Last updated:February 12, 2009

県民性&地域性−京都府

近世国名・藩名:丹波(たんば),丹後(たんご)



 









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 京都府の人口は,263万6706人(08年3月1日現在),面積は,4,612.71平方キロメートルで,国土の1.22%,47都道府県中31番目の大きさである。
 京都は,淀川とその支流の流れる平野に発達した1000余年の歴史を有する平安の古都であり,府内には東・西本願寺,清水寺などの寺院600余り,神社約260に及び,国宝の約20%,国重文の約15%がある。こうしたことから,「日本人の心の原点。ふるさと」などとも称される。
 
京都と同様に「荒廃せず」,1000年以上の歴史を持つ都市は,イスタンブールやロンドン,パリがあげられる。  

●京都市

 京都は平安京以来・王城の都市としてわが国の政治,経済,文化のハブであった。歴史的に京都文化イコール日本文化として認識され,日本文化を成立させた都市が京都であった。信長・秀吉・家康が,京都支配に執着したのは,京都が政治・経済・文化のあらゆる面で日本最大の都市だからであった。

  中世前期の京都は,「農村から集められた原料・製品は,京都の貴族・武家・僧侶の華奢的需要に応ずるために,京都や周辺で加工されたから,錦綾のような絹織物や美術工芸品が多く制作され,経済中心としての機能を営んでいた。
 鎌倉時代後期になって商品流通が発達し,大社寺や公家衆・武士など荘園領主が生活する京都では年貢米,諸国のモノの集積・消費都市として賑わっていた。

 「秀吉の時代から江戸時代前期の京都は,米の最大消費地であり,換金市場であった。江戸時代中期に大坂が巨大都市として発展し,日本最大の米穀換金市場に成長するまでは,大津を玄関口とする米穀市場としての位置に京都はあった。」
 大津と京都を結ぶ街道は北陸・東海道地方との物質的文化の大動脈となった。江戸時代の交通路は陸路が中心で,主に五街道にあった。江戸に幕府が開かれると,江戸をハブとして放射状に東海道・中山道・奥州道中・日光道中・甲州道中の五街道が整備された。さらにバイパスとして脇街道も整備され,これらは勘定奉行が支配していた。東海道は,江戸から京都に至る大路であり,その間の宿駅は,品川に始まり大津に至る発駅があった。大津の次に,さらに伏見・淀・枚方・守口があった。

 「江戸幕府開府によって政治の中心の地位を,また大阪の発展によって経済の中心の地位をともに失った江戸時代中期以降,京都の人々は,長い伝統を持つ京都のさまざまな物産にさらに磨きをかけて,名実ともに全国のトップブランドとすべく心血を注ぎ続けてまた。」
 
 京都の街並みは,桜と相性がいい。京都の桜をめでる行事として、歴史上で有名なのが「醍醐の花見」である。豊臣秀吉は,晩年,1598年(慶長3年)春に醍醐寺で,豊臣秀頼,北政所,淀殿,諸大名およびその配下の者など1300人ほどを従え盛大に花見を催した。醍醐寺はこれにちみ毎年四月の第二日曜日に「豊太閤花見行列」を催している。

 京都市は,古都の景観を守るため,建物の高さや屋外広告物を規制するの「新景観条例」を07年に施行した。派手な看板広告がなくなり、景観に配慮した店舗も建てられるなど「100年先を見据えた政策」の効果は着実に現れている。その一方,「官製不況」を恐れる建設,不動産業界からは「条例自体を否定するわけではないが、道路から見えない部分の不必要な規制などを改善してほしい」と,改善を求める声も出ている。

 世界文化遺産に登録されている仁和寺(京都市右京区)から約50メートル西の「セブンイレブン京都福王子店」。08年6月開店のこの店,緑,オレンジ,赤の屋外看板ではなく,白黒のモノトーン仕様で屋根も瓦ぶきである。

●県民性−−京都十代,東京三代,大阪一代

 京都には,時の為政者に安易に与(くみ)せず,独自の立場・思想を貫いていこうという「自主独立」の気風が綿々と続く。その風土が,京セラ,ワコール,オムロン,島津製作所と,独創的な技術を持つ企業を輩出する下地ともなっている。 

 「京都の着倒れ,大阪の食い倒れ,江戸の買い倒れ」ともいわれる。京都は着物にカネを使って,大阪は食べるモノにカネを使って,江戸は女郎買いで,身上をつぶすという意味である。こうした,京都の特性は歴史・伝統にある。地縁的なしきたりをきっちりと守り,個人生活には一線を画し,一定レベル以上立ち入らぬという,成熟した市民性をもつ。倹約質素だが単なるケチではなく,理性の裏付けがある。保守性と進取性のバランスがとれている。
 また,「京都十代,東京三代,大阪一代」というたとえもある。土地の人間になりきるのは京都は十代かかるが,東京は三代,大阪は一代でよいというのだ。

 日本三大美人の地とは「秋田」。「加賀」そして「京都」ということだ。秋田は小野小町の出ということもあり,美人の産地として有名である。秋田は江戸時代,西回り航路を利用すると京都が近かったので,文化や人間の交流,寺社参詣も江戸より京,大阪の上方と深くかかわった。これが「江戸よりも上方に近かったから服装,言葉遣いがきめ細やという風土を育んだのだという。

