初秋の感

 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かねぬる」 百日紅さるすべりを照る日はまだ暑い。しかしながら校庭に立つポプラのそよぎに街頭に並ぶプラタナスの葉色にわが身辺に秋迫るの感愈ゝゆゆ深きものがある。季節の変化に最も敏感なのが日本人の特性だといわれ、それが俳句の季題趣味を生んだともいわれるが夏より秋への変化ほど人の心を動かすものはなかろう。特に海に山に長い休暇の爽快感を満喫して新鋭気を養った教育者諸君はひとしお秋の霊感に打たれることと思う。
 秋は静思の季といわれ燈火親しむべき候といわれる。花に浮かれ水に戯る候に比して、気清く夜長く燈火書を紐解き静思思索するに最も適している。我等はこの期にあたり十分に我等の仕事を反省し、我等の仕事の根底を深くしなければならぬ。
 秋はまた活動の季といわれ高天肥馬こうてんひばの候といわれる。肉躍り骨鳴るものはでてグランドの雄たるべし。郊外に杖をき林間に酒を暖むるまた佳なるべし。我等は二十六時中、身中の鋭気を養うことに努めねばならぬ。
 静思と活動とは一物の二面たることはいうまでもない。活動は静思の材料を与え静思は活動の根基をつくる。静思に偏しても不可、活動に偏しても不可。静中動ありという古人の言は常に玩味がんみしなければならぬ。ただ我等は初等教育界を眺むる時、活動か蠢動しゅんどうかあまりにフワつき過ぎてる様にも思う。雑多な施設、根底なき施設、思い付き施設、お土産施設、あるはなきに勝る施設があまりにあり過ぎるようにも思われる。これは言い過ぎかも知れぬ。しかし全然否定も出来まいと思う。もっと根底ある仕事、もっと組織ある仕事、もっと具案的な仕事を望んでやまない。
 秋は来た。人々よ静思せよ。深い静思より生ずる根底ある活動を期図せよ。初秋の感をものすることかくの如し。
                     (石川教育 昭和二年九月号)


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        日々是好日

 挙雲問垂語云十五日巳善不問汝十五日巳後道将一句来自代云日日是好日  碧巌集
 日常の仕事が単にその目的の手段に過ぎないとすれば、その仕事に対してなんらの興味を感ぜず我々は常にその目的の成就を急ぎ最短距離を経て到達することのみ汲々きゅうきゅうとするであろう。ためにするのみの生活は寂しい。しかし人あり目的への到達は期図しながらも仕事そのものを楽しみその裏に趣味を発見するとせば、いたずらに終局への焦燥を感ずることなく悠々としてその職に甘んじながら、しかもより以上に能率を高め得るのではなかろうか。教育の仕事は割合に地味だといわれ報いられる所少ないともいわれる。しかしこれに従事するものが単に名誉とか報酬とかのみを念頭に置かず、いわゆる君子の三楽を味到するに至らばその日その日が愉快なる日となるであろう。日々是好日の五文字にはもっと深い意味があるかもしれぬが、我々は我等の仕事を楽しむ心持ちをこの五文字に表現してもいいだろうと思う。誰が人生の幸福を願わないものがあろうか。何人もが求めて止まぬものは幸福である。しかし幸福の対象は人によって異なる。単に物質のみが幸福の対象であるとすれば、その人の従事する仕事は常に苦しみでありいとうべきであらねばならぬ。「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざりじっと手を見る」 ということもひとつの考え方であるけれども「この秋は雨か嵐か知らねども日々のつとめに田草とるなり」 ということも確かに一つの考え方である。樹を植えることが単に五十年後の伐採を思うならばいかに待ち遠しいことであろう。しかし日に日に成長する姿を楽しむならば植樹の日より幸福をけることが出来る。要するに我々は仕事の目的を解すると共に、仕事そのももの中に楽しみを発見して日々是好日の境地に至りたいものである。
                     (石川教育 昭和二年十月号)

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        教育第一の事ども

 肥料に速効と遅効とあるように国家の施設にも遅効と速効とがある。教育の事などはどちらかといえば遅効である。教育の効果はすきっ腹に飯、痰咳に浅田飴というわけにはいかぬ。そのためにどうかすると教育第一などという声が盛んな割にその施設が後回しになるようである。義務教育年限延長の声も随分久しいものであり入学受験難もかまびすしい問題にかかわらず未だ何ともかたがつかぬ。しかも高等小学の改善があり試験地獄救済案が出て大分賑わっているが、他の方面の改善なり施設なりに比べると物足りなく感ずる。教育は国家百年の計なりとか賢者は根に培い愚者は花に培うとかいろいろ言われているが、今少し国家は教育を尊重するように努むべく一般民衆ももっと教育第一ということに目覚めてほしい。そしてまた職を教育に奉ずる人々も今一層熱烈なる精神をもって国家の要求に応じ国民の生活に触れたもにしなければならぬ。石川啄木の小論分に「食うべき詩」というのがあり装飾品としての詩を日用品としての詩にまで引き下げねばならぬといっているが、私は教育をもっと食うべきものにしなければならぬと思う。換言すれば単なる装飾のような教育を改善して、もっと日常生活に触れたものにしなければならぬと思う。教育が国家の要求にぴったり一致し国民の生活に触れ合うに至れば、もはや教育第一などと鳴り物入りの宣伝がいらなくなるかもしれぬ。とにかく国民も当局も教育者その人ももっともっと緊褌きんこん一番せねばならぬ。
                    (石川教育 昭和二年十一月号)

