早朝に起床、ホテルの朝食は6時半からだった。
外は、まだ薄暗かったが、道を行きかう車の音がしだいに大きくなってきた。
6時半をまわったのでレストランに食事に行く。
ホテルのレストランは北側に面していて、道路のサークルの向こうにあるクロックタワーが目の前に見える。
そして、その先には空港の管制塔が見える。
空港の向こうは山が連なっている。
天気は晴れである。
朝食はビュッフェだったが、我々の他に客はいなかった。
今日はUbarへの1日ツアーを申し込んでいたので約束のロビーへ向かった。
約束の時間は8時だったが、ガイド兼ドライバーのムハンマドはもうロビーに来ていた。
彼は背が高く痩せていて、頭にはオマニーハットを被っていた。
もちろん服はアラブ人の白い衣装ガラベーヤである。
イエメン人と違うのは、オマーン人は腰にハンジャル(イエメンではジャンビーヤという)という短刀は付けていない。
サラーラ博物館
我々は彼のトヨタ・ランドクルーザーに乗り込みサラーラ博物館を目指した。
ホテルを出て、8時3分、6分ほどで到着した。
博物館は8時半から開館とガイドブックにあったが、彼は「開館時間はわからない」といいながら扉をあけた。
ロビーには数点の写真が飾ってあった。
展示室はまだ開いてなかったので、写真を見ながら時間をつぶした。
私は彼に「アンドゥール遺跡にはいけないか?」と尋ねた。
しかし、彼はアンドゥール遺跡の場所がわからなかった。
私は彼に地図を見せて場所を説明した。
彼は「そこに行くには道が悪いので無理だ」と答えた。
私は事前に日本の旅行会社を通してアンドゥール遺跡をリクエストしていたが「わからない」との回答だった。
ここはマイナーな遺跡なのだろう。
しばらくすると展示室の扉が開き我々は中に入った。
この博物館は無料のようである。
入ってすぐに、古代南アラビア文字の石碑がガラスケースに入っていた。
私はガイドに「オールド・サウス・アラビック?」と尋ねたが彼は「ノー」と答えた。
するとカウンターに座っていた博物館の人が「そうだ」と答えた。
アンドゥール遺跡の件とこの石碑の件でムハンマドは考古学には詳しくないことがわかった。
展示品の中で他に面白いものは、ウバール(Ubar)で発見されたチェス盤だった。
解説にはチェスと書いてあったが、すごろくのようなものだった。
私は本で見たチェスの駒を探したが展示品には無かった。
8時27分、博物館を出発、シスル(Shisr)に向かう。
サラーラから北へ31号線でThumraytを目指す。
この道を1000km走ればマスカットへ着く。
彼の説明では車で10時間、急いで走って7時間とのことだった。
車はドファール山脈を越えて行く。
サラーラを出てから30分で砂漠地帯に入った。
車は時速100km以上で進む。
9時25分、Thumraytの町のスタンドで休憩をする。
きれいなスタンドである。
車にガソリンを入れ、売店でコーヒーを飲んでから出発する。
Thumraytの町を出て10分、31号線を左折。ここからシスルまで85kmである。
道路はここから舗装はなくなり、ジャリで固められた道になった。
車は多少スピードを落としたが100km/h近くで走った。
10時30分、右手にシスルの町が見えた。ここに目指すウバール(Ubar)遺跡がある。
彼は「後で寄る」と言ってそのまま、進んだ。
ルブ・アル・ハーリー砂漠
しばらくして、車は地面に刻まれたタイヤの跡を頼りに砂漠の中に入って行った。
車を止めて写真を撮る。
この写真の木には毒があるので触らないようにとムハンマドは私たちに言った。
我々の他にも、ヨーロッパからの観光客を乗せた4WD車が走っていた。
この砂漠 ルブ・アル・ハーリー(空白の四分の一)は観光スポットである。
