| key word | ||
| 戻りたい戻りたくない。 | ||
| today's photo | ||
| 6日目、カッパドキアにて。 | ||
| today's hotel | ||
| なし |
| 軍事博物館 | ||
今朝の寝起きはまあまあ。今日帰国するのだな、ああ、もう少し居たいな。そう思いながらロビーで寛ぐ。10:00過ぎに出発なので、hotelより徒歩で軍事博物館へ向う。今日の相棒はツアーでご一緒したW氏。寄寓にも実家傍の某学院のobでした。帰国後は社会人一年生とのこと。 1993年開館した此処はかつて陸軍学校であった。しかしその始まりは15世紀、征服王メフメット2世がイスタンブール征服の証として武器や兵器を教会に展示したのが始まりである。 此処の軍事コレクションは12世紀から20世紀にかけての武器、武具など、トルコのものだけではなく、欧州や中近東各国のそれをジャンル別に陳列している。(但し説明は大雑把であったが) 弓矢、鎧、兜、鉄砲、刀(短刀、サーベル、多種多様)、馬具、勲章、軍服、軍旗、大砲、第一次大戦で使われたジープなど。とにかく盛り沢山でわくわくした。 実は15:00〜16:00にイエリチェリ(親衛隊)軍楽隊によるコンサートが開催されている。親衛隊の装束に身を包んで、軍楽隊が指揮者に向って円形に並び演奏する、博物館最大の呼び物であるが、先日クルーズを選択したため此方は諦めざるを得なかった。聴けないんだな、思っていたらなんと、正門脇の広場で練習しているではないか。大砲をぐるりと囲んで。 装束はごく普通の格好、軍服もちらほら。しかし、目を瞑るとそのままの勇壮な軍歌が響いてくる。シンバル、小太鼓、太鼓。ホールの中だと音響効果もあり、もっと壮大なのだろうが、爽やかな朝の青空の下、ラフな服装の軍楽隊の演奏に遭遇する機会は余り無い。練習とはいえ、充分に鑑賞できるものでごさいました。 開館直後に入館した為、我々の足音と話し声だけが響く。 ああ、ここでも。cd購入するのを忘れてしまいました。全くもって、心残りを各所に置いていくイスタンブールである。 |
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| 極めて個人的な郵便事情 | ||
いよいよ帰国の段になって、なにか、すべき行為をせずにいる、何処かしら落ち着かない心地がしていた。それが何であるのか、気付いたのは空港の出発ロビー。あとは搭乗するだけ、という時であった。 友人への葉書を、投函していなかった。 空港内には郵便ポストはない。添乗員さんに相談する。日本から送りますか?いえー、それは余り意味がないかと。とりあえず訊いてみますか、とグランドホステスに頼んでみる。予想通り見向きもせずに「no!」と。責任問題になるので拒絶されたのかもしれない、と理解しつつも、断るにしても断り方があるだろう。アエロフロートへの悪印象を強める。 滑走路までシャトルバスで出る。空港は公的施設なので余り不穏な動きは出来ない。ああ、どうしようどうしよう。飛行機の傍らに居た地上勤務の、背広を来た恰幅の良い男性に駄目もとでお願いしたところ、笑顔で受け取ってくれた。これでもし彼が投函を忘れても、仕方ない。手を合わせてお願いするポーズをとった。 彼はにこにこ微笑んでいた。帰国後、宛先の友人から連絡を受けたときは、ほっとすると同時に嬉しくなった。名前を尋ね忘れたこと、これは失策だった。アエロフロートのあのおじ様。お手数かけました。ありがとうございます。 |
| 帰国の途 | ||
| 旅が終わりに近付くと、感傷と寂寥が胸の隙間に入り込む。しかし、一刻も早く自分の部屋へ戻りベッドに大の字になりたい、そんな気持ちもないでもない。 それにしても今回のこの旅は、下調べも殆どせず、ガイドさんの話を聞きながら、バスの中でガイドブックを愛読していた。帰国後遡って調べものの嵐。しかし、これ程までに知識欲に支配された地は初めてで、例えば軍事博物館やアヤソフィア等先程訪問したばかりの場所にも、舞い戻り検証したいなどと思い始めている。 旅を繰り返すのは、この地を充分堪能した、という満足感からではなく、行きそびれた、食べそこなった、見逃してしまった、という後悔或いは未達成感が、持って生まれた放浪癖を牽引するからではないだろうか。今度こそ、今度はきっとと加速しながら、片方では更なる知識と欲望を充足できる地との巡り会いを希求している。制覇するという感覚より、とにかく新しい地を知りたい、という好奇心のみで動いているのだろう。 究極欲張りなのだ。しかし、一度訪れた地へリピートする楽しみは、沢山在るほうがいいかもしれない。二度と行かないと思っていても、気が付けば幾度も通っているかもしれないし、年齢を重ねれば、私の思考も嗜好も志向も当然変化する。その変化は予測不可能だが、今よりももっと視野が広く、感性も柔軟になっていたら、より実り多い旅を満喫出来るのではないかと思う。 それがいつになるか分からないが、自分の内なる小さな耕地が実り豊かになる頃は、今、このようにぼんやりと旅していたあちこちの地の思い出が、その種の欠片になっていることを、他人事の様に、心密かに期待している。 |