桜の名所

 花見の起源は,平安貴族の娯楽として野性の桜を都に移し,鑑賞するようになったことにあるという。9世紀前半に嵯峨天皇が御所内の南殿に桜を植えて宴をしたのが,「花見」の風習の先駆けとなった。
 鎌倉,室町時代には上流階級から豪族や地方の武士に広がり,桃山時代には豊臣秀吉が吉野(奈良)と醍醐(京都)で盛大な花見を開催した。

清水寺 高台の寺から京の町並みと桜を一望
 清水の舞台から眼下に見下ろす一面のソメイヨシノは,圧巻。

・南禅寺〜哲学の道コース
 日本一の高さの三門で有名な南禅寺は,桜の美しさでも名高い。歴史ある建造物と淡い桜の対比が,移ろいの時の流れを感じさせる。歩を進め哲学の道に出れば,ソメイヨシノが桜のトンネルを作り,疏水(そすい)の川面に花びらが舞い降りて風情たっぷり。

・平安神宮(京都府京都市)
 京都平安神宮の4月を彩るのは「紅しだれ」として有名な八重紅枝垂桜。この桜は、平安神宮が創建された当時に仙台市長により寄贈されたもので、もとは京都の近衛家に伝来した「糸桜」を津軽藩主が持ち帰り育て,その桜が再び京都に帰ったことから「里帰り桜」「遠藤桜」とも言われている。開花から咲き始め,満開、散り際と,それぞれに趣がある。

●京都府綾部市

 京都府綾部市は,大本教をモデルにした高橋和巳の長編小説「邪宗門」で知られる,下着メーカー「グンゼ」の発祥の地でもある。

 京都市と日本海側を結ぶ要衝の地だが,人口減少と山間部で進む高齢化は、ご多分に漏れない。そんな中山間地共通のハンディを逆手に取り,活性化に生かしたのは四方八洲男市長だ。全国に先駆けた「水源の里」条例を制定,過疎地域の新たな再生の道を探る。

 県が募集していた限界集落など意欲的な集落の名称が「いきいき集落」に決まった。中山間地の「限界集落の呼び方はやめて」の訴えから生まれた新呼称。今後は元気な集落づくりに取り組む地域をネットワーク化し,支援する。



●京都の方言

 京都といえば,日本の歴史や文化の中心的存在。 数々の偉大な文人や武人を育んできた土地の方言。

『どんつき』⇒突き当たり。
「四条通の東の『どんつき』が祇園さん(八坂神社)で ,西の『どんつき』が松尾さん(松尾大社)です。」などと使う。

『にぬき』⇒ゆで卵。
『みずくさい』⇒味が薄い。
『なおす』⇒片付ける。
「これなおしといてと」は, 「修理して」ではなく,「片付けて」の意味。
『はんなり』⇒明るくて華やかな様子。

『ほっこり』⇒ホッとする。
『ほな』⇒では。
『こぉーてぇー』⇒買って。
『いけず』⇒意地悪。

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●ランキング−ベスト&ワースト

 日本で最初に電車が開業したのは京都。1895(明治28)年,私鉄の京都電気鉄道で,東洞院塩小路から伏見油掛までの約7キロを4輪1両の路面電車が走った。時速約10キロ。電力は,琵琶湖疏水(そすい)の流域にできた日本初の水力発電所から送電していたが,毎月2回,水中の藻を刈るために発電を止めたため,電車も運休したという。この路線は,大正7年,京都市に買収され,市電となった。
 
 ひな人形は京都で生まれ,全国各地に伝わった。段飾りと見比べると,関東と京都のひな飾りの違いがわかる。まず男女のひなの位置。京都では伝統的な宮中の席次に従い,向かって右が男,左が女だ。関東では向かって右が女、左が男の形式をとる。


 京都府宮津市の「天橋立」は,宮城県の松島・広島県の宮島と共に日本三景の一つとされている。幅20〜170m,全長約3.6kmの砂浜には約7000本の松が生い茂っている。自然が何千年もの歳月をかけて造り出した神秘的な造形だ。名前の由来はその形が,天に舞う白い架け橋のように見えることから名付けられたという。天橋立といえば,何といっても「股のぞき」。股間から逆さに見ると天に架かる橋のように見える。

 余部鉄橋は,1909(明治42)年に着工,1912(明治45)年に完成した鋼トレッスル橋梁。高さは約41m,長さは約310m。建設当時は,東洋一の規模と言われ,現在でも国内有数の橋梁である。
     天橋立観光協会−宮津・天橋立観光案内ウェブサイ




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  京都市街の住所で戸惑うのが、「上ル」や「西入
 ル」といった表記です。それぞれの意味は、
[上 ル]=あがる。北へ行くこと
[下 ル]=さがる。南へ行くこと
[西入ル]=にしいる。西へ行くこと
[東人ル]=ひがいる。東へ行くこと
 東西南北に巡らされた道は直角に交わるので、ここを軸に道路の組み合わせで住所を表します。 例えば、南北の河原町通と東西の四条通の交差点から北側は「河原町通四条上ル」となります。南側は「河原町通四条下ル」です。
 では西側の地域はというと、「河原町通四条西入ル」ではなく「四条通河原町西入ル」となります。場所が面した道を使先表記するわけです。あとに続く道の「通」表記は省略します。また交差点を指す場合は、いずれも「通」表記を略します。四条通
と河原町道の交差点は「四条河原町」となります。
 京都は三方を山に囲まれており、最近では高い建物も増えていますが、町中から山の見えない方角が南です。一般的な地図は上が北側なので、イメージを重ねると分かりやすいかもしれません。