バグダッド燃ゆ イラク女性リバーベンドの日記
…いつかあなたと会いましょう。チグリス川の流れる街で。そこは心を癒し、魂が甦る場所…
2003年8月24日日曜日
食べるために働く…
食べるために働く…
イラク国民の65%以上が失業している。なぜかって、ブレイマーがいくつか恐ろしい決定を下したから。一番最初に行なった最大の決定はイラク軍の解散。ワシントンでは了承されたかもしれないが、ここイラクでは皆驚きのあまり口もきけなかった。家族を養わなければならない軍人が40万人以上もいて、彼らはどこへ働きに行けばいいの?一体何をして生計をたてるの?私にはわからない。恐らく誰もわからないでしょう。
失職した軍人は、答えを求めて、仕事を求めて、通りをさまよう。姿勢、歩き方、すべての振舞に、彼らの当惑と怒りが見える。彼らの目はキョロキョロと手がかりを探す。この混乱に答えられるのは誰?誰だと思う?
ブレイマーはそれから情報省と国防省を解散させた。口実が何であれ、これらの省庁にいたのは普通の仕事をする普通の人たちだったー例えば管理係、秘書、技術者、文書係、技術者、オペレータなどなど…。今や皆失業中だ。 会社は人員の「削減」'を求められた。それはもう政治と何にも関係がないこと。叔父がエンジニアとして働いている会社はCPAによって1550名の従業員のうち、技術者、デザイナー、契約者、整備士、技師管理者など680名を削減するように求められた。
他にも企業、会社、公社、工場、商店が戦後の混乱の中、略奪と破壊で閉鎖され、数千人の人間が失業した。どこに行けばいいの?何をすればいいの?
仕事を持っている人がいいわけではない・・・役所や病院から支給されている平均給与50ドルは一人分の生活費しかない、家族を養うのはとても無理。それでも彼らは仕事があるからいい。毎朝目覚めて、やるべき何かがあるから。
通りを歩き回っている何千人ものイラク男性はなぜ自ら進んで、仕事をもらわないのかと聞いてきた人がいる。占領以来、何週間も毎日数千人の男たちが仕事を求めて、「アルワイヤ・クラブ」の外まで並んだ。しかし、仕事はなかった。男たちはイラク警察に応募する気にはなれなかった。だって武器が与えられていないから!イラク警察は、武器を持たずに地獄のような街を巡回して警護することを期待されていた・・・泥棒、誘拐、殺人者などのゆがんだ道徳感に彼らの熱意で立ち向いやめさせることが求められていた。
私が失業にいたった顛末は特別なことでもなんでもない。それはいたって普通のことーがっかりして、ゆううつで、でもごくごくありきたりの話。それはこんな具合…。 私はコンピュータサイエンスを学んだ。戦前、私はプログラマ/ネットワーク管理者としてバグダッドにあるイラクのデータベース/ソフトウェア会社で働いていた(えぇ、えぇ・・・オタクよ)。毎日私は階段を3つ上がって、女性1人男性2人の小さなオフィスに入り、PCを立ち上げ、スクリーンの向こうにある小さい数字と手紙を見つめて何時間も過ごしていた。単調で、忍耐を必要とするけれど、ちょっとオタクな…お気に入りの仕事だった。
休憩したくなると、私はお好みのインターネットサイトに行ったり、「上司」や「締め切り」について同僚にうさばらしをしたりわめきたてたりしていた。
私はこの仕事が大好きだったー*優秀*でもあった。私は一人で通勤していた。午前8時に、ビル・ゲイツを喜ばせるために、たくさんのCD、フロッピーディスク、ノート、使い込んだペン、クリップ、ねじまわしを入れたバックパックをひきずって出かけた。私は、2人の同僚の男性と同じくらい稼いでいたし、上司から彼らと同じくらいの待遇も得ていた(それは上司がプログラミングにまったく無知だったので、価値ある人間と思えたなら誰でもそのような待遇で接していたということ・・・たとえ女の子でも・・・ね)。
私が言おうとしていることは、誰かが*どんな*ことを聞いたとしても、イラク女性がアラブ世界のどの地域よりも恵まれていたということ(西欧世界のある国々よりもー男女同一賃金だったのだから!)。 私たち女性は、労働力の50%以上を占めていた。医師、弁護士、看護婦、教師、大学教授、学部長、建築家、プログラマ、その他いろいろな仕事についていた。私たちは、好きなように出歩いていた。私たちは着たいものを着ていた(保守的な社会の制限範囲内のことではあるけれど)。
