バグダッド燃ゆ イラク女性リバーベンドの日記
…いつかあなたと会いましょう、チグリス川の流れる街で。そこは心を癒し、魂が甦る場所…
2006年3月28日火曜日
死体安置所…
死体安置所…
昨夜遅く、イラクのTVチャンネルをバチバチまわしていた(時々6チャンネルくらい見ている)。それは電気がきている間の私の深夜の習慣ーイラクのTVで何をやっているのかを見ることが。一般的に言えば、イラクのTVチャンネルには真の意味での‘中立'的なチャンネルはまだない。最もポピュラーなものは、現在勢力を競うそれぞれ異なった政党がバックにある。このことは選挙の直前に明らかになった。
私は、鳥インフルエンザに関するレポート、別のチャンネルの様々なラトミヤからの断片のモンタージュ、エジプトのホームドラマの3つから決めようとしていた。が、多くのイラク人がまぁまぁ中立だと考えているシャルキーヤ・チャンネルで私の手が止まった (選挙の間、ここはアラウィを支持していた)。私は画面の下のほうに流れるニュースの小さい見出しを読んだ。いつものことだけど、バグダッドの地域での迫撃砲があり、こちらに米兵の死体、あちらに怪我人…12 人のイラク人の死体がバクダッドで見つかったことなどなど。突然、そのひとつが私の注意を引いた。私は自分が間違って読んでいないかどうか、ソファーにちゃんと座り直した。
Eは居間の端に座り、組み立てなおすことができないだろうラジオを分解していた。私は彼を呼んだ。「ここに来て、これを読んでみて。私の勘違いかしら…」と。Eはテレビの前に立って、死体、アメリカ人、および操り人形(傀儡政権)に関する言葉が流れるのを見ていた。待ち兼ねていた新聞記事の項目が出たとき、私はジャンプしてその項目を指した。E.と私は黙ってそれを読んだ。E.も私が感じたと同じように混乱しているようだった。
そこにはこう書いてあった:
「国防省は、その地域を管轄している連合軍をともなわない深夜の軍隊、警察の命令に市民は従わないよう要望します。」
これは現時点でこの国がいかに混乱しているかを表している。
私たちは他のチャンネルに切り替えた。「バグダッド」チャンネル(ムフサン・アブダル・ハミードと彼のグループがバックにいる)には、同じ記事があった。しかし、一般的な「連合軍」と書いてなく、「アメリカの連合軍」となっていた。私たちは他の2つのチャンネルもチェックした。イラキーヤ(ダーワ党シンパ)、フォラート(SCIRIシンパ)は言及していなかった。
それが別のチャンネルでも繰り返されたので、私たちは今日、それについて議論した。
「ねぇどういう意味かしら?」昼食で集まったとき、いとこの妻が尋ねた。
「やつらが夜やってきて家を襲撃したくても、入れる必要はないってことよ。」私は答えた。
「やつらは許可なんて求めてないぜ」とEは指摘した。
「やつらは、ドアを破壊して、人々を連れて行くだけ。忘れたのかい?」
「ねぇ、国防省によれば、私たちはやつらを撃ってもいいってことよね、違う? やつらがしていることは『侵入』で、やつらを強盗か誘拐者と考えることも出来るのよね…」と私は返答した。
いとこは頭を横に振った。「もし家族が家にいるとしたら、やつらを撃つなんてしない。やつらがグループで来るのを覚えているだろ? 武装して大人数で来るんだ。やつらを撃ったり抵抗したりしたら家の中にいる人間を危険にさらすことになる。」
「それに、やつらが最初に攻撃してきたとき、アメリカ人が一緒にいないってどうしてわかるんだ?」 E.は 尋ねた。
可能性をあれこれ考えつつ、私たちはお茶を飲んだ。それはイラク人にとって、始めからわかっていたことを確認したに過ぎない。すなわち、イラク治安部隊が宗教と政党に結びつけられた民兵だということを。
