あなたが日々健康であるために!
音楽(BGM)は大庭 加奈子が演奏をした「パガニーニの旋律による練習曲」です。
左のスライドで音を小さくしたり、止められます。
正しい食生活
五穀を中心とした野菜食
似て非なるもの
福沢諭吉「食物の良なる故」=西洋説のたよりなさ
肉食について
野菜食(ベジタリアン)について
食生活の習慣について
満腹と腹八分
腹八分は健康によいか?
生食について
ゲルソン療法について
玄米は健康によいか?
食生活の変化
包丁とまな板
茶碗や皿などの食器類
朝食の問題=食事時間について=朝食抜き
梅干し・ラッキョウ・紅生姜(べにしょうが)
食べる楽しみと質と量=大食いと小食
食生活の大切さ=水野南北と石塚左玄
噛むことの大切さ
歯磨きの必要性
歯垢や歯石の除去=プラークは細菌の塊
歯茎から血が出る
目やに・耳だれ・鼻くそ
運動はすればするほどよいか?=運動の必要性
プールでの水泳は健康によいか?=水泳の利害得失
身体の清潔と安全=生活習慣の大切さ
口内の清潔=歯の磨きかた(歯、歯茎、味蕾、舌苔)、うがいの推奨
顔を洗う=目と鼻の洗い方
正しく鼻をかむ
鼻洗の方法
身体の清潔とおへそ(お臍)の清掃
身体の洗い方
正しい呼吸の仕方=息の仕方と口呼吸の弊害
正しい寝方と正しい眠り方
眠りの分断化
食べ物、塩、水、飲み物の問題
食べ物の正しい噛み方=噛み方を考えた料理方法
健康としてのジョギングの問題点
健康としての水泳の問題点
衣服などの洗い方
食器などの洗い方=皿洗いの方法
風呂に入浴するときの方法
ベルトは弛めに!=身体を締め付けない
身体に静電気を貯めない
日々じゅうぶんな睡眠が必要!
枕と水枕の効用
抱(だ)き枕について
水洗便座について=ウオッシュレット
男性の小便について
理工式生活習慣法
理工式健康法
健康21シリーズ
個人差があるので、何が正しい食生活などとは一概には言えないでしょう。また、何を食べたらよいかなども、人によって大いに異なってきます。しかし、昔から言われている
(1) 自然のものを丸ごと食べる。
(2) 部分食しかできないものは、なるべく食べない。
(3) その土地の旬のものを食べる。
などは、たいがいの場合には正しい食生活と言えるようです。
自然のものを丸ごと食べるというのは、生命をもっているものをいただくという意味です。野菜で言えばトマトやキュウリなど、魚でいえば小魚やコウナゴなどです。つまり、トマトやキュウリは食卓にのった時点でも生きているのでしょう。私は小さな包丁を食卓に置いて、果物などは少しずつ切り出して食べます。あらかじめ切ってしまうと、切り口から酸化をして身体に好ましくないし、味も落ちてしまうからです。
小魚について言えば、食卓上ではすでに死んでいますが、それでも新鮮なものを丸ごと食べられるので素晴らしいことです。
部分食しかできないものというのは、大きな動物の肉などのことです。ふつう、牛や豚は丸ごと食べられません。なぜならば、大きすぎるからです。鯨や鮪(マグロ)などもそうです。したがって、ステーキや刺身なども食べ物としては好ましくありません。また、ハムやソーセージのように精製をした食べ物も、常食にするのはあまり感心しません。
せいぜい鶏肉やその卵くらいまでが、正しい食生活にも利用できそうです。しかし、一般には動物の死骸や死体を食べるのは、あまり好ましいことではないでしょう。
近年になって交通や冷凍保存の方法が発達したので、地球の裏側の食べ物も手軽に入手できます。
健康に注意をするのであれば、遠距離の地点で取れた動物や果物などは忌諱したほうがよさそうです。長い間にわたって培われてきた私たちの遺伝子が慣れていないからです。もしも、味を楽しむためにテーブルに載せるときは、あまり大量には食べないようにしたほうがよいでしょう。
また、プレハブなどで育成された季節はずれのものを食べるのは、その栄養価も低いし、健康上には好ましくありません。やはり、その土地でできた旬のものがいちばんいいのです。
食生活が大きく変わっても、それに私たちの遺伝子の変化がついていけないのでしょうか。ここのところ、ガンや循環器系の病気が増えているみたいです。やはり、昔ながらの五穀を中心とした野菜食が好ましいようです。もっとも、あと500年もすると現在のような食生活に慣れてしまっているでしょう。しかし、それまでは健康上の問題をかなり抱えることになるでしょう。
五穀とは、ふつう米・麦・粟(あわ)・豆・黍(きび)または稗(ひえ)をいいます。しかし、いろいろな説があるので一概には言えません。
下郷農協の「五穀豊穣」は、押し麦・はと麦・蒸しそば・洗い黒ごま・もちあわです。
また、山梨県南巨摩郡(株)はくばくの「穀物専科」は、大麦・もちきび・もちあわ・アマランサス・いりごまです。
私の常用五穀は、玄米・洗いごま・七味とうがらし・大豆・小豆です。
五穀と言っても、とくに定まっているわけではありません。また、穀物の総称を言うこともあるようです。いずれにしても、無農薬か低農薬の穀物を食べていれば健康には好ましいでしょう。
気をつけないといけないことは、野菜などを食べるときです。
形はスマートで、大きさは昔のものよりも大きめです。しかし、その栽培法のためでしょうか、栄養価が非常に小さくなっているといいます。つまり、形は昔と同じでも実際の内容は、非常に薄い野菜が出回っているのです。そういえば、味も何となく変わったようで、トマトなどは昔の味、「えごさ」というのでしょうか、野菜や果物の「灰汁(あく)」が少なくなっているようです。
灰汁とは、植物に含まれる渋みのある成分のことで、主成分は炭酸カルシウムです。しかし、ゴボウなどは灰汁を抜いてから食べたものです。
かつてトマトを1つ食べたのと同じ効果を期待するならば、3つぐらいを食べなければならないでしょう。もしも、昔のような量を食べていたのでは、栄養量が不足してしまうからです。しかし、そうかと言ってたくさん食べるのも問題です。それは、満腹をして食べきれないということよりも、農薬の危険性の問題があるからです。見た目だけの商品のような感じに、すでに大半の野菜や果物がなってしまったようです。
野菜以外にも、意外にそのような食べ物多いようです。あらゆる分野で、飛躍的に科学が進んだためでしょうか。スーパーで売っている「蟹の肉」や「いくら」までもが、見た目や味が本物そっくりに作られた人工的製品になったものもあります。しかし、味や値段はともかく、健康に関して考えると将来に大きな問題があるでしょう。
「酒」と「合成酒」
「みりん」と「みりん風」
などにも、注意が必要です。
福沢諭吉は、『文明論之概略』の「緒言」(p13)に「食物の良なる故」というテーマで、西洋の書物から学んだことに対して次のように述べています。
<…… 食物を喰ひて之を消化したるが如し。其物は外物なれども、一度(ひとた)び我に取れば自から我身内の物たらざるを得ず。故に書中稀に良説あらば、其良説は余が良説に非ず、食物の良なる故と知る可(べ)し。>
食物に関しては、素晴らしい理解を示されています。さすが、優れた明治の思想家であり、教育家でもある人の意見です。
しかし、本論のほうはどうでしょうか。
「良説」は「食物の良」と言っています。それは裏返すと、間違ったことがあっても自分のせいではなく、やはり食物つまり書物のせいということになるでしょう。そして、彼は啓蒙の立場で述べているので、言うべきことを言っていないということも、やはり後日になって片手落ちの具合の悪いことになるでしょう。
福沢諭吉が死んでから、100年ちょっとが過ぎました。西洋の理論で結果のよいほうばかりを考えてきた日本人の愚かさによる今日の不幸な結果を、もしかしたら福沢諭吉はすでに知っていたのかもしれません。
日本人は穀物や野菜が主食で、長い間にわったて肉食は少なかったようです。むろん、鶏などをつぶして食べたりしたことはあるでしょうが、西洋人の食事のように肉を多く食べませんでした。その代わり海岸に近い地方の人は、魚をかなり食べたのです。長い歴史が、そのような遺伝子を構成するのですから、急激に食生活を変えると問題が生じるでしょう。
むろん、肉食も今後500年くらい経つと問題が生じなくなるのでしょうが、過渡的な期間については大きな問題が生じる必然性があるのです。
そもそも日本では、天武天皇の時代(675年ごろ)に
牛 馬 犬 猿 鶏
の肉食が禁じられました。
ここに、豚が入っていないのは、なぜでしょうか。
ベジタリアン(vegetarian)は、菜食主義者と訳されます。肉を食べずに、ふつう野菜食をしている人たちです。
日本人の場合は、健康に着目して考えると穀物を中心として、野菜食をしたほうが好ましいようです。つまり、米や麦などを主食として、人参や大根などの野菜を副食とする方法です。そしてそれは、私たちが行っていた戦前までの食事なのです。
しかし、ヨーロッパやアメリカなどでも野菜食の人がいて、そういう人をベジタリアンと呼んでいます。
聖書にも、野菜食のことが記述されています。
『創世記』には、アダムとエバに「神は草と木を食べ物として与えた。」と書いてあります。ここで、「肉」とは言っていないことに注意をしていただきたいのです。
下って『ダニエル書』(第一章12~15)には、驚くような記述があります。
その記述とは、「肉をたくさん食べたグループ」よりも「野菜と水のみを与えたグループ」のほうが、血色がよく肌もつややかになったという事実なのです。もっとも、書物の中の記述ですが、実際に王様が確かめてみたくだりがありますので、やはり現実に起こった史実と考えてよいかもしれません。
私(黒田康太)は、以下の松田氏が書かれた文を読むまでは、勘違いをしていました。
松田氏は、ベジタリアンとは
<ラテン語vegitus(生命/活力に満ちあふれている)からきたもので、ローマ人にとって「精力的な人、心身ともに健全な人」を意味するのであって、野菜(ベジタブル)の意味ではない>
と書いています。
それでも、ふつうは
<果物、野菜、ナッツ、種子類、全穀物、豆類、イモ類、海草類、発芽野菜>
などのような野菜と穀物を食べているのです。
そして、そのような方針をとっている人に、
<アインシュタイン ピタゴラス アルキメデス ヒポクラテス ダ・ヴィンチ トルストイ シュバイツァー バーナード・ショー>
たちがいたというのです。
そして、現代のスポーツの世界では
<カール・ルイス エドウィン・モーゼス ディブ・スコット アンドレア・カーリング(ボディービル)>
たちがそうです。むろん、故人も含まれています。
そして、ベジタリアンのレベルによる種類を4つあげておられます。それは、
<(1) ヴィーガン(Vegan)……動物性の食品はいっさい取らない。
(2) オヴォ・ベジタリアン(Ova Vegetarian)……肉、魚、牛乳、乳製品は取らないが、卵は食べる。
(3) ラクト・ベジタリアン(Lact Vegetarian)……肉、魚、卵は取らないが、牛乳、乳製品は食べる。
(4) ラクト・オヴォ・ベジタリアン(Lact Ova Vegetaruan)……肉や魚は取らないが、卵と牛乳、乳製品は食べる。>
ということです。
ここで、卵と牛乳について補足をしておきましょう。
卵は単細胞の一つの生命の源です。したがって、卵を食べるということ自体、肉食かどうかはわかりませんが、動物の生命をいただくということになるようです。
