左からガルダイア、メリカ、ベニ・イスグェン、エル・アーティフ、ブー・ヌーラのミナレット
ムザブはガルダイア (Ghardaia)、ベニ=イスガン (Beni-Isguen)、エル=アトゥフ (El-Ateuf)、メリカ (Melika)、ブ・ヌラ (Bou Noura) の5つのオアシス都市である。二つの孤立したオアシス、ベリアン (Berrian)、ゲララ (Guerrara)もある 。
世界遺産 ムザブの谷へ
ワルグラのホテルで目覚める。
昨夜は蒸し暑いまま、寝苦しい夜だった。
ベッドには厚い毛布が用意されていたので夜は冷え込むのかと思っていたが温度は下がらなかった。
今日の出発は7時なので6時にレストランに向かった。
通常はパンとコーヒーだけの朝食だが、添乗員が気を使ってくれてオムレツとソーセージを用意してくれた。
7時にバスでホテルを出発する。
1時間ほど走ると道の左右は渇いた平らな大地に変わった。
8時33分、ガソリンスタンドでトイレ休憩する。
ここから7km先のゼルファナ村には温泉がある。
アルジェリアには火山があり、地震も度々起こる。
9時5分、露店で砂漠のバラを買う。
大きなものから小さなものまでたくさん売っていた。
砂漠のバラはモロッコなどでも売っている土産物で、砂が結晶のように固まった自然のアートである。
私はちいさな砂漠のバラを3つ50ディナール(85円)で買った。
9時25分、ガルダイアの空港を通過する。
ツアーによっては、ガルダイアまで国内線の飛行機を使う企画もある。
しばらく進むと道は左右にカーブする山道へと変わっていった。
そして、坂道を少し下ると中央にモスクのミナレットを持つ集落が見えてきた。
世界遺産ムザブの谷である。
9時40分、町を見下ろせるスペースでバスを止めて遠方の町の写真を撮った。
ここからはベニ・イスグェンの町とメリカの町が見えた。
バスで少し移動して、次のスポットでまた写真を撮った。
バスに乗りガルダイアの町の観光に向かう。
ガルダイアの町は現在、新市街が広がっている。
ここまで来る途中には建築中の建物がいくつか見えた。
この町も発展しているのである。
バスは町中に入っていった。
今まで見た町と変わりない様子である。
ガルダイア
狭い道にバスを停車させ、私たちはガルダイアのマーケットへ入っていった。
開けた広場のまわりには商店が四方に配置されている。
商店の前は狭い屋根付きの歩道がある。
そこから細い路地が中へと伸びている。
路地に入り肉屋を見学する。
この辺りには写真を撮ることを許していない者がいるので写真は撮らないように注意を受けた。
肉屋では切り落とされた羊の頭が生々しく並んでいる。
一軒の織物を扱う店へ入ると、店の奥では手織りの絨毯を売りに来た女性が値段の交渉をしていた。
他の地域からガルダイアの店に売りに来ているのである。
買取の値段は化繊の絨毯3m×2mで10,000ディナールと言っていた。
アルジェリアの絨毯はペルシャやトルコに比べて素朴で高額なものではない。
マーケットでは食料品、日用品、電化製品、土産物など、様々な品々が売られていた。
少しの自由時間を与えられ私たちは買い物をした。
私はコーランの形をした時計を見つけたが電池部分が破損していたため買うことが出来なった。
値段は220ディナール(374円)と安かったので残念である。
私たちはガルダイアの案内人に連れられて狭い道を登っていった。
案内人はこの地方特有のズボンを履いていた。
たくさんのフレアが入ったズボンで股の部分がゆったりとして垂れ下がっている。
暑いこの地方では機能的で優れたズボンだが不格好である。
ガルダイアは10世紀に歴史が始まった町である。
私たちはその時代から使われていたであろう道を進んだ。
旧市街に入ると壁面にこの町を観光する場合の服装についての注意書きが出ている。
短パンやノースリーブは禁止である。
広いスペースに出ると古い時代のマーケットがある。
中央には井戸があり45mの深さであると説明を受けた。
1000年もの間、ガルダイアの人々の喉を潤してきた水瓶である。
旧市街にはモスクが2つあり、2本のミナレットが天に向かって伸びている。
泥色のミナレットは、まるで地面から生えてきた植物のようである。
高いミナレットは26mあり、四面のミナレットの内階段は114段で偶然なのかコーランの114唱と同じ数である。
私たちはモスクの脇をとおり町の中心部から引き返した。
迷路のような路地の角を何度か曲がり、先ほどのマーケットまで戻った。
ホテルEL DJANOUB
約2時間、ガルダイアを観光した後、昼食をとるために宿泊するホテルにバスで戻った。
ガルダイアの旧市街からバスで10分掛からないところにホテルはある。
この町に唯一あるホテルEL DJANOUBである。
ホテルに到着したのは12時だった。
昼食のレストランに案内されて席に着く。
メニューは前菜に野菜サラダかオムレツ、メインはミックスピザかスパゲティである。
スパゲティは茹で過ぎで軟らかく、ピザは安い冷凍食品のような味で美味しくなかった。
アルコール類はハイネケンビール250ディナール(425円)、ゴールデンビール150ディナール(255円)、赤ワイン450ディナール(765円)だった。
観光客が宿泊するホテルなのでアルコールが置いてある。
しかし、事前に添乗員が手を回して用意させてる節もある。
私はイスラムの国を旅する場合はアルコールなしでも構わない。
郷に入りては郷に従えである。
しかし、今回の参加者はお酒を飲む人が多いのである。
食事の後は部屋に入り、短い間だったが休息をとった。
メリカ
14時、ホテルからバスで出発する。
2つ目の町メリカの観光である。