空白の四分の一という名前は、創造の日の前夜、神が世界を四つに分けたという伝説に由来する。
一つは海で、二つは人が住む土地、そして四つ目が永遠に不毛の地でこの土地となった。
更に奥まで進むと砂丘が連なる砂漠地帯に入った。
彼は小高い砂丘に車を乗り上げ我々に「写真を撮って来い」と伝えた。
その間、彼は枯れ木を集めて砂丘の窪地でそれに火を付けた。
枯れ木の上に直接やかんをのせてお湯を沸かした。
乾燥しきった枯れ木の火力は強くお湯はすぐに沸いた。
彼はリプトンのティーパックを取り出し紅茶を入れてくれた。
我々は砂の上に腰を降ろした。
今日は、風があったため、全身に細かい砂が付いた。
この場所では1泊のキャンプツアーが楽しめるという。
どんなに星空がきれいだろうか、想像できない。
12時3分、我々は砂丘を後にシスルに向かった。
同じ道を戻り、シスルに着いたのは12時55分だった。
シスルとはアラビア語で裂け目という意味である。
ウバール遺跡
我々はすぐに世界遺産に登録されたウバール遺跡を見た。
入り口にはユネスコの赤い看板が誇らしげに立っていた。
ウバールは1992年に発掘されて、この遺跡がウバールであると確認された。
遺跡のエリアに入るとまずは塔の跡が目に入った。
想像どおり塔の跡は小さく低いものだった。
しかし、進むにつれ、ウバール遺跡の面白さがわかる。
塔の先は地盤が崩れ、大きな裂け目になっている。
これは想像以上に、えぐられていた。
ウバールの市街はBC900年ころ建設され、BC350年ころ、乳香の貿易で繁栄の絶頂を迎えた。
しかし、地下水のくみ上げが原因でBC300年からBC500年ころ、地盤沈下で崩壊したと考えられている。
この崩壊はコーランのフードの章やアラビアンナイトなどに出てくる話である。
フードとは、伝説の中でアードの民(ウバールを築いた人)に傲慢で邪悪な風習を改めなければ、
恐ろしい運命が振りかかると警告した預言者である。
この恐ろしい運命とは地盤沈下による都市の崩壊であると解釈されている。
ウバールについて調べると隕石の落下によって滅びたとの説明もあるが、これは当たっていないだろう。
実際に裂け目を見ると深くえぐれたその奥からは今でも水が湧きだしている。
また、隕石の落下なら裂け目ではなく、クレーターになるだろう。
我々はゆっくりと遺跡を観光した。
今では、裂け目の崖は補強が施され崩れないように保護されている。
裂け目の底にはコンクリートの階段があり、パイプが伸びている。
階段の手前には柵の扉があったが鍵が開いていたので我々は階段を降りて裂け目深くまで下っていった。
裂け目の底には何かポンプのような装置が設置されていたが水は無かった。
もしかするともっと奥には水があるのかもしれない。
私がウバールの写真を熱心に撮っているとガイドのムハンマドが近くのモスクでお祈りをしてくると告げた。
それから時間をかけて遺跡を写真に収めた。
ウバールの発掘についてはニコラス・クラップ著のアラーが破壊した都市(まち)で詳しく解説されている。
私はこの本を2度、目を通して来た。
しばらくしてムハンマドがモスクから戻り、遺跡の博物館に案内してくれた。
博物館といってもただの小屋である。
入り口の木戸には鍵が掛けてあり、番人が開けてくれた。
中には発掘された土器やコイン、古い写真が展示してあった。
ガラスケースの中には、石製のチェスの駒がひとつ置かれていた。
この駒は四角い単純な造りなので将棋の歩のようなものだろう。
その歩の駒の下に置かれた写真には他の駒(キング?)などの写真があった。
私は番人に「この駒は何処にあるの?」と聞いたら、彼はサラーラの博物館にあると答えた。
しかし、私は今朝、博物館で注意深く探したが展示されていなかった。
一体何処にあるのだろう?
もうひとつ驚いたことはニコラス・クラップ著のアラーが破壊した都市(まち)がここに置いてあったことである。
しかも日本語版である。
私は感動して、図書館で借りて持参してきた本(アラーが破壊した都市)を番人に見せた。
ウバールで十分に時間を取り、13時38分、出発した。
おそらく、ウバールでこんなに時間をかけた観光客はムハンマドも始めてだろう。
ウバールの歴史
紀元前2万年以上前、アラビアはサバンナで覆われていた。
シスール(のちのウバール)の泉にはアフリカより移動してきたホモサピエンスが野営した。
前2万年〜8000年頃、アラビアは乾燥して行き、人の住めない土地へと変わった。
前8000年〜2500年頃、アラビアに再び雨が戻り、遊牧民が戻ってくる。
この頃より、乳香を採取してメソポタミアとの交易が始まる。
前2500年〜再び乾期が訪れ現在に至る。
前900年頃、ウバールの旧市街が造られる。
前350年頃、ウバールに新市街が造られ、交易はエジプト、イスラエル、ギリシャ、ローマに伸び、
ウバールの繁栄期を迎える。
前300年〜500年頃、ウバールは崩壊し、放棄される。
900年〜1500年頃、ウバールの一部が再建され人が住む。
これは940年頃、攻撃と放火を受けた証拠がウバールで見つかっている。
来た道を戻り、31号線に合流したのは14時30分だった。
そこから行きに寄ったThumraytの町まで戻り、レストランで遅い昼食を取った。
町に着いたのは14時40分だった。
レストランは新しくきれいな建物だった。
私はチキン、妻は魚をリクエストした。
料理はサラダ、ライス、カレー、ヨーグルト、そしてメインだった。
チキンはカリカリに揚げてあり、美味しかった。
ツアーでよるレストランより、このようなローカルなところの方が料理はうまい。
乳香の木
15時22分、レストランを後にする。
次は乳香の木を見に行く。
15分ほど走ると右に道をそれた。
ジャリ道を少し走ると白い境界石がいくつも立っていた。
これは、ユネスコで管理しているエリアである。
この乳香の木も世界遺産に登録されている。
15時40分、ムハンマドは大きな乳香の木の前で車を止めた。
乳香の木は3m以上あった。
葉っぱは枝の先の方についていて、とても小さく、手で揉むと乳香と同じ香りがする。
彼は幹を削るのに手ごろな大きさの石を拾い叩き始めた。
しばらくすると、剥けた皮のしたから、白い樹液が出てきた。
これが固まると茶色の乳香に変わる。
この木は何人のもガイドが削っているようで、樹液が固まって乳香になっているところがあった。
15時50分、出発。31号線のメイン道路に合流する。
10分ほど走ると、ムハンマドは31号線から左折した。
標識はサラーラの東のタカを指していた。
ここからはドファール山の中の道である。
山は冬なのに、緑が多く、日本の山中を走っているようだった。
時々、ロバやラクダが道を歩いている。
ラクダの群れでは、子供のラクダも見られた。
Ayn Sahnawt
16時24分、Ayn Sahnawtという泉に立ち寄る。
アラビア語でAynは泉のことである。
崖には展望台が設けられ、そこから下に泉が見える。
泉は透明で水は多かった。
サラーラから来たのか、4、5人泳いで遊んでいた。
展望台の正面には岩山があり、崖には無数のヤギがいた。
距離があるのだろう、ヤギは白い点に見えた。
16時31分、出発。そこから15分でホテルに着いた。
Lou'Lou'ショッピングセンター
ホテルの部屋で3時間ほど休み、近くのLou'Lou'ショッピングセンターまで歩いて行った。
辺りは暗くなっていたが、通りの車は多い。
途中、トルコ風レストランがあり、人々は外の席でお茶を楽しんでいた。
その先には小さなモスクがあり、私の泊まっている部屋からは毎朝5時半過ぎにお祈りを呼びかける声(アザーン)が聞こえる。
Lou'Lou'までは5分ほどで着いた。
クリスマスの続きか?建物は派手な電飾で覆われていた。
このショッピングセンターは3階建てである。
入り口では、これも電飾されたトヨタ車が展示されていた。
1階は食料品、2階は家電、時計、食器、文房具、おもちゃ、雑貨など。
3階は眼鏡、化粧品、洋服などである。
店はそこそこ混雑していた。
お客はガラベーヤを着たオマーン人の他にインド人、フィリピン人(?)など多国籍だった。
私はショッピングセンターを十分過ぎるほど散策したが、1.5Lのミネラルウォーターを1本、0.15 OMR(48円)で買っただけだった。
このショッピングセンターの脇にケガブ屋が1件あるくらいでレストランは無かった。
しかし、道路の向こう側か、この先にレストランがあるのかもしれない。
私はホテルまで戻り、ホテルのレストランで食事することにした。
今朝、朝食を食べたレストランに入ると、4人のアジア人が座っていた。
男性1人と女性3人である。
彼女たちの話を聞くと日本語で会話していた。
話の内容から、観光ではなく仕事でここに来ているように思えた。
私と妻はそれぞれスープを頼み、サラダと上海ヌードルを分けて食べた。