そこを、もう一度歩く。何度目だろうかと、知らない。覚えていない。数えられないほど、それとも、始めて。何故そのようなことに興味を持つのか。別に興味があるわけではなくて、ただ、聞いてみただけ。
あれほど、澄み渡った、淀んだ、場所は、ただの場所に過ぎなくて、今は。何だったのだろうかと、振り返ってみても、きっと、何も見いだせないだろう。全てはただ、過ぎ去る時間の上にのせられたちょっとした装飾に過ぎない。
そこに、線を。まっすぐな線を引こうとする。そこにまっすぐな線が必要だと思うから。何故かと、そんなことは考えもしなかった。そうあるべきだと思ったのだ。それとも、誰かにそう、強制されてでもいたのだろうか、知らない間に。まっすぐに線を引くことは出来なくて。おろおろと、歩き回った。引いて、そして、消した。ただ、座り込んでしまったことも。
線を引かなくなった。それとも、引けなくなった。そして、そこを通らなくなった。通れなくなった。そこから、遠くに離れてしまった。だけれども、そのときは、まだ十分に時間があった。きっと。
次の瞬間に全てが終わるのかもしれないと、すると、まっすぐな線など役にも立たないものだと分かった。それは、次の瞬間に全てが終わるかもしれないからなのか、それとも、そもそもなのか、今となっては分からない。次の瞬間に全てが終わるかもしれないということだけが、強い実感として焼き付いている。
だから、分かるだろうか。何を聞いてもらっても構わないし、それで何かおかしな回答をしなければならなくなることもない。だけれども、きっと何も答えることは出来ない。きっと、ただ、知らないと答えると思う。それは、ほんとにそうだから。きっと、まだ、十分に時間が残っているのだろう、たとえ次の瞬間に全てが終わるかもしれないとしても、君にはまだ十分に時間が残っているのだと思う。たとえ次の瞬間に全てが終わらないとしても、十分に時間が残っているように見えたとしても、次の瞬間に全てが終わるかもしれない私の発言は、まるで全てをまやかそうとしているようにしか、聞こえないかもしれない。消尽してしまうという気持ち。
それとも、引きずり戻すことも出来るのかもしれない。少しばかりの期待は、持っている。また、線を、まっすぐな線をひこうと試みるかもしれない、引きずり戻されれば、きっとまた引くことは出来ないとは思うけれども、一喜一憂ぐらいはきっと出来るだろう。
だけれども、そう、そこが、既に、そのこに段差など在るわけがないと、そう、その通りだろう、普通に考えれば、だけれども、そうだ、説明するすべさも無いのだから、どうにもならない。何故目をつぶったまま走るのか、何故目をつぶったまま走っても何にもつからずに進めるのか。もう、目を開けておびえる必要もないし、定められてしまった目標を目指していく必要もないから。何一つとして障害はなくて、ただ一人だけの存在の場というものもあるから。それが投影されているだけだと、そのように振る舞えば、次の瞬間に全てが終わるかもしれないけれど。余計に分からないというか、何と言っていいのか。まるで違うとしか、それとも、混乱している、そちらが、こちらが。薄膜のこちらとそちらで、それは、永遠に続いてしまうものなのか。