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EL TOPO
エル・トポ(1969/メキシコ映画)
ホドロフスキーが監督・脚本・音楽・衣装・主演。
パッケージには、
「もしフェリーニが西部劇を、クロサワがキリスト映画を撮ったらこうなった」。
ジョン・レノンが「エル・トポ」と次回作の独占配給権を買い取った
との逸話が書かれている。
だが、どちらも自分とは関係無いし、映画鑑賞において影響も受けない。
ただ、ある種当時のアンダーグラウンド界の兆児であったことは伝わってくるので、「ああ、こういうのがあのころのサブカル受けしてたんだな」とは思った。
結論から言えば、本作は比類なき傑作である。
最近見た映画の中では「黒いオルフェ」と並んで、魂を揺さぶられる作品だった。
確か、
創世記
予言者
詩篇
黙示録
の4部+プロローグにわかれていた。順序は少し違うかもしれし、何か
抜けているかもしれないが。
以下にその区分けとは関係なく、起承転結を元に4部に分けたストーリー展開を記す。
プロローグ
画面に出てくるのは、ブロフィール不祥の無法者っぽいガンマンと、その養い子。
ガンマンは黒の皮服に身を包み、子は裸。2人が一頭の馬に乗って(おそらく当て所(あてど)なく)旅している。
1/4
これまたプロフィール不祥の、町人を処刑しまくっている敵を殺す。
敵による処刑シーンが延々と続く。大ボスはさっくりガンマンに倒される。
が、ここで大ボスの女とガンマンが宿命の出会いをする。ガンマンは女に導かれ、「俺を殺しに来い」と言い残して、養い子を捨てる。
ここでの名シーンは、大ボス(大佐と呼ばれていた)の女のキスシーンである。
1.大ボス曰く、部下に「女が欲しければ、犬のように頼め」
2.5〜6名の部下が、言われたとおりする
3.大ボス「キスしてやれ」
4.女、全員にキスしてまわり、胸をはだける
プロセス中、4が極めて”良い絵”であり、本作の最高傑作シーンである。
絵だけ取って見れば、純愛の絵そのものであるところが、美しい。
2/4
女にそそのかされたガンマンは、砂漠に住む4人の銃の名手と対決する。
名手たちを一人一人倒していく決闘シーンが延々と続く。
4人の名手は、それぞれが非常識な強さを持ち、当初ガンマンを圧倒する。だが、その反面、非常識な弱さも合わせ持つため、ガンマンの珍妙な手段によって倒されていく。
例えば、4番目の最強の名手は、拳銃の弾を虫取り網で取ってしまう。また、ガンマンが殴っても、すべての拳を診切って避けてしまう。そして姿はみすぼらしい老人。
強過ぎる。とても敵わない。しかし老人は、人生に絶望していた。
「なぜ私を倒すのか。倒しても何も無いぞ。お前に私を殺しても無意味であることを教えてやろう」
と語り、ガンマンの銃を借りて自殺する。
無意味さを知ったガンマンもまた、絶望する。
道中で知り合った、女アウトローに、撃たれるままになり倒されてしまう。
宿命の女は、ガンマンではなく女アウトローを選び、ガンマンを残して去る。
死にかけているガンマンは、フリークスの群れに運び去られる。
3/4
ガンマンは、数年間死んでいた。
しかし新たな使命を帯びて、聖者として再生する。指輪物語のガンダルフのごとく。
聖者の使命とは、健常者にしか出られない洞窟に取り残されたために、近親相姦を重ねてフリークスの集まりとなった集団を、洞窟から出すこと。
聖者は、小人症の女と共に、フリークスたちを洞窟から出すための穴を掘ろうし、洞窟から出て行く。
トンネルを作るためのダイナマイトや穴掘り用具を買うためには、金が必要であった。
2人は、自らが見世物となり、金を稼ぐ。
2人が始めて愛をかわしたのは、見世物としてであった。
「哀れな乞食と、小人症の女の始めての交わり」。これを売った。
だが2人の愛は真実となる。
そこで、2人が結婚するために訪ねた教会の神父は、ガンマンが捨てた養い子(以下ジュニア)であった。
ジュニアは、ガンマンを殺そうとする。
「待ってくれ、私はトンネルを掘らなくてはならない。その後なら、私を殺していい」
ジュニアは承知する。
2人が逃げ出さないように見張るジュニア。
しかし逃げるそぶりも手抜きをするそぶりもないが、作業は遅々として進まない。
「君が手伝ってくれれば、早く終わる」
そして3人は見世物を行いながら、穴を掘る。
トンネルはついに完成した。聖者の覚悟は完了していた。
しかしジュニアは、「師は殺せません」と言うしかない。
完璧なストーリーテリング。
4/4
トンネルから現れるフリークスの群れ。
彼らは町へ向かう。「今行ってはダメだ!」止める聖者。しかし無駄であった。
フリークスは町へ向い、入り口で(なぜか)待ち構えていた町人の銃により、全滅してしまう。
再び絶望する聖者=元ガンマン。
聖者は町人の弾丸を全身に浴びる。
だが、死なない。彼には使命が残されていたから。
聖者は銃を奪い、町人を惨殺する。
この一連の撃ち合いが本作のクライマックス。
撃ち合いシーンの最中、小人症の女が聖者の子供を身ごもっていることが暗示される。
完璧な構成と言えよう。
町は廃墟となった。
そして、聖者は自らガソリンを被り、天国に向う。地獄を選んだのかもしれないが。
全てが終わった後、ジュニアと、小人症の女が、一頭の馬に乗り、町を去る。
プロローグとリンクしループした、美しい終末。
映画のオープニングタイトルで語られた警句は以下であった。
「モグラは太陽を求めて、穴を掘りつづける。
しかし、地表に出ると、彼は失明してしまう。」
本作は比類なき傑作である。
3/3 の序盤までは、「映像は美しいが、なんだか良くわからない」というのが正直な感想だったが、その後の完全なストーリーテリングに感嘆した。
そしてそこまで観て行くと、中盤までの「なんだか良くわからなかった」画面たちが、意味を為して突き刺さってきた。
例えば、書家の名書の部分部分を見て、「飛び散ってるなぁ、なんかカスれてるなぁ、よくわからんなぁ」と思うが、一歩離れて遠くから観てみると、「よくわからなかった」部分が、書を構成するのに必須の部分であったことがわかる。
その感覚である。
序盤から「全ての画面が」「誰にでも意味がわかるように」構成されているハリウッド映画(ないしその影響下の娯楽映画)の眼で、本作を理解するのは無理である。
それは、「ドラゴンボール」や「はじめの一歩」を読む感覚で、「甲殻機動隊」や「殺し屋1」を読んだら意味不明というのと等しい。
理解するためにはさまざまな要素があって、一概には言えないが、
「美しいものを美しいと感じる」 = 一般常識にそぐわないからといってむやみに否定しない
「わからないところはわからないと認める」 = 知ったかぶりをしない、自分にわからないからといって貶さない
「最後まで見てから、全体像を反芻する」 = 場面場面で投げ出さない。たかだか二時間の映画である。
の3つの要素があげられるような気がする。
一言で言えば、「偏見を捨て、素直に観る」、これであろう。
最近見た映画の中では「黒いオルフェ」と並んで、魂を揺さぶられる作品だった。
■ End Of Text
2003/03/21