午後の観光はガルダイアと違う案内人が付いた。
案内人は高齢で足が悪く、杖をついて歩いていた。
ホテルからメリカまではバスで約6分で到着した。
バスを降りると遠くにガルダイアの町が見える。
坂道を登り、シディ・アイサの墓を見学する。
シディ・アイサはイスラム教イバード派のイマーム(指導者)で1556年(ガイドの説明の年号は怪しい)にワルグラから人々を連れてこの地に逃れてきた。
イバード派はコーランを厳格に解釈し、当時の主流派から迫害されてきたのである。
イマームについてはクライシュ族出身に限定するスンナ派とも、ムハンマドの娘婿アリーの子孫に限定するシーア派とも異なり、指導者となるべき資質を持つ者ならば誰でもなれるのである。
絶版となった週間世界遺産のNo.59によると、ムザブの谷を統治した女王と説明にあるが、間違えであるらしい。
メリカの旧市街に入る。
メリカの町は人口1万5000人で門が6つある。
もちろん町の中心にはミナレットが建っている。
ガルダイアのミナレットは壁面が若干湾曲していて丸みがある。
それに比べてメリカのミナレットは直線的で四角である。
町なかを10分ほど町を歩くとガイドが男に呼び止められた。
この町の風紀を見張っているものらしい。
彼はこの町に観光客が入ることをいいとは思っていないようである。
私たちは彼の形相が普通でなかったので引き返すことにした。
バスに戻る近道に曲がろうとすると彼はまっすぐ行くように私たちを誘導した。
私たちは指示に従いシディ・アイサの墓まで戻った。
メリカの観光は中途半端で終わった。
町の中心のモスクまで行くことが出来なかったのが心残りだった。
ベニ・イスグェン
メリカをバスで出たのは14時50分だった。
次の町ベニ・イスグェンの観光に向かう。
約7分で到着する。
ベニ・イスグェンは人口9000人の町で1323年頃から建設が始まった。
元々は3つあった村がひとつになったのである。
ムザブの谷にある旧市街の5つの村は昔、25の村からなっていたのである。
狭い道を登っていくと最初に造られた門をとおる。
町の中心には11世紀のモスクのミナレットが建っている。
そして外側には3kmの城壁がある。
城壁に沿って上がっていくと1311年完成の高さ18mの見張り塔がある。
見張り塔は内部に階段があり屋上部分に出られる。
ここから見下ろすベニ・イスグェンの町の景色は最高にいい。
また、ミナレットの写真もきれいに撮れる。
私たちは来た道を戻り、バスに乗った。
トイレを探したがこのあたりにはないのでホテルまで戻ることにする。
15時52分、出発。
ホテルに戻ったのは16時だった。
私はこの少ない時間を利用してホテルの向かいにあった車の部品屋でプジョーのマットやアクセサリーを買った。
アルジェリアではフランス車が多く走っているのでプジョーのアクセサリーが豊富に売っている。
私はディナールの手持ちが少なかったので1000ディナールの商品を10ユーロで売ってもらった。
エル・アーティフ
30分ほど休憩してから最後の観光地エル・アーティフに向かった。
途中、丘の上でバスを止めてガルダイアの町の写真を撮る。
エル・アーテフに向かう途中、左手にブー・ヌーラが見えた。
添乗員はブー・ヌーラに気が付かなかったのでバスを止めることはなかった。
エル・アーテフに到着したのは17時少し前だった。
ここの案内人は声の大きな元気な老人だった。
門を入ると彼は店の奥から瓶を借りてきて、私たちにそれを見せた。
瓶の中には生きた蛇とサソリが入っていた。
何でこんなものが置いてあるのか解らなかった。
エル・アーテフの人口は1万2000人である。
広場から見えるミナレットは新しく10年前に造られたものである。(ガイド説明による)
地面の岩の窪みはナツメヤシの種のごみ捨て穴である。
種を回収して擦り潰して牛に与える。
エル・アーテフで一番古い部分の岩を見る。
1017年頃だと言われた。
そのまま進むとシディ・イブラヒムの墓がある。
墓は1012年に出来たものである。
墓から階段を下りると古い時代のモスクがある。
私たちはモスクの見学をした。
モスクは漆喰で白く塗られた造りで簡素なものだった。
奥の部屋には女性が数名入っていったので、私たちは奥までは見学できなかった。
案内人の先導で路地を歩き門へと戻る。
門のすぐ側には簡単な博物館がある。
狭い階段を上がり博物館を見学する。
埃っぽい部屋である。
博物館は下の写真ほど綺麗なところではないので見ても仕方ないと思う。
私たちはエル・アーテフの観光を終え、18時20分、バスにてホテルに向かった。
ブー・ヌーラ
10分弱走るとブー・ヌーラの町が右手に見えた。
添乗員に止まるように頼んでいたので私たちはバスを降りてブー・ヌーラの町を写真に収めた。
ブー・ヌーラの町の門は観光客に対して閉ざされたままである。
私たちはそれぞれの町に入場するための税金を収めて観光しているのである。
ムザブの谷の5つの町には今は水道、電気、ガスまで完備されている。
また、エアコンが装備された家庭もある。
ガイドブックの2002年頃の写真と比べると現在はパラボラアンテナが連立する風景に変わってきている。
迫害から逃れ、自分たちの信仰を守り、敵からの攻撃に耐えてきた時代から今後のムザブの町はどの様に変わっていくのだろうか?
近代化の波が少しづつではあるが押し寄せてきていることは確かである。
18時55分、ホテルに到着する。
夕食はホテルで20時からである。
メニューは前菜にタマゴのブリック。
メインはラム肉入りのタジンかチキン、ラムチョップである。
ビールにワインなどアルコールも用意され私たちはイスラムの地にふさわしくなく、美酒に酔いしれたのである。