日本では、大人が牛乳を飲む習慣は久しくなかったようです。江戸時代にやってきた宣教師が、幕府に「牛の乳を飲みたい」と申し出ると、赤子ではないかと疑ったそうです。
なお、私は久しくベジタリアン(菜食主義者)でした。しかし、出汁(だし)に使う煮干し、そして小女子(こうなご)などの小魚は食べていました。また、外食の場合は別でした。しかし、最近になってベジタリアンを諦めてしまいました。その辺の事情がFacebookにあります。 それは、Yushi Shimadaさんの投稿に答えた形です。(2011年2月)
Yushi Shimadaさんは、私がFacebookを始めたときに友達第一号になってくださった博学の若いお坊さんです。

五観の偈(ごかんのげ)は、禅宗において食事の前に唱えられます。しかし、共通性のある文章だから禅宗に限らず、多くの分野でも利用される。宗派によって、偈の読み方に若干の異同がある。この五観の偈は、「五観文」「食事五観文」「食事訓」などとも言う。唐の南山大師道宣の『四分律行事鈔』や道元の『赴粥飯法』によって広まった。
<一には功の多少を計(はか)り 彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
二には己が徳行(とくぎょう)の全欠を忖(はか)つて供(く)に応(おう)ず。
三には心を防ぎ過(とが)を離るることは 貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
四には正に良薬を事とすることは 形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
五には成道(じょうどう)の為の故に 今此(いまこ)の食(じき)を受く。
そのおおよその意味は、
一つ目には、この食事ができるまでの多くの人々の働きを考えます。
二つ目には、この食事をするにあたって、自分の行いが相応しいものであるかを反省します。
三つ目には、心を正しく保って過った行いを避けるため、貪りの心を持たないことを誓います。
四つ目には、この食事を身体を養い力を得るための良薬とします。
五つ目には、この食事を仏の教えを正しく成し遂げるために頂きます。
となろう。
わたしは、かつてこの五観の偈を食事の前にしていました。しかし、ベジタリアンをやめたころから、いつしかしなくなってしまいました。なお、私がベジタリアンをやめたのは、吉野家・松屋・なか卯・すき家が、いずれも五分以内で行けるところにあるからです。
そして、その費用なんです。年金生活者になってから、一食280円で味噌汁付き松屋の牛めしは魅力です。先日のサービス期間は、それが240円でした。ベジタリアンをやめたことは、牛に対して何となく申し訳なくも思っています。(2011年2月19日)
各国において食生活の習慣は、かなり異なっているようです。
主食を何にするかということも、その国の農業や狩猟・牧畜などの関係で、長い習慣から決まったようです。また、宗教によって食べ物の一部を忌諱することがあります。私には、その理由がよくわかりませんが、やはり過去からの経緯(いきさつ)でそうなったのですから、何らかの意味があるのでしょう。
そのような習慣が、問題になることもあります。
私たちが当然のことのようにして食べている牛肉や豚肉も、一部の国に行くと食べられません。少なくとも、そこの国の人たちは当然のこととして食べないようです。私はよく知りませんが、インドでは牛肉、イスラエルでは豚肉などがそうではないでしょうか。
また、逆の場合でトラブルが生じることがあります。つまり、私たちが日常的に食べているものでも、それを食べ慣れていない国の人たちにとっては大きな問題なのです。
大戦の後で極東軍事裁判のほかにも、各国で元日本軍の軍人たちを捕らえて裁きました。
その中には、「旧日本軍が捕虜を虐待した」という判決があります。それは、「バターン死の行進」などではなく、捕虜に「木と竹を煮た非人間的な食べ物を与えた」ということで、弁解の余地もなく有罪になってしまった裁判です。誰も日本人の食習慣などについては、弁護してくれるものがいなかったからです。
その「木と竹」とは、捕虜のために努力をして内地から調達をした「ゴボウとタケノコ」だったのです。
また、終戦間近になって医薬品が乏しくなったときに、捕虜の患者に了解を得てお灸をすえたことがあったといいます。しかし、後になって勝者になったかつての捕虜は、「背中に火を押し付けられて拷問にかけられた。」と申し出たそうです。そして、当時の医療担当の将校は、弁解の余地もなく重禁固になってしまいました。
そのような誤解は多くあるのですが、逆に私たちの食生活や生活習慣を完全に近い形の洋式に変えてしまったということに、今後とも発生をしていく不都合な問題があるのではないでしょうか。
原始時代には、食事を時間通りに食べたりはできなかったようです。
なぜならば、農作が発達する以前で狩猟などをしていたからです。獲物がないときは、食事ができないのですから空腹を我慢するしかありません。そんな時代が、あまりにも長かったようです。したがって、私たちの身体も空腹には耐えられるようになっていますが、逆に満腹や栄養過多については遺伝子にプログラムされていないようです。
したがって、食べられるときに食べられるだけ食べるというような食生活だったのでしょう。
それは、野生のライオンなどと同じ状態だったようです。
ライオンは獲物を捕ると、腹一杯食べて、それこそ腹を引きずるようにして歩いています。ライオンは、食べられるだけ食べて、腹八分などということは考えていないようです。おそらく、私たちの祖先もそんな状態だったのではないでしょうか。
あなたは、そのようにお考えになりませんか?
腹八分は、本当に健康によいのでしょうか。
徳川時代の倹約思想によって、満腹状態になるのは罪悪のように考える常識が広がりました。幕府による庶民への牽制があったのですが、貝原益軒などの記述も大きく影響をしています。
その『養生訓』を書いた貝原益軒は、健康に関する10箇条の最初に
<少食 多齟>(少なく食べて、多く噛め)
をあげています。
私は、栄養の取りすぎにならなければ、腹いっぱい食べたほうがよいのではないかと思っています。なぜならば、「うまいものを食べたい」という思いと違って「腹いっぱい食べたい」という欲望は、かなり本能に近いもので、我慢がしにくいものだからです。そして、現代はその両方をある程度充足できるからです。
しかし、私は「腹いっぱいたべたい」という欲望のほうが、なかなか我慢しにくいと考えています。精神的な充足は、満腹感によってももたらされます。現実問題としては、いつも空腹状態にあると気力がなくなってしまうでしょう。
また、繊維植物を腹いっぱい食べると、当然のことながら便の嵩(かさ)も増して、大腸ガンなどにもなりにくいのではないでしょうか。さらに、自分自身が空腹に我慢をしても、腸内細菌たちはがまんができません。よく「腹の虫が治まらない」などというのは、そのことを言ったのではないでしょうか。
かつてフランスの貴族の間では、満腹をすると孔雀などの羽でのどちんこを刺激して食べたものをすべて吐き出してしまいます。そのようにして、新たに食べ直したそうです。栄養などのことを考えると、何とも愚かしい行動だったのではないでしょうか。
ベジタリアンになると、健康を楽しむことができるようになります。さらに生食(せいしょく)を実行すると、たいがいの病気は治ってしまいます。例えば、農薬の入っていない玄米、有機栽培で作ったゴマ、その2つを生で食べるだけで病気を治した経験が、私には多くあるからです。
生食が好ましいものは、
・ 玄米……コーヒーミルで挽いて、小さい粒上にする。それをよく噛んで食べる。
・ 洗いゴマ……つまり炒(い)ってない生のものです。
・ ニラ……2センチメートル程度にはさみで切って、生のまま納豆や豆腐にかけて食べます。
・ ニンジン
・ キャベツ……皮を1枚ずつ剥いて食べます。細かく刻んだりはしません。なぜならば、切り口から酸化をしてしまうからです。
・ レタス……キャベツと同じ食べ方です。
・ アロエ……アロエベラやキダチアロエを化学薬品を使わないで育てます。苗を購入したときは、少なくとも半年以上化学薬品を与えないで、その後食用にします。
果物とともに、ミキサーでジュースにしていただくとよいでしょう。
・ 果物類……リンゴ、ミカン、梨、柿、キウイフルーツなど。
です。
むろん、上記のものも加熱・味付けをして食べることもあります。むしろ、そのほうが多いかもしれません。とくに、鮮度が落ちた場合は、加熱が必要でしょう。
準生食と考えてよいものは、
・ 納豆
・ 豆腐
・ 落花生(生のもの)……圧力釜で軽く茹でてから食べます。
・ するめ……さっと焼いてから食べます。したがって、衛生的に作られたものに限ります。
などです。
マックス・ゲルソンの食事療法というのがあります。
ニンジンなどの無公害野菜を専用の農場で作り、それを用いてガンなども治療しようというのです。
私は、調子の悪いときに生玄米、生ごまなどをコーヒーミルで挽いて食べます。すると、身体の調子がよくなって、病状が失せてしまうことがあります。素人がやっても効果があるのですから、専門の機関で大々的に行うと効果抜群ではないでしょうか。
ふつう玄米は健康によいといいます。
また、発芽玄米などは理想的な主食であるはずです。
しかし、それは建前であって必ずしも事実ではないのです。低農薬で造られた米やアイガモ米などは、まず問題がありません。トラブルを引き起こすのは、例えばテレビなどで「玄米がよい」と聞いて、競って買うときです。玄米は利用者が少ないので、ふつう生産量もあまり多くありません。
宣伝が大々的に行われると、すぐに商品がなくなってしまうのです。
そこで、本来ならば白米に精製する予定であった原米、つまり籾(もみ)の付いた米を玄米に加工して売り出します。すると精米後にも胚芽が残ったままですから、大変なことになります。道徳的に考えるとしてはいけないことですが、実際には定常的に行われているようです。
個人の健康よりも利益を優先させるということは、まったく困ったことです。その結果、アトピーになったり身体に変調をきたすことがあります。ふつう、たいがいの場合は問題がありません。人間の大人は身体が大きいからです。妊産婦などは、まったく異常をきたさないことのほうが多いでしょう。しかし、後になって大問題があります。
生まれてきた赤ちゃんが、多くの場合におかしくなっているからです。中には、脳が犯されてしまったり、手足が機能しない場合もあるようです。つまり、母親の解毒剤として赤ちゃんが働いたことになるのです。これは、魚に含まれているダイオキシンなどの場合でも同じような効果があります。
知らなかったではすまされない問題です。後になって、治すわけにはいかないからです。子ども自身にとっては、一生の問題です。母親の不注意から起こったことでは最悪の結果でしょう。
よくよく気をつけなければならない問題です。
戦後の復興期が終わりはじめたころから、日本人の食事が大きく変わってきました。まず、子どもたちの間に、柔らかい食べ物が流行ってきたのです。
あなたは、「オカァサンヤスメ」という言葉が何を意味するかおわかりでしょうか?
