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海のむこうでも「おりがみ」が一人歩きを始めた昨今であるが、さて、「生みの親」と自認している日本での折り紙の評
判は果たしてどうなのか。
世界の数ある国々の中でも、わが国はずいぶん豊かになり、生活にゆとりが出てきたようで、趣味や遊びを求める人
も増えてきた。世の中はカルチャーセンター大はやり。しかし、「おりがみ」の評判は今ひとつのようだ。
「・・・希望者が少なくて・・・」
「取りあげられてもそれほど人気のある部門ではないようです。子供っぽい、幼稚くさいと敬遠されます。」
と思いのほか冷ややかにあしらわれている。今さら人に習うものではない。幼いころに戻って、なつかしがって折ってみ
たところで行きつくところは、他愛もないお遊びに過ぎず、美的感性も、食欲も満足させない。そのくせ、近ごろの「創作 折り紙」とやらに手をそめてみると、たとえ子供むきの本を見ながらでも、折り図の解釈が案外むつかしく、なかなか折 りきれない。内心小馬鹿にしていただけに、よけいに腹立たしい、というのが折り紙についての平均的ご意見である。
ところが、「ガイコク」ではちょっと様子が異なっているのだ。伝統のないところから出発した、オリガミアンと呼ばれるガ
イジンさんは驚くほど熱心で、日常の彼等を見てきたわけではないが、おそらく目の色を変え、徹底的に研究を始めて いて、その驚くほどの洞察力と創造力で、そこここに新しいオリガミの芽が育ちつつあるように思える。
「孫に教えてやるので、やさしい折り方を教えてください。難しいのは性分に合わないんですよ。肩のこらない簡単なの
がいい。」
われわれの国の身近な理解者が、そんなのんきなことを言ってるひまに、ガイジンさんたちが、「オリガミ」という日本語
を受けいれ、毎日のように自由気ままな作品を生みだしながら、
「日本の文化、オリガミ!すばらしい!」
と絶賛し、熱中しているのだ。
かなり前から、われわれ日本人は、なにかにつけて守ることに気をとられていませんか。それが日本人の美徳だと、ま
じめに信じこんでいる人がいるが、とんでもない。ほんとうは、すばらしく創造的で、前向きな民族なのだ。少なくとも過 去はそうだった。そもそも「おりがみ」が生まれ育まれたこと自体がそれを証明しているではないか。ただ、島国だから というのか、ある程度大きくなるとそれを守ろうとする。自分で垣根を作って、そこを越えまい、越えさせまいとする、仲 間意識というか、「しばられ上手」と私は呼んでいるが・・・なにも「おりがみ」にかぎったことではない。小さな四角い紙の 域をかたくなに守りつづける人たちがいる。
えらそうなことを言って、さて、それなら、なにが「おりがみ」を、こえることになるのか、それはまだ私にも、ほんとうのと
ころ、よく分かってはいないが・・・
日本人で、片言を話す幼児をふくめて「おりづる」を見たことのない人は、ごく稀だと思う。
だから、「おりがみ」のことをまったく知らない外国人に先入観なしに「おりづる」を見せて、
「これ、なんに見えますか?」
と聞いたら、なんと答えるか興味深い。「とり」という答えは返ってきても、「つる」とは決して判ってくれないはずだ。
「おりづる」には、うしろにぴんと立った「尾」があり、鎌をもたげたような形の細い首、羽根を広げているところを見ると
飛んでいる姿にはちがいない。しかし、実際の「つる」にそんな尾はない。本物の飛ぶ「つる」には長い二本の足が身体 とほぼ水平に後ろに伸びて、風の抵抗を避けている。尾というほどのものはごく短いし、頭も、首を伸ばした格好のほう が実物に近いだろう。