6月の第1週、会社が再開したことを知った。それで、数時間もかけて何千回にも思える家族ミーティングを行い、私は自分が正気を保つためには仕事に戻る必要があると最終的に皆に納得させた。家族は、私が会社を訪問して(2人の男性の護衛つきで)、会社に仕事が残ったら家に持ち帰って出来るか、あるいはインターネットを通して出来る仕事であるのかを聞くことを条件に承諾した。
6月中旬の晴れた日、私は、期待と不安の入り混じった気持ちで例の七つ道具を大きなバッグに詰め、ロング・スカートとシャツを着て、髪を後ろに結んで、家を出た。
アメリカ軍がバグダッドに侵攻したとき会社の前の道路が戦車の重みで壊され、私たちは会社の玄関からおよそ100メーター離れたところに車を駐車しなければならなかった。私は、走ったり、とぼとぼ歩いたりしながらドアにたどりついた。私の心臓は友人、同僚、秘書たちに会うことを期待してドキドキしていた・・・。悪夢のただなかで私がかつて生活していたなじみ深いものたちと再び出合うことを期待して。
ドアを開けた瞬間、気がついた。すべてがなんとなくみすぼらしく見えたー悲しいけど。廊下の栗色のカーペットは薄黒く、ボロボロになり、たくさんの人が乱雑に踏みしめたことを物語っていた。戦争前に丁寧にテープで貼った窓はどこもかしこも割られ・・・すべて汚れていた。蛍光灯は砕かれ、机はひっくり返され、ドアは蹴破られ、時計は壁から引きちぎられていた。
気後れがして、入り口でたちつくした。そこには私の知らないよそよそしい顔ばかりがならんでいたー懐かしい顔も少しあったけど。誰もが立ち、お互いに見詰め合っていた。どの顔も悲しく無気力に疲れ果てていた。そして、私はたった一人の女性だった。 私は、散らかった部屋をぬうように通り抜けて、階段を上がった。管理職の部屋があった2階で立ち止まると、下から湧き上がる男たちの声が聞こえてきた。重役は脳卒中で戦争の2週目に死んだ。その後、突然私たちに小さな'権力闘争'が起きた。少なくとも20人の男たちが、それぞれ自分が適任者だと考えていた。経験により、序列により、背後に政治集団(SCIRI, Al-Daawa, INC)がいることなどにより、それぞれ資格があると思っていた。
私は階段を上り続けた。2カ月電気が来ず蒸し暑いビルの中にもかかわらず冷え冷えとしていた。私の小さい部屋もビルの中の他の部屋とたいして変わらなかった。机はなくなり、いたる所に書類が散らばり…けれどそこにA.がいた!私には信じられなかったー彼の懐かしい温かい顔。 彼はちょっと私を見て、それから信じられないというように大きく目を見開いた。彼は私が生きていることを喜び、「家族はどうしているか」と尋ね、それからこう告げた。「今日この職場を離れるつもりだ。すべてが変わった。君は家に帰って、おとなしくしているべきだ。自分は国外に仕事を探すつもり。ここに仕事はない。」 私は、自宅で働いて仕事を提出する計画を彼に話した・・・。彼は悲しそうに首を振った。
私はしばらく立っていた。混乱を整理しようと試みつつ、私の心は粉々にくだけそうだった。いとことE.が階段の下で私を待っている。もう何もすることはなかった。「私、何かお手伝いすることありますか?」と聞く以外は。A.と私は部屋を出て、階段を下り始めた。私たちは2階に寄り、元部長のひとりと話した。私は、いつ会社が復帰するのかを彼に尋ねた。彼は私を見なかった。彼の目はAの顔に釘付けだった。彼はAに女性はいまや歓迎されていないと告げた。特に「保護されていない」女性は。彼は、最後に私に向き直って、あぁだこうだとまくしたてた。早く帰れ。何が起きても我々は知らん。
OK。けっこうよ。あなたが損するだけ。私はくるりとUターンして、階段を降りていき、E.といとこを見つけた。突然、事務所にいた人たちの顔からよそよそしさが消えー戦争前と同じ顔ぶれなのにー信じることが出来ないほどの敵意にあふれた。私がここで何をしたというの? E.といとこは表情を硬くしていた。私は取り乱していたに違いない。彼らは私がそれまで働いていた最高の「職場」から連れ出し車に押し込んだ。私は家に着くまでわぁわぁと泣き続けた。私の仕事、私の未来、ずたずたになった道、破壊されたビル、崩れいく人々のことを思って。
