バグダッド燃ゆ  
イラク女性リバーベンドの日記   

…いつかあなたと会いましょう、チグリス川の流れる街で。そこは心を癒し、魂が甦る場所…

2004年7月31日土曜日
この頃イラクで流行るもの…

連日の暑さと家族の問題が重なり、ブログをすることができなかったことに、ひどく罪の意識を感じている。通るたびに、とがめるように私を見るコンピュータをいつしか避けていた。

朝から晩までやりきれない暑さが続く。太陽が沈めば、少しは涼しくなるところだが、ここバグダッドではそれはあたらない。太陽が沈むと、ビルや道路は、熱を吸収するのをやめ、代わりに熱を発散し始める。漆喰やレンガ壁の前に立つと、あらゆるヒビ割れから熱い空気が吹き出てくるのがわかる。

電力状況のひどさは変わらない。ラッキーなことに12時間電気が来る日もあるが(3時間来て3時間来ないという具合に)、たいていは2時間電気が来て4時間来ない。2、3週間前、私たちの区域では23時間(ほとんど一日)電気がなかった日があった。地獄のような暑さの中で、涼しくなる方法を見つけようとして、日没までみなそれぞれの庭で過ごした。

ところで、冷蔵庫は間違いなく人類最大の創造物のひとつに違いない。誰かが冷たい飲み物をほしそうにするたびに、私は台所に突進することが習慣になった。ちょっと臭うのがたまに傷の、冷蔵庫の冷気にふれる良い口実だった。発電機がついているときは冷蔵庫を動かし続ける。 冷蔵庫は冷たい空気、冷水を提供するだけでなく、夜になると暗い台所でぼんやりとした黄色い灯りを発している。暗闇の中の希望の光のように…

家族の問題では、伯母の死があった。彼女は戦後まもなく脳卒中で倒れ、それ以来病(やまい)にふせっていた。治安の悪さ、必要な医療施設の不足、ストレス、緊張など、それらすべてが彼女を死にいたらしめた。私たちは、イラク式の大規模な葬儀に追われていた。故人は正式な宗教的儀式の後に埋葬される。ただし、儀式そのものは1日で終る。 私たちが直面した最初の問題は墓地だった。おじは、家族のために何年も前に購入していた墓地が、最近、共同墓地が満杯のために移ってきた見知らぬ人たちに占領されていることを発見した。墓地の管理人は深く詫びたが、しかしこの墓地だけでも、今年、1ヶ月平均100体もの遺体が運び込まれているという。だが、一体どこにおばの遺体を埋めろというのか?

幾度となく交渉した結果、おばは心ならずも墓地の外の空き地に埋められた。それから、7日間の葬儀が亡くなったおばの家で行なわれた。朝から晩まで7日間。友人、親族、近所の人が来てお悔やみを述べ、故人を悼む。このお通夜を'ファーティハ'という。別のお通夜が同時に地域のモスクでも行なわれる。これは3日間だけ続き、男性が参列する。だが、モスクの葬儀の予約も最近込み合っていて、スケジュールを立てるのに苦労した。

この頃、隣人と友人からのおくやみの言葉はこんなふう。 「死ぬには若すぎるけど、神に感謝するべきよーこの頃よく見られる死に方よりずっといいわ…」 一般的に死は不幸なこととみなされてはいるが、車両爆弾で死んだり、銃で撃たれたり、斬首になったり、拷問で死んだりするより、脳卒中や自然死のほうがずっとましだ。

治安は良くなったことと悪いことが半々。通りはほんの少し安全になった。警察官が、人ごみや住宅地にも立っているから。十分安全だとは言えないけれど、しかし、だれかがそこに立っているのを見るだけでも、ほんの少し安心する。 一方、誘拐が増えた。いまや、伝染病のようにはやっている。誰もが、それぞれ知人を誘拐されている。身代金目的で誘拐されるものもいれば、宗教、あるいは政治上の理由で誘拐されるものもいる。外国人の誘拐も増えている。 シリアとヨルダンを往復する人々は彼らの車列、バス、自家用車が途中で覆面をした男たちにどのように止められ、パスポートや書類をチェックされたかという話をしている。何か疑わしいものを持っていたら (イギリス、アメリカのパスポートのような)、すぐさま'チェック'から誘拐に変わる。

私は外国人の誘拐に反対するメールをたくさん受け取る。際限もなく。「この人々はあなたたちを助けるためにいるのよ…」「彼らは支援者…」、「記者は正当な理由をもってそこにいるのよ…」などなど。 今や、あらゆることがすべて混在している事実が海外にいる人々にはわからないようだ。外国人を見て、見分ける方法があるかしら? サングラスをかけたブロンドの人、ベージュのベストで通りを歩く人は、レポーターであるかもしれないし、NGOと共に働いている人かもしれない。しかし、私たちがさんざん聞かされている民間警備会社の傭兵かも知れない。

これら拉致された人々に同情はあるか? ある。テレビに写る怯えた彼らを見るのはイヤだ。彼らには、遠い国で、地獄のような今のイラクで拉致された人を心配している家族と友人がいるということを考えるのはたまらない。 しかし、誘拐された外国人それぞれに対して、おそらく10人のイラク人が誘拐されている。そして、私たちはここにいなければならない。なぜならここは私たちの国だから--トラックの運転手ー、外国会社や建築会社の警備員たちはそうではないけれど。 イラクの夏の暑さのもとでは同情にも限界がある。毎日、何十人ものイラク人がファルージャやナジャフのような場所で死んでいる。不思議なことに誰もがこのことに沈黙している。ところがイギリス人、アメリカ人、パキスタン人が一人死んだだけで世界中大騒ぎする。うんざりだ。

政治的に、いろいろなことがゆっくりと動いているように思える。暑さのせいかもしれない。誰もがイラクの将来を託せる国民議会を待っていて、皆熱心に議論している。問題はすべて同じ顔ぶれー、SCIRI、ダーワ党、イラク国民会議(INC)、クルド愛国同盟(PUK)などーが続いていること。彼らに対抗する興味深い政治上の抵抗運動が生まれているようだ。CPAと統治評議会にかかわらなかった政党の多くが現在、行動をともにしようとしている。

巷の噂では、メール、インターネット、電話がひそかに監視されているという。私たちは、実際、メールの内容によって拘留されたという2、3の話を聞いた。それは、表現・意思に対する抑圧であり、'解放された'私たちの現在の状態を雄弁にもの語っている。わざわざ「愛国法(パトリオット法)」のコピーを送らなくてもけっこうよ…この一年、誰もが何らかの容疑をかけられているような気がする。

リバー@午後8時53分