松の並木はては海なり海のはての夕日に向いわが車ゆく
稲の花つかみて人は野に立てり二百十日よ風吹くなかれ
秋の旅いづる前夜のうれしさのあまりに悲しこほろぎを聞く
手取川見るはただ人味はへと言いつゝ立てり若き二人は
背嚢に詩集いれたる行軍の中の一人に秋風よ吹け
きりぎりす多しと友は人の句を偲びて立てり篠原の松
山の市俵きせたる馬ひきて磁器の安物買う男かな
白じろと尾花は咲けり瓦斯匂う鉱山の秋のひるさがり時
川沿いの茶屋の娘よわが村の人妻に似ていとどなつかし
わが妹も兄の姿をなにくれと評するまでに歳たけにけり
豆の花白き小道を十四にて尼に上りし君通ります
コスモスは斜めに高く売家とかかれし塀を越えて咲きけり
三人の中のひとりの物覚えよかりし君は嫁ぎたまはず
母君は父と吾との感情のなかばに立ちてことなかりけり
眼鏡とればきよき眸の君までも白痴のように見ゆるたそがれ
父君は山に杉苗植え給う本ばかり読む吾をいさめつ
何も知らぬ子供の前に文学を説いて見たりぬ寂しき男
何故の涙ぞ吾の頬を行く峰より夏の白雲は湧く
弱き子の涙いづくのそそぐべき見ると見る花みなとげもてり
あわただしこがらしに散る葉も多く諒闇の町の秋は暮れゆく
さくさくと靴土をかむ音さへもいと尊しや夜の皇城
ことさらに人に後れてひとり行く浅草寺の人ごみの中
空卓のならぶカフェーのストーブに靴ほしながら新聞をよむ
父へ書く手紙の中のいつはりを思いて日記す三月の末
かつて住みし島の言葉がききたくて島船のつく町をさまよう
傘さして二人ゆく子は島の子にあらずやと思いあとを追いけり
運動会雨に流れて静かなる学園に咲くコスモスの花
銀の燭わが新しき若人のふたりの上に光れとぞ思う
師の君のわすれがたみの少女などうちつれて能登の岬まわれる
教員がいやだと言へばいつに似ず母もやめよといった秋の夜
両側に雪は残れど小立野の街はかわきて春は来にけり
うつくしき中なる更にうつくしき一人はTと名づけたりしか
生きて行くことのよろこび妻子をば愛して行かむ春の雨ふる
生きて行くためにはうそもいつわりもあると思えば悲しかりけり
父母を思えど孝をなし得ざるこのかなしさよ蛙なく夜
あすはわが早く逝きにし幼児の三七日ぞ蛙なく夜
一心に仕事なさばやなげかいも悶えもすべて消えはつるまで
二十九のわが誕生の朝なれば力いっぱい体操しけり
子供等もわれも無心に草むしる静かなる午後秋の校庭
風にうごく落葉柳も生きて行くものの類かいと寂しかろ
何ものか大きなものの膝下に泣きたく思うこのごろのわれ
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( 「若き日の歌」 大正12年11月発行 より抜粋 )