さて、今の「おりづる」が形としてこうなったのは、かなり古いことのようだ。有名な「千羽鶴折形(せんばづるおりかた)」
という、現存する世界で一番古い「おりがみ」の本が発行されたのが、千七百九十七年、江戸時代も半ばのことだが、 その序文に、「むかしよりある つねの鶴のおりよう いずれもこのとおりに折り・・・」として、「おりづる」の展開図面を載 せ、折りあがり図もすべて現在の「おりづる」と変わりがない。つまり、そのころすでに「おりづる」の現在形ができあがっ ていて、しかも、ひろく知れわたっていたことになる。おそらく平安時代にまでその源がさかのぼれるのではないだろう か。野性の「鶴」の形から抜けでて、デフォルメされた形が、作者をこえ時代をこえて一般民衆に溶けこみ、しかも今の 時代になお生きつづけているという例は、そうざらにあるものではない。「おりづる」はまさに、「おりがみ」の広がり、根 深さを示すのに、もっとも適当な、生きた証拠物件といえるだろう。
ところで「おりづる」が長く命を保っているのには、訳があり、偶然ではない、と私は考えている。「おりがみ」の特徴とい
うか、お手本がみごとに備わっているのが「おりづる」だ。一つは、真四角から折りはじめ、紙の大きさをすみずみまで 活かし、むだに折りこまず、すっきりと大きく仕上がっていること。二つ目には、平面である紙から立体に形づくられてい る。この「広がり」と「立体感」が、すっきりと捉えられた形のよさとあいまって、永遠の傑作として人々に受けいれられた のだと思う。
このように「おりづる」は、日本人の心に知らず知らずのうちに縫いつけられた紋章だった。いまさらその形の不自然さ
を、とやかくあげつらうことではない。それが「おりづる」なのだから。このふしぎな生き物「おりづる」は、昔から数えて何 億羽折られてきたことだろう。同じ形の創作モデルが、こんなに大量に永く、手作りされた例は世界にもなく、しかも将 来ともに折りつがれていくことはまちがいない。
昭和初期、私の子供のころ、祖母の鏡台のひきだしにはいつも「こより」の束がはいっていた。髪をくくるためばかりで
なく、ちょうど今の時代の輪ゴムのような役割りで、ちょっとしたものを束ねるのに用いたので、男女を問わずその頃の 人たちは、ひまがあると、古い和紙の通い帳などをほぐして細く切り、器用に指の先でしごいて「こより」を作っては溜め ておいたのだ。
今時の、きれいな市販の金封など使わず、どこの家庭でも半紙や美濃紙を常備しており、作法にしたがって折りたたん
でお札を包み、水引きも長いままのを、手で器用に結んでいた。たとえば、おはぎに「はったいの粉」、赤飯の「ごま塩」 とかのトッピングを付けるのに、用途ごとにいろいろな粉つつみが一般に使われていた。
紙は現代とはちょっと違った、もっと生活の場に、人の手先と密接な関わり方をしていたのである。
働くことが趣味のような祖母が、時に手を休めて、ちり紙で上手に丸曲げを結った姉さん人形を作ってくれ、折り紙も、
今よりごく自然体で、まるで呼吸でもするように、祖母の指先から「にそうぶね」「ちょうちん」「ふうせん」「さんぼう」「つの こばこ」「あやめ」「みこし」が折りだされるのを、私のほうも、なにげなく眺めていたものだ。今時のお母さん方が折り紙 の本を片手に、折り図と格闘しているのとは趣きが違っていた。
といっても、私が折り紙に興味をいだくようになったのは、その時ではありません。
やがて私も成人して結婚し、子が生まれ、長男が四、五歳 長女が二つ三つで、親が遊んでやらねばならない年頃とな
