求むる者

 それは公孫樹の葉がはらはらと散る日であった。黄い秋の日が砂交じりの校庭に弱い光をなげ、山ならしの葉は風にさらさらと高鳴っている。今児童は綴り方の草稿にペンを走らせている。筆をやめて考えているもの、しきりと鉛筆をなめているもの、一気呵成などと誰がいったのであろう。児童は今や生みの苦しみの最中である。創造する者の苦しみを彼等は今や体験しつつあるのである。良吉は手をくんで窓辺によった。彼はこの際少しでも動揺することが小作家の思索を妨げると思われたので、じっと窓から校庭を眺めていた。秋になってから良吉はひとしお子供が可愛くなった。感傷的な彼は、秋が深くなるにつけて子供を思う心が歌や詩となった。ある時は十二時過ぎまで感想を書き続けることもあった。
 「秋が来た。吾現在吾職業を肯定する気になって来た。我々は生きていく、そして生きていくことは必然である。生きていくことの体感は愛を感ずるにある。我々は愛を感ずるに最もよい職についている。我々はこの幸福を捨てて何処に天国を求めようとするのか。秋の収穫の色---黄金色に稔る稲に輝く生命の表現。これを感受し得る人は一枚の書き方の中にも伸びていく充実していく生命の尊さを感受せねばならぬ。おお尊き人の子よ。わが愛は純なるプラトニックラブでないかもしれぬ。されども絶対的な純ということは客観的に求められぬではないか。ただ限りなき愛に燃えよ。俺は歌うことは拙だ。俺は書くことは拙だ。俺は踊ることは拙だ。歌いたがる書きたがる踊りたがる児童の相手として俺は何たる無能力者であろうよ。だけれども許してくれ。俺は決してお前の歌うこと書くこと踊ることを止める程頑固な者ではない。そしてお前等と別れている時もっと歌うことや書くことを稽古せねばならぬ。俺は短期ながらも講習にもいこう、読書もしよう、練習もしよう、だから仲良く道連れにしてくれ。尊い人の子よ。お前も尊い生命であるが俺も一個の尊い生命である。俺の生命とお前の生命と同一の道を歩む時、けっして二人の生命の波は相干渉することはないわけだ。けれどもある時は干渉することは事実である。だがこの干渉を罪悪として論ずるほど、お互いにかたくなであってはいけない。お互いに生きていくんだ。無限の中に有限な生命を生きて行くんだ」 彼はこんなことすら日記に書きつけた。
 しばらく良吉はボンヤリしていた。と、隣の教室で何かガヤガヤという声がした。耳をすますとやがて教師のかん高い声が聞こえてくる。
  「何という馬鹿なんでしょう。お前のような者とても駄目です。さっさと教室から出て生きなさい」
彼は今や満面朱をそそいで怒号している女教師の姿を想像していた。そしてむしろ彼女のために嘆かねばならなかった。ひとしきり児童が騒いだ。
「やかましいッ」 女教師はさらに絶叫した。
 「家庭の如く」 これは良吉が事務室に対する欲求であった。老人の言うような事であるが、同じ現実に生を受けていながら、顔も知らず名も知らずに死んでいく人々の中に、半年でも一年でもこうした建築物の中に同じく教鞭をとるのもいわゆる何らかの縁である。こうして一緒に働かねばならぬ様に運命づけられた我々はお互い教師同志も相愛し相慈しんでいかねばならぬ。彼は師範を出た当時から、こういう考えで人々に接したかった。女教師は五月遠い異国から赴任してきた。独り者の旅住居の苦しさは……二年間自炊生活をした彼には充分うなづかれた。山寺の鐘が鳴る夕暮れ、「鐘がなると淋しくなるわ」 という常套語にも彼はより以上の同情を持っていた。だがその女教師が、こうして怒号しているのを聞くとき彼はどうしても軽い反感を起こさざるをえなかった。彼女が首魁者ともいうべき児童を残して訓諭している時良吉は涙ぐましくなって事務室から出ていった。なぜ別室で叱ってくれぬのだろう。可愛い子供をこの大勢の教師の前で、ああして頭ごなしに叱りつけられてはとてもとても痛ましいのである。