しかし、また、それは面倒な問題に火をつけた。治安状況がとても悪いので、民間人を保護することを担当したトップ2つの省は互いを信じることができない。「アメリカ連合軍」が一緒でない限り、国防省は自らの要員さえ信じることが出来ないのだ。最近では何が起こっているかを理解することが本当に難しい。私たちはイラクの治安について、アメリカ・イラン間の会議の話を聞く。そして、イラクのアメリカ大使はイラク国内の民兵組織に資金を提供したという理由でイランを非難している。昨日、フセイニヤ(コミュニティセンター)に対するアメリカの攻撃で20〜30人のサドル民兵が殺されたという主張が今日出ていた。アメリカ軍は、攻撃の責任はそこにいたイラク治安部隊(彼らが絶えず賞賛している)にあると主張している。
これらすべてが、ブッシュと他のアメリカ人の政治家が主張していることーイラク軍と治安部隊は状況をコントロールしているーに矛盾する。いや、コントロールしても、うまく行かないのかも、たぶん。
ここ数週間、バグダッドのいたるところから死体が発見されている。いつも同じような死体がー頭にドリルで穴をあけられ、無数に撃たれ、絞首刑にされたように首を絞められている。民兵たちのやりかただ。犠牲者の多くが治安部隊、警察、特殊部隊によって家から連行された…。そのいく人かはモスクからひとかたまりで連れ去られた。
数日前、私たちは大学に女性のいとこを迎えに行った。大学はたまたま地域の死体安置所のそばにあった。E.、いとこのL.、私は、大学から少し離れた場所に車を停め、車の中でいとこを待った。私は死体安置所の近くの騒動をずっと見ていた。
そこには何十人もの人々ーほとんど男ばかりーが、殺伐とした雰囲気を漂わせて立っていた。何人かがタバコを吸い、他のものは車や軽トラックに寄りかかっていた…。彼らから深い悲しみ、恐怖、あきらめなどさまざまなことが読み取れた。何人もの顔に、恐怖とこれから起こるであろうことに対する不安がみちみちていた。バグダッドの死体安置所の外だけに見られる特別な表情だ。何かを捜し求めるように目は大きく見開かれ血走り、眉を寄せ、顎を固くしめ、口を真一文字にして、しかめ面をしている。死体が列をなしている死体安置所に入っていくときの表情だ。彼らは自分たちが探しているものが見つかりませんようにと祈っている。
いとこは重苦しく溜息をつき、少し窓を開けて、ドアをロックするように私たちに言った。彼は死体安置所をチェックしに行くつもりだった。1カ月前、いとこの妻のおじがお祈りの最中にモスクから連れ去られたーおじはまだ戻っていない。2日ごとに、家族の誰かがおじの身体が運びこまれていないかどうかを見るために死体安置所に行く。「彼が見つからないことを祈ってくれないか …いや、むしろ…僕はただ、このあいまいさがイヤなんだ。」 いとこは、重苦しく溜息をついて、車を降りた。彼が通りを渡って、人込みに紛れて見えなくなったとき、私は心の中で祈りの言葉を唱えた。
Eと私は、まだ大学の中にいるHと、死体安置所に行ったLを辛抱強く待った。何分間も、E.と私は黙って座っていたーこういう状況なので、おしゃべりは不謹慎に思えたのだ。L. が最初にやってきた。私は緊張して彼を見つめ、気付くと自分の下唇をかみしめていた。「インシャラー、彼がおじの遺体をみつけていませんように…」と、私はひとりつぶやいた。車に近づくと、彼は頭を横に振った。彼の顔はこわばり厳しかったが、険しい表情のかげに、ほっとしている様子が見えた。「おじは、ここにはいなかった。アル・ハムドリッラー[神に感謝します]」
「アル・ハムドッリラー」E.と私は一緒に繰り返した。