私は幸運な人間の一人だ…重要人物ではない。社会にとって欠くことのできない人間でもない。1カ月以上前、ハンナ・アジズ(イラクで最も優秀な女性のひとり)という著名な電気工学者が2人の娘と夫の目の前で暗殺された。彼女は、バドル旅団の原理主義者によって脅されていた。女なんだから家にいるようにと。そんな仕事を担当すべきではないと。彼女は拒否した。イラクが復興するために彼女の専門技術を必要としていたのだ。彼女は才気にあふれていた。彼女は、家にいることはしないし、いることもできなかった。彼らはある晩、彼女の家に来た。機関銃をもった男たち。ドアは破壊され火を噴いた。彼女は亡くなった。ー犠牲者は彼女が最初でなく、最後でもなかった。
リバー@午後11時36分
リバーベンド について
たくさんの人が私の経歴となぜ英語が上手なのかを聞いてくる。私は、イラク人を両親としてイラクで生まれた。数年間子供時代を海外で過ごし、10代のはじめに戻り、バグダッドで英語を学び、手にいれることが出来るあらゆる本を読んだ。私の友人の大部分は異なった民族、宗教、および国籍の人たち。私はバイリンガル。イラクでは私のような人間は数千人もいるー外交官、学生、元愛国者などの子どもたち。
西洋文化とのかかわりについて…たくさんのイラクの若者たちがアメリカ、イギリス、フランスのポップカルチュアをよく知っていることを信じないでしょ。アーノルド・シュワルツェネッガー、ブラッド・ピット、ホイットニー・ヒューストン、マクドナルド、MIB.sなどなんでも知っている…イラクのテレビは最新のハリウッド映画を絶えず悪いコピーで見せてくれるから。 (気休めになるかしら、海兵隊はランボー/ターミネーターに恥じない振る舞いをしたわ。)
たとえ何があっても-私は匿名のままでいるつもり。別の方法では遠慮なく書けないでしょ。私はサラームとギーは信じられないほど勇気があるって思う。・・・たぶん、ある日、私もそうなるかも。 でも今は、リバーベンドとしての私を知ってくれて、日常のほんの小さなことをシェアしてくれれば、それで十分。
リバー@午後11時33分
2003年8月23日土曜日
今 始まり・・・
女性はもう一人で外出することが出来なくなった。出かけるときはいつも、E、父親、おじとか従兄弟(いとこ)が一緒でなければならない。
占領が始まってから私たちは50年前に戻ったような気分がする。女性あるいは少女が一人で外にいたら、侮辱から誘拐までさまざまな危険が待っている。外出するときは少なくとも1時間前にアレンジしておかなければ。何を買わなければならないか、または誰を訪問しなければならないのかを申し出る。2人の男性を調達して(体格の良い男性が望ましい)、無法地帯の中で自分の身を守る方法を考えなければならない。
今 始まり・・・
いつもこう聞かれる。「どうしてもそれを買いに行かなければならないの? 私が買ってこようか?」いいえ。それにはおよばないわ。ナスを1キロ自分の手で選んで買いたいなんていうのは昼間街を歩くための口実なんだから。大学へ行ったり、働いている女性には、この状況は信じられないほどいらだたしい。
戦前、大学生のおよそ50%は女性だった。そして、労働力の50%以上も女性で構成されていた。もうそんなことはなくなった。イラクで原理主義が台頭してきたからだ。ぞっとするほど恐ろしい。
例えば、戦前、バグダッドのおよそ55%の女性がヒジャーブかスカーフを被っていたとして、ヒジャーブを被ることが原理主義であるとは言えない。そう。私は被らないけれど、私にはヒジャブを被る家族と友人がいる。要は、以前はそれがたいしたことじゃなかったということ。また、被るか、被らないかは自分で決めることであって、巷の原理主義者たちに決められることではなかった。
知らない人のために書くと(知らない人がたくさんいることがわかったので)、ヒジャブは髪の毛と首を覆うだけのもの。顔を全部見せたり、グレース・ケリーのように前髪が少し出ている女性たちもいる。一方、ブルカはアフガニスタンの女性たちが被っているように髪、顔、すべてを覆っているものを言う。
