【書 評】

 

「臍曲がりのローターアクト論」1)を読む
あくまでも再考するきっかけとして捉えながら

Have a Good Opinion of


矢橋 潤一郎 *
(YAHASHI Junichiro)


 大人が子供を叱らなくなって久しい。「叱る」という漢字すら常用漢字から外れている2)。「叱咤激励」という言葉もある通り、「叱る」と「励ます」は表裏一体である。
 浜松RC会長が書かれたRA論からは、「諦念」から「模索」に至る過程が読み取れる。RI指定の月間が無く、世界ローターアクトの日をネタとする以外に話題性に欠く3月とはいえ、ガバナー月信という地区内で影響力を持つ媒体に過激なRA論を展開したことは大英断といえる。あえて。
 あえて、と強調するのは、このRA論を好意的に捉えないと救われないからである。副題に「再考するきっかけとなれば幸い」と謳っている通り、確信犯的な挑発である筈。そうしたスタンスでこのRA論を読んでみると、逆説ではあるが将来のRACの進むべき道筋が見えてくるような気もする。
 そこでここでは、「臍曲がりのローターアクト論」を読み解き、あえてヒール(悪役)を演じてでもRACを鼓舞させようとした奇特なロータリアンの期待を浮き彫りにしてみたい。
 
この組織に対し相変わらず年60万円の補助を続けているのである。どんな成果が上げられているのかゆっくり考えたことがあるのだろうか?
目的を持った組織としては参加者10人以下の会に価値を認めていない。だから出席一桁で増員しないなら勇気を持って潰すべきと考えるのである。“増えないもの”や個人の楽しみだけの集まりに補助金をだし続けるのは単なる無駄に過ぎないと思っている

 著者は、RACに費用対効果を求めている。補助金に対する成果。それが上がっていないと言う。さらに少人数での運営は、人数を増やそうとする努力を怠っていることの現出と捉える。確かに会員数一人あたりの補助金が多額になるほど、「会への支援」から「個人への支援」的な側面が強まる。

将来のロータリアン候補生としても考えるという名目のもとに作られたと聞くが、私はそう単純に解釈していない

 こう断じる論拠にRAC総研の調査によるデータ3)を参考例に挙げている。アクターからロータリアンになった事例調査である。このようなシビアな論文に用いられるのなら、もっと真面目に調査したのだが…
 RAC経験者がRCに入会するのは、親がロータリアンの場合が多い。それなら将来のロータリアンを育てるという名目のRACは、別に無くてもいいのではないか、との主張と取れる。ここで話はRACの存在意義に飛んでいるが、それは「RACがいらない」というのではなく、「将来のロータリアン養成の名目がいらない」ということにつながろう。

日本の国情に合わないローターアクトクラブに存在の価値があるとは思えないのである

 文中、「国情」という単語はしばしば登場する。30歳定年制、新入社員が例会に間に合うよう仕事を切り上げることを良しとしない企業風土、これらが日本の実態に馴染まないためにRACの会員数も増えない、と。ここで思い出されるのが、札幌東RC所属の元地区IA委員長の弁。「IACの卒業生は大学入学と同時にRACに入るべきだが、うまくいかない。同様にRACでも大学を卒業してからも引き続き活動してもらいたいが、ロータリアンが上司にいるか経営している会社でなければなかなか続かない」。ほぼ同様の問題提起を著者も述べている。

上流階級に入るロータリアンの子弟の伴侶探しの場として生み出されたものではないかと考える

 著者が強調したい部分、そして多くの読者が印象付けられた主張であろう。30歳迄という会員資格は、結婚適齢期に絞り込める。ロータリアンの子弟でもなければRACを続けづらい環境は、自然とアクターがいいとこの坊ちゃん・嬢ちゃんに限定される。なるほどここまで穿ってみれば、良く出来たお見合いパーティーといえる。アクター同士の結婚自体は、まったく珍しいことではない。様々な奉仕活動、親睦行事を通じてお互い人間性を分かり合え、納得した上で結婚できるという利点。加えてその相手が身元のしっかりした方であればより安心というもの。RACというお見合いパーティーによって引き合わされたとしたら、これほどの狙い通りのシステムはなかなか構築できるものではない。