私たちは死体安置所を振り返った。多くの車の上に、息子、娘あるいは兄弟の死を予測して、簡単で細長い木の棺が置いてある。黒いアバヤを着た1人の女性が狂ったように中に入ろうとして、二人の親族に抑えられていた。3人目の男が、車の上に結ばれた棺を解くために手を伸ばしていた。
「あの女性を見てごらんー息子を見つけたんだ。彼らが息子さんを特定しているのを見たよ。頭を銃撃されていた」 彼女はずっと怒り続けていたが、突然足元に崩れ落ちた。彼女の泣き叫ぶ声が、その日ずっと私の心を占めていた。驚くほど暖かい日だったけれど、私は冷たくなった指を覆おうと袖を引っ張った。
私たちは、深い悲しみ、怒り、失意など様々な場面をずっと見ていた。そして、時々、最も恐れていたものを見つけることなくホッとして死体安置所を出る何人かの人を見た。彼らは(死体安置所の)臭いに目をうるませながら、入っていったときよりわずかに軽い足どりで、死体安置所から愛する者を引き取る不安から一時(いっとき)の猶予を与えられて出ていく…。
リバー@午後9時51分
2006年3月18日土曜日
3年たって…
独立国家イラクの終焉を意味した戦争の始まりから3年が経過した。占領と流血の3年間。3年たって…
春は回復と再生の季節のはず。しかしイラク人にとって、春は痛ましい思い出を追体験して、来るであろう禍(わざわい)に心構えをしておく季節になった。様々な意味で、今年は2003年に似ている。戦争前、私たちは燃料、水、食物、救援物資および医薬品をストックした。私たちは今年、再びそれをしているが、今、私たちは、何のためにするのかを議論しない。爆弾とB-52以上の多くの恐怖に遭遇しているから。
3年前今のような最悪の日々を迎えるとは誰も思っていなかった。ここ数週間緊張状態に支配され続けている。私はすべてに疲れ果てたー私たちみんなが疲れている。
3年たって電力状況はこれまで以上にひどい。治安状況はますます悪化した。国は、再び混沌のきわみにあるー信心深い民兵と狂信者によって導かれ、あらかじめ計画され、作られた混沌。
学校、大学、仕事はあったりなかったり。2日間は仕事・学校に行き、残りの5日間は状況が良くなるのを待って家で待機する。そして今、大学と学校は休校している。"アルバイーン"(シーア派の祭り)が近づいているためだ−黒と緑の旗、黒服の群集、アラーへの賛辞がさらに増える。私たちは「子どもたちは来週の水曜日には学校へ戻るべきだ」と話している。学校が2、3日前に行われた国民議会(さんざん待ちわびた)のために休校していたので、私は、「再開するべき」と言っている。サマッラーのモスクが爆破された後も休校になった。子どもたちは今年、学校にいるより家で過ごしていることのほうが多い。
私は今年のアルバイーンを特に心配している。サマッラーのアスカリ・モスクで起こるであろうことを見るのは恐ろしい。ほとんどのイラク人は、すべてのことがイラクを分割して得をする人間たちによって計画されたと考えているようだ。
2004年、2005年より今年、2006年にさらに悪くなるであろうことを考えてみる。電気、水、崩れかかったビル、破壊された道路、醜いコンクリートの防御壁などの外面的なことに違いはない。それらは心をかき乱すけれど、見慣れてしまった。イラク人は、国を再建できると再三立証してきた。そうではなくて、何が私たちを不安にさせているかをまだ明らかにしていない。[訳注:問題の本質はそのような物質的なことではない]
本当に怖いのは多くの人々の最近の精神状態。国の中心にあって何とかうまくやってきた境界線[訳注:宗派の違い]が人々を分断する。知人と話すとがっかりする。彼らは洗練されて、教養があるとされている人々だ。スンニ派はこのようだとか、シーア派はあのようだとか…。人々は「スンニ派が住む地域」あるいは「シーア派が住む地域」を求めて引越しをしていく。こんなこと、どうして起きたの?
