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山形地方の繁栄は,最上川舟運と北前船による交易によるところが多であった。米沢から酒田まで,県内を流れる最上川は,古くから舟運に用いられ,流域で生産された織物,紅花(べにばな),漆などの特産品が,北前船によって京都まで運ばれた。
そして,京都から山形には,様々な品や京文化が持ち込まれた。「西回り航路は寛文12(1672)年に河村瑞賢(ずいけん)が始めたのであり,酒田港へ年間3000隻が入るなど, 中継地の酒田は「西の堺,東の酒田」とうたわれた。粋な湊町独の文化を育み,いまも残る料亭文化を生んだ。
当時,商業,回船業,倉庫業などで財をなし,全国にその名をとどろかせた,「本間様にはおよびもないが,せめてなりたや殿様に」とうたわれた酒田の大富豪・本間(ほんま)家の別荘や本邸,倉庫などが,往時の栄華を今日に伝えている。
●県庁所在地−山形市
○山形市の位置 山形盆地の東南部
○人口 254,480人 (平成19年4月1日現在推計人口)
○面積 381.58ku
山形は,古くは最上(もがみ)と呼ばれていた。「最上」は,平安時代の末期頃,すでに出羽路の主要な宿駅の一つであった。
●県民性
山形は,四方を山に囲まれ,積雪量も多い。この「雪と峠」の地勢が,生きとし生けるものすべてを慈しみ,万物の霊を弔うという精神を表した,草木塔に象徴される。それは,草や樹木といった万物の生命に対する畏敬の気持ち,祈りの気持ちを具現化したものである。
こうした歴史・風土が実直,勤勉で我慢強い,思いやりがあり,情がこまやという気質を育んできだ。その反面,閉鎖的,消極的という,マイナスイメージもつきまとう。
山形県は,庄内と最上地域の2つに区分される。いまでも,全国農業協同組合連合会の支部なども全国でただ一つ,山形と庄内の二つの組織に分かれている。庄内の人々は最上の下風に立つことを嫌うという。
山形の山間部は内向性が強く,庄内は社交的だ。こうした気質は,上杉藩の教育につながるものがありそうである。帝人は,米沢市に誕生した。上杉鷹山の藩政改革で知られるこの町が育んだ事業風土とは無縁ではなかろう。
江戸時代の米沢藩主上杉鷹山は,宮崎の高鍋藩から養子として上杉家に入った人物。上杉藩の経済復興に尽力した彼が家訓にしたのが,倹約ともうひとつ「正直」だったという。これは宮崎の伝統はうまく受け継がれているといえそうだ。
庄内美人,古くは羽前美人といわれる,山形美人が生まれたのは,奈良時代,最上川沿岸で国家的な開墾事業が進められ,武装農民が近畿地方から送り込まれたことに源を発するという。
昭和の論客・大宅壮一氏は,山形県人の気質を「野暮で誠実」と評した。また「おしん」で知られるように,山形県人は辛抱強くて働き者のイメージがある。秋田県では,「嫁をもらうなら山形から」という。事実,共働き世帯の比率は高い。
●地域文化を教え合い学び合うふるさと塾
山形県には多くの民話や伝統芸能が伝わる。2005(平成17)年から「山形ふるさと塾」の活動も始まり,各地の伝承活動の紹介や支援が積極的に行われている。 例えば南陽市では「鶴の恩返し」の民話が語り継がれている。資料館がある「夕鶴の里」や市内小学校で子供たち民話語りを習う,「語り部養成講座」も開かれている。
−−「鶴の恩返し」と「おしん」のモデルは山形女性

指人形 日本の物語 鶴の恩返し
◎庄内藩14万石の城下町・鶴岡 〜 学問・文化と商業活性化の街づくり〜
庄内の城下町であった鶴岡市の中心には,鶴ヶ岡城址,鶴岡公園があり,付近には致道館をはじめ歴史的建造物などが集中しており,学問・文化を尊ぶ気風が残っているという。街は城を中心に栄えてきた様相が今も残り,現在の商店街も全20のうち,城跡の公園を中心としたところに12も配置されている。
江戸の町人街がそのまま商店街となり,その後,1919(大正8)年に鉄道駅ができたと聞くと,商店街が少し離れているということがりかいできる。今後の中心市街地開発も,この城址公園を中心とした開発を進めていくことになっている。公園内には,観光の要所となる荘内神社や「高山樗牛生誕の間」を始め,藤沢周平関連など,先人の偉業を紹介する大宝館が配置されている。
