チョークにまみれて

 准教員の検定を受けて教員の真似を始めてから足掛け十六年、師範を出てから、足掛け十年。紡績工女が綿屑にまみれる如く、製鉄職工の煤煙にまみれる如く、私はチョークにまみれて今日まで日暮らしをしてきた。その間には感激もあった。努力もあった。しかもその間には長い長い淀みの生活もあった。しかもこうして三十幾年の生命を持続しえたことは、私をして深い感謝的な気分にひたらせるのである。
           ○
 ある熟練した養蚕家は言った。「自分は一つ一つの蚕の特徴が見分けられる。朝むしろの中央にいた蚕が晩方むしろの端に出ているのがはっきり見分けられる」 と、私どもが蚕を見れば何千匹おろうが、皆一様に見える。だのに熟練家は一つ一つの蚕の特徴を見分け得るのだそうだ。受け持ちの初めはどの子もどの子も同じ顔をしている。しかもそれがみんな一癖ある様な構えをしている。そうした時には私の顔面神経はどうかすると強直になる。私の言葉は甲鎧を着る。それがいつしか暑中休暇も終わり九月秋立つ頃になると、一月の間に見違えるように伸び伸びした子供が教室に集まってくる。一人一人がにこやかに一人一人がある特殊相をそなえてくる。級中の話し家。文章家。音楽好き。書家。運動場の雄もあれば珠算の親方もいる。日課試験の調べがつかないで、一晩淋しい孤燈下の人となる。一枚一枚算術の検答をしているうちにも彼等の顔が浮かんでくる。五尺四寸もある大男、遠足などの時には自分が並んでいくのに気兼するくらい、しかしそれがほんの子供のようになついてもくれば可愛くもある。この気分!尊いこの気分はとても爵位や官等で味わえるものではない。
           ○
 土曜日であった。雪に閉じこめられた山国の街を、調べ物があって図書館へ急いだ。貸し出し証を持って図書渡し口にたつと、そこに前から立っている一人の子供。「M君!」 こういって私は肩をたたいた。M君は微笑んで私に黙礼した。M君は私の級の天才児だ。五年の時から毎日図書館で代数をかじっている。カードを操ろうと思っていくと、そこにも二人。
 「おい鉛筆を貸してくれ」 私はだしぬけにいった。嬉しげに渡す子。嬉しげに受け取る私。並みいる人は目を見張るばかり。ドアを開けて出ようとすると、輝いた目が私を見上げたと思うとすぐ黙礼する。やはり教え子のN君である。ああ教師の喜び!「今日は幸福な日だった」 とこの話で私の貧しい晩餐も賑わった。月曜の日は私とても黙っておれなかった。「おい皆図書館へ行け。土曜には四人も行っていたぞ。僕も行って来たよ。上は訓導より下は生徒に至るまで……」 で大笑いとなった。
           ○
 「先生、今日は先生の受け持ちでないのか」 こういって低学年の子供はすがってくる。勢いよくTという子が「おはよう」 という。うっかりこちらも「おはよう」 と返すと、「帽子も取らずにおはようという事があるか」 一本突っ込まれて私はたじたじした。低学年の子は無邪気だ可愛い。黙って四角い礼をする高学年の子供を受け持つ私は、時に低学年を羨む。しかし卒業後の方針、農業へか工業へか。師範へか中学へか。彼等には彼等だけの問題もあれば苦労もある。弱い私に貧しい私に彼等がこうして全身を打ち込んだ相談を持ちかける時、私は高学年受け持ちの愉快と責任を感ぜざるを得ない。
           ○
 師範へ入りたいから手続きを教えてくれ。検定を受けたいから参考書を知らせてくれ。師範の教科書名を書いて送れ。こういう手紙が卒業して最初に受け持った子供から時々来る。おお彼等は今伸びんがための苦しみ、成長せんがための悶えを感じているのだ。おお青年達よ、進んでくれ。巨人のように雄々しい歩みを続けてくれ。私は弱かった。私のような歩みを続けてくれるな。勇ましく進んでくれ、力強く進んでくれ。
           ○
 愛は知の道なり。知は愛なり。
 六月何日かの新聞は六号活字に検定合格の氏名を発表している。准教員の欄に、○○○○。おお彼は合格の栄冠を担っている。○○○○、彼は私の最初の教え子であった。温順で利発で級中の模範児であった。だのに卒業後は家事の都合で家で鍬をとったり冬は大阪の会社に雇われたりしていた。修身の時間に私の言った一句が解らなかったといって転任先の学校へ問い合わせの手紙をくれる程熱心な子だった。「よく合格してくれた」 私はさっそく祝いの手紙を書いた。返事はなかなか来なかった。そして来た返事の言葉は悲しかった。所は七尾○○病院より。
 「先生お祝下され候ふは有難く候へ共今の私は人も忌む肺病の身と相成り申候」。 許してくれ許してくれ。それならば本読めとは薦めぬのだったのに……。私はあやまった。休暇になってからも東京の講習に出かけたり金沢にうろついたりして盆過ぎに帰省すると、悲しい叔父よりの手紙。一度会うべく期した彼はもはやこの世の人ではなかった。二十歳を一期として彼はついに黄泉の客となったのだ。嗚呼青年○○○○。彼は准教員資格者として広報に名を留めた。しかししかし広い世間はこの一個の青年に眼もくれぬであろう。悲しいかな好学の青年。