った。その頃(昭和四十年代)すでに折り紙の本がちらほら出はじめていて、以前に新聞に載った吉沢章という人の動 物の折り紙の写真を見て、いたく感心したことがある。一、二冊、折り紙の本を買ってきて、折り図とにらめっこしながら 子供たちに折ってやったのが私の「折り紙」との付き合いの始まりである。笠原邦彦の「おりがみすいぞくかん」「おりが みせかいのとり」「おりがみどうぶつえん」、そのほかの「おりがみ」の入門書を、つぎつぎに買ってきた。
本の折り図に従って子供たちに折ってやっているうち、だんだん熱中してきて、ふと、いたずら心から、
「なにか題を出してみい。お父さんがそれを折ってやろ。」
と言いだしたところ、長男が、
「ほんなら、お父さん、腕時計折れる?」
予想もしない注文だった。しかしここは親の権威にかけて、引きさがるわけにいかなくなり、自信もなく取りかかるうち、
意外や意外!たいした時間もかけずに、長針と短針が六時を指し、バンド付き、金具も備わった腕時計が折れあがっ たのである。その瞬間子供たちは尊敬のまなざしで私を見たし、妻でさえ、
「よう出来てる!」
とほめてくれた。私自身も天に感謝する気持だった。
幼いころ私は、右京区太秦の、山陰線の近くに住んでいたので、よく祖母にせがんで、踏切に汽車を見にいったもの
だ。遠くの方から白い煙を吐いて、ごうごうと近よってくる機関車は、もう私の小さな胸をどきどきさせた・・・
昭和五十二年、日本折紙協会が二年ごとに主催する「世界折り紙展」の第二回展に、「D51蒸気機関車」を出展したと
ころ、思わぬ反響を得てしまったのである。横浜の小学三年生の男の子から生まれて初めてのファンレターをもらっ た。また協会本部から「機関車」の折り方教えてほしいとの依頼がきて、東京くんだりまで出かけても行った。講習は二 時間の予定が倍の四時間も掛かったにもかかわらず、満席の誰も立とうとはせず、最後まで熱心に耳をかたむけてく ださった。
SLを折り紙で折るということはどういうことかといいうと、まず、今までの折り紙は、どれもいくつかの基本形に集約で
き、新作といわれる作品も、おのずとその基本形から出発し、その延長線の上で創られてきたのである。SLはボイラ ーも煙突も車輪もみんな丸いし全体が細長い。丸い部分で組みたてられた機械を、元来平面で正方形な折り紙用紙か らどう折りだすかが問題だった。そこで、私の機関車は今までの基本形をまったく無視するところから始めねばならな かった。とはいうものの、切らず、のりづけせずに、すべてに丸みのある立体を折りだすことのむずかしさ・・・ここのとこ ろを苦労して、結果として丸いものを四角く折ることで「よし」とした。できあがってみて、私自身驚いたことに、四角い胴 体、四角い煙突が苦にならないのである。八角形の車輪が丸く見えた。
この段階ではまだ、正方形の折り紙五枚を使い、頭と、胴と、車輪、運転台、炭水車、を折りわけ、ユニット(組み合わ
せ)している。その後、数年のちには、頭、胴、運転台を一枚で折り、つまり三枚の紙でのユニットに改良した。さらに数 年後に、頭から炭水車までを通して一枚で折あげたが、そのかわり、もはや正方形を、はみださないわけにはいかな かった。というより、細長いものを真四角な紙で仕上げようとすれば、どこかで、むだな折りこみができてしまう。むだを 省くには正方形のこだわりを捨てなければ前へ進まない。「不切正方形」つまり、切りこまない正方形の紙から折るの 原則を、「不切方形」と正の字を除いたのある。これを、「規律違反」と考える方も、もちろんおられるだろう。「不切正方 形」でないと折り紙ではないとこだわられる方も数多くいらっしゃる。「不切方形」が折り紙でないなら、それもいいと私は 思っている。「おりがみ」でなければ「かみおり」でもいい。そこに造形の可能性があれば、一人ぐらいそれを求めてもよ いではないか、許される、と私は考える。
