今月の神父様のお話 3
2013年5月〜14年6月

主の晩餐(機密の晩餐)その二
(2014年 6月のお話)
生くる父、われを遣わし、
かつ父によりて生くるがごとく、
われを食らう者も われによりて生きん。
これはすなわち、天より降りし餅(パン)なり。
爾等(なんじら)の先祖がマンナを食らいて、
死せしごときにあらず、
この餅を食らう者は世々に生きん。
〈イオアン(ヨハネ)福音書6章参照〉
聖堂拝観でうける質問のベスト3。
一 この十字架はどうしてこういう形なのですか?
これについては、いろいろな本に説明が掲載されていますので、がんばって自分で
解決しましょう(『オーソドックスとカトリック』サンパウロ刊など)
二 正教会(オーソドックス・チャーチ)の総本山はどこですