イブラ(IBRA)(Burooj Kibaykib Al Jayalah Tombs)





 5日目  1月6日(金)

 

マスカットからイブラへ


朝、5時10分、起床する。
昨日のホテルでの休日前夜のパーティーの騒ぎもおさまり、静かな朝である。
昨夜はクーラーを止めて寝たので部屋の中は少し暑かったが、朝になると外は寒い。

今日は9時までにイブラ(IBRA)まで移動、約束のツアーに参加するために待ち合わせのホテルを目指す。

私はイブラにあるTOWER TOMBSを見るために日本からNahar Tourism Oasysにコンタクトをとっていた。
TOWER TOMBSはオマーンで2年前に買ったガイドブックに載っていた遺跡である。
私は今回の旅行で訪れてみたいと思い、インターネットで調べていたが、日本語のサイトは見つからなかった。
英語で検索してみると数件ヒットしたが、現地ツアーやTOWER TOMBSのある場所まで紹介しているサイトは無かった。
そこで自力での観光は諦め、日本のS旅行を通し、現地オマーンの旅行社に問い合わせたが「わからない」とのことだった。
もう一度、問い合わせてもらい、出発の1週間前まで待ったが回答は無かった。

私はダメもとで、検索でヒットしたIbraにあるNahar Tourism Oasys Hotel にEメールを打った。
すると、今回、お世話になるアブドゥーラから返事がきた。

何度か彼とメールのやりとりをして、1日ツアーをお願いした。

 Empty Quarter Tours ( emptyqtr@omantel.net.om )

目指すイブラの町まではマスカットから約2時間だと彼から聞いていたので、私たちは6時半ごろホテルを出る予定をたてていた。

私はホテルのレストランに6時15分に行った。
レストランは6時半からだと聞いていたがボーイが席に通してくれた。
もちろん、我々が一番のりである。

時間が押していたので早々に食事を終え、6時48分、ホテルを出発する。

私たちの泊まったホテル(Majan Continental)は、空港からマスカット方面に車で15分ほど走ったところにあった。
私は一度、空港方面まで戻り、それから空港のひとつ先(西)のラウンドをニズワ方面に向かった。
道は快適で120km/hで進む。

BIDBIDの町を過ぎ、イブラ/スールの青い標識に従って右にそれ、左に大きくカーブしながら橋を渡る。
ここから道路は対面通行に変わる。

イブラの町の手前にシェルのスタンドがあったので給油する。
マスカットからは満タンで来たがすでに半分近くガソリンを使っている。

8時36分、ホテルから152km。

給油は18.343Lで2.201 OMR(オマーン・リアル)(706円)だった。
つまり、1L=38.5円である。

8時42分、出発。
イブラの町に入る。
Nahar Tourism Oasysのホームページからプリントした地図を見ながら慎重に交差点を探した。
道路のT字路にはNAHAR TOURISM OASISの看板があった。
そこで私は左折した。
ここからは約3kmである。

3km進むとNahar Tourism Oasys Hotel がぽつんとあった。
8時51分、到着。

 Nahar Tourism Oasys  Nahar Tourism Oasys

 Nahar Tourism Oasys  Nahar Tourism Oasys

私は車を駐車場に止め、レセプションと書かれた方に行った。
そこにはいくつかのテーブルと椅子があり、数名の観光客が朝食を食べていた。

レセプションの中からは、大きな男が出てきて「サトシ?」と私の名を呼んだ。
私が答える前に「アブドゥーラ」と自分を紹介した。

私は彼と握手をして、会えたことを喜んだ。

彼とアラビックコーヒーを飲みながら今日の工程を打ち合せた。
まずは山の上にあるTOWER TOMBSを見て、FINS の町に下る。
そこから、カルハットにあるビビ・マリアムの墓(Bibi Mariam)を見てスールの街で観光が終わる。

観光は彼の4WD車でまわり、スールまでは舗装道でスタッフが私の車をまわしてくれる計画だった。

私は、今日のホテルを予約していなかったので何処に泊まってもよかった。
そこで、このNahar Tourism Oasys Hotel に泊まれないか彼に相談した。

彼はこのホテルの料金を説明してくれた。

スタンダードの部屋で22 OMR(7,060円)、オマーン風のスイートの部屋で29 OMR(9,300円)だった。
とちらも朝食付きである。
妻は「ここでもいい」と言ったが、彼は「砂漠に泊まるのはどうだ」と言った。

それは、ワヒバ砂漠にあるキャンプ施設(1000 NIGHTS)で夕食はバーベキュー、夜は電気がないというアウトドア感覚のものだった。

料金は夕食と朝食付きで 40 OMR(12,840円)である。
ただし、ベドゥインに砂漠まで送迎してもらうための料金が 25 OMR(8,025円)かかる。

私たちは彼のパソコンで施設の写真を見せてもらい、気に入ったので、ここに決めた。

 