しかしながらこの女教師の態度をけっして良吉は非難する事が出来なかった。……自分が悪いのだ、自分がやっている事を人が見たらやはり同じことを感ぜられるだろう。算盤の九九を覚え得ないといって腹を立て十五分の休憩時をぶっ通しに座らせ一言でもしゃべった者があったらブンなぐってやるぞと怒鳴りつけ、そして自分はその後ろに立ってハラハラと涙をこぼして泣いていた事を思えば、良吉はどうしてもこの女教師を非難するわけにはいかなかった。  終業の鐘はなった。子供らは競って小さい創作を彼の前に提供した。彼はこの創作の鑑賞者になる喜びを思ってニコニコとして教室を去った。
 「最も良く児童を知る道は愛することです。私どもは彼等を叱る前に自分が果たして彼等に愛があるかどうかを反省しなければなりませぬ」 ある日こんな意味のことをわずかに述べた。しかしあたらずさわらずに言ったこの語がどれだけ人々に感動を与えただろう?思えば良吉はうら恥ずかしかった。良吉は少しつむじまがりであった。彼は威丈高になって児童を叱りながら、ともすれば他人のこうした態度に反感を持った。彼はどうかすると「汝等罪なきものまず彼女を打て」 と言ったイエスの言葉を思い出した。仲間の負債を免されんがために仲間に負債ある者を免さねばならぬではないか、こうも思われた。若い、師範を出たばかりのあるいは養成所を出たばかりの教師が、寄ると直ぐ校長の批評かさもなければ成績の話や訓練の話をするのを見て、ただられた人間だなあと思わざるを得なかった。何故そんな暇に代数の一題も解いてみないのかとも思われた。しかしそれが彼自身の姿であるのに驚かされた。
 翌年の四月女教師は他へ転任して新しい女教師が赴任してきた。良吉は転任した女教師がさらに内省と謙遜との生活に入るように祈り、まだ十代の新任の女教師----講習科を出てはじめて教壇に立つという女教師のために願わくは愛の心を失うなかれ、願わくは人格の処女性を破るなかれと衷心祈り続けた。しかししかし桜散り燕子花咲く頃になると、もう「やかましいッ」 という怒声を連発しているのを聞いた。早口に罵り立てる声が教室から漏れた。
 イライラした日が幾日も続いた。彼はいろんな事から煩悶の日が多かった。たまらなくなってある真宗の坊主を訪ねた。しかし真宗の坊主は絹の座布団の上に鷹揚に座って、もう悟りぬいたような面に上目使いしているのが小面憎かった。この坊主もやはり与える者の種類であった。与える者の心は傲慢に満たされている。彼の心には余裕がありすぎる。彼の心はあまりに満足しすぎている……私はとても与える者ではあられない。与えるには私は何物をも所持していない。大声を張り上げて求めねばならぬ。泣いて泣いて求めねばならぬ。その時児童は私の道連れであった。法然は求めた親鸞は求めた。彼等には弟子がなかった。……彼等には同朋あるのみであった。……キリストは求めた。ニィチェは求めた。弱い良吉よ、汝は求むる者である、永遠に求める者である。……こう自覚した時には良吉の目は涙にぬれていた。
 いつか校庭に初夏は見舞った。山ならしは空まで届くように成長し充実して緑色の美は無限の生命力をみせていた。したたるような柳の下には、可愛い子供が、無辺際にひろがる心をのびのびとして遊び戯れていた。良吉にも魂の底から歌い魂の底から踊る日が近づいてきた。
                           (石川教育 大正七年七月号)

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  ( 「求むる者--ある若き教師の悩み--」 平成8年1月発行より抜粋 )  

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