それは、オムレツ、カレーライス、サンドイッチ、焼き飯、スパゲッティ、目玉焼きのことなんです。そして、それらが子どもたちの間で人気食なんです。さらに追加をすれば、ハンバーグなどもあるでしょう。
また、「ハハキトク」などとも言います。そして、それはハンバーグ、ハムエッグ、餃子、トースト、クリームなのです。これらは、いずれもあまり噛まないで食べられる手軽な料理です。
早く食べられる。しかし、ゆっくりと味わって食べることや何回もしっかりと噛んで食べることが、実は人間にとって非常に大切なことなのです。そして、それは学問的に考えると、学校で行う読書きなどよりも、さらに大切なのです。とくに成長期の子供たちには。
「日本人の腸管は長いので、肉食は向いていない」という森鴎外の意見があります。陸軍の委嘱で求められた答申書の中です。しかし、軍部では生理を理解する上層部が少なく「戦争に強い兵士を作る」という緊急課題に対する誤算から、軍隊で西洋食を採用したのです。そして、それが後日まで災いを残すことになるのです。しかし、そのような反省や愚行については誰も言いません。なぜならば、ほとんど全員がいいと思ってしたことだからです。そんなことが、世の中のふつうなのでしょう。
インスタント食品というのがあって、非常に便利です。しかし、実際には原材料から自分で味付けをするような調理をするのが好ましいのです。すでに化学的に作られた味に慣らされてしまって、もはや仕方がありませんが、健康について考えれば、あまり化学薬品が含まれているものを食べないほうが無難でしょう。
なぜならば、化学薬品を体内に蓄積すると、やがて身体にいろいろと不都合な箇所が出てくるからです。
包丁は1本あれば、何とか間に合います。
私は、ゾーリンゲンのステンレス製で小型のものを使っています。あまり研がなくても、野菜や果物はじゅうぶんに切れるので、手数がかかりません。もしも、肉や魚を料理する場合は、専用のものをもう一本用意したほうがよいでしょう。
まな板は、小型のものですが2枚あります。
片方を使っていて、もう一方は屋外に干してあります。3日くらいのインターバルで交換をします。それで、消毒をしたつもりですが、心配なときは熱湯をかけたりします。肉食をするときは、専用のまな板を用意して野菜のものと別にしたほうが無難です。
茶碗や皿は、フランス製の白いものを使っています。表面加工が優れていますので、洗うときに脂っこいものでも簡単に落ちます。糸底もないので、荒いが簡単です。
なお、ここでいう茶碗とはご飯をいれるものです。どんぶりを平たくしたようなものですから、2から3膳分入るのでお代わりの必要がありません。
なお、洗うときは40℃のぬるま湯を用います。そして、洗い終わった茶碗や皿は横向きに立てておきます。水切りが完全にできるので、そのほうが衛生的だからです。
食事時間を正確に定めている人もいます。また、朝食は食べないという人もいるでしょう。
しかし、ふつうそのようなことを厳密に考える必要はありません。元来、腹が減ったら喰えばよいのです。したがって、食べる量によっては1日に3回でなく、さらに多い回数になることもあるでしょう。「一日なさざれば食わず」という言葉もあります。つまり、何もしなくて空腹を感じないときには、ムリをして食べる必要がないのです。
しかし、食事を満足にしないとフラフラとして目まいがすることもあります。そんなときは、早めに何かを食べなければなりません。フラフラするということは、本当に倒れることの前兆かもしれないからです。
朝食については、道元(どうげん)が寺で朝に点心を取るようにしたのが、日本では初めとも言われます。それ以前は、天皇も朝食を摂っておらず、昼が一日の最初の食事であると皇室の記録にあるそうです。おそらく、道元は中国に留学をしたときに、点心のことを知ったのでしょう。そのような歴史もあることですから、朝食の問題についてはいちがいには言えないようです。
道元は、非常に几帳面というか、潔癖というか、あるいは神経質とでもいうか、細かい日常茶飯事のことを決めています。そのご性格もあるでしょうが、僧が増えるにしたがって教団の決まりが必要だったんでしょう。
もっとも『源氏物語』を読むと、そこには朝食のことも書いてあります。
「桐壺」の中ほどにある文章ですが、与謝野晶子の訳で
<朝のお目覚めにもまた、夜明けも知らずに語り合った昔の御追憶がお心を占めて、寵姫(ちょうき)の在った日も亡いのちも朝の政務はお怠りになることになる。お食欲もない。簡単な御朝食はしるしだけお取りになるが、帝王の御朝餐(ちょうさん)として用意される大床子(だいしょうじ)のお料理などは召し上がらないものになっていた。>
とあります。
いったいどっちなのでしょう。
どっちでも、いいのです。
個人差もありますし、作業量なども違うわけですから、自分自身にあった生活様式を確かめながら整えていったらよいと思うからです。食事時間や朝食抜きの問題は、大勢で同時に食事をするときに問題になることで、個別に食事をすることが可能でしたら、あまり神経質になる必要はありません。
毎日、梅干しを一つずつ食べていれば、病気になりにくいと言います。また、ラッキョウや紅生姜(べにしょうが)も、身体によい食べ物と言われます。梅干し・ラッキョウ・紅生姜などのように、古くから健康によいと言われている食べ物は、今日でも数多くあります。
しかし、現実にはそうでしょうか?
よく考えてみれば、それらの製法がまったく変わってしまいました。だから、形は似ていても、必ずしも昔のような結果にはならないでしょう。また、ウメ・ラッキョウ・ショウガなどの素材自体も、化学肥料をふんだんに与えて大きくしたり、遺伝子を組み換えたり、不自然な環境で促成栽培する方法が採られているからです。したがって、必ずしも昔から言われているとおりには、必ずしもならないのです。
加工の段階でも、すでに防腐剤や着色色素などが、かなりの分量で加えられているのが事実です。それらは、いったい人体にどのような影響を与えるのでしょうか? 長期的に考えれば、不安は増すばかりです。減塩が身体にいいからと言って塩分を控えて、その代わり大量の防腐剤を入れたとしたら、結果的には人体にどう作用するのでしょうか?
そんなわけで、仕方がないのでウメやラッキョウ、そしてショウガなどの安全に育てられたものを購入して、自分で作るようにしています。ただし、梅干しはたいへんなので、最近になってから親戚の農家で、そこの自家用のものと一緒に作ってもらうことにしました。最近になって、たいがいの農家では、自家用の農作物と出荷用の農作物を違う畑で作るといいます。そして、自家用のものは形も悪く、あまり大きくならないといいます。なぜ、そんな面倒なことをするのでしょうか?
私が幼いころは、どこの家でも梅干しを作っていました。なぜならば、戸板に新聞紙を敷いて干しているのを土用のころに、よく見かけたことがあるからです。最近は、めんどうなので誰もそんなことをしないのでしょう。スーパーに行けば何でも売っているし、味もよく、見た目も見事なものが多いからです。味がよくて、見た目が見事であれば、たいがいの人は満足をするものです。そんなことは、人間関係についても言えることでしょう。私の知人に美しい奥さんと結婚をして、ものすごい苦労をしている人がいました。
あまり関係のないことをインプットしてしまったようです。話を元に戻しましょう。
梅干しについて、さらに思い出があります。戦後(1946年ごろ)まだ物資が豊富でないころ、学校給食になる前は、小学生は各自弁当をもってきました。そのころは日の丸弁当と言って、梅干しがまん中に載せてあるだけの粗末な人が多かったのものです。
(変換をしたら「梅干し我慢中」となったが、そうではありません! 「梅干しが
まん中」なのです)
そして、そのアルミニウムの弁当箱が、梅干しの酸によって穴が空いてしまったのをよく見たものです。
ラッキョウは私が一つずつ泥洗いをして、株を別々にします。そして先を切ったり、根を除きます。たいへんな作業なのです。そして、ようやく酢に漬けてから安心をして、やっと終わったという感じになるのです。もたもたしていると半日がかりの作業で、食べるときのことを思うと、まったく嘘のような作業なのです。もしも、それを手作業で行ったら、非常に高くつくことが経験をしてわかったのです。それこそ、一粒ずつが作品なのですから、……
あなたは、次のことを信じますか?