Burooj Kibaykib Al Jayalah Tombs


打ち合わせも終わり、必要な荷物を彼の車に乗せ、9時38分、Nahar Tourism Oasys Hotel を出発した。

運転はアブドゥーラがしていたが、助手にサウドが乗った。

アブドゥーラは車に付いているGPS(日本のものとは違い地図ではない)を操作しながら「ここは海抜490mだ」と教えてくれた。

彼は通常の携帯電話と衛星携帯電話の2台を持っていた。
彼の話では「山の上では衛星電話でないと通じない」とのことである。

彼は、時々、風景や植物など、私たちに英語で説明しながら山へ向かった。

イブラから来たNahar Tourism Oasys Hotel の前の道をそのまま進み、スマイヤ村まで行く。
スマイヤ村のきれいな建物(クリニック)の脇の道を右に曲がり進む。
10時17分、ここからは舗装路ではない。

 砂利道を走る  運転するアブドゥーラ

砂利道を45km/hくらいで走り、道の分岐点には青い標識があった。 10時21分、AL Gaylah方面に向かう。

途中には地名の標識があるが、TOWER TOMBSのものは一切ないので、自力で行くことは不可能だっただろう。

 水で侵食された地形  標識

山道をどんどん登り、10時48分、右側にAL Gaylahの村が見えた。

このあたりで標高は890m、気温は16℃だった。

 車を降りて写真を撮る AL Gaylah村の写真を撮る

ここに住む人は、昔は穴に住んでいたが今はコンクリートの家に住んでいる。

 穴の住居  穴の住居

山のベドゥインはヤギを売って生計をたてている。

 AL Gaylah村  AL Gaylah村

標高1482m、気温11℃である。
下にはスマイヤ村が遠くに見えた。

 給水タンク  走ってきた道

   高山植物

さらに登ると高山植物がはえていた。

Mallut →(右)19kmの標識を左に登って行くと、遠くにひとつ TOWER TOMB が見えた。

その先に手書きの標識AL Gah ←(左)3kmがある。
ここは左に曲がらずまっすぐ進む。

11時22分、TOWER TOMBS に到着した。ここは East Al Majer Mouuntains である。

(*私は今回、この遺跡までのルートを細かく紹介しようと注意深くメモとってきたが、大変難しい。ここへはガイドなしでは来るのは不可能と考えてほしい。)

TOWER TOMBS は正式名称(Burooj Kibaykib Al Jayalah Tombs)といい、Divels towersとも呼ばれている。 この場所には崩れて基礎部分になったものも含めると、10基ほど確認できる。
しかし、遠い山の上にも数基見ることが出来た。

Burooj Kibaykib Al Jayalah Tombs の 地 図



   

 二重の石組み  二重の石組み

*この墓はニ重の構造である。


   入口

遺跡の説明板によると、この墓は Umm an Nar 時代、BC2500年〜2000年のもので、約7km×7kmに90基確認されている。
ヘリコプターのパイロットによって発見され、1991年と1994年に調査された。
直経は3m〜4m、4m〜5mで円筒形である。
墓のいくつかは、二重壁で構成されている。

1994年の調査では、陶器のビーズと破片、骨などが発見されている。

崩れた遺跡は壁が二重構造になっていて厚さは80cm+80cmだった。
崩れていないもので私の見た3基については、何故か、壁が一重構造だった。
壁の厚さは100cm〜110cmだった。(下の部分の入り口で計った)
使われた石の大きさは様々であるが横300mm〜600mm、高さ50mm〜80mmといったところである。

   

   

墓の入り口は正確ではないが、どれも東を向いている。
入り口の大きさは高さ85cm、幅45cmくらいである。

塔全体の形は、曲線になっていて中央がくびれている。
この形が美しい。

私は保存状態のいい2基のTOMBSの中に入った。

内部の石組みも外部同様に丁寧に組まれていた。
1基は天井に穴が開き、中は明るかった。
他の1基は、天井は塞がっていたが、かすかに明かりがもれていたので頂上部分の石は1、2枚程度で構成されていることがわかる。

 内部の天井  内部から入口を見る

*内部から撮影の入口の写真でわかるようにこの墓は一重の構造である。




私が時間を掛けて遺跡を見ている間、アブドゥーラは新聞を読みながら車で待っていてくれた。
彼は私を急かすことをしなかったので私は満足の行く観光が出来た。

 立て看板  立て看板

   


私が見た遺跡で一番高いところのものは標高1820mだった。
今、気温は9℃、Nahar Tourism Oasys から81km走った。



 内部天井  内部の壁

12時21分、TOWER TOMBSを後にする。

車はイブラには戻らず、海沿いの町、Finsに向かった。

この先の道も一本道ではなく、いくつか分かれるポイントがある。

車はQuranという小さな村を通る。
村には小さなモスクがあった。

村のモスク
その先に31km→(右) Tiwiの標識がある。
TiwiはFinsより、スールよりにある海沿いの町である。
こちらのルートでも海に下れるがアブドゥーラが言うには、難しい道らしい。

我々は左に行く。

 

Majlis Aljenn Jenny


12時53分、Majlis Aljenn Jennyという洞窟(竪穴)に着く。

Majlis Aljenn Jennyとはアラジンと魔法のランプに出てくる魔法使いのジニーの椅子と言う意味である。
ここは「世界で2番目に大きい洞窟だ」と説明された。

