Mada'in Salah (Al Hijr)

 

アル・ヒジル(マダイン・サーレ)について・・・

アル・ヒジルでは紀元前1000年頃リヤーン族が存在していた証拠の碑文が発見されています。
それはリーヤナイト文字で書かれ最も重要な1つは隊商の動きを見る監視所として使用されたエスリブ丘の上で発見されました。
リヤーン族はナバティア族が南の首都としてアル・ヒジルを取るまでここにいました。
この出来事は紀元前1世紀の始め、もしくはその前に起こりました。

アル・ヒジルはアレタス4世(BC9年〜AD40年)の統治の期間にすばらしい建築物が造られました。
墓はナバティア族の北の都の現ヨルダンにあるペトラ遺跡と同様のものであります。
この地域に約200の墓が造られ、それらはランクの違う兵士や地位の違う役人、司令官、騎手などのものです。
1つの墓は家族や親戚で使われ、墓に書かれた碑文は元の所有者以外のものの使用を禁止する警告がほとんどです。
内容は、これを破ったものは神の呪いに掛かり司祭や王に罰金を払うように書かれています。
罰金の額は具体的な金額が書かれています。

ナバティア族がアル・ヒジルを軍用基地と使用していたことは明確でここまではローマの手が届きにくいことや南アラビアからの隊商貿易に対する近隣種族からの保護のためのようです。

ナバティア族の起源については諸説ありますが中央アラビアからやって来た説とアラビア湾の北の海岸から来た説などがあります。

西暦106年、ローマ軍がナバティア王国を征服した後、隊商の貿易ルートを陸上から海上に移したためアル・ヒジルは貿易の中心地としての機能を失ってしまいました。
それは隊商から徴収した税も失うこととなり、次第に都市は衰退して行きました。


ナバティアの北の都 ペトラ・・・

エル・カズネ 
 エド・ディエル
ペトラ遺跡の写真(1997年撮影)

 

Qasr Al Bint

Qasr Al Bint は地方の名前で地方伝説からつけられています。
エスリブ丘の西に大きい塚と小さい塚が位置しています。
南北に伸びる山には3つに分けられる29の墓のグループがあります。
西側に19の墓があり、1つは未完に終わっています。
未完の墓は上部から堀進められ、工事が上部より行われていたことがこの墓からわかります。
Qasr Al Bint の下からではこの墓は見えません。
この墓はNo1 Tomb から望むことができます。
また、未完と言っても上部には穴があり、使用された形跡が見えます。(私がNo1 Tomb から確認した限りです。)
この墓の上部はマダイン・サーレ最大のもので完成していれば一番大きな墓になっていました。
南側には7つの墓があり、その1つの碑文はナバタエ語と北アラビア語で書かれています。
東側には3つの墓があり、山の北西にある塚は東側に2つの墓を含んでいます。
このエリアの墓の碑文には西暦267年7月の日付のものがあります。

 

写真は看板のある西側から南まわりで撮影しました。
写真13がTomb 36、写真20がTomb 44、写真21がTomb 45です。
写真23は北西にある塚で東側に2つの墓があります。


西側
看板 写真1 写真1の内部
写真2 写真3 写真4
写真5 写真5の内部 写真5の内部の入口付近
写真6 写真6の内部
写真7 写真8
写真9 写真9の内部
写真10 写真11 写真12
南側
写真13.Tomb No 36 写真14 写真15
写真16 写真17 写真18
東側
写真19
写真20.Tomb No 44 写真20の内部 写真20の上部
写真21.Tomb No 45 写真22
北西の塚
写真23
西側
写真24 写真25
 

The Diwan・Siq・Ethlib Mount

Qasr Al Bint の東には、The Diwan(集会場)があります。
Diwan はエスリブ丘の北側に位置しています。
それは12.8mの長さ、9.8mの幅、及び8mの高さの長方形の岩を掘って出来ています。
入口の幅は8.85mで左右には柱の形の彫刻が施されています。
また、The Diwan の左の岩にはベンチが掘られています。
The Diwan の先はシクになっていて左右の岩にはナバテアで崇拝した神々のレリーフがヨロイ窓で彫られています。
シクの間にある神々は高い位置ではなく、人間の目の高さほどにあります。
形は様々でドゥシャラ神、アルラト神、マナト神、シアアルカウン(キャラバンの神)、カイス、アーラなどです。
シクを抜けると右側の山の中腹にも神様が彫られています。
また、左側の中腹には井戸(水槽)があり、岩に穴がポッカリ開いています。
当時は外側に開く木戸があったようですが、今は何もありません。
水槽の長さは5.5mで幅5.1m、深さは5m以上です。
水槽内部の正面にはT型の壁がんがあります。
これも神様と思われます。
水槽までの水は2つの用水路を使って運ばれました。
1つは山側の真ん中に掘られてもので、もう1つは山すそに沿って掘られています。
山すその水路は向かいのエスリブ丘からよく見えます。
エスリブ丘の山すそ(東側)にも神様の壁がんがあります。
また、集会場も造られています。


 

写真1、The Diwan とシク 写真2、左側の岩のベンチとその上の神様の彫りこみ 写真3、シクの左側の神様
写真4、シクの右側の神様 写真5、シクの左側、奥の神様
写真6、シクを抜けた右の岩 写真7、シクの抜けた右の岩の左側
写真8、貯水槽の入口 写真9、水路(クリックで拡大します)
 写真10、丘の上から
写真11、神様 写真12、神様 写真13、神様
写真14、Diwan 写真15、神様 写真16、Diwan
 