私は、女性でありイスラム教徒でもある。占領前、私は自分がしたいように装っていた。ジーンズ、コットンパンツ、着心地の良いシャツを着ていた。でも、今、私はコットンパンツをはいて外出しない。ロング・スカートとゆるいシャツ(しかも長袖)が定番。(解放された!)原理主義者たちによってジーンズをはいた女性は誘拐、侮辱のリスクを負うことになったのだ。
両親は娘たちを家の中でかくまい続ける。それで街の中で女性を見ることが少なくなったのだ(特に午後4時以降は)。さもなければ彼らの娘、妻、および姉妹にヒジャーブを着させる。抑圧するのではなく、保護するために。
私は同じような理由で失業した。その憂鬱な一部始終は別の機会に書く。少女たちは大学と学校を辞めさせられている。14歳のいとこ(彼女はオールAの優等生)は彼女の両親が、占領以来彼女を家にいさせようと決めたので同じ学年を繰り返さなければならないだろう。なぜって?イラク・イスラム革命最高評議会が彼女の学校の横にオフィスを開き、特別'局'を設置したから。
黒いターバン(「メン・イン・ブラック」ならぬ「メン・イン・ブラック・ターバン」)、黒服、つまり全身真っ黒な男たちが特別局の前にむらがって、中学校に入る少女と教師の様子を伺っているのだ。真っ黒な男たちは、顔をしかめ、流し目で見て、ヒジャーブをかぶっていなかったりスカートが短い少女をあざけり冷やかす。あるところでは、'適切でない'衣服を着ていた少女が酸をかけられた。[適切な服とは体を隠すダブダブの服]
イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRIー私は「SCAREY」(恐ろしい)だと思うけど)は1982年にテヘランで設立された。第一の目的はイランからイラクまで「イスラム革命」の概念を導入すること。言い換えれば、彼らは、イラクがシーアムッラーによって導かれた神政政治であるべきだと信じている。アブダル・アジズ・アル-ハキム(SCIRIの副リーダー)は、9メンバーの輪番制議長の一人であり、すぐに議長の順番がやってくる。
SCIRIはイラクでのシーア派の全面的な支持があるという印象を与えたがっている。実際のところ多くのシーア派ムスリムは彼らに統治権を与えることを恐ろしがっている。アル-ハキムはイラン-イラク戦争のときにイランでイラク人捕虜を拷問して処刑した責任がある。 SCIRIがイラクを治めるようになったら、最初にやることはイランとの国境を開いて、2つの国を結合させることではないかしら。ブッシュは、悪名高い「悪の枢軸」の一部として2つの国について言及するのを止め、私たちを「悪の塊と悪い北朝鮮」と呼び始めるだろう(彼のお粗末な言語能力にはちょうどいいかも)。
イラク入国以来、アル-ハキムは彼に従っているシーア派たちとともにバグダッドにいるCPAを揺すっている。彼は'バドル旅団'すなわちバドルの軍隊'にエスコートされイラクに入った。この'軍隊'はイラン人過激派により指導を受け、イランで訓練された何千ものイラク人過激派で構成されている。 戦争の間ずっとイラクに入り込む機会を待って、彼らは国境に潜んでいた。バグダッドと南部で、バドル旅団はスンニ派ムスリムのみならずシーア派、キリスト教徒にとってもテロと不安の原因であった。 彼ら、および彼らに追随する何人かは、略奪と焼き討ちの首謀者でもある(彼らが再建契約を得るつもりでやったと思わないで・・・)。また、彼らは数え切れないほどの宗教的、政治的誘拐および暗殺の首謀者でもある。
すべての状況はなんと言っていいかわからないくらい人々を不安にさせる。クリスチャンも過激派の犠牲になった。あるものは脅迫され、他のものは攻撃され。数人のなりたがり屋ムッラーが、6月に、すべての女性はヒジャーブを着るべきである。従わない女性がいたら、'罰'を受けるだろうとファトワを出した。 「ハウザ アル イルミア」のグループの一団と称するものたちは、14歳以上の少女は結婚しなければならないという布告を出した。−ハウザの幾人かが2人、3人、4人の妻を持たなければならないとしても。この命令はイスラム教以外の女性すべてに及んでいる。南部では、ヒジャーブを着ていなかった理由で国連と赤十字の女性補佐官が殺人予告を受けた。 神の名にかけてそんなことはありえないーそれは権力のしわざ。「見ろー我々には力がある、影響力を持っている」と、彼らは人々に、世界に言いたいのだ。