 Majlis Aljenn Jenny  

   

13時5分、出発。

走って5分で次の洞窟(竪穴)に到着。

 

ここは40mの深さのある洞窟らしい。
ここでは2ヶ所の穴を覗いた。

 40mの縦穴  

13時19分、出発して、13時24分、海の見える山でオマーン料理のランチボックスを開ける。

風が吹くと少し涼しいが日差しが強い。

 海の見える山


ランチはライスに、おくら料理を混ぜて食べる。
それとチキンである。

今日のランチもとても美味しい。

   ランチ

実は、この場所にもTOWER TOMBSの基段部分は2基あった。

14時12分、ランチを終え、海まで下る。

ここからのルートは非常に困難で急な坂道を下って行く。
途中、一部だけコンクリートの道路があった。
ここはかなりの急坂でアブドゥーラは今回のルートでもっとも慎重に車を走らせた。

   コンクリートの道

 

Finsの町の手前では中国の会社が新しい道路を建設中である。
我々が来た道は建設中の道に寸断されルートが無くなった。

アブドゥーラは道ではないところを無理やり走り、Finsの町に出た。

海に沿った道に突き当たり、「左に行けばマスカット、右に行けばスールだ」と彼は言った。

町中は舗装された道だったが、町を出るとすぐにジャリ道に戻った。

 

Wadi Al Shab


15分ほど、スール方面に走ると、Wadi Al Shabに着いた。
ここでは、子供が寄ってきて「マネー、マネー」とねだってきた。
オマーンにしては珍しい光景である。

   Wadi Al Shab

15時24分、Wadi Tiwiを通過する。
ここは山の上で標識が出ていた町である。

 

Bibi Mariam(ビビ・マリアム)


15時48分、Qalhat(カルハット)の町にある、Bibi Mariam(ビビ・マリアム)の遺跡による。
残念ながら、ここは現在修復中である。
建物には足場が組まれ、まわりには板が張られていて中に入れない。

 立て看板  

   

道路の向かいには貯水池(?)の遺跡もある。

 貯水池(?)

ここの遺跡の規模は小さいが現在、世界遺産に申請されているらしい。

 修復前 修復前

時間が遅くなっていたので10分弱の観光で出発する。

ここから約10分、走ると舗装路に変わった。
アブドゥーラは140km/h近いスピードでスールに向かった。

16時14分、ガソリンスタンドに寄る。
ここで私のレンタカーと運転してきたスタッフが待っていた。
ここはスールである。

私はアブドゥーラに約束の530USドル払って彼と別れた。
彼は今晩のキャンプホテルのことを心配してくれて、私に名刺を渡し、何か問題があったら携帯電話に電話するように言っていた。

 

1000 Nights


私たちはスタッフの運転するレンタカーでキャンプホテルのある入口の町 Al Mudairib を目指した。
スールを出て1時間、17時30分、 Al Mudairib のスタンドに着いた。

ここで、砂漠まで私たちを送ってくれるベドゥインが待っていた。

私の車をこの町に残し、ベドゥインの運転する4DWD車に乗りかえた。

 ベドゥインの運転する車

ベドゥインは運転手と助手席に2人乗っていた。
彼らはテープから流れる陽気なアラビア音楽でリズムをとり、町の人(知り合い?)に奇声を発している。
前を走るジープに大声で叫び、追い越そうとすると、抜かれまいと競争になる。
お客が乗っていることなど彼らには関係ない。

町の外れまで行くと、舗装路は終わり、砂漠の道に入った。
辺りは暗くなってきた。

キャンプホテルまでは37kmである。
わだちの出来た砂の上をかなりのスピードで走っていく。
スピードメーターは動かないので時速はわからない。

途中、車のライトで照らされた白く輝くものが車を横切る。
よく見ると、ねずみだった。

砂漠を走ること35分、キャンプホテルに到着する。
距離と時間から考えると、平均100km/hで走ってきた。

車を止めるとキャンプホテルの人が我々を迎えてくれた。
そして、テントに案内してくれた。
ベドゥインは私のスーツケースをテントまで運んでくれた。

ベドゥインはこの後、町まで戻っていった。

 テント  バーベキューの夕食

夕食はバーベキューでオープンエアの食堂で食べる。
時間は19時からだった。

私は早めに行って、ウエルカムドリンクのミントティーとディツ(ナツメヤシ)をごちそうになった。

食堂は砂の上にゴザを敷き詰め、テーブルのまわりには固めの枕のような座布団が置いてあった。
私はそこに腰を下ろし、バーベキューが出来るのを待った。

サラダ、ライスをセルフサービスでとり、焼きたての肉を皿にもらう。
頭にライトを付けた料理人がラム肉、鳥肉、アラビックウインナーを焼いている。

私たち2人のほかは、ヨーロッパ人で8名が泊まっていた。

彼らは遅くまで話をしていたが、私たちは食事を終え、自分のテントに戻った。



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