私は、ラッキョウを食べるときに、すべてではなく、ときどきですが「あっ、あのときのだ!」とわかるときがあるのです。同じような形をしていますが、やはり一粒ずつに異なっているのです。そして、「どんぐりと山猫」の話を思い出したりもします。とくに形の悪かったラッキョウは「あのときのだ」と覚えていることが多いからです。
ソクラテスは、
<なるべく簡単に、なるべく少なく食べよ>
と言ったといいます。
当時のことはわかりませんが、現在の食品を少なく食べることは、もしかしたら身体にあまり好ましくないかもしれません。なぜならば、腸管を通る分量が少ないと、大腸ガンなどになる危険性があるからです。むしろ、大食いをして大量の食べ物が体内を通過したほうがよいでしょう。しかし、その場合にはゴボウやこんにゃくなどの栄養価の少ないものでないといけません。肉などを大量に食べると、不必要な栄養になってしまうからです。つまり、繊維食物が大量に腸管を通っていくと、ガンにはなりにくいのではないでしょうか。
かつてフランスの貴族社会では、満腹をしてしまったら孔雀の羽で喉を刺激して食べた物を吐き出し、改めて食事を始めるという習慣があったそうです。つまり、量を食べるということで味を楽しんだようです。しかし、どんな美味でも食道を通って胃に入り、腸に達するころは便に近いものになってしまうでしょう。そして、消化をし終わったら便になってトイレに捨てられるのです。そのようなことを自覚していれば、食べる楽しみが減じてしまうでしょう。
そうは言っても、量を求めるのはどうやら本能らしいので、なかなかセーブできません。
日々大食いすることは、年齢のせいか、私には不可能になりました。しかし、週に一度くらい大食いをします。
それは、「ピザの食べ放題」というシェーキーズの定食です。スーパー銭湯のサウナと水風呂を3回ずつ繰り返し、さらに野天風呂などに入って2時間くらい入浴し、とても喉が渇きます。そこで、妻と二人でピッチャー(生ビール1.8リットル)を半分ずつを飲んでしまうことになります。
ピザとスパゲッティを中心に食べるのですが、とくに注意が必要です。ピザはなるべくサラミや肉をトッピングしていないものを選びます。そして、スパゲッティはミートソースでなく、さらったしたタイプの種類にします。そして、そのまま食べるのです。タバスコや調味料はかけません。せいぜい、別に用意してあるカレーをかける程度です。
そのような「ピザの食べ放題」を午後にしますと、その日は何も食べたくありません。そして、次の日の朝も食べないことになります。食べられないのです。妻は、費用的には安くつくと言って、喜んでいます。しかし、大量のビールを飲むことが、あまり健康にはよくないような気もするのですが、……
せっかく、サウナと水風呂をやって身体から大量の老廃物、化学薬品、環境ホルモン、界面活性剤、不要な塩分などを発汗と同時に除いたわけですから、本当は水だけを飲んでおけばよいわけです。しかし、何となく身体が清浄になると大食いと大酒飲みがしたくなるようです。そんなわけで、なるべく身体に悪影響のない穀物系の食べ物とアルコール度の低いビールなのです。
それに、その時間はシェーキーズが店内が禁煙になっていることも、そこへ行っちゃう理由なんです。
宮沢賢治の一九三一(昭和六)年十一月三日の「雨ニモマケズ」に始まる詩に
<一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜>
とあります。
これも、かなりの分量です。
私は、実際に1年ほど忠実にやってみて、つくづくそう思って納得をしました。どうやら満腹は、原始的に近い本能のようです。自分自身は意志が強くても、腸内細菌にも好ましい食餌が必要です。腸内細菌は、どうも意志は強くないようです。だから、「腹の虫が治まらない」とよく言うじゃないですか。
また、いっぽうでは次のようなことを考える必要があります。
つまり、排便をするときには、ある程度の便の量が必要ではないでしょうか? 繊維植物などを含まずに便の量が少ないと大腸ガンの心配が生じるからです。便の量というのは、食べたもののカスだけだというわけではないのです。その他に、腸内細菌の死骸や腸内細菌自身の排泄物を含んでいるのです。したがって、玄米食などをして健康な人の場合には、私たちが実際に食べたものの量と比べると、驚くほど多くの便が出るのです。
正しい食物が、健康な身体を作ります。そんなことは、わかっています。
人体は、1日に500億個の細胞を作っているともいいます。そのようなことは、誰でも抵抗なく理解できるでしょう。つまり、私たちの身体を一つの化学工場と考えることもできるんです。そこで燃料を消費してエネルギーに変え、種々の活動をしているからです。その燃料にあたるものが、まさしく食べ物なのです。
したがって、効率のよい活動を考えるのならば、食べ物に細心の注意をしなければなりません。
しかし、多くの人は食べ物に無関心です。単に「おいしければそれでよい」とか「安ければよい」などと考えている人が、かなり多いということは、いったいなぜでしょうか。あまりにも愚かな考えであることが明白なのに、です。また、食べるものに、あまりにも不注意なのはなぜでしょうか? 食べ物を自分自身の中に取り込んで、活動の源としようとしているときに、その物について無関心であるということは非常に困ったことです。
例えば、企業が従業員を採用するときのことを考えてください。働かないもの、能力のないもの、危険思想の持ち主、他と協調性のないもの、……、そんな人たちを次々と採用するでしょうか? おそらく誰も答えも「いいえ」でしょう。なぜかと言えば、そのようにすると企業がつぶれてしまうからです。
そして、「その起業がつぶれてしまっていい」と考えている起業はないからです。
それでは、正しい食物とはいったい何でしょう。そのことを理解していないかぎり、健康の状態は実現できないのではないでしょうか。一つ一つの食品や素材などについての基本的な知識は、「食べ物考」というタイトルで別にまとめました。必要があったら、どうぞそこをご覧ください。繰り返しますが、食生活にはかなりの個人差があります。
水野南北は『相法脩身録』に、
<夫れ人は食を本とす。仮令(「たとい」または「もし」)良薬を用いると雖(いえど)も、食なさざれば性命を保つ事能わず。故に人の良薬は食なり。……>
と書いています。
石塚左玄は『食物養生法』に、
<食愈々(いよいよ)少なければ身愈々健やかなり、身愈々健やかなれば体愈々軽く、体愈々軽ければ心愈々爽やかに、心愈々爽やかなれば智愈々明らかにして、智愈々明らかなれば才愈々巧みなり。……>
と記しました。
仙人などは例外としても、極端な話としては酒だけしか摂らなかったという人もいたようです。横山大観という人は、晩年お酒だけしか口にしなかったともいいます。本当のことでしょうか?
