たきおの見た昭和 −その3− そこらにあるもん何でも食ってた


またしても更新は久しぶりですが。まあずっとこんな調子だと思うんで、気長にお付き合いくださいね。

さて昭和三十五年に移って来た家は、大阪府は大東市四条畷町所在。前にも書いたように田んぼのまん真ん中の新興住宅地で、歩いて三十分くらいの場所には飯盛山という300メートル級の山もあって、子供が遊ぶのに事欠きませんでした。(ちなみに私はどっちかというと「田舎の子」。同世代の石川県七尾市出身の「町中の子」にこれから書く話をしても全然通じなかった・・・。)
で、子供同士遊ぶのにはおもちゃもあったし色々な方法もあったけど、今回は特に思い出深い「そこらにあった食べ物」の話を。

何しろ田舎ですから庭は結構広かった。どこの家でもそうでした。梅、いちぢく、びわの木なんかが茂ってて、実がなる頃にはもちろん近所の子を連れてきて食べ放題。梅は、充分熟れるとかじっても大丈夫なんだけど、ウチでは青いうちに取って梅酒にしていた。おかげで今でも梅酒大好きです。
桜もあったけど、これはサクランボが生る木じゃなかったのでペケ。あと変わったところでは百合根なんかも生えてたんだけどちょっと怖かったな。自分ちで生えたの食べるには。
近所には、他に柿の木もあったし(柿の実は渋いのは干し柿に)ぐみもあった。わたしはこのぐみの実が大好きで。ご存知でしょうか?サクランボくらいの大きさでちょっとなが細くて、甘ずっぱいの。金沢に暮らしてた頃も隣の家にあったので、子供に教えたら食べ尽くしてしまいましたが。この間苗木を見つけたので今植えてあります。実が生るといいなあ。
春になると田んぼには一面にレンゲの花が咲くのですが、(それが冬の間田んぼが荒れないようにわざわざ種蒔いてあるのだというのは大人になってから知った)これは花びらを取っちゃうとものすごく蜜が溜まってるので、よく舐めました。つつじの裏にも蜜があって舐めてたけど、レンゲの方が美味しかったな。レンゲはその他にも冠にしたりして、私には「一人で外遊び」というとこのレンゲ畑を思い出します。
それから、春になるとつくしとかわらび・・・なんて、今時は言うようになったけど、いっぱい生えてたけどその頃はあんまりつくしは摘まなかった。ハカマを取るのが面倒なわりにはそんなに美味しくないんです。母親嫌がるしー。その代わりヨモギはよく摘んで、草もちに入れました。

 (ここで、例によって字ばっかりが続くのもしんどいんで、写真を入れよう)

おばあちゃんのモガ時代 今回も本文に関係のあるものは全然ないのだった。
「私のおばあちゃんの若い頃の写真」第二弾。
モガですねー。大正時代です。突き当たりに見えるのが多分トイレ。その前に蹲踞(つくばい)があって、ヤツデの葉は必須。

山へ行くと、今度はすかんぽってのが大好きでよく食べました。地方によってはイタドリとかいうようですが、えー外見は竹を思い切り小さくしたみたいな節のある青い茎で、ポンッといって折れるんです。皮を剥いて噛むと、もうそれはそれはすっぱくて。顔歪みそうになるんだけど、好きでした。
へびいちごと野イチゴ、ってのがあって、野イチゴは食べられるんだけどへびいちごは食べられないの。私は見分けの付け方を教えてくれる人がいなかったんじゃないかなあ。食べなかったと思う。「へびいちごを食べたら毒で顔がぱんぱんに膨れる」なんて言われてて、怖かった。ちなみにどんぐりも、「食べたら声が出なくなる」なんて脅かされたが、長じてからどっかの本で「どんぐりは飢饉の時の非常食」なんてあるではないか。だましたな。
あけび、ってのもね。あったと思うんだけど、食べた事がないんです。ざくろはよく食べました。どこにあったのかはよく覚えていない。もいだ記憶がないので、母親が買ってたのかもしれないけど。あのルビー色の果実が綺麗で、大事に大事に時間かけて食べた。この間懐かしいので買ってみたんだけど、もう辛気臭くて。ひと房で挫折しました。ぐみの好きな下の子も、初めは珍しがってたけど、やはりひと房で「こんな面倒くさいモン食えるか!」って。子供の頃はヒマだったんだなあ私。
なんだかこう書くとまるっきりの野生児ですが、もちろん近所に駄菓子屋さんもあったんですよ。そこでもよく色素バリバリの駄菓子を買ったけど(この頃は子供がそういうのは「買い食い」って怒られたから内緒でね)結構その辺にあったものを子供たちで取って食べたのって、いい思い出です。

さて次あたり、今とはそんなに変わらない気もするけど食生活行ってみますか。







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