酒屋は攻撃され爆破されている。店の主人は「永久に店を止めないと、報いがあるぞ」というファトワの形をした「脅迫」を受けとる。通常、報いは、放火か爆弾のどちらかだ。同様の脅迫はバグダッドに住む幾人かの美容師にも送られている。とても恐ろしいけれど、本当。それをイスラム教のせいにしないでね。あらゆる宗教に、過激派はつきもの。カオスと混乱の時代に、それら過激派は栄える。
イラクは'互いに共存すること'を信じる穏健なイスラム教徒でいっぱいよ。私たちは、スンニ派、シーア派、クリスチャン、ユダヤ教、およびサービア教とみな互いにうまくやっている。お互いに結婚して、混じりあって、生活している。同じ地域に教会とモスクがあり、子供たちは同じ学校に行き…問題は何もなかった。
イラクの人々が選挙でイスラム政党に投票するかどうか私に尋ねてきた人がいる。6カ月前なら、「いいえ」と、私は確信をもって言っただろう。でも、今はわからない。原理主義への圧倒的な回帰がある。人々はいくつかの理由で宗教をよりどころにしている。
1番目の最も際立った理由は恐怖心。戦争への恐怖、死の恐怖、そして死よりもむごい運命(そう。死ぬことよりひどい運命がある)への恐怖。 もし過去の戦争の間に信じる何かがなかったら、私は気がおかしくなっただろう。祈るべき神がいなかったら、約束すべき、契約をむすぶべき、感謝を捧げるべき神がいなかったら、私は戦争を乗り越えることが出来なかっただろう。
また、西欧の価値観と信念が入ってきたことも、イラク人がイスラム教を受け入れるための後押しをしている。西欧の世界に無知な人々がいるように(愚かなEメイルを私はたくさん受け取る・・・私をがっかりさせないで)、中東にも無知な人々はいる。 イスラム教徒、アラブといえば、西欧の人間は自爆テロ犯、テロリスト、無知、そしてラクダを想像する。アメリカ人、英国人といえば、イラク人は堕落、売春、無知、支配、麻薬常用者、無情を想像する。人々がこれらの思い込みからくる恐れに対して、自分と愛する者たちを守る一番良い方法は宗教だ。
最後に、もっとダイレクトな理由がある。すべてのイラク人の65%が何らかの理由で現在失業している。食べさせなければならない家族を持つ人々がいる。「家族」とは妻と2人の子供をいうのではない…平均16人から17人をいう。イランによって支援されているアッダワ党とSCIRIのようなイスラム政党は、現在、自分たちへの「支持」と交換に失業中の男性(例えば、軍隊の旧軍人)に「賃金」を提供することによって、信奉者たちを募集している。この支持にはあらゆる意味があるー選挙がきたら投票すること、特定の店に爆弾を仕掛けること、「押収」、誘拐、ハイ・ジャック(ただしアル・チャラビの下で働く場合だけ・・・)。
したがって、テロと原理主義の不安については、カーペンターズを引用したいー心配かって?「今始まり…今始まったばかり…」
リバー@午後6時20分
2003年8月17日日曜日
始まり…
これは私にとっての始まり。そう思う。私はウェブログを始めようなんて決して思わなかった…。書きたい気持ちはあったけれど、「一体だれがそれを読むの?」といつも思っていたから。でも、私には失うものは何もないと思いなおした…。あなたに予告するわ−不平と暴言を大いに期待していて。グーグルで「怒り」を検索したら、このブログが一番よ。
私のことをちょっとだけ:私は、女性で、イラク人。そして24歳。戦争を生きてきた。あなたが私について知るべきことはこれだけ。いずれにしても、最近はそれがすべて。 リバーベンド
リバー@午後7時36分
目覚め
ゆっくりとした目覚めはこんなふう―まどろみながら意識のふちに漂っていると… 何かが忍び寄る。霧のように。重苦しく熱い霧。それは暑さ…。涼しい夜でも120度(49℃)になる。目を開いて周囲を見ると真っ暗闇。停電だ。天井のファンはやがて止まり、すっかり目が覚める。この暑さの中で眠ろうとするのは念力でファンを動かそうとするようなもの。無理に決まっている。
もうひとつの目覚めは、銃声や爆発、叫び声で現実に引き戻されること。起き上がり、恐れおののき、びくびくして、夢も悪夢もすべて粉々に砕け散る。何があったの?強盗?略奪者?攻撃?爆弾?さもなくばアメリカ軍が行なう真夜中の家宅捜索?
リバー@午後8時2分