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◆近世国名・藩名:肥前(びぜん)
「佐賀」の由来は,「日本武尊が巡幸の際に,楠樹の栄え繁る有様を見て,この国を『栄の国』と呼ぶがよかろう」と言われたとの事に由来する。
佐賀県は,九州各県の中で唯一人口が100万人台に乗らず,2009年4月852千人に止まる。九州の北西部に位置し,北は玄界灘,南は有明海に面する。東京までの直線距離は約900km,大阪までは約500kmであるのに対し,朝鮮半島までは約200km足らずである。
藩制時には,佐賀,蓮池,小城,鹿島,唐津,厳原(いづはら)の6藩に分かれて統治されていたが,明治4年7月の廃藩置県によって統合され県と改称された。
佐賀藩は幕末から明治維新に至る時代,欧米の先進技術を最も蓄積し,幕府,薩摩を圧倒。激動期の主役であった。特に,新政府軍として従軍した際は西洋式の撥水性と機能性の高い全身装備を纏い,自藩で精錬した鉄製の砲身を持つアームストロング砲を用いて精強と名高かった彰義隊をほぼ壊滅させたことは,近代戦への移行を告げる事件といえる。当時の日本の精錬技術では,融点の低い青銅製を用いた砲身が限界であり,標準だった。
しかし鉄製の武器を標準装備する敵対諸外国との戦争が避けられない状況に陥るであろうことを見据えれば,連射に伴う内圧にも耐えうる鉄製の砲身を自前で作れることが最良といえたが,当時日本の溶鉱炉内においては,鉄を融解させることは出来ても熱の巡りに均一性が保てず,結果として射撃を繰り返すうちに大きな亀裂が走ってしまい,長らく格下の青銅製に甘んじることになってしまっていた。だが,幕府の命によって長崎藩と交代制で湾内への国交の無い外国船籍の監視任務に就かされていた経緯から,オランダ国内にて出版されていた反射炉の構築に関連した精錬技術書を入手したことが,佐賀藩を他とは一線を画した技術立身藩へと変貌させる端緒になる。製造に際しては鎖国中である為,同国人による直接指導こそ受けられなかったものの,時の藩主・直正による命令で苦心して和訳させ,日本在来の鍛冶職人の手によって炉の再現そのものには成功した。
完全密閉に近い炉内で,漏れなく増幅し温度上昇を続ける熱戦は,自らの熱で反射を繰り返す中で均一に充満し,熱量は溶かされた鉄にも万遍無く行き渡り,冷却後は密度が強固で安定した物性へと高められた耐久度の高い鉄製砲身製造を可能にした。これを皮切りに砲身以外の建造物にも転用され,近代生活を支える上では欠かせない住環境や生産工業にも多大なる発展の幅をもたらした。当時は尊王攘夷と佐幕に関する観念的な理論闘争に血道をあげる諸藩が圧倒的に多かった中で佐賀藩主と藩士・領民は,実戦において明暗を分ける割合の高い武器の差異を追求し結果を挙げる姿勢こそ至上とし,結果,新政府樹立後にその功績から佐賀藩出身者が重鎮の席を占めることになったことからも,これまで全国を統べてきた徳川体制興亡の最中にあっても左右されない,実質本位の思想と実践力に溢れていた藩であったと想定されるところである。
稲穂にへばりつく害虫の大量発生によって起きた飢饉時においては,即時御料米によって食糧危機を乗り切るなど,他藩よりも領民への救護策が比較的迅速であったことからも,危機管理の類には敏感であったことが垣間見れる。農業や年中行事において,他藩にはそれほど見られない特色があった。
年頭においては藩主側が領内のお百姓衆を一手に招き,酒や祝い料理を振舞っていたことからも,日々の生産労働への労いや称揚の意味以上に,気持ちをそれまでとは一新させようとした,物的心理的の両面への細かな配慮がうかがえる。結果として時代の重要な変遷期においても,旧来のしがらみや価値観・感情に拠るだけの多数派に流されずに新時代への変容が混乱なく移行できる素地を,日頃から佐賀藩内では君臣一体となって培っていた,といえよう。
●県庁所在地-佐賀市
佐賀県の東部に位置し,鍋島36万石の城下町として栄えた佐賀。佐賀市は,竜造寺一族の居館を中心に発達した町で,竜造寺の跡を継いで肥前の国の藩主におさまった鍋島直茂が作った町である。2006(平成18年7月末日)の人口206,967人,世帯数
79,339世帯 。
佐賀地方:佐賀市を中心とする佐賀平野には,潅漑用の堀(クリーク)が網の目のように張り巡らされている。佐賀市は,これらクリークを利用して作られた町である。佐賀市は,道路事情の悪さと郊外への大型店の出店などによる中心部の商業の地盤沈下といった問題を抱えている。交通,道路を中心としたインフラ整備と商業活性化が,当面する課題である。
・佐賀市の財政力指数(財政統計研究所)は,0.66。
http://www5.plala.or.jp/zaisei3/files/t1/41saga.htm
元佐賀市長の木下敏之氏は,6年間の市長在任期間中に市の税金300億円以上を節約し,また全国市行政改革革新度ランキング(全国700市)で,平成10年度に350位だった佐賀市役所を,平成16年度には全国13位(九州では1位)にまで引き上げた。その改革の中身は実に多岐にわたる。詳細は同氏のホームページを参照。.