ここ10年の間に,郊外型SCがに次々と出店している。98年7月には市街地近郊にHCを中心とした鶴岡南SCが,2000年4月には西部土地区画整理地内にウエストモールパルが開店。その周辺には,01年8月に東北最大級のイオンのSCが開業,さらに05年にはイオンの北側に専門店,飲食店などで構成する2つのSCが新たに立地している。
一方,中心市街地に立地していたダイエーが02年に撤退,05年にはジャスコが撤退,07年には小売テナント・マリカ東館が撤退してしまった。ダイエー撤退跡は商業モールが配置され,ジャスコ跡地は今後,公園を造る予定となっている。
その中心市街地には,東北公益文科大学大学院,慶応義塾大学先端生命科学研究所や庄内病院,さらに今後は合同庁舎の誘致など,都市機能を中心市街地へ集積する方針を固めていることも特徴的だ。街は生きており,変貌を余儀なくされている。
地元へ客足を呼び戻すための施策として,商店街の活性化のほか,鶴岡公園内の藤沢周平記念館建設,アートフォーラムや文化・映画村の整備が上がっており,既存の映画村に撮影スタジオ,貸しスタジオを有する,シネコンを整備することも決定している。
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●出羽の小京都
山形市:南北朝時代から今に残る城下町。町並,最上義光歴史館,洋風建築・文翔館,男山酒造,立石寺。
酒田市:「西の堺,東の酒田」と謳われた有数の港町。市の中心部は,碁盤の目のように区画され
,かつての豪商の生活ぶりを今に伝える建物や寺院など見どころいっぱい。紅葉の名所としても有名。北前船が日和山公園に残る。
●山形県は,「伝統的工芸品」の宝庫
山形県には,国の「伝統的工芸品」の指定を受けている山形鋳物,置賜紬,山形仏壇,天童将棋駒をはじめ,織物,陶磁器,金工品,漆器,木・竹工品,和紙,民芸品や玩具など数多くの伝統的工芸品がある。これらは,自然と歴史・文化のなかで,熟練,洗練された手づくりの技術・技法によってつくりあげられた庶民の暮らしに密着した生活用品である。
●縁とゆかり−日向・高鍋(宮崎県)−上杉鷹山
出羽国米沢藩の第9代藩主,上杉鷹山(ようざん)といえば,江戸時代を代表する名君として知られる。日向国高鍋藩主の二男に生まれた鷹山は,上杉家の養子となり,再建不能と思われた米沢藩を,30年かけて見事に立て直した。
当時の米沢薄は,幕府に領地返納を願い出る寸前の惨状だった。農村の疲弊をよそに,藩祖謙信以来の家柄を誇り,格式にこだわる家臣の多くは,鷹山の進めようとする改革にことごとく反発する。鷹山は,倹約令を発令するにあたって,自ら一汁一菜に甘んじて範を示した。
−上杉鷹山 薄幸の妻いたわる
養子である鷹山は19歳のとき,先代重定の娘,幸姫(よしひめ)(17歳)と結婚した。幸姫は30歳で亡くなるが,精神薄弱者で発育不全,体は少女のままという人であった。
鷹山はこの幸姫を心からいたわり,深い愛情をもって接した。多忙な時でも,時間を割き,幸姫の部屋を訪れ,折り紙や玩具や人形で遊びのて相手をした。幸姫は夫の鷹山がこうしてやってきて遊び相手をしてくれることを,無上の楽しみとし喜びとしたのである。
この様子を見て,幸姫づきの女中たちはかげで袂(たもと)を絞った。幸姫の喜び楽しむ姿を見てはうれし涙を流し,夫婦の会話もかなわず子も産めぬ幸姫にいささかの不満を示すことなく,心から同情し敬愛を尽くして遊び相手をする鷹山に涙を漏らしたのである。
鷹山は薄幸の妻に対するこうした慈愛を同様に米沢藩の人々にふりそそいだのである。
−長野市松代
城下町・鶴岡は,作家藤沢周平をはじめ,文学や絵画,映画など,様々な分野の才能を生んだ街である。庄内・鶴岡の街を歩いていて感じるのは,浮わついたところのない,しっかりと地に足の着いたような落ち着いた雰囲気だ。それは,1622(元和8)年に信州松代から酒井忠勝が封じられ,以来,大政奉還までの約250年にわたって,酒井家が治める城下町であったことと無縁ではなかろう。
●山形の方言
さくらんぼの産地として全国的に有名な,山形県。
一般的に山形弁は「ズーズー弁」といわれている。
『もっけだの』⇒ありがとう,申し訳ない。
もうけちゃったと勘違いされることがあるみたい。
『すだらかす』⇒水をきる
『うるかす』⇒水に浸す。
『ちょすな』⇒いじるな。
『ほだなごと』⇒そんな事。
『んだらば』⇒それじゃあ。
『わらわらくえー』⇒早く食べなさい。
『そこの角さむづってけろ』⇒そこの角を曲がってちょうだい。
『はらくっつい』⇒お腹いっぱい。
『だがしたー』⇒了解しました。
『だだちゃ』⇒旦那さん。庄内地方で有名な「だだちゃ豆」の語源。
●ランキング−ベスト・ワースト3
・こんにゃくの消費量 日本1
・お菓子の購入額の一番多いのは山形市の93,90円(年間,世帯当たり),2位は仙台市。(総務省家計調査)
・河北町-スリッパの国内生産量の4割を占める。
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お菓子の購入額(品目分類で見た場合)
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全国 77,584円/年
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菓子購入額の多い市
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菓子購入額の少ない市
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山 形 市
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93,090
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那 覇 市
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51,548
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仙 台 市
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92,732
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高 知 市
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65,498
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大 津 市
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92,668
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福 岡 市
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70,183
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山形では古くから,菊を食べる習慣がある。菊は薬用植物として,中国から日本に入ってきたといわれる。山形県は,食用菊の生産量で全国1位。なかでも生産量の7割を占めるのが,黄色い菊で「寿(ことぶき)」「岩風(いわかぜ)」などの品種がある。
●風味濃厚「枝豆の王様」 だだちゃ豆
江戸時代から山形県鶴岡市の農家が大切に守り生産されてきた枝豆の「在来種」で,鶴岡市で栽培されている。小ぶりで,サヤに細い茶色の毛が生えているため見た目は必ずしも良くないが,独特の甘みと濃厚な風味を持ち,トウモロコシのような香りがあって人気が高く,「枝豆の王様」と称されている。
「だだちゃ」とは庄内地方の方言で「お父さん」の意味。昔,枝豆が大好物だった庄内藩の殿様が,毎日枝豆を持ち寄らせては「今別まどこのだだちゃの枝豆か?」と聞いていたことから,だだちゃ豆と呼ばれるようになった。
収穫時期は,8月から9月上旬までと短い。他の地方で生産すると味が落ちることから,JA鶴岡がだだちゃ豆の商標を取得し,他地方で栽培・出荷した豆をだだちゃ豆と称して販売しないように規制している。生で販売されるはか,菓子などの加工品も多数商品化されている。
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