バグダッド燃ゆ  
イラク女性リバーベンドの日記   

…いつかあなたと会いましょう、チグリス川の流れる街で。そこは心を癒し、魂が甦る場所…

2004年1月5日月曜日
Happy New Year…

2003年以来、ブログをしていなかった。電話が4日前に突然通じなくなり、今日の午後やっと回復した。

それで、2004年になったというわけ。当然ながら、気分は2003年。 私たちは昨年から今年にかけておばの家で過ごした。彼女は、30日に立ち寄って、誰もどこへ行く予定がないなら、みんなで一緒に過ごすべきだと提案した。もし戦争に利点があるとするなら、親族の絆を再確認できるということ。 毎年、私たちは皆、それぞれ違う場所にいた。両親はどこかの集まりに、Eと私は友達と…、他の人たちは、新年のパーティーが催されるレストランかクラブで、それぞれ過ごした。

今年、大晦日は事実上の親族会だった。おばの家で集まるけれど、大き過ぎる集会にならないように決めた。さもないと、'テロリストの集まり'に間違えられるかもしれないから。

私たちは午後6時頃に到着した。電気が一日中来たり来なかったりして、発電機も3時間ほどの電気をつけるくらいのガソリンしかなかった。それで、年越しの最後の2時間のために節約しておくことに決めた。それが結局、賢い選択だったと後からわかった。電気は午後8時頃から来なくなり、次の日の正午まで回復しなかったから! 早く家を出たのもラッキーだった。E.が言うには、その日遅く、いくつかの地域で道路封鎖が行なわれ、人々は次の日までどうにもならなかったらしい。

私たちがKおばさんの家に着いて1時間後、地響きがするほどの爆破があった。私は、テーブルのまんなかでたくさんのキャンドルセットに灯をつける準備していた。そのとき突然大きく'ボーン'という衝撃が走った。E.と私は何が起こったのかを見るために外へ出た。おばの隣人が同じように茫然と門のそばに立っているのが見えた。 その後、爆弾が数キロメートル離れたハリシーヤの小さいファーストフード「ティータイム」の近くで爆発したことを知った。そこは、フライドポテトとマヨネーズがいっぱいついたハンバーガーやサンドイッチを売るこじゃれた店だった。

私たちは、ポップコーンをむしゃむしゃ食べ、最新のジョーク(ほとんど統治評議会に関すること)を思い出し、停電用キャンドルをパーティー・キャンドルだと想像して、暗闇の中で8時から11時まで何もせずに座っていた。

多くの人々が2003年を「1年」と考えるけれど、私たちには10年以上に感じられた。2003年は戦争の準備で年が明けた。他の国々の人々が今年は何をしようかと考えているとき、私たちは次の戦争のためにしなければならないリストを作っていた。最初の2ヶ月半、窓にテープを貼り、家を補強し、食料・水および医薬品をストックし、井戸を掘って、1年間それで生き延びられるかどうか不安に思いながら過ごした。

3月は戦争と恐怖がもたらされた。私たちには、一日が1週間のように…数日が1年間のように感じられた。時(とき)の感覚を失い、時間や分で数えるのをやめ、爆発を数え始めた。つまり、私たちはこんなふうに言うようになった。
「この前おじさんに会ったのは…アメリカ軍がシューラ市場を爆撃して、十数人が殺された日だった」

戦争は4月に終わったと言われるが、そうではない。4月は新たな恐怖の始まりだった…犯罪者に略奪され、燃えるバグダッドの街…焼けた車の残骸とみちばたの黒こげの死体…戦車やアパッチはところかまわず銃撃し…私たちは戦争が占領に変わったことに気がついた。

2003年の終わりに、過ぎ去った数ヶ月に思いをはせ、未来について推測してみた。BGMは、爆発音、砲撃、ヘリコプターや飛行機の音。恐ろしいことが起こり、私たちには新年がやってこないように思えた。

午後10時頃、発電機をつけた。そして、私たちは世界が新年を迎える様子を見るためにテレビのまわりに集まった。子供たちは石油ストーブにあたりながら居間の床で眠り始めた。時計が12時を知らせ、地響きが周囲に重く響く前だった。
12時ちょうど、あまりに大きな戦闘機と爆発音のためにテレビの音がほとんど聞こえなくなった。が、いつものように何も報道されなかった。地獄のようなことが起こっているというのに、イラキーヤ・テレビは自分たちの会社の宣伝をキラキラと流し続けていた。 私たちは、翌日、アラサット(カラダの裕福な地域)のレストランの正面に爆弾が仕掛けられたことを知った。

2004年の最初をどのように感じたかって?ちょうど2003年の最後の数カ月のよう。ここ数日は、爆弾と爆発の連続。2、3日前の夜、ある地域にクラスター爆弾が落ちた。クラスター爆弾は落ちながら恐ろしく鋭い音を発する。それが、怒って金切り声を出す象の叫び声のように聞こえるので、私たちはクラスター爆弾を'象'と呼ぶ。どうしてそんな音を発するのかわからない。だれかが、あの音は爆弾が当たる前に戦車の中に隠れろと地上にいる軍隊に伝えるための警報だと言った。たいがい、そのあとに恐ろしい爆発音が続き、次に、地面が震動する。

見ること聞くことに慣れてしまうのは奇妙なものだ。クラスター爆弾の経験、爆発の影響で足元の地面が揺れたときの衝撃、近所の家への戦車の発砲、検問…破壊された窓、崩れかけた壁、こじ開けられたドア…爆撃された大使館、レストラン…。初めはどれも最悪。 もはや怒りとか悲しみを感じないということではない。生活の一部になり、3月に雨が降るように、そして7月に太陽が照るように、いつのまにかそれらを受け入れるようになった。

2004年が2003年より良い年でありますように。

リバー@午前1時12分