また、小説の中ですから問題はないのですが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』だったでしょうか、秋山大尉という人は、酒が食べ物だったとも書いてありました。
食べ物の基本的な常識を知っていただくためには、
食べ物考
をご覧ください。
よく噛むとバロチンという老化予防ホルモンが出てくるということが、最近になってわかったそうです。また、発ガン誘因物質を殺す酵素が唾液のなかに混ざっていることも発見されました。
貝原益軒は『養生訓』に次のような言葉を残しています。
少食 多齟 少肉 多菜 少糖 多果 少塩 多酢
少煩 多眠 少怒 多笑 少言 多行 少欲 多施
少衣 多浴 少車 多歩
この最初の「少食 多齟」です。「少なく食べて、多く噛みなさい」という意味ではないでしょうか。あるいは、「食べる量は少なくてもよいが、噛む回数は多くなければいけません」とでも言っているのでしょうか。実際にやってみるとわかりますが、よく噛むと満腹の状態に近づいて、あまり多量の食事ができなくなってしまいます。
口腔内は、不潔になりやすいものです。とくに歯の回りは、歯周菌や雑菌が繁殖しやすいので注意が必要です。
歯の磨き方については、古くから言われています。貝原益軒の『養生訓』や道元の『正法眼蔵』などに詳しい説明があります。
ここでは、貝原益軒の『養生訓』の記述を見てみましょう。
<干して乾いた塩を用いて、上下の牙歯(ふつう今日では歯牙(しが)という)と、歯茎(はぐき)をすり磨き、温湯をふくみ、口中をすすぐこと二三十度。毎日ときどき、歯をたたくこと三十六度すべし。歯固くなり、虫食わず、歯病なし。>
とあります。
何で歯を叩く必要があるかわかりませんが、今日でも参考になるのではないでしょうか。
なお、貝原益軒は83歳になっても一本も歯がなくなっていなかったと言います。やはり、正しく注意をすれば歯の障害などは起こりにくいのではないでしょうか。
化学薬品といわれる歯磨きチューブには研磨剤まで入っていて、至れり尽くせりではありますが、やはり自然塩にはかなわないようです。研磨剤は回数が増えると歯のエナメル質まで傷を付けてしまうからです。私には、なぜ歯を磨くのに自然塩を利用しないのかがわかりません。歯磨きチューブは、いわゆる化学製品ですから人体には馴染みにくいものです。
自然塩を利用すると、口腔内の消毒にもなります。かつては、歯磨きに当然のこととして塩が用いられていた時代がありました。
歯磨きばかりではなく、身体や頭髪を自然塩で洗うと、とくに健康にはよいでしょう。
歯に付いてできる歯垢、つまりプラークは細菌の塊(かたまり)です。口腔内常在菌の一つであるストレプト コッカス ミュータンスは、砂糖などからベタベタした無色のグルカンを作ります。それは、糊(のり)のような性質でほかの細菌といっしょになって歯にくっつきます。それがさらにプラークを形成して、歯肉に炎症を起こすのです。
この歯肉炎が続くと歯周病(歯槽膿漏)になるのです。
歯には、どうしても歯石(しせき)が付きやすいものです。歯石は、歯の表面についているプラークに、唾液中のカルシウムやリンが沈着してできます。また、細菌自体も石灰化をします。食後に食べ物が歯に付着すると、それは歯垢(しこう)という形になってなかなか除けません。やわらかい状態で、べっとりと付いているからです。そして、歯磨きを不完全にしてそのままにしておくと、その歯垢はやがて固くなって歯石になるのです。
いったん歯石になってしまうと、歯磨きではいくら磨いても取れません。そこで、専用の器具で掻き出すようにして取るのですが、不器用な人が自分ですると歯や歯茎に傷が付いてしまいます。やはり歯科医に行って、取ってもらうのがよいでしょう。
食事はあまり熱かったり、冷たかったりしないほうがよいようです。もしかしたら、カルシウムが固着するのではないでしょうか。湯沸かしポットなどの内側を見ますと、水分中の成分が固形になって付いていることがあります。ガラスのコップなどには付かないことを考えると、歯の場合も何となく原因がわかるようです。
また、野菜や果物などの植物を多くとる人には、歯垢があまり付きません。中には歯磨きをしなくても、虫歯や歯石のない人もいます。そのように個人差が大きい問題ので、一概には言えないことなのでしょう。
虫歯の原因となる菌はミュータンス菌です。しかし、そのミュータンス菌は「口腔内の清掃が行きとどいて、食べかすがない」と増殖ができません。つまり、虫歯の原因は口の中にある食べかすなのです。そのようなことを忘れないようにしてください。そして、歯磨きを初めとして、口すすぎ、うがいなどを常日頃から習慣づけるようにお願いします。
歯を強く磨くと、歯茎から血が出ることがあります。おそらく皮膚が破れて、細い血管が切れたのでしょう。そのようなときは、注意をしたほうがよさそうです。そのときに、血が体外に出るのは問題がないでしょう。しかし、毛細血管などは血圧が低くなっていますから、じわじわと流れ出ています。すると、歯周菌などが血液の中に入ってしまうこともあるでしょう。そのことが非常に大きな問題になるのです。
ふつう、血液は異物を殺してしまう作用があります。しかし、同じ体内にいた歯周菌などには殺菌力が働かないのではないでしょうか。そして、血液に肝炎などと似たような症状が起きるかもしれないのです。そんなことも、注意する必要があるのではないでしょうか。
「クラミジア」や「歯周菌」が血液に入った状態では、健康を維持できないでしょう。
ちょっと汚い感じのもの3つ。目やには洗顔のところ、鼻くそは鼻洗のところなどで別に説明があるでしょうが、ここにまとめて基本的な考えを示しておきましょう。人間は新陳代謝しているので、不要になった廃棄物は体外に出します。便や尿を始めとして、体内に留めておくことができないからです。このことは、どんな美しい女性でも行っている紛れもない事実なのです。
目やには、目の内側の根本に黄色い膿(うみ)のようなものが出ることが多いようです。水かぬるま湯で洗い流すようにして、取り去ります。
耳だれは、耳の中にたまった老廃物です。かさかさに渇いている人と、べとっと湿っている人がいます。つまり、大きく分けて二通りの状態になるようです。ときどき綿棒でていねいに掻き出すようにして取り除きます。とくに、風呂に入った後や水泳をした後などは、やわらかくなっていて取りやすいようです。
鼻くそは、鼻汁が固くなったものでしょう。指でほじくって取る人が多いようですが、爪で鼻腔内を傷つける心配がありますので、やはり綿棒を利用するのがよいでしょう。
いずれも、あまり清潔なものではありません。それゆえに、早めに取り除いてください。
運動は、すればするほどよいのでしょうか?
若いころは、身体を鍛える意味で強めの運動をすることはよいことでしょう。しかし、高齢者になると、運動の意味を改めて考え直す必要が生じてきます。なぜならば、体力が非常に弱くなっているからです。
ふつう、エネルギーを取りすぎたために運動をすることが多いようです。しかし、それは35億年の歴史のなかで、つい最近になってからの傾向です。他の動物には、スポーツクラブやジムなどがないことから、運動の意味がわかってきます。どうやら、人間だけが体操や運動をするようです。
あなたは、どうお考えでしょうか?
知人で先輩でもあった人が、一日に必ず1万歩は歩くのだと言って、万歩計を腰に付けて、てくてくと頑張っていました。私は、いつも「意志が強くて、すばらしい人だ!」と、うらやましくも思っていました。ところが、しばらく見えないので、どうしたのかと心配になって電話をしてみました。すると、奥様の言うには「膝の軟骨が減ってしまい、手術をするために入院をしました」ということなのです。
やはり、あまり使いすぎても人間の身体は、摩耗をしたり、損傷を起こすようです。
別の例ですが、プロのスポーツの選手にも職業病というような大きな問題があるそうです。
例えば、アイスホッケーの選手で全国大会にも何度も出た知人がいます。その人はプロではありませんでしたが、社会人になってからも、後輩たちの指導のために、よく早朝にアイスリンクに行っていました。しかし、最近になって(50歳を過ぎてから)強度の神経痛が出てきてしまい、なかなか直らないと言います。
むろん、その人は何度となく医者に通って、さまざまな治療を受けているみたいですが、まったく症状が改善されないのです。やはり、若いころに氷上で頑張ったのが、影響をしているのでしょうか?
水泳は、健康によいのでしょうか?
むろん、太陽がさんさんと輝き、水がきれいで澄んでいて、木々の緑の多い空気のよい場所で水泳をすれば、健康によいことでしょう。しかし、そういう環境は少なくなってしまいました。ふつう私たちが屋内プールで泳ぐ場合を考えると、必ずしも健康によいとはいえないようです。なぜならば、まず水の問題です。
水道料金がバカにならないためでしょうか、循環をさせて塩素で滅菌をする方式のプールがほとんどなのです。したがって、いわゆる死に水、つまり死んだ化学的な水ですから、むろん身体にはよくありません。水虫や皮膚病が感染するのはそのためです。そこで塩素をもっと強くすれば、そのようなことはないでしょう。しかし、そうすると水の中に入った人間自身にも問題が生じます。あまり多いと、死んでしまうでしょう。その辺の調整が、なかなか難しいところのようです。
したがって、現実の状態では中途半端なのです。つまり、採算が合わないので、ほどほどの処置になっているのでしょう。そして、そのような水が泳いでいるうちに、どうしても水が口から入ってきます。そして、その水を飲んでしまいます。これが、かなりの問題になるのです。また、口から吸って、鼻から吐く口呼吸という呼吸法もプール水面上のような空気が悪いところでは、あまり好ましくはないでしょう。
さらに、プールの水が皮膚によくないことは明白です。そのために、プールで泳ぐ人は皮膚病や爪白癬になったりします。長い間、水につかるので爪が犯されてしまい、そこに白癬菌が侵入するのです。なぜならば、爪は骨ではなく、皮膚の変化した部分だからです。また、プールでは多くの人が皮膚病に侵されているようです。不潔な水に長時間にわたって浸かっていると、皮膚の抵抗力がなくなってくるためのでしょうか。
むろん皮膚や口腔内に傷口があったりすると、そこから直接にバイ菌が入るので注意が必要です。
私はスポーツクラブに10年くらい通いましたが、数年前にとうとうやめてしまいました。
