少し風が出てきた。涼しげで、溜まっていたはずの暑さも流れ去って、混じり合って、そして、今は少し冷たささえも残して。おまけに雨までも。彼は、それでも、うつむき加減で歩いているのだろうか。盛り土の中に埋めてしまった。もう二度と触れてはならない。目を背けて、逃げ出すのように、彼が角を曲がるときは、いつも早足になっている。
遠くから、眺めている。だから、いつも冷静で。彼は。いや、冷静なのではなく、関心が無いというか。あきらめきっているというか。悟りの境地なのだろうか。押しても押しても開かない扉。扉である以上開かないはずは無いからと思って、押し続けてもだめなのだ。扉であったとしても、開かないものは、開かないとだから、例えば、回り道をしてみるとか、穴を掘ってみるとか。それとも、引き返してしまうだとか。無駄な努力というものはあるものだ。いくら計画通りにことを進めたところで、たどり着いたところがどこなのだろうかと、その都度、その結果を信じるしかない。例え、信じることが出来そうにないと感じたとしても。
その扉を彼は、開くことなく、素通りしてしまう。物質的にはあり得ないはずなのに。今の彼にはそれが出来る。それが出来てしまう。だから、そこを通り過ぎた後にも先にも、彼の感情の中には何も残りはしない。扉とは、そういうものかもしれないと、彼はつぶやいて、そして、そう思えば、このように出来るのだよとまた、つぶやいてみせる。そして、さらに、だからといって、何もならないのだよと追加する。
少しだけ、重みを感じさせて、少しだけ、蝶番のきしむ音が聞こえて、しかし、少しだけ動き始めた後は、その慣性力だけでそのまま開いてしまうような扉を開けて、ひょっとしたら鍵がかかっていたかもしれないが、鍵もすぐに見つかって、そして、その扉を通りすぎて、そしてまた、自然に閉じる。そこには、それまでとは少し違う景色が広がって、そこには、その扉の前に書かれていた言葉に類似した世界が広がっていて、少々歩きにくいかもしれないが、少々わかりにくいかもしれないが、いずれにせよ、一歩目を踏み出すことにそれほど躊躇しなくても良いようなほどの、そんな世界であれば。いや、きっと、扉のその前から違っていて、そこにたどり着いたから開いた扉に過ぎなくて、必死に逃げてきて、漸くたどり着いた扉がそれだったから、何かにすがるように開いたのではなくて、彼にとっては、自然なことで、いずれにせよ。
扉の前で座り込む。どれほど願っても、どれほど、念じても、どれほど努めても、何一つ起こらず、そして、ただ、立ち去るしかないと決意して。そして、扉というものの存在を否定することを決意して。彼は、遠くから眺める。薄膜の向こうにあるかのような世界が、その中に漸く入り込んだと思った瞬間に、三次元では無い四次元目の薄膜に取って代わって。押しても押しても開かない扉は押してはならないと、信じたくはないはずであった言葉を助言の言葉として使って。
ただの一つの固まりとして、突撃する。ただ、その四次元目だけを頼りにして。そう、だからこそもう扉などは関係なくなっていて、その四次元目を最大限になんとか利用しようとする彼は。うつむき加減なのは、何も落ち込んでいるわけではなく、ただ、四次元目だけが重要だからであって。