   そんな論調から導き出された「RAC活性化」私案が、会員資格の上流生活者子弟限定、お見合いパーティー的役割の重視。学生時分の成績優秀者も入れてくれるそうだ。毛並みの良い若者しかいないサロンだから、「息子(娘)にはいいひとと一緒になってほしい」と願う親御さんには人気を博すだろう。申し込みが殺到。だから会員増強なんて必要無い。医師・弁護士限定のお見合いパーティーの参加費は、結構な額である。そのような機会をロータリーたる信用のある団体が、リーズナブルなお値段で提供する。まさに奉仕活動。ロータリアンの子弟同士がくっつくのなら、相互扶助を目的としたP.ハリスの思想に近付くに違いない。
 「セレブ」という上流階級の奥様らを指す俗語が流行る昨今、この視点は案外流行るかもしれない。しかし会員資格をロータリアン子弟に限定するのは、すでに東京の一部で行われている。またレオクラブにもそうした限定資格を掲げるところが多いと聞く。
 
その他現状の改善策としては次の方法がある

 改善策には40歳定年、大学ベース、賞金贈呈、就職に有利、の4点を挙げている。
 定年10年延長は、以前から求められている。前回の規定審議会でも宇都宮市内のRCから議案が提出されたが、あえなく否決された。文中では触れていないが、40歳定年はJCの定年と重なる。RACを卒業し、30代で行き場を失い、かといってRCに入るには条件が厳しいため、JCに流れ、RACOBとしての面倒見が悪くなり、またJCの厳格な先輩後輩の規格にはめられ、RC入会後においてもRACよりもJC重視の傾向があるなど、もう一歩踏み込んだ提言が欲しかった。
 大学を基盤にするRACは全国に多い。元はといえばIAC卒業生が大学でも活動できるよう設けられた経緯があるため、大学ベースにこそRACの意義があると考えるロータリアンもいる。しかしこの弊害が近年目立つようになってきた。まず4年弱という活動期間の短さ。顧問教授が必要になるためIACの大人版というレッテルから脱却できない。社会人と接する機会が少ないため学生サークルで帰結してしまう、など。その意味で4点目に挙げた就職活動での有利さに言及するなら、逆に大学ベースに作るべきではなく、社会人ベースに学生を入れた方がよい。ついでに就職有利の利点であるが、確かにそういう側面もあろう。しかしそれが看板倒れになる可能性もある。ロータリアンが、自ら経営する会社に採用しようと積極的に動くケースは稀だからである。まったくないとは言わない。事実私も提唱RCではないが、当時活動していた地区内のあるロータリアンから誘われたことがある。自分で言うのも照れるが、それも資質であろう。RACに入っていようがなかろうが、不景気な世の中でも資質のよい学生は引く手数多である。それよりも強調してもらいたいのは、学生だけで完結してしまう生活のなかに、アクターの先輩としての社会人と常に接する機会であること。これだけでも学生にはよい刺激になる。提唱ロータリアンからは、人生の成功者たる貴重な経験談が聴ける。文系学生なら、ロクでもない教授のつまらぬ講義を聴くより、生々しくも参考になる。ただ、その地元財界人が就職活動の口利きをしてくれるとは限らない。あくまで自己を磨く場であることは、誤解させてはいけない。
 3点目の賞金贈呈は、よくわからない。RACに競わせて褒賞金を与えるということか。

RI本部が決めた絶対譲れない精神とか運営条件は別として、国情や地区の事情に合わせた運営の方針があっても良い

 ムリな会員増強、寄付を渋る会員…これらはRCの話である。最後に来てロータリアンとしての本音が垣間見えて微笑ましい。つまりはRC自体も問題を抱えているに他ならない。RACを、若者を育てるなどおこがましいのである。
 魅力あるRACを作るには、定款細則に反することなく、国・地域の実情に応じたシステムが求められる。でなければ会員増強は図れない。

 

 

参考文献
1) 曽布川尚民(浜松RC会長) : 臍曲がりのローターアクト論, 2002-03年度 国際ロータリー第2620地区ガバナー月信No.9(2003)
2) 2003年3月19日付「産経抄」(産経新聞
3) RAC総研 : RAC経験者のRC入会に関する調査 (2001)

 

[ 2003.3.20 受稿 ]


 * 札幌東RC新世代委員長(2002-03)
 Key Words : 感想,提唱,結婚,国情