窓から差し込んだ光が、プールの水面上にある霧のようになった埃(ほこり)を照らしていたのです。そして、それらのほこりを自分が鼻からでなく、口から吸うのが恐ろしくなったからです。その他にも、いろいろと感じることがありました。何となく健康的でないムードを他の会員の人たちが、すっかり満足をして満喫しているのが、不思議でもあったからです。
いちど、スポーツクラブがよいとテレビで誰かが言ったら、すべてそうだといつまでも信じている人が多いようです。私は、そういう人と話をするのが、何となく億劫でした。
ちょうど、戦前に戦艦大和を不沈艦と信じて、日本の勝利を信じていたことに似ています。しかし、もっとよい手っ取り早い簡単な方法があったのです。それは、小さい零戦級の飛行機を数多く作ることだったんです。しかし、国の政策には逆らえません。また、誰も言わないことは信じるに値しないという価値観があるようです。そのためかどうかわかりませんが、敗戦をしたときは誰にも責任はなくて、国民総懺悔ということになったのです。
プールが健康によいと考えるのは、少なくとも過去のことなのです。それを実際に続けて病気になったら、何のための水泳かわからないからです。そのようなことは、各自の責任で取捨選択しなければいけません。健康によいということで水泳をする人が多いが、その利害得失(メリット・デメリット)を真剣に考えたことがあるでしょうか。
例えば、
水泳の欠点……口呼吸、プールの水質、腰痛の問題
水泳の利点……体重が足にかからないので腰や膝を痛めにくい、全身運動によい
などの問題です。
その他、長くやっていると次第に皮下脂肪が付いてきます。水中で生活をする哺乳類(オットセイ、アザラシなど)を考えてください。皮膚を引きしめて血管を膨張・収縮することによって、カス(ゴミ)を流し取ったり、温冷浴の効果が期待できることは事実でしょう。しかし、日常の呼吸方法と異なるのはちょっと問題なのです。つまり、口から息を吸って鼻から出すことの心配です。むろん、空気がきれいな場合はよいでしょう。しかし、ふつうプールの水面上は埃がいっぱいです。また、消毒用の塩素がきつい場合は、皮膚にダメージを与えます。
身体を清潔に保つ必要性は、ことさらに言うまでもありますまい。また、身体の安全には万全の注意をしなければいけません。
間違った先入観による生活習慣をしている場合があります。あまり吟味もしないで、聞きかじりの知識によって物事を判断するのはよくありません。そのようにして、間違いだらけの日々の生活を続けているうちに、具合が悪くなってしまう場合が多いからです。
例えば、
口内の清潔=歯の磨きかた(歯、歯茎、味蕾、舌苔)、うがいの推奨
顔を洗う=目と鼻の洗い方
鼻洗の方法
身体の清潔とおへそ(お臍)の清掃
身体の洗い方
正しい呼吸の仕方(口呼吸の弊害)
正しい寝かた(?)と眠り方
食べ物、塩、水、飲み物の問題
食べ物の正しい噛み方=噛み方を考えた料理方法
健康としてのジョギングや水泳の問題点
衣服などの洗い方
食器などの洗い方
などを本当に考えたことがあるでしょうか。
なぜならば、それらの基本的なことを日々もしも間違った方法で行うと、やがて問題が生じることがあるからです。いちおう、上のことがらについて、以下に簡単な説明をしておきましょう。
まず、口内の清潔です。つまり、口腔内をいつも清潔に保つことです。なぜならば、口の中は唾液などの有効な成分があるとともに、雑菌が多くいます。そこで、常に清潔に保つ必要が生じます。
その方法としては、
(1) 口をすすぐ
(2) うがいをする
(3) 歯を磨く。ふつう(5)と同時にする
(4) 舌の上にある味蕾(みらい)を清掃する
(5) 歯茎や口内を摩擦する。ふつう(3)と同時にする
などがあります。
口すすぎやうがいは、洗面所で簡単にできます。かなりの効果がありますから、頻繁にしてください。とくに、外出から戻ったときなどには、うがいをすることを推奨します。在宅中でも、数時間おきにうがいをするとよいでしょう。口の中を常に清潔にしておくためです。しかし、それだけでは本格的に口腔内を清掃することはできないでしょう。
そこで、歯の磨きかたが問題になるゆえんです。歯の表面に食べ物かすが付かないように磨くとともに、歯茎も適当にマッサージして丈夫にします。また、歯と歯の間には歯間ブラシを使うなどして歯垢がたまらないようにしないといけません。
さらに味蕾(みらい)を有効に働かして、食べ物をおいしく食べるために、舌苔(ぜったい)の清掃ももする必要があります。つまり、舌の上を歯ブラシでこすって、きれいにするのです。味蕾は舌にある味を感じるところですから、汚れていると正しく働かないからです。
これらのことについては仏教でも細かく言うようです。例えば、道元の『正法眼蔵』などには詳しく記されています。さらに、そこにはお尻の拭き方までが述べられていました。
顔を洗うことも、忘れないようにしてください。
とくに顔の皮膚は、脂ぎったりして汚れやすいからです。化学薬品があまり含まれていない中性の石鹸を用いて、軽くすすぐようにして洗います。冬季はぬるま湯で洗うほうがよいでしょう。目と鼻も、清潔にしておく必要があります。しかし、目の洗い方については、注意が必要です。なぜならば、目は特殊な体液によって保護されているからです。したがって、あまり多量の水で洗うと、その液がなくなってしまい、目に傷を付けやすくなってしまうからです。軽く目の回りの目やになどを洗い流すような気持ちで、洗顔を行います。
鼻の洗い方にも注意が必要です。鼻は絶えず呼吸をしていて、鼻の穴は呼気と吸気が通るための空気の通路になっています。したがって、どうしても汚くなりがりです。鼻くそがたまったり、ひどいときには鼻が詰まって、呼吸が苦しくなったりもします。
鼻水が出ていて鼻をかむときは、両方をいっぺんにかんではいけません。
どちらからでもかまいませんから、片方ずつかむようにします。なぜならば、両方をいっぺんにかもうとすると、圧力の関係で具合が悪くなるからです。左右の鼻の穴が内部でつながっているためです。そのときに使う鼻紙は、なるべく香料の入っていないものがよろしい。香料は微妙に刺激や作用があって、体調を崩すことがあるからです。
また、鼻汁があまりねばりっこくなったときは、鼻をかんでもなかなか出にくいようです。そんなときは、いったん鼻洗(びせん)をしてみるとよいでしょう。
鼻がつまるようでしたら、鼻洗(びせん)をするとよいかもしれません。鼻洗の方法としては、いろいろあるでしょうが、ふつうは次のようなやりかたが簡単でよいと思います。
食塩と硼酸を半々くらい混ぜて、体液と同じくらいの濃度の水溶液を作ります。その温度も、体温くらいがよいでしょう。そして、大きなスポイト状のもので、左の鼻の穴から注ぎ、右の鼻の穴へ通します。そして、よく通るようになったら、右の鼻の穴から左へ通すようにします。むろん、左右の順序は反対であってもかまいません。
鼻がつまる人でなく、鼻の具合が悪くない人でも、週に1回くらいは鼻洗をするとよいでしょう。浣腸はしないほうがよいが、鼻洗はしてもかまいません。どうしても、鼻の中が汚れてしまうからです。また、口呼吸をする人や水泳をする人には、鼻洗をお勧めします。花粉やほこりが内部に入って、粘膜を刺激するからです。粘膜を刺激すると、鼻くその量も増えてしまい、それがまた鼻づまりのもととなるからです。
熱交換型の換気扇を利用したり、なるべく2階以上の風通しのよい部屋に居住するなどして、常によい空気を呼吸するようにしてください。
身体の清潔については、常に心がけなければなりません。なぜならば、私たちは鼻呼吸、口呼吸と同時に、皮膚呼吸もしているからです。いちばんよいのは化学薬品や香料の入っている石鹸を使わずに、皮膚を清掃することです。私は、そのために次のような工夫をしています。
週に1回くらいの割合で、スーパー銭湯やサウナに行きます。そして、サウナに10分ぐらい間入り、続いて水風呂に1分間入ります。それを2~3回繰り返すのです。すると、皮膚が膨張をしたり、収縮をしたりして、表面の垢が浮いてきます。それをていねいに手でよる(=こする)のです。すると、ぬるぬると垢が落ちてきます。
ただし、頭髪と足の踝(くるぶし)より下は、石鹸で洗います。そのときに用いる石鹸は、化学薬品や香料の含まれていない中性のものでないといけません。脇の下、オチンチン、お尻の穴の回りなども、何回かするうちに石鹸で洗う必要がなくなってきます。つまり、脂ぎらなくなるのです。
むろん、食べ物についての注意も同時にしなければなりません。脂っこいものを食べる習慣や、肉を多量に食べる人の場合には、もしかしたらそのようにならないかもしれません。やはり、総合的に健康を指向して生活習慣の一部として、改善をしていく必要がありそうです。
身体の一部ですが、おへそ(お臍)の清掃を無神経に行う人がいます。おへそは母親の胎内にあったときに、大切な役目をしていた器官です。生まれると同時に切り離されますが、その部分は皮膚が非常に薄くデリケートなために、トラブルが生じがちです。あまり、ゴシゴシと洗うと傷がついてしまい、大きな問題となることがあります。細心の注意をして、洗ってください。
ついでながら、おへそは性感帯です。セックスをするときに、男性が女性のおへそに指を入れると最高の気分になるといいます。しかし、そのようなときにでも直接に指を入れないでください。ティッシュペーパーを当てるか、脱脂綿を当てるなどして、やさしく刺激をするようにして、絶対に傷が付かないようにしないといけません。
身体の洗い方にも注意が必要です。
身体を洗う石鹸は、化学薬品が含まれていない中性のものがよいでしょう。とくに、香料の入っていないものを私は選んでいます。なぜならば、香料は人体に好ましくない要素を含むことが多いからです。香りがよいとか、気分的に爽快であっても、人体にとっては非常に危険なものもあるから注意をしてください。
正しい呼吸の仕方をしない人も、かなりいるようです。
ふつうは、鼻から息を吸って、鼻から息を出します。息を出すときは口を補助的に用いてもかまいません。しかし、口から息を吸う口呼吸には、多くの弊害があります。鼻が詰まったときになど、口呼吸をしなければなりませんが、ふだんから鼻で呼吸をする習慣を付ける必要があります。
とくに、睡眠中は口呼吸になりやすいものです。もしも、そのような心配があるときは耳鼻咽喉科に行って、相談をしてください。
いまさら、正しい寝方(寝かた)とか正しい眠り方についてなどについては、考える必要がないと思っている人も多いようです。しかし、一日の疲れを取り除く睡眠は、とくに生活習慣にとって大切なことがらです。気持ちよく休んで、次の日の鋭気を養うようにしなければなりません。