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        くさぐさ集

 誠に穏やかな大寒だ。少し積もった雪も解け雨さえいと少なく、ほとんど梅日和としか思えない今日この頃。これでは北国の冬も恵まれたりといわねばならぬ。しかし去年の今頃を思い出すとぞっとする。丈余の雪に埋もれ総ての交通機関途絶の中にあえぎうごめく様は全く原始人そのまま!さりとは天候もなかなか気まぐれ者といわねばならぬ。
 穏やかな天候の下では人は自然と楽しもうとする。自然の懐に抱かれたような安らかな気持ちになる。めぐまれない天候に逢うと人は自然を敵として闘おうとする。しかし大自然と闘って人間の弱さをしみじみと感ずる。人は自己の弱さを知る時何となく人なつかしさを感ずるものだ。お互いに弱い人間同士だ、協力して共同の敵と闘わねばならぬという心持ちを起こす。雪国の人に人情味が多いというのは長い冬篭りの間の人間的交渉がもたらす結果ともいえようが、一面大雪と闘わねばならぬための自然的結合でもあるともいえる。「大変な雪ですね」 「とてもひどいですね」 行き逢う見ず知らずの人にさえ言葉を交わすのは人情味の発露である。
           ○
 議会が解散になって二月二十日に普選最初の総選挙が行われる。今年は天気だからよいが去年のように大雪の時なら大変だ。自然と闘わなければならぬ時に更に人々相打たねばならぬとしたならいかに焦燥苦慮を感ずることぞ。思えば自然のめぐり合わせの不可思議なことよ。しかし北国の好天気は一日一日拾いものだ。いつどう天候が激変するかもしれない。天候の予測出来ないごとく、選挙の結果も我々平凡人にとっては予断の限りでない。清い一票明るい日本公正妥当な選挙横行使によって、より明るい新日本が生まれるか晦冥混沌かいめいこんとん相変わらずの泥合戦に終始しなければならないか、この一月が興味の中心だ。
 それにしても日清日露の戦捷せんしょうは我等の力にて候とにじり出た教育者諸賢。万一普選の第一貢が汚れた時そは我々の至らぬ故と大地に額ずき陳謝する度量があるかどうか。制度の講義をしたり選挙法の説明をしたりしても立憲治下の国民たる自覚を与えねば、佛作って魂を入れず龍を書いて晴を点せざるに等しいことは公民教育者達の既に百も承知の事ながら、筆取れば愚痴の出るも年のせいか。
 筆をおけば日差し特に暖かに全くの春日和。新日本の首途をことほぐに似たり。政界よ冴え返るなかれ。北国の天候よ冴え返るなかれ。
                   (石川教育 昭和三年二月号)


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        平凡

 ある若い教師が三浦修吾先生を訪れて私は何か特徴のある仕事をしたいと思うが何をしたらよいでしょうと質問したら先生は特徴というものはそんな初めから計量的に出せるものではない。巳が職分を真面目に尽くすところに自然に現れるものだと言われた。西晋一郎先生なども普遍に徹するところに特殊相が 現れると言っておられる。例えば数学のような純粋普遍な学問ですらこれに徹すればそこに人の個性が現れるといわれる。同じピタゴラスの定理を記憶するにもドイツ人はA2+B2=C2というような式に表しイギリス人は直角三角形を描いて記憶しようとする。そこに私共はいいしれぬ味を得るのである。学校などを経営するにしても法規の精神に基づき教育の原理に照らしてごく平凡な地味な方案を立つべきである。この地味平凡な方案を専心に続けていると、知らず知らずの間に校長なり訓導なりの個性が底光りして現れる。世評なり表彰なりを目的にして一夜づくりの特徴を出そうとすると、どこかそこにこだわりが出来、不自然さが見え透いてくる。これはあたかも下手な句作者の道具立ては賑やかであるが真の俳味を掴み得ないと同じ結果である。まして今まで平凡な仕切の教授法で安んじていたものがにわかに自己活動の独自学習のと騒ぎだすなどははなはだ面白くない。「念仏よりほかに往生のみちをも存知しまた法文をもしりたるらんと心憎く思召めし在はしまさば大きなる誤りなり若ししからば南都北嶺にもゆゆしき学生だち多く座せられて候なれば往生の要よくよくきかるべきなり」 と言い切った親鸞の心意気に私共はいたく共鳴するものである。三月が来た。新しき学年を迎えるにあたり新しき計画をなすは誠に結構であるがくれぐれも心理は平凡であることを忘れていたずらに新奇を追うことなく、平凡なる裏に底光りのある施設なり経営なりをして戴きたく思う。
                     (石川教育 昭和三年三月号)

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  ( 「求むる者--ある若き教師の悩み--」 平成8年1月発行より抜粋 )  

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