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◆近世国名・藩名:周防(すおう),長門(ながと),長州(ちょうしゅう)
1871年、廃藩置県により,現在の山口県が誕生した。山口県という県名は、県庁所在地の「山口」の名をとったものである。その名の由来については,長門(ながと)国へ通じる「山道の入り口」であるから「山口」,あるいは「鉱山の入り口」に当たるから「山口」と、里の人が言いはじめたという説がさる。
山口県は本州最西端に位置し,面積は6110平方キロメートル(全国比1.6パーセント),人口 1,473,994人(2008年6月),世帯数
596,222世帯(2006年2月) ,県内総生産 5兆6,862億円(04年度) 。
三方を海に囲まれた山口県は,大陸との交流の窓口,本州と九州との結節点としての役割を果たしてきた。古くは,源平の合戦,守護職にあった大内氏の興隆の舞台となった。
地勢的には山陰沿岸部,山陽内海沿岸部,山間地に分かれる。 江戸時代に「防長の三白(ぼうちょうのさんぱく):米,紙,塩」(櫨蝋(はぜろう)を加えて「四白」)の産業をおこした。
日本海側は,対馬・朝鮮半島に向かって大陸棚が広がるという地域特性と,対馬暖流の影響により,いわし・あじ・さば・たい・などの魚,あわび・さざえ・うになどの魚介類の漁場となっている。また,瀬戸内海最西部の周防灘は,栄養分が豊富で,魚介類の漁場となっていた。
加えて,内陸部では,わらび・ぜんまい・たけのこ・まつたけなどのほか,麦・いも類・豆類などが多く収穫され,あゆなど川魚も豊富に獲れた。さらに江戸時代,内陸の盆地が開拓されて稲作も盛んで,暮らしやすく住みよい地域であった。

●県庁所在地−山口市
大内氏が京文化や大陸の文化の粋を集め,2000年の栄華を誇った「西の京」山口。幕末には長州藩の藩都となって,維新の志士が集った。
05年10月に小郡町,秋穂町,阿知須町,徳地町の4町が合併。人口 (04年10月)191,195人,世帯数76,689世帯。
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●県民性
全県的には,維新に向かって突き進んだ長州の伝統が引き継がれ,情熱的に理想を追求しようとする気風が,今も色濃く残るという。そして,まろやかな地勢,温和な気候という風土を反映してか,礼儀,言葉づかいなど品のよさ,気品に富む気質を持つ。
なお,周防・長門という江戸時代以来の行政単位からなることから,自然や歴史的風土の違いから,地域性は多少異なる。荒れる日本海に面した長門は維新志士の気質,穏やかな瀬戸内海にある周防は穏やかな気質にある。
●山口の名所と小京都
幕末に多くの維新の士を輩出した萩には,高杉晋作,木戸孝允などそうそうたる顔ぶれの旧宅が立ち並ぶ。鍵曲(かいまがり)と呼ばれる直角に曲がった道路は,敵軍の侵入を妨害するために造られた道路で城下町ならではのもの。石垣と土の道が歴史を感じさせる。萩焼も全国に知られる。 山口市:京都に似た町並,瑠璃光寺,八坂神社 全国京都会議加盟。
●山口の方言
『かんばれ』⇒ 凍瘡(とうそう)「霜焼け」
『たぇーがたぇー』⇒ 堪え難い
『かばち』⇒口答えをすること。生意気な理屈をこねる。
『こまぇー』⇒小さい,細かい,けちだ
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●ランキング・ベスト&ワースト
・ 大型店の競争激化…下松/客離れ進む市街地…周南
大型店舗が集積する下松市内 −−大型店舗の売り場面積の割合は全国の市町村でトップクラス
下松市には,売り場面積1000平方メートル以上の大型店舗が13店ある。小売店の全売り場面積に占める大型店舗の売り場面積の割合(占有率)は77.8%と,全国の市町村でトップクラスだ。
商業統計調査では,下松市の小売業の年間商品販売額は,1999年に745億5879万円だったが,02年に822億86万円,04年に842億8246万円。相次ぐ大型店舗の出店を背景に上昇を続けている。
・製造品出荷額
いま,瀬戸内海沿岸地域には,石油,化学,鉄鋼,造船などの重化学工業や,自動車などの加工組立型(機械)工業が立地し,事業所当たり製造品出荷額は,1990(平成2)年全国第1位
を占める。
「あまだい」「あんこう」(1位)や「はも」(2位)など水揚量5位以上が12魚種。
『日本教育史資料』-文部科学省,『藩校と寺子屋』-石川松太郎著・教育社出版サービス刊−によると,江戸時代の私塾を含む寺子屋数3位が1371の山口県である。ちなみに1位は1544で熊本県,2位は1488の長野県である。
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