてくれるのだ。
C−Courage 「勇気」
A−Attitude 「心構え」
N−Never give up 「決してしてあきらめるな」
C−Curability 「治癒は可能」
E−Enlightenment 「知識を深める」
R−Remembrance of my fellow patients 「仲間の患者を忘れない」
私の闘病日誌(2000年11月1日)&資料&本を参考に書かせていただきました。
さらに興味が湧いたあなたのために・・・・。
”It's Not About The Bike" 「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」 ランス・アームストロング著
安次嶺 佳子訳 (講談社)
Lance Armstrong, On-Line http://www.lancearmstrong.com/
![]()
![]()
2005年 ランス・アームストロング氏は7連覇を飾り引退しました。
ひまわりのような黄色の花束をかかげたランスさんの傍には
同じく黄色のドレスを着た 可愛い3人のお子さんがいました。
(2005.7.26 読売新聞 ダイヤモンドコスモスさん提供)
このサイトが「イエローリボン」なのは
ランスさんの黄色に
あやかろうという事でもあります。
|
|
|
|
|
|
|