二千年の歴史を秘める「紙」は、当りまえのことだが「おりがみ」のために発明されたものではない。書見(かきみる)が
「かみ」の語源だと言う人があるぐらいだから、紙は字を書くためのもので、軽くて薄いこと、保存がよく利くことが大事な 特質だ。それまで木や竹に書いていたので、それからすると実に手軽で、場所を取らず、また絹布のように高価でもな く、なにより大量生産が可能となった。人類文明の大発明だったわけだ。書くための改良なり工夫が次々に加えられて いった。白さを出す方法、にじみ止め、より滑らかに、もっと光沢を・・・と。その上、折ったり畳んだり、伸ばしたり、広げ たり、切ったり、貼ったりすることが出来、そんな特徴が、より簡単な、コンパクトな美しい装丁、製本を可能にしたのあ る。
英語のペーパーの語源が、パピルスから来ていることは、よく知られているが、日本語の「かみ」についてはまだこれと
いう定説がないらしい。
あらゆる文明の源である中国で発明された「紙」は、母国では、その経済性を即座に発揮することができたが、当時の
後進国日本に、初めて紙がもたらされた時には、製造法はおろか、使用法も定かでないまま、ただただ、ありがたい珍 しい「献上品」として、我々の祖先はうやうやしく神殿に捧げたのである。かつて文字を書いた木簡が意味も分からず祭 壇に祭られたように、純白で柔らかい紙が、捧げものとして供えられ、やがてご神体として祭られたと考えてもおかしく ない。「紙」は「神」だから「かみ」と呼ばれるようになった・・・これが「紙は神」説である。
では漢字の「紙」にはどんな意味があったのだろか。「糸へん」については、これはもう植物繊維を意味することは明ら
かだ。左側の「氏」について、ある本によれば、薄く平らな、へらのようなものを意味すると書いてある。突きくだいた麻 の繊維を水といっしょにかきまぜて、網で漉きあげて作る、薄くて軽くて平らな物、それが「紙」というわけだろうか。
ことのついでに、ペーパーの語源の「パピルス」紙、これがまたもう一つの文明の発祥の地、エジプトはナイル河のほと
りに群生していた、パピルス草の繊維を固めたものだが、いわゆる「紙」とは似て非なるものである。それでも「紙」の出 現まではパピルスこそが文明の象徴だった。パピルスは非常に強く、石版に較べて軽く薄く、これがなければ聖書もな かったし、西洋文明もなかったかもしれない。ただパピルスは「折り」に弱いようで、もし紙の発明がなく、パピルスが生 きながらえていたら、「折り紙」は存在しなかったことになる。
そのむかし、紙が文字を書きとめるための用具となるより前に、いっとき、物をつつむ役目を果たしていたことがあると
いわれている。銅鏡などに付着して、つまり、包みこむ状態で「紙によく似たもの」が出土しているのだ。でも、この「つつ みこむ」と「つつむ」は区別したほうがいいように思う。蓮の葉っぱでも物をつつむことはできるのだから、この状態は「く るむ」と言いかえたほうがピッタリではなかろうか。中の物を保護するのが目的の「くるむ」は目的さえ達すれば、紙であ る必要はないわけである。
紙はもともと文字を書きとめる手段として発明されたので、それが包み紙として使われるには、かなりの時間を費やし、
紙の質がよくなるとともに、普及によりコストも下がるのを待たなければならなかった。特にわが国で「紙つつみ」が一般 化するまでには、「紙」の製法の確立、普及に長い年月を必要とし、その上でまず上流社会で儀式としての使用が始ま ったものと思う。単に「つつむ」という用い方にとどまらず、いろいろな約束事をともなった形式にまで発達していったの は、これは日本人の気質、あるいは「紙は貴重品」との考えが深くかかわっていたようで、こんなことは世界にもあまり 例がようだ。
