プロローグ



   1996年イラン・イラク旅行・・・

2005年1月、96年のイラン・イラク旅行から約8年、再びイランの地に訪れようとしている。
当時イラクのツアー旅行は90年の湾岸戦争以来6年を経て再開したばかりであった。
私はT社の旅行に参加していた。イラクのバクダット空港は閉鎖されていたので陸路イランより入るルートが旅行日程であった。
イラン航空で首都テヘランまで飛び、国内線に乗り換え約1時間、イラン国境に近い町のケルマーンシャーまで行った。
ここからバクダットまでは直線距離で南西に約300kmである。ケルマーンシャーの町は現在人口63万人、イラン西部で最も大きな町である。
私は当時を振り返るとザーグロス山脈の麓にある小さな町の印象しかない。

夜、ホテルを抜け出し、町の中心まで歩き広場に着くと大人や子供が集まりゲームなどに興じていた。
私と妻を見つけた人達は日本人が珍しいのか我々のまわりに集まって来た。たくさんの人に囲まれてしまった我々は怖くなりホテルに戻った記憶がある。

ケルマーンシャーではビーソトゥーン遺跡とターゲ・ボスターン遺跡を見学した。
ビーソトゥーン遺跡は北に36kmの地点にあり、ダレイオス1世(BC558年頃〜486年)が王位について最初に内乱を治めた記念に造られた戦勝記念碑である。
碑文は岩壁の上の方に掘ってあり、ダレイオス1世や首を紐で縛られ繋がれた各国の捕虜のレリーフがあり、その下には古代ペルシャ語、エラム語、アッカド語の楔形文字で王の偉業を称えている。
この碑文は19世紀に楔形文字を解読する鍵となった重要なものである。

碑文の彫られている場所は古代の重要な交易路にあり通行人から見えるように高い位置に造られている。
現在と古代の道路のレベル(高さの位置)については私にはわからないが今は高い位置にあるので双眼鏡やカメラの望遠レンズで見ないと確認できない。
とても目立つところに造られたとは思えない。

私が訪れた96年は修復用の足場が掛かり、やっと彫刻が確認できた程度であった。現在はガイドブックによると足場で見えないと書いてある。

   ビーソトゥーン(ビーソトゥーン) 



ビーソトゥーンの絵葉書 (ビーソトゥーン)


次に訪れたターゲ・ボスターンは町から北に約6kmのところにあるサーサーン朝時代(6世紀後半〜7世紀初頭)の遺跡である。
洞窟の入口に掘られたレリーフはホスロウ2世がアナーヒーター神とアフラ・マズダ神から光輪を受け取る場面が描かれている。また、天使のレリーフなどもある。

ターゲ・ボスターン (ターゲ・ボスターン)


   (ホスロウ2世と神) 

さて、この後イラク国内を旅してきたのだが、当時のイラクは経済制裁の中にあり、朝食のパンにジャムもない始末で食事と言ったら鶏肉のももか羊の煮た肉のどちらかであった。

食事に悩まされたイラクからイランのホテルに戻ったとき、ロビーのカフェにあるアイスクリームやケーキ、豊富なフルーツを目にすると、なんとイランは豊かな国なのだと実感したものだった。
しかし、今、冷静に考えてみると実感というより錯覚であったのだろう。




旅行日程  2005年1月3日(月)〜1月10日(月)


日程 都市名内 容
1成田
テヘラン
成田からイラン航空でイランの首都テヘランへテヘラン泊
2テヘラン
シーラーズ
イラン・バスタン考古学博物館、ガラス博物館、
サーダバード宮殿
イマム・ホメイニ聖廟ほか・・・空路シーラーズへ
シーラーズ泊
3シーラーズ
ペルセポリス
ナグシェ・ロスタム
ナグシェ・ラジャブ
ペルセポリス・・・クセルクセス門、ダレイオス王宮殿、百柱の間    
ナグシェ・ロスタム・ナグシェ・ラジャブなどの古代遺跡観光へ    
シーラーズ・・・サアディー廟、エラム庭園、キャリーム・ハーン城塞、
シャー・チェラーグ廟、バーザーレ・ヴァキール
シーラーズ泊
4シーラーズ
パサルガダエ
アバルク
ヤズド
パサルガダエ・・・キュロス王の墓、宮殿跡、ソロモンの監獄
アバルク村 ヤズド・・・沈黙の塔、神殿アーテシュキャデ
ヤズド泊
5ヤズド
エスファハーン
エスファハーン・・・ハージュー橋、スィー・オ・セ橋、
チェヘル・ソトゥーン宮殿、ジャーメモスク
エスファハーン泊
6エスファハーンエスファハーン・・・イマーム広場、シェイフ・ロトゥフォッラーモスク、
アーリー・ガープー宮殿、ヴァーンク教会
エスファハーン泊
7エスファハーン
コム
テヘラン発
シーア派の聖地コム
テヘランへ
テヘラン泊
8成田成田着


 






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