イラクにおける何十年にもわたるスンニ派とシーア派の間にある境界線(独裁者の下では、誰もそれに気がつかなかったし、気がつこうともしなかった)について、外国人とか海外にいるイラク人によって書かれたものを読んでいるー皮肉なことに、イラク人の中で実際に生活しているとわからないと彼らはいう。それは絶対に違う。もし境界線があるとしたら、両方の狂信者にはあった。過激なシーア派と過激なスンニ派のイスラム教徒に。ほとんどの人が自分たちの宗派に基づいて友人を作ったり、自分の宗派に基づく隣人と社会生活を送るなんてことは絶対にしていなかった。人々は気にかけてもいなかった。そんな質問をしたら、なんて愚かで無作法な人間だと思われるのがいいところ。
私は子どものとき、訪問したさきのことを覚えている。私は近所の子どものひとりと外で遊んでいた。アモルは同い年で、同じ月(3日間だけ誕生日が違う)の生まれだった。私たちはバカげたジョークを言い笑いあっていた。すると突然、彼女が振り向いて、「あなたは、サナフィール?それともシャナキール?」と恥ずかしそうに尋ねた。私は当惑して立ちつくした。「サナフィール」は「スンニ派」の意味を持つアラビア語で、「シャナキール」は「シーア派」の意味を持つアラビア語。私はなぜ彼女がそう尋ねたのか理解できなかった。明らかに、それは私がスンニ派(サナフィール)であるかそれともシーア派(シャナキール)であるかを尋ねる遠回しな方法だった。
「何???」なかば微笑んで、私は尋ねた。彼女は笑って、私が手を脇に置いて祈るか、体の前で手を重ねて祈るか尋ねてきた。[訳注:スンニ派は手を前に重ねて祈るが、シーア派は両脇にたらしたまま祈る] 私は肩をすくめた。まったく関心がなかったし、ほんの少し恥ずかしかったから。私はまだ10歳の子どもで正しい祈りの方法を本当に知らなかったのだ。
夜遅く、私はおばの家で母に私たちがスンニ派かシーア派かを尋ねた。母は私がアモルに投げかけたと同じような空白の視線を私に向けた。「ママ、私たちはこう祈る?それともこう祈る?」私は起き上がって、二つの祈りの形をとった。母の目はすべてがわかったというように澄み、頭を横に振って、ちらっとおばのほうを見た。「あなたはなぜ尋ねるの?誰が知りたがっているの?」 私はシーア派の隣人アモルがその日私に尋ねたことを説明した。「私たちはシャナキールでもなく、サナフィールでもない。私たちはイスラム教徒であり、そこに違いはないとアモルによく言っておくのよ。」
後年、親戚の半分がスンニ派であり、残り半分がシーア派だと知ったが、誰もそんなこと気にかけていなかった。私たちは、親族会とか家族の夕食の間も、スンニ派イスラム教あるいはシーア派イスラム教について論争などしなかった。家族はいとこの手が体の脇にあって祈っていても気にもかけなかったし、もう一人のいとこは手を体の前で重ねて祈っていた。私の世代の多くのイラク人はそんなふう。私たちは、とにかくー肯定的にも否定的にもー宗派、民族性に基づいて差別する人間は教養がなく野蛮だと信じて育った。
現在の状況に関して最も面倒なのは、宗派に基づく差別がとてもありふれたことになったということだ。バグダッドの普通の教育を受けたイラク人にとっては、スンニだとかシーアだとか話すことはまだ物笑いの種だが。残念なことに、政党があらゆるスピーチ、あらゆる新聞を使ってーすべてに‘私たち'とか‘彼ら'とかを入れー差別を助長しているので、人々はスンニだシーアだという主張に押し込められてしまった。私たちは絶えず「私たちスンニ派はシーア派兄弟とどうつながるべきか…」について、そして「私たちシーア派はスンニ派兄弟をどう許すべきか…」について読んでいる。(スンニ派とシーア派姉妹はこのどちらにも当てはまるものではないことを明記しておく)。政治家と宗教指導者は私たちが皆おなじイラク人であることを結局は忘れてしまったようだ。