仰向けに寝るか、右下の横向きまたは左下の横向き、あるいはうっぷせて寝るかによって、眠りの深さも異なってくるからです。
それぞれで工夫をして、深い眠りが実現できて身体が少しでも休まる方法を習慣付けるようにしてください。個人差が大きな問題で、いちがいにどれがよいとは言えません。また、眠りについてから翌日まで同じ状態の姿勢である人などは、めったにいないからです。
なお、かつて赤ちゃんを俯(うつぶ)せて寝かすほうがよいと考えた時期がありました。しかし、そのようにすると事故が多かったので、再び仰向けに寝かすのがよいということになりました。大人の場合は、どうでしょうか。
歳をとると眠りが浅くなるといいます。また、男性は、前立腺などの障害によって尿意をもよおすために、夜中に目覚めてしまって眠りが浅くなる場合があります。しかし、実際にはレム睡眠とノンレム睡眠を交互に繰り返しているのですから、その中に吸収されてしまような状態ならば問題ありません。自分で考えているほどには、不眠ではない場合が多いようです。
食べ物、塩、水、飲み物の問題なども、常日頃から注意をしないといけません。なぜならば、それらは健康に大きく影響するからです。
食べ物は、化学物質、界面活性剤、環境ホルモンなどが含まれていないものでなければなりません。
塩は、化学塩ではなく必ず自然塩を摂るようにします。
水や飲み物は、むろん化学物質を含んでいないほうが好ましいでしょう。
また、食事自体も年齢に見合った噛み方までを考えた料理方法にする必要があります。
なお、化学塩といわれる電気分解をして作られた食塩(Nacl)は、ナトリウム(Na+)と塩素(Cl-)の合成品で、純度は高くてもミネラル成分を含む自然塩とはまったく異なる作用をするようです。何でも純粋にしすぎると、人体には悪い影響を与えがちです。
例えば、あんパンの上にのっている小さい粒の芥子(けし)の実です。そのまま食べれば大丈夫なのですが、それを精製して粉にすると麻薬やヘロインになるといいます。そんなことにも、注意をしなければいけないでしょう。
高齢者の場合は、歯の状態を考えて調理をする必要があります。なぜならば、あまり固い食べ物は消化ができないことがあるからです。しかし、やわらかいものだけを食べていてはいけません。顎(あご)の筋肉が弱ってきたりして、健康にはよくないからです。そこで、ときおり固い物を少しでもよいから食べてみましょう。ゆっくりと、顎や歯茎のことを注意しながらいただくのです。
固い物としては、玄米のご飯やゴボウなどの野菜、そしてするめなどもよいでしょう。むろん固い物は、よく噛まなければいけません。噛むことは唾液の分布を増やしたりして、健康にもよいはずです。
なお、噛むときは片側の歯ばかりを使ってはいけません。歯は左右をまんべんなく使うのです。しばらく右側で噛んだら、次は左側というようにです。左右どちらかの歯が悪いと、反対側の歯ばかりを使うようになります。すると、顔の形が歪(ひず)んできたりしますので、気をつけなければなりません。
もしも、噛めないほどに悪い歯があったら、歯科医に相談をして治療をする必要があるでしょう。そして、両方の歯が均等に使えるようにしなければいけません。そのような状態で、固い物にもときどき挑戦をしてみてください。
生活習慣に関しては「健康としてのジョギング」の問題点にも配慮をする必要があるでしょう。
考えてみると、ジョギングは心臓にかかる負担がかなり大きいようです。かつて、ジョギングの神さまといわれた人も、ジョギング中に心不全になって死んでしまいました。それぞれの体調に合わせて、負担のない範囲で行うのがよいでしょう。
「健康のためにする水泳」にも、いくつかの問題点があるようです。
なぜならば、例えば呼吸のところで説明をしたように水泳では呼吸法が原則と異なるからです。その口から吸って鼻から出すという呼吸は、多くのスポーツクラブのようにプールの水面上にほこりがたくさん舞っているような場合には、非常に危険だからです。
かつての時代のように、さんさんと太陽が照っていて、空気が非常にきれいで、むろん水も清潔である川や海などで泳いだときは、確かに「水泳は健康によい」と言えたでしょう。しかし、現在の室内プールで塩素滅菌をする循環水の中で、水面上にほこりや病原菌の舞っているところで行う水泳は、はたして健康によいと言えるのでしょうか。
私も妻も、それまで長く通っていたスポーツクラブをやめてしまいました。
プールに毎日行くうちに、水虫になったり、さらにそれが爪白癬にまで進行してしまったり、皮膚が塩素でダメージを受けたりしたからです。
また、太っている人で平泳ぎをする人は注意が必要でしょう。太っていると、ちょっと浮きにくくなって腰痛になりやすくなるからです。身体全体は浮きやすいのですが、頭の部分の関係で、浮きにくいというか呼吸がしにくいのです。そしてそのために、身体を無理にそらすことになるので、腰の部分にかなりの力がかかるようです。太った人は、できたらバックなどの泳法のほうがよいかもしれません。
衣服の洗い方にも注意が必要です。 つまり、洗濯をするときの洗剤にも、かなり気をつけなければなりません。
洗剤や洗濯石鹸には、化学薬品が含まれていない中性のものがよいでしょう。とくに、香料の入っていないものを私は選んでいます。なぜならば、香料は人体に好ましくない要素を含むことが多いからです。香りがよいとか、気分的に爽快であっても、人体にとっては非常に危険なものもあるから注意をしてください。
衣服は皮膚に直接触れますから、すすぎが完全でないと蛍光塗料などが残っていて、人体には好ましくないでしょう。皮膚は丈夫な器官ですが、常習的に用いる化学薬品に対しては冒(おか)されやすいものです。極力、皮膚から毒物を摂取しないようにしてください。衣服についている洗剤が肌に触れてはいけないのですから、すすぎを十分にすることも必要です。
食器などの洗い方には、とくに注意が必要です。
私は食器を洗うときに、ふつうの洗剤や中性洗剤をつかいません。洗剤は使用しないで40℃のぬるま湯を用います。かなり脂っこいものでも、温かい湯なら大丈夫です。フライパンなどの鍋類は、熱いうちにぼろ切れやティッシュなどで油をぬぐいます。やはり、鍋類を洗うときにも、私は化学洗剤は用いないのです。
なぜならば、体内に化学薬品や環境ホルモン、界面活性剤などが入らないようにするために、食器などの皿洗いにも配慮して、薬品が入ることを防ぐようにしなければいけません。食器の表面に残った洗剤などが食べ物とともに、体内に入る心配がかなりあるからです。
とくに、外食をしたときなどには水切りを完全にしないで、次の盛り付けをする店があるので注意をしてください。
そんなときに、皿やどんぶりを立てて横向きにして置いてある店や、裏返しにして置いてある店は水切りがOKなのですが、ふつうの状態で重ねてある店には注意が必要です。なぜならば、洗った後の洗剤などがそのままの形でかなり残っているからです。そのようにすすぎが完全でないと、大量の洗剤が水とともに残っていて、それがそのまま次の料理の味の一部になってしまうので困ったことです。私は、そのような店には、なるべく行かないようにしています。
衛生に注意をしていない店は、いくら味がよくても、私にとっては意味がありません。安全という面で考えれば、非常に危険だからです。
いずれにしても、皿洗いなどに界面活性剤、化学洗剤などはむろんのこと芳香剤などが入ったものは忌諱をしたほうがよいことは明らかでしょう。長期的に健康と安全を考えるのであれば、なるべく化学薬品を使わないほうが理想的なのですが、……
家庭の風呂では、なかなか垢まで除きにくいものです。そこで、私は一週間に1度くらいスーパー銭湯などに行くようにしています。石鹸を用いないで、体中の垢をよるためです。ていねいに行いますので、2時間くらい入っています。むろん、サウナや水風呂を併用すると効果が大きくなるでしょう。
家庭で入る風呂には、塩や酢を入れます。塩を入れるときの塩は、自然塩でなければいけません。また、酢は化学塩であってはいけません。その他、多摩川から取ってきた3キログラムほどの石を3個ほど底に沈めておきます。
男性がベルトをするのは仕方がありません。しかし、強く締め付けないようにしてください。
新約聖書にあるパウロの言葉に<帯をしっかりと締めよ。>というのがありましたが、それは胴を固く締めろという意味ではなく、心を引き締めなさいという意味のようです。また、パンツなどのゴムも緩(ゆる)めのほうがよいでしょう。
私は、腕時計を持ち歩きません。手首をバンドで締め付けるからです。
身体を締め付けるのは、健康にはあまりよくないと思います。とくに女性は、スタイルの問題で身体を締め付けますが、なるべくやめるほうがよいのです。コルセットやブラジャーなども、長時間することはやめましょう。
個人差があることと思いますが、身体には静電気を貯めないほうがよいでしょう。
そのためにはアース棒を設置して、ときどき足から放電をするようにしてください。アース棒は家庭の電源プラグのところにあるアース端子を用いると簡単です。そこから銅線でコードを伸ばして、机の下に銅か真鍮のパイプか板を利用すると、それでOKです。そして、足をそこに触れればいいからです。
お陰様で私は、今のところ健康で充実した日々を送っています。
だいぶ前に、知人から薦められるまま、健康や老化予防のボランティア活動(相談員)を始めたからです。いろいろな方々にお目にかかってご意見を聞いたり、あれこれとアドバイスをしたりすることが、フレッシュな気分になったり、励みになるのかもしれません。
ご意見や希望などを伺っているうち、夜になかなか寝付けないという方々や、いらいらして落ちつかないという方が多くおられることがわかりました。さらに、私の回りの若い人たちにさえも、最近になって、そのような状態が多いということを聞き、とても驚いた次第です。
あなたは、いかがでしょうか。
そこで、努力をして何とか「やすらぎの音楽」なるものを作ってみました。それは、コンピュータ(MIDI)で簡単な音を並べただけのものですが、試していただいた結果、かなり効果があると言う人が何人かおられました。その目的から、テンポや音の高低に制約があり、強弱のアクセントもほとんどなく非常に単調なものです。しかし、脈(心拍数)や息(呼吸数)なども考慮しました。例えば、
腹式呼吸、丹田法、数息観(天台宗で言う)、さらには「母の胎内」への回帰(?)