「つつみの作法」を著わした最古の書物が、有名な伊勢貞丈(いせ さだたけー一七一七〜一七八四)の「包みの記」で
ある。むろん、それよりずっと前に、おそらく平安時代にはすでにその一部なりが自然発生していたに違いなく、その 後、作法として長い伝統を保ちつづける一方で、少なくとも昭和の初期までは一般の家庭でも、ごく普通に日常事とし て、さまざまな「のしつつみ」「粉つつみ」「箸つつみ」などを折って実際の生活の場で使っていたのである。何代にもわた って親から子へ、またしゅうとめから嫁へと受けつがれてきた、この「おてつぎ」の伝統が、ばったり途絶えたのは第二 次世界大戦後、アメリカ軍の進駐により流入した消費文化のお陰と思われる。物量時代が手仕事を追っぱらってしまっ たのと、社会構造がすっかり変わったことが、その原因だが、それでも形式だけはまだ残っていて、「金封」「目録」など はデパートの専用コーナーで売っている。
ところで、ちょっとまたここで屁理屈を述べると、「つつむ」と「たたむ」ではまた、意味が大きく違うのだ。「つつむ」は「く
るむ」よりはもう少し意識的だが、それでも包んでいる中身があることには変わりがない。「たたむ」となると、紙なり布な り、そのものだけで、中身はもはや、ない。通常、物をたたむ必要性というかその目的は、「容量を小さくコンパクトにす ること」で、例えば、着物をたたむ、布団をたたむ、折りたたみ椅子、手紙をたたんで封筒に入れる、などである。
「おりがみ」のことをむかし、「たたみ紙」と言いならわした時期もあった。
推古天皇の時代(西暦六百年頃)に、中国で紙を造る術が確立して四五百年もたってから、高麗の僧、曇徴(どんちょ
う)が初めて日本に紙の造り方を伝えた、というふうに学校でも習ったが、日本の国がどんどん形成されてきて、法律を 定めたり、戸籍簿を整理したり、仏教の経典を書き写すなど、大量の紙の需要を満たすためには、先進国から学ぶだ けでなく、自分の国に適した自らの技術の開発が急がれた。
そんな状況の中で、実にユニークな、「流し漉き」がわが国で発明されるが、この流し漉きを可能にしたのが、「とろろあ
おい」とか「のりうつぎ」などの植物の粘液「ネリ」の発見で、これらによって柔らかく、薄く、強く、きめ細かい、つやのあ る「和紙」が誕生するのである。
一方、ヨーロッパでは別の大発明が、紙そのものの発明からずっと遅れて、実に十八世紀にはいった頃、一人のフラン
ス人の、ふとした観察がもとで実現した。ダニューブの森を散歩していたレオミュール氏が、木の枝に蜂の巣を見つけ、 蜂が木の皮を噛みくだいて、それを粘液で固めて巣を作っているのに目を着け、これが木材パルプの造り方を発明す る足がかりとなった。
木材パルプを原料とした「洋紙」はやがて、印刷技術の改革、書籍新聞雑誌などの情報産業の発達に比例して、大量
生産を武器に、たちまち世界に広まり、わが国でも明治からあと急速に和紙が洋紙に取ってかわられた。
和紙が駆逐されたもう一つの理由に、「にじみ止め(サイジング)」の改良が上げられる。和紙にも「どうさ引き」という、
にじみを止める手法がなくはなかったが、もともと書く側の墨に「にかわ」を使い、ある程度字のにじみを押さえており、 その上日本人の美的感覚が、自然に打ち勝つより、共生しようとするところから、多少のにじみ、かすれを自然のまま に残しておこうとする感性が優位に働いた。これが西洋文明の徹底した合理主義の前に、和紙が一歩退いてしまうの である。
しかしこの、欠点と見える自然体の心こそ実は、独特の個性ある文化を生んだ日本人の心で、紙の利用についても、
書く、印刷するための用具としてだけでなく、包む、畳む、折ると、紙の自然のままの可能性を追いもとめてきたのであ る。