占領軍はこれらすべてのことにどんな役割を果たしているのか? 彼らにはそれが非常に都合がよいのだと、私は信じる。イラク人が互いに誘拐し殺しあえば、非常に良いのだ。彼らは平和を促進しようとするどちらにも組しない軍隊であり、そして、人々の間で誰がもっとも平和的であり分かっているかを理解しているのだ(占領が続くまでは)。
戦後3年、私たちは街を覆いつくす崩壊のみならず、精神的な部分でも崩壊し、後退した。
先週、数千の人間が無意味な暴力で死んだ。そして、これを書いているときもアメリカ軍とイラク軍はサマッラーを爆撃している。悲しいのは空爆ではない。どれも私たちがこの3年間で見た何百回もの空爆の1つに過ぎない。悲しいのは人々のあきらめだ。人々はどこにも行けず、サマッラーの家に留まっている。以前、私たちはバグダッドと隣接した地域で避難民を迎えいれた…。今、バグダッドの人間自身が街から出る方法を探している…国から出ることも。典型的なイラク人の夢は、海外で安全な避難所を見つけること。
3年たって、「衝撃と畏怖」の悪夢はもうひとつの悪夢に進化した。今と3年前の違いをいうなら、3年前私たちはまだ物質的なこと(資産、家、車、電気、水、燃料など)を心配していた…。現在もっとも不安なことが何かと定義するのは難しい。最もシニカルな戦争評論家さえ、3年たって国がこんなにひどい状況になるとは想像さえしなかった…。アラーよ、4年目を迎える私たちを守りたまえ。
リバー@午前3時28分
2006年3月6日月曜日
オスカーのゆくえ…
オスカーのゆくえ…
またもやオスカー(註:アカデミー賞)の季節がきた。私たちは1カ月近くオスカーの宣伝の集中攻撃を受け続けている。MBCとエミレイツチャンネルは1月からオスカーのライブ中継を約束していた。ここ1週間すべてのインタビューとプログラムがアカデミー賞に関するもののように見える。 バーバラ・ウォルターズ、オプラーの今夜のもよおし-- オスカーにノミネイトされた人と解説者の話はつきないー
さて、毎年ノミネイトされた人たちを見続けてーそれで、イラク人が授賞式を必要とするという結論に達した。ハリウッドの華やかな連中がすばらしきエンタティナーを組むように、我らが国のスーパースター、ハキム、タラバーニ、ジャファリも偉大なエンタティナーを組んだ。昨年私たちは、いくつかのドラマが繰り広げられるのを見たし、私たちの政治的指導者にはわくわくさせられた!
それで…、バーバラ・ウォルターズとオプラー・ウィンフリーに負けないようーバグダッド・バーニングオスカースペシャルを行う! ただし、私たちの賞に関して、オスカーよりもっとなじみ深いものに変えることを提案(オスカーは「酔っぱらうこと」を意味するアラビアの言葉「イスカール」の発音に似ている。私たちが「オスカー」という言葉を使ったら授賞式がサドルの信心深い民兵によってハイジャックされる恐れがあるので、"サイード"賞とすることを提案するわ!)
皆さ〜ん、これ以上の面倒が起きないうちに、2006年サイード賞にノミネイトされた人を紹介します!