Nabataean Well・Jabal Al Mahjar (Area A)

写真は Nabataean Well からQasr Al Bint を撮ったものです。
上部に未完成の墓が見られます。


未完成の墓(クリックで拡大します)
The Diwan の西には、ナバティアの井戸があります。
この井戸の入口には Tomb No1 があり、マダインサーレでは最も初期型の墓と考えられます。
No1 Tomb 内部の床には多くの穴が開けられ、この穴に油を注ぎ灯りを燈したと思われます。
(パキスタン人ガイドの説明による。)
この床の穴は他の墓では見られません。
No1 Tomb (初期型の墓)(クリックで拡大します) 内部
ここはエリア A で、14の墓を含んでいる3つの塚から成っています。
1つは Qasr Al Bint 区域の左側に位置していて6つの墓があります。
2つ目の塚は東側にあり Diwan 区域と北側に建つヒジャズの駅とを結ぶ道の間にあります。
この塚には5つの墓があり、西側に3つ、南側に1つ、東側に1つあります。
これらの墓のいくつかの入口は地面より高い位置にあります。
3つ目の塚は少し離れたところにあり、そこには3つの墓があります。
それは南端にあった古い石切り場にちなみ Jabal Al Mahjar(石切り場の山)と呼ばれました。


看板 入口
井戸 井戸の上部(建造物の跡が見える)(クリックで拡大します)
 井戸の底
 

西の塚(写真は南側から)
  
東の塚(写真は北側から)
No7 Tomb  No9 Tomb
No9 Tomb の内部 No11 Tomb No11 Tomb の内部
3つ目の塚 (Jabal Al Mahjar)
離れたところにある墓
 

Al Knuraymat Area

Al Kunraymat は鉄道の西にあり、約53の墓があります。
中でも南側の4つ目の墓の正面は特別な形です。
入口の上部を三角の形から花形飾りの平らな板の半円に変えています。
No 100 Tomb の正面は新しい建築要素を含んでいます。
4つのコラムのつなぎをナバティアの王冠を使っています。
これらは下部と上部のスペースが対称で切り分けられ正面の両側に小さい穴の2つのラインがあり金属板を支えていたと思われます。


No 100 Tomb
No100 Tomb
No100 Tomb のナバティアの王冠 No100 Tomb 花形飾り
 

写真は北側から
フェンスの先の墓 No56 Tomb 
 墓の碑文(クリックで拡大します)
  
  
  
No72 Tomb No73 Tomb 
  
No81 Tomb  
  
 


独立した岩

  
No95 Tomb No97 Tomb 


No100 Tomb
No100 Tomb

 
 

Unidentified Tomb

Site Entrance を入ると左(西)に Qasr Al Saneh が見えます。
そこから東に向かうと道路の南側に6つの簡単な横穴墓のある岩があります。
この岩は Qasr Al Saneh のグループに属します。
その東側には No 109 の Unidentified Tomb があります。
この墓は1つに岩に1つ造られています。
岩の形に特徴があり、上部が西側に大きく張り出した奇岩であります。
墓の正面入口(北側)上には碑文が書かれています。
墓の入口付近は見てわかるように未完成に終わっています。
内部は部屋のような区切りがあるものの、天井の高さが他の墓に比べて低く180cm弱です。
また、天井面の岩の仕上がり具合もゴツゴツしたままです。


Unidentified Tomb
碑文(クリックで拡大します) 
 

Area C D

Area C D は Qasr Al Bint の南西にあり、Unidentified Tomb の東側です。
このグループは2つの露出した岩で構成されています。
1つは岩の4つの側面に18の横穴墓があり、2つ目の露出した岩は少し南にあり1つの墓しかありません。
道路を挟んで南側が1つの墓の Area D です。
この墓は No 111 Tomb です。
道路から舗装された遊歩道はゆるい勾配の上り坂です。
墓の入口は西側に向いています。
入口は地上面から岩を少し登ったところにあります。
パキスタン人ガイドのマリックは、ここで拾った鉄の輪を妻にこっそりくれました。
彼の話では青銅製のものかもしれません。


No 111 Tomb
 青銅製?
No 111 Tomb より Area C を見たところ
 

Area C
No 113 tomb  
 穴のみ 
  No 122 Tomb



 内部
 碑文(クリックで拡大します
上の写真の碑文には Gheanen S/O Geziah と所有者の名前が書かれている。

No 129 Tomb No 112 Tomb

 

Al Farid



Area C から見た Al Farid

東面 看板
Al Farid

(クリックで拡大します (クリックで拡大します
裏面 裏面
左上のブロックが補修されています(クリックで拡大します)
 

Qasr Al Saneh

Qasr Al Saneh はゲートを入ってすぐにあります。
左側の墓は No 102 Tomb で日付を含む碑文があります。
アレアス4世(AD 8年3月ー4月)統治の17年の4月の日付が含まれています。
東のグループには6つの簡単な横穴墓があります。

Qasr Al Saneh
東のグループ
 
 



*2008年、サウジアラビアのアル・ヒジル古代遺跡 Al_Hijr Archaeological Site (Madain Salih)[文化遺産(ii)(iii)]が世界遺産に登録されました。

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