■商店街と百貨店は苦戦が続く
佐賀市で,中心市街地は疲弊が進んでいる。中心市街地の核店舗的な存在だった呉服町名店街の老舗スーパー「窓乃梅」が05年に閉店,その後もシャッターを閉める店が相次ぎ,昨年に同名店街協同組合が自己破産した。
市中心部にあり,商店街にも近い百貨店・佐賀玉屋。創業200年を超える老舗企業も売上げ減に苦しんでいる。年間売上高は96年の165億円をピークに減少に転じ,08年は105億円。
●県民性
樋口清之氏は著書『出身県別日本人の行動と性格パターン』で,「鍋島藩の論語といわれる『葉隠』で知られているため,武骨一点張りのように誤解されているが,全体としては社会性に優れ,政治家としても,商人としても成功する素地をもっていると思う。それは特に責任感が強い『根性もん』が多いからである」と論じている。
佐賀は,“先駆的”な県である。日本の稲作は佐賀を起源とする。さらに日本の陶磁器の発祥の地でもある。
鍋島氏は徳川250年の歴史を通じて転封,改易もなく,一貫して肥前の領主であった。地方に興った武将で,徳川初期から幕末まで同じ国を支配し得たものは九州では鹿児島の島津氏と佐賀の鍋島氏だけである。保守的ともいわれる佐賀人の気質は,この長い鍋島藩政によるものではなかろうか。
徳川の参勤交代時代のことであろう,信州路の宿場に,次のような戯れ歌が残っていたという。
「人の悪いのは鍋島,薩摩 日暮れ六ツ泊りの七ツ立ち」
午後6時に泊まり,翌朝午前4時の早出発,鍋島藩のミミッチさを歌ったものである。 (出典:長野県観光連盟編 信州歴史の旅 令文社刊)
「佐賀人が通ったあとには草も生えない」とは,貧乏性でムダ遣いを嫌う佐賀県人を揶揄した言葉である。
同時に佐賀は,「武士道とは死ぬことと見つけたり」と精神論をといた「葉隠(はがくれ)」の本場である。「佐賀には何もなか(ない)」と自嘲するのが佐賀県人気質。これは,頑固一徹,几帳面で融通が利かさを物語る。
北部(唐津,伊万里など)や東部の鳥栖などは明るく,物わかりのよい人が多い。口下手だから愛情表現は苦手だが,意外と情熱的。
女性は,「佐賀美人」の言葉通り,魅力的な人が多い。おとなしそうに見えても,しっかりもので辛抱強い。
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●佐賀県の食
佐賀の味覚は,その素材と有田,伊万里,唐津の器で味わうものである。
●佐賀県の方言
『フーケモン』 ⇒バカ
●ランキング−−ベスト&ワースト−−
「フロの煙突のほかは煙の出るところがない。」といわれるほど佐賀市には工場が少ない。県の面積に対する耕地の割合(耕地率)は24%,農業が盛んな県である。佐賀平野の低湿性がわざわいするのか,佐賀地域には見るべき二次産業がない。佐賀の産業では依然として農業が主流である。もち米の生産一位が佐賀県。ちなみに2位は北海道。なお,水稲収穫量の第一位は新潟県である。
産業構成を見ると,食料品(24・3%),電気機械(15.4%),その他の製造業(14,8%)である。有田町など県西部で陶磁器関係の産業=窯業(有田焼,伊万里焼等)が盛んであるが,現在では電気機械,輸送機械工業が牽引役となっている。
工業製造品年間出荷額の伸びは2002年から2004年にかけて108.5と全国平均よりやや上回っている。
・佐賀県を代表する水産物「佐賀海苔」
海苔は佐賀県を代表する水産物である。2006(平成18年)度の佐賀海苔の生産(共販)21億2026万枚,生産(共販)金額は,224億5389万円。金額とも2003年から四年連続日本一。
有田・伊万里は,約400年の歴史を持つ日本磁器の発祥の地である。有田までは福岡からクルマで約1時間半,長崎からだと約1時間で着く。
日本の磁器の歴史。それは豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592〜98年)の際,佐賀鍋島藩主が連れ帰った陶工集団にはじまる。彼らは有田川上流の泉山に上質な陶石を発見。以降,泉山採石場は日本初の磁器有田焼を供給源となった。有田に近い伊万里港から各地に搬出された磁器には「伊万里焼」という呼称も生まれた。
有田焼の陶祖といわれる李参平が祀られてているのが陶山神社。李参平は秀吉の朝鮮出兵の頃に渡来したと言われている。
100世帯当たり軽自動車保有台数が多いのは,鳥取県92,島根県90台,佐賀県が88台,長野県88台,山形県86台,福井県82台である。ちなみに,東京都は10台である。
佐賀県が全国に先駆け実施したパーキング・パーミット(身障者用駐車場利用証)制度が,全国的な広がりを見せている。パーキング・パーミット制度は,公共的施設の身障者用駐車場について共通の利用証を発行し,身障者や高齢者,妊産婦など必要な人に駐車スペースを確保する仕組み。
長崎県は,07年7月,熊本県は07年秋ごろに実施することになった。九州だけでなく,山形県も07年夏をめどに開始する。
佐賀大学の授業料は,国立大で最も安い年間52万800円。05年に文科省が授業料の標準額を1万500円引き上げた際,全国の国立大は一斉に値上げしたが,同大では学生への影響などを考慮して全国で唯一据え置きを決めた。
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