までを何とか工夫してイメージしたものなのです。
「安らぎ」といっても、必ずしも「眠くなる」という意味ではありません。心を落ちつかせるという目的のためだからです。つまり、布団に入って横になり寝付かれないときには眠くなりますが、いらいらして自動車の運転をしているようなときには、決して眠くなるのではなく、その状態で実際に心が落ちつくのです。つまり、自然の中に自分が溶けこんだ気持ちにする工夫をしたわけです。
なお、原曲は、
(ギターのための)「主旋律のないエチュード」
といいます。
エチュードは「練習曲」ですが、実際には演奏の前に指使いを馴らすためのものです。初心者にも弾けるやさしい曲ですから、もしもご関心がおありでしたら、ギターで実際に弾いてみてはいかがでしょうか。このホームページでは、ゲストギャラリーのBGMに利用をしています。
まず、枕なしで寝ることについてです。
寝るときに、どんな姿勢であるかによって、枕の必要性が大きく変わってくるでしょう。眠りについているときにも、ふつう数時間ごとに姿勢が変わるものです。一晩中いろいろな姿勢に変わるので、その都度のことを考えなければなりません。
ふつう、眠るときの姿勢は大ざっぱに考えると、
(1) 仰向けに寝る。
(2) 右を下にして、横になって寝る。
(3) 左を下にして、横になって寝る。
(4) 俯せて寝る。つまり、下を向いて寝るのです。しかし、頭部分は左右のいずれかを向いていることが多いようです。
の4通りです。
そして枕は、頭の高さを調節するものですから、上の寝方によって、いろいろと条件が異なってきます。
仰向けに寝ているときは、とくに枕がなくても大丈夫でしょう。
しかし、横になった場合にはどうしても必要になります。なぜならば、ふつう肩幅よりも頭部分は小さくて、そのままでしたら下に曲がってしまうからです。もっとも、ダーウインが乗ったビーグル号の探検記には、フェゴ島だったでしょうか、「現地人が頭を立てたままで眠っている」という記録がありました。したがって、風土の習慣によって枕の必要性は、意外にも異なっているのかもしれません。
お釈迦様の涅槃のように、男性は右を下にして寝ることが多いようです。その寝方をすると心臓に負担をかけないので、楽な姿勢だからでしょう。しかし、女性の場合は多く左を下にして寝ているようです。赤ちゃんに添い寝をするときに、右手を使えるようにする古くからの習慣かもしれません。
また、もしかしたら隣に寝ている右を下にした男性とそのままセックスをするのに都合がよいので、そのようになったのかもしれないのです。とくに、日本の場合のように個室でない生活では、長い間の知恵なのかもしれません。それは、着物の前の部分の左前と右前とが、男女で異なることから何となくわかります。
俯せて寝るのは、呼吸などの関係からあまりよくないでしょう。
西洋の諺(ことわざ)に、
「王様は仰向けに寝て、乞食は俯せに寝る」
というようなのがあったと思います。
枕なしを実践した人もいるようです。
中西悟堂は、かつて平塚らいてう(らいちょう=雷鳥を意味した名前)に「健康術」を教えたといいます。そして、その中に「枕なしで寝る」ということがあったそうです。その具体的な方法が残っていませんので(私は知りませんので)、とても残念です。しかし、それを二人が話しているときに同席した小林登美枝は、それ以後ずっと行っていたといいます。「今でもしている」と書いてあったのですが、1990年発行の本でしたので、もしかしたら亡くなって「今はしていない」のではないかと思います。
なお、小林登美枝は毎日新聞の記者だった人で、後に平塚らいてうの秘書になった人です。前に読んだ『悟堂記憶』(春秋社)に書いてありました。しかし、著者が誰であったかについては記憶が薄らいでしまって、私は思い出せないのです。
中西悟堂の短歌については、「やさしい短歌入門」を参照してください。
次に水枕です。
睡眠中に頭を冷やすことは、何となく気持ちがよくて、安眠ができるようです。脳の発熱は、かなりなものだからです。とくに夏の蒸し暑い時期には、頭を冷やすことの効果は抜群です。私は、いまだにゴム製の水枕を利用しています。40年以上も昔に買ったゴム色のダンロップのものを使っているのです。
それに、若干の氷とともに水を入れればOKです。でも、数時間は冷たいのですが、気付いたときには暖かくなっています。夏などは、そこでもう一度氷と水を入れ替えるのです。すると再び、安らかに眠りに入ることができます。
手数のことを考えれば、アイスノンがよいかもしれません。二つ用意しておいて、交互に使うのです。
抱(だ)き枕をご存じでしょうか?
言葉通りに抱いて寝るためのものです。私はバスタオル数枚を寝ござで巻いて自作しました。デパートなどの寝具売り場に行くと、なかなかスマートなものが売られています。ものを抱いて寝ると、なぜか安眠ができるからです。何となく心が安らかになって、落ちつくのですから、習慣的になるそうです。
そういえば、掛け布団を丸めて抱いている人がいますが、それは抱き枕と同じことなのでしょう。
もしかしたら、「男は女を抱きたい」そして「女は赤ちゃんを抱きたい」というような潜在的な願望があるかもしれません。そして、抱き枕はその気持ちを充足してくれるのです。もっとも、子供も抱き枕を喜びますから、いちがいにそれが理由とは云えないのかもしれませんが、……
また、何かを掴(つか)んでいる状態は、母の胎内にいたころの回帰感覚をうけることによって、心が安らかになるのかもしれません。ともかく、男は女を抱きたいと思うが、女は必ずしも男を抱きたいとは思わなくて、むしろ赤ちゃんを抱きたいと思うらしいことを忘れないでください。
お尻が不潔であると、体調が悪くなったりします。そこで、菌が繁殖をするからです。
もっとも、敏感な人と鈍感な人では、かなり違ってくるでしょう。鈍感な人は、あまり気にかけないからです。できたら、水洗便座を用いるとよいでしょう。排便後にお尻の回りを洗ってくれるからです。そのようにすると紙で拭いても便がつかないほどきれいになっています。
水で洗うばかりでなく、温かい空気で乾かしてくれるタイプのものもあります。また、排便がしやすいように水流に刺激を付けてくれるものもあって、至れり尽くせりです。便を洗うときに、大腸菌がまき散らされないようにしなければなりません。また、乾燥をするときはお尻の回りが乾きすぎないようにも注意をしてください。
ここで、ちょっと尾籠(びろう)な話になってしまします。
たいがいの男性は、前立腺肥大症の傾向があり、そのために高齢になると残尿感が残ったり、小便の量が少なくなったりします。また、膀胱の機能が悪くなって尿をたくさん貯められなくなってしまいます。ふつう、還暦を過ぎたころから、小便の量が少なくなり、キレが悪くなるようです。そしてそれは、加齢によって進化をしていくのがふつうではないでしょうか。そんなときは一度、泌尿器科の先生に見てもらったほうがよいかもしれません。
男性の小便、つまりオシッコには貴重なデータが詰まっています。だから、そのままトイレで流してしまうのは惜しいのです。(本当は女性のオシッコも、そうなんですが、……) したがって、オシッコはトイレでしないで、洗面所でするとよいでしょう。そしてそのときに、計量カップ(料理用の300ccから500ccくらいの目盛りの付いているもの)に受けて取ります。そして量や色、匂いなどを毎回ごとに、チラリと自己観察します。つまり、日々に大きな変化があってはいけないのです。
仮に、血尿と言って尿に血液が混じって赤く見えることがあります。もしも、素人の肉眼で見えるほどの変化でしたら、医者の診断を受ける必要があるでしょう。近くの医院でしたら、その尿を持っていくとよいでしょう。また時には、糖と蛋白の検査を自分自身でします。それらの試験紙は、薬局で売っています。尿を何もしないで、トイレに流してしまうのは健康管理のために、ずいぶんもったいない話なのです。
ここで、ちょっと宣伝がましくなりますが、私の愛用している蛋白と糖の試験紙を一例としてご紹介しましょう。
それは、テルモ株式会社が製造元になっている
新ウリエースBT一般用検査薬 尿糖・尿たん白検査用試験紙 50枚入
というものです。
薄い板状の棒の先に試薬が2つ貼り付けてあって、尿に浸してから蛋白は10秒後、糖は30秒後に試薬の色を見て測定をします。その色は、ケースに貼ってあるので簡単に比較ができるでしょう。「ほとんど検出されず」というのが3段階、少し検出というのが1段階、そして「多めに検出」というのが3段階、合計で蛋白・尿それぞれ7段階の色見本がついています。
私はいつも、「ほとんど検出されず」の1段階目なので、やれやれと安心しています。
観察をした後の尿は、水を流しながら捨てます。出たばかりの尿は、とても清潔だからです。尿を飲んで健康になるという療法(尿飲療法)があるほどです。また、アラブの砂漠地帯では、日常的にラクダの尿で洗顔をしたりするそうです。つまり、尿は大便と違って出たばかりのときは清潔なのです。
(しかし、大便は不潔ですから、以上のようなことを絶対にしないでください)
日本でも地方によっては、蜂に刺されたときに子どもの尿をかけるとよいなどと言い、実際にそのようにした経験のある方もおられると思います。
生活習慣の大切さについての細々(こまごま)としたことは、いまさらその理由を次々と述べなくてもおわかりでしょう。そして、生活習慣についても、細心の注意が必要なのだということをわかっていただきたいのです。つまり、日々知らない間に悪い習慣を次々と付けてはいけません。いったん悪い習慣がついてしまうと、それが次第に進んで、病気につながってしまうからです。
理工式生活習慣法についての考え方を、一通り
生活習慣考
としてまとめました。(まだ理工式生活習慣法になっていません。2005.08.20現在は仮のものが入っています。)
これを実践していただくことによって、不注意なために病気になるようなことがなくなって、明るい健康な日々を過ごすことができるようになるでしょう。あなたが必要であれば、該当する箇所をご覧をいただいて、参考にしていただくためです。
ここで繰り返しますが、とくに若い人たちには、生活習慣と並行して食べ物や水などの注意が必要です。むろん、それは言うまでもないことでしょう。なぜならば、間違った選択をすると、将来に対する致命的な問題を生じる場合があるからです。したがって、各自におかれてじゅうぶんな注意が必要です。
そんな意味で、「食べ物考」と合わせて、「生活習慣考」をご検討をいただければベターでしょう。
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Kuroda Kouta (2004.07.03/2015.07.11)