最初にもふれた、桑名の魯縞庵義道(ろこうあん ぎどう)という人が著わしたといわれる「千羽鶴折形」は、一枚の方
形紙に切りこみを入れ(切りおとすのではない)複数の「おりづる」をくちばし、はね、しっぽのいずれかの先でつながっ たまま、あるいは胴体どうし、羽根どうしでくっつき、背中に子鶴を乗せ、親の羽根の下にかくまうさまに折りだす方法を 四十九種も考えて、その作品の折り図を紹介したものである。これも、和紙なればこそ実現した作品で、ねばりを取り のぞいてしまった洋紙では、とても折りきれない紙の魔術といえる。
広辞苑で、「おる」を引くと、・・・線状または平面であるはずのものに力を加えて屈曲させる意。まげかがめる。まげた
わめる。・・・とある。続いて「おりがみ」は、・・・折紙(室町時代はおりかみ)折った紙。特に奉書・鳥の子・檀紙などを横 に二つに折ったもので、公式の文書、消息、進物の目録、鑑定書などに用いる。また、いろがみで鶴・風船などを折る 子供のあそび。・・・とある。
もちろん一番あとの「遊戯折り紙」が、今問題としている「折り紙」なわけだが、それがいつごろどこでだれが創り始め、
どういう経路で広まったのかは、ほとんど分かっていない。文献なり物的証拠がきわめてまれなのだ。それもそのは ず、記録や製本に手間のかかった当時、ひまつぶしや戯れ程度で、貴重な紙を使って本のページを汚すわけにはいか なかったようだ。
「たたむ」が、物をコンパクトにすることを意味すると先に述べたが、ここで「折り紙」の「おる」を私なりに定義すると、
「畳みつつ広げ、広げつつ引きだし、または、ふくらますなどして、物の形を作りだす」こと、だろうか。それらの作業全 般を「おりだす」「おる」の言葉で表しておこう。
たぶん永い歴史から推理すれば、紙の発祥の地中国で、世界初の「折り紙」が生まれただろうことだけはまちがいない
と思う。その後、紙が伝っていくにしたがって、世界の国々にそれぞれの「折り紙」が現われては消え、ほんの一握りの 「折り紙らしきもの」が各所に残っているようだ。しかし、「折り紙」がその国の文化のひとつにまで昇華し、また広がった という例は、世界にただ一つ日本のみと言える。
「おりがみ用の紙」が「おりがみ」という商品名で、全国津々浦々で売られているのは、日本ならではの光景だが、考え
てみればこれもふしぎな現象なのだ。世の中の紙の形は、全部が全部といっていいほど、すべて長方形である。まわり をぐるっと見わたして、新聞、雑誌、ノート、はがき、半紙、ちりがみしかり。「正方形」は視覚的にもどこか不自然でなじ まない。
では、それにもかかわらず、折り紙用紙はなぜ真四角なのか?理由は簡単。長方形だと縦と横と二通りにしか折り重
ねられないのに、正方形だと縦、横、斜めと三通りに折りかさねられる。このたった一通りの違いが「おりがみ」の創造 性に決定的に寄与をしたのだ。二つ方向の折りではすぐに行きづまってしまうのに、三つ方向だと、折り進むにしたが って千変万化するのである。これはふしぎ、見事というほかない。
「折り紙」がなければ正方形の紙はこの世に存在しないといっては言いすぎだろうか。現に外国では真四角の紙は市販
されていない。むかし、医者に行くと薬を正方形のハトロン紙に包んでくれたものだが、それも今はほとんど見られなく なった。
空中から火の点いたたばこが出てきたり、一つしかないはずの玉が二つになり三つになったりする手品を見るのが私
は好きだ。子供のころから大人の今に至っても、種があると分かっていてさえ、たまらない魅力なのだ。そのくせ疑ぐり ぶかくて、大がかりな、いわゆる大魔術は頭からその仕掛けを感じて、かえって驚かない。掌で演ずるような手品がや はり私には性に合っている。