最優秀主演男優賞にノミネイトされたのは:

「自由イラク選挙」のイブラヒム・アル・ジャファリ。彼は‘正統’なイラク政府の
特定の宗派に属さない中立の首相を演じる。

「イラク自由作戦ーテロへの戦い」のジョージ W. ブッシュ
;続編「イラク自由作戦ー見つからない大量破壊兵器」、「イラク自由作戦ーイラク人を解放する」
ブッシュのノミネイトは初めて挑んだ世界の大統領としての彼のもっともらしい演技による。
「拷問の家」のバヤン・バクル・ソラ。国際的俳優、拷問の家スキャンダルを通して、ショックを受け憤慨するイラク内務大臣を演じる。

「メン・イン・ブラックターバン」のアブダル・アジズ・アル・ハキム。イランの彼の主人から独立しているふりをしている深く敬虔なムッラー。

「きまぐれ」のMihsanアブダル・ハミード。戦争被害者でありながら戦争大好き人間。突然、反戦・反占領を訴えるスンニ派政治家。
最優秀主演女優賞にノミネイトされたのは:
イランの原子力計画廃止で(イラクでイランをコントロールしているにもかかわらず)、見え透いた芝居をしている悪質な国務長官、「イラン万歳!」のコンディ・ライス
最優秀助演男優賞にノミネイトされたのは:
「‘カーラ’大統領(クルド語で兄弟)」のジャラール・タラバーニ。新生イラクの‘正統'リーダーを演じている(彼は演技派で映画スターだが、一年中、奥舞台で管理している首相として、「助演」男優賞をノミネイトする)
献身的な役割を果たした「イラク自由作戦ーテロへの戦い」のディック・チェイニー。熱狂的な副大統領であり、イラクですべてがうまく行くという執拗な主張をした。
若く、カリスマ的な黒、「イラン万歳!」のムクタダ・アル・サドル。-すべての害悪からイランを守るターバンを巻いた宗教的民兵リーダー。彼はスンニ派とシーア派の間の和平を進めている。 (彼の民兵はスンニ派と世俗主義者に対する破壊と攻撃に責任があるにもかかわらず。)
「イラク自由作戦ーテロへの戦い」と「否定」のスコット・マクレラン。ホワイトハウスの記者会見で真面目な顔をして読み通している彼の才能は有名だ。
特殊効果にノミネイトされたのは:
「見えない犯罪」のアフマド・アル・チャラビ。今年イラクの政治舞台からすばらしい蒸発をした。チャラビは、イルージョンのマイスターであり、「ペトラ銀行スキャンダル」で以前ヨルダンで指名手配を受けていた。
作品賞は:
「イラク自由作戦ーテロへの戦い」(元々「パパブッシュの戦争」と呼ばれている)。ラムズフェルド、ウォルフィッツなどワシントン・ネオコンのプロデユースによる。
「自由イラク選挙」--アブダル・アジズ・アル・ハキムとかれの支持者(バドル軍団)の軍隊(文字通り)にプロデユースされた(そして指示された)。
最優秀映画賞は:
ジョージ W. ブッシュ、ディック・チェイニー、コンディ・ライスその他主演による「イラク自由作戦ーテロへの戦い」。イラクにセットされたわくわくするドラマ。「‘Gullibility(だまされやすさ)'の「G」と‘Republican(共和党員)」の「R」が評価された。'
アフマド・アル・チャラビ、アドナン・アル・パチャーチ、ガジ・アル・ヤワル主演の「見えない犯罪」
「自由イラク選挙」--外国占領下におけるこじつけの理論の自由投票に基づくブラックコメディ。アブダル・アジズ・アル・ハキーム、イブラヒム・アル-ジャファリ、およびムクタダ・アル・サドル主演。
「でっちあげ裁判」--サダム・フセイン、バラザン・ハッセン、さまざまな裁判官、検察官、および弁護士主演。
いくつかの佳作賞:
佳作第1番、ブッシュのスピーチ・ライター。ジョージ W. ブッシュが賢くないので、良い出来とは言えないが、まずまずの原稿をつくっている。世界一難しい仕事に違いない。また、最大2音節の単語を使用するスピーチを書くのも、挑戦的なこと。
スンニ過激派とワハビを支援するサウジアラビア人、シーア派過激派を支援するイラン人、混乱を支えるアメリカ軍にも佳作賞を贈る。したがって、グリーンゾーンの華やかな連中は大勝利を祝うためにキャンプに退き、イラク人は、素晴らしい新しい映画チャンスが来るのを待つのかしら。
壊し屋が進行しつつあるという話をたくさん聞く。今年最も予想された心理スリラー「イラク内戦」の制作準備段階として。
リバー@午前2時50分