           ○
  飛行機が来たとて、
  プロペラの音がするとて、
  真っ先に屋根にかけのぼる、
  腕白者のK!
  級中の誰彼を、
  ぶっては泣かせる、
  腕白者のK。
  「福沢先生の義塾を知るか。
  維新の戦乱弾は降れども
  かって教授は止めざりしぞ」
  理屈っぽく私は叱った。
  叱る私は正しいか。
  走るお前は正しいか。
  でも性行録の終わりに、
  「伸びれば伸びるKよ、
  幸福なれ大きくなれ」 と
  祈った私の心をくめよ。
           ○
 子供を叱ったことや、感激のない授業を続けたことや、彼は淋しい思いをして帰路をたどった。それでも知り合いの村人と道連れになって幾分かなごみゆく心を抱きつつ……。某校へ通っている教え子が自転車上から黙礼しながら過ぎていった。三町五町、ふと目についたのは路傍にころげている紙入。手に取るとまさしくさっきの子の所有品だ。「戻って届けてやろう」 「およしなさい、明日でもいいでしょう」。自転車を下りる、敷居をまたぐ、ふと財布の遺失を発見する。そうした際の苦りきった子の顔を想像すると、どうしてもじっとしてはおれなかった。「でも届けてやろう」。彼はもと来た道を引き返した。街の入り口の自転車屋の前で、二三の友達と遊んでいたその子は、まだ財布の遺失に気付いていなかった。
「Yさん何か落とさない?」 「いいえ……あああの財布を……」 子供は喜んだ。彼はその顔を見ながら何も言わずにさっさと帰った。一日一善いつもは軽蔑していた四文字を、これほど深く味わったことはなかった。善事をなした喜びに彼の頭はからりと晴れ渡った。それは六月のある日であった。村では遅れた田植えもすんで夏磨りに忙しい頃であった。明日は日曜だった。晴れた朝だったが彼の家では籾すりをした。彼は籾すりの手伝いをしながら思った、淋しい一幕の後には輝かしい一幕を出さねばならぬ。それが芸術家の仕事でもあり策略でもあると。輝かしい生活輝かしい仕事、こんなことを彼の手録に書き付けた。
           ○
 転任は最良の感情教育なりと、彼はいつか友達に話した。彼は教員生活を始めて以来三度生徒と別れた。最初は師範入学のため当然解職となった時、彼は泣かなかった。前途洋々の感にうたれて春の日を浜辺まで子供に送って貰った。二度目は卒業後試練の二ヶ年を終えて郷里に帰る時であった。小さな発動機船の甲板に立ってうすれゆく島山を眺めた。再び踏むべくもないこの島山と今や永久の別れかと感無量であった。正課と自炊と夜学とをつとめあげた二年の生活、独歩の佐伯時代を気取ったような若々しい生活、それらが走馬燈のように胸に走った。三度転任の辞令を手にしたのは○○へ出るときであった。出場の釈迦!彼は強いて雄々しかろうとした。それは初夏の緑濃い日であった。長い長い川をひとりの淋しい男を乗せた船は下った。
 教員生活、ひからびた教員生活の中へ、愛と涙の泉を湧かしむるのは転任である。秋の悲しみは遊牧時代の悲しみの遺伝だと誰かがいった。転任気分!春浅い四月五月、教員にしてこれを味わない者はなかろう。児童にしてこれを味わないものはなかろう。
          ○
 私の少年時代に深い深い感銘を与えた教師が二人、一人はK先生、一人はO先生。K先生の事共は知る人ぞ知る。O先生は若い師範出の先生であった。丈の低いそして音楽の好きな先生であった。いつも熱心な先生であった。なぜか先生は途中でやめられた。私はわしさのあまり手紙を書いた。返事は来たが住所は示されてなかった。私はどうかして先生の住所を知りたいと思ったが、未だに先生の住所はわからずにいる。私はいつしか先生の道を歩んで師範の人となった。古い写真に先生を見て一層懐かしく思った。卒業後、先生が京都におられるという噂を聞いた。そうして京都の職員録を見た。名前は等しくして姓のみ違った人があった。もしやと思って手紙を出した。しかしそれは人違いであった。先生の生地へも照会した。しかし何の返事もない。先生の村からの出身者に聞いてもみるがわからない。私は今もなおこの一人の先生を尋ねている。
 O先生、O先生は私の忘れ得ぬ人々の一人である。
          ○
 時は過ぎゆく。時は不可思議者である。----早いといって喜ぶ者、遅いといって怒る者、それらを白眼視しつつ、時は時の歩みを続けている。静かに思慮的に、公平に。菜根談に曰く争先的の経路は狭しとやら、一歩遅れた天地ののびやかさよ。黙れ、黙れ、時は、あらゆるものを解決してくれる。人々よ、時の力に感謝せよ。成功者よ、汝のプライドを捨てよ。汝は時の力より一歩も出で得ないのだ。悲観者よ、あげつらうなかれ。時は公平なる解決者である。時に感謝し、静かに味わい深き生涯を送ろうではないか。
                  (石川教育 大正十一年五月号)

-------------------------------------------------------------


  ( 「求むる者--ある若き教師の悩み--」 平成8年1月発行より抜粋 )  

ホームページ