サラリーマンになると、忘年会で芸のない私は、簡単な手品でお茶を濁そうと、デパートのおもちゃ売り場でネタを買っ
てくる。家に帰っていつも唖然とさせられるのは、まあ手品のタネほど人を小馬鹿にしているものはない。それを、いい 値で売っている。裸のアイデアに値段がついたような代物だった。味もそっけもないのである。それでも、そのアイデア を見やぶれなかった自分が愚かなのだから、怒るわけにはいかない。手品も演ずる人がいるから手品なので、デパー トのショーケースに並べておいてあるだけでは、いくら奇麗な玉でもなんの価値もない。買って帰っても、種を眺めてい るだけでは、がらくたと変らない。
折り紙も、元は一枚の四角い紙切れである。ほかの制作物、手芸、民芸品、芸術その他も、もちろん原材料があって、
手が加えられて最後に作品となるわけだが、折り紙以外はすべて出来上がりが大事で、途中どんな回り路をしようが、 出来上がりが良ければすべて良し。
しかし折り紙の完成品は他の工芸品と比べて幼稚に見える。折り紙も一種のマジックだが、私がいくら力を入れて説明
しても、
「へえ?これが元は一枚の四角い紙ですか!」
「切りこみも糊づけもしてないの?」
と、まだ半信半疑である。自作を例に上げて恐縮だが、折り紙展や教室でよくお見せしていたのが、「二つの輪」という
作品。出来あがりは、鎖状につながった二つの輪で、芸術性がどうのこうのというものではない。だれが見ても輪を二 つ、よく七夕に幼稚園の園児がこしらえる、紙テープを糊づけした鎖の輪としか見えない。これが、切りこみや糊づけな しに、真四角な一枚の紙から出来ているという証拠に、二つの輪をほどいて元の四角にしてみせて初めて「あっ!」と 驚いてもらえる。そこまでかみくだいて初めて、感心してもらえるのだ。
「おりがみ」はマジックに似ているが、マジックの即興的な魅力にはかなわない。「おりがみ」のおもしろさは、ではどこに
あるのか・・・もとの平面から折っていって、「できあがり」にいたる道のりは、むしろ「詰め将棋」に似ているかもしれな い。
紙を二つ折りにすれば、そこに一筋の線ができるが、それが平面から盛り上がっているのが「山線」、へこんでいれば
「谷線」と呼ぶ。「山」と「谷」は表と裏で一体だから、表側が山線なら裏をひっくり返せばそこは谷線になっている。こん なことは当りまえのことだが、初めての人は案外分かりにくく、「紙をまず山折りしてください。」と言っても、かなりの人 がまごついてしまう。どうしてかというと、折る時の動作は、まずテーブルの上に紙を広げて、手前の端を持ちあげ、もう 一方の端に重ねてから、輪になったところを指でしごいて筋をつける。だから、それを元どおりに広げれば、そこには 「谷線」が現われる。「山線」が入用の場合は紙をひっくり返さなければならないが、そこでまだ、山も谷も分からぬまま だと、とまどってしまうのだ。初めの一歩を間違えると次々間違えを繰りかえすことになるので、そんな場合は、いった ん紙を裏返しにしてから、「谷折り」すれば、元に戻すと「山折り」となる道理である。簡単な折り紙でも折り図を見ながら 折るのは厄介だと、よくおっしゃるが、「山線」「谷線」で出鼻をくじかれ、そうなればもう自信を失って、「中割り折り」とか 「かぶせ折り」とか「ひらく」とか「つぶす」とか、思わせぶりな記号が次々飛びだしてくると、もう、ついていけない心境に なる。でもこのあたりは折り図を読む側の努力で、少しがんばってその気になっていただければ、やがて解決する。
折り図は確かになじんでしまえば優しく親切で、あらゆるところで作品の記録、再現、あるいは折り紙の普及に役立っ
てきたと思う。それでも、折り図は「平面図」とは言わないまでも、あくまで「平面に描かれた図」だから、折り紙作品が平 面的なものばかりとはかぎらない。近年作品がますます立体的となり、複雑になるにしたがって、私にはやはり、折り図 にも限界があるように思えてきた。もはやどんな記号を使いこなしても、今のような折り図ではとうてい記録できない作 品が数多く出てきたのである。折り図は折り紙の楽譜だとの見方もあるが、それは今では思いすごしといわざるをえな い。音楽は時間の流れと音の高低で出来ており、その意味では記号化しやすい。例えば、彫刻を記号化して「ぬりえ」 のように、枠ごとに色や形を指定するなどして作品を再現しようとしても無理なように、折り紙も近ごろ折り図での再現 がだんだん難しくなってきている。折り図にも描けない作品は、折り紙の本質にもとる、そんな作品は認められない、と こんなご意見は本末転倒で、人にまねできない絵は絵ではないというに等しい、と私は思う。
では、折り図に代わる記号なり、記録の方法があるかといわれると、例えばビデオはパソコンは・・・そのへんのことは
まだ私にも予測しかねる。
もう何年も前に亡くなった方だが、竹川青良という、生前に六十年以上も折り紙をやってこられた、有名な折り紙作家
がおられた。常々からの先生のお考えは、だれにでも、幼稚園の子供でも簡単に折れるのが、ほんとうの折り紙で、手 かずの多いのや、ひねくり過ぎたのは折り紙と呼びたくない、というのある。したがってその作品はどれもこれも簡単明 瞭、子供っぽくてかわいくて楽しい。亡くなる数年前、SLが折り紙展で入選し、その折り方の講習会に私が東京の折紙 協会本部まで出むいた帰り道、偶然、竹川先生と新幹線をごいっしょした。協会の講習会と理事会がたまたま同じ日 で、先生は理事をなさっていたのだ。
「川村さん、・・・」と、それほどなじみのない私に、親しくこんな話をしてくださった。
「私は子供のころから折り紙を始めて、戦時中も兵隊にとられてからも折り紙をやっていました。思いついたら折らずに
いられなかったので、行軍しながら折ったものですよ。背嚢を背負って歩きながら折るのですから、むつかしいのが折 れるはずがない。戦友たちも皆死ぬか生きるかのせとぎわを、汗まみれ泥まみれで、軍靴を引きずって歩いているん です。だれかがにこっと笑ってくれたら、それがなによりの励みになりました。・・・易しいからいいとは言いませんが、易 しくないといけません。私は自分のやり方が正しいと信じています。折り紙に人生を賭けてきましたからね。だから私 は、折り紙は易しいことがいいことだと言いつづけて死ぬつもりです。」
昭和五十八年に先生はご自分の意思を貫かれて、亡くなった。
竹川先生のこの感動的なお話にもかかわらず、折り紙は、もはや「だれにでも折れる」だけでは済まなくなっていると、
私は思うのだ。
折り紙は、遊戯折り紙の流れをくんでおり、動物とか花とか家具とか具体的な物の形をまねることをおおかたの人が目
的としている。抽象的な作品がまったくないわけではないが、もっとあっていいと思うし、もう少し幅の広いところをめざし て、変幻自在に、今までの折り紙を越えたものがあっていいと思うのだ。遊びの領域のほかに、仕上がりに、息の長い 工芸的価値のある作品が出てきてもいいのではないだろうか。そのためにも正方形にだけこだわっていては、きっと行 きづまってしまう。ゲームはゲームで楽しいけれど、ゲームの「あがり」はただのゲームの終わりである。「できあがりの 形」にもっと価値を求めるところに折り紙の行く末があるように、私は思うのだが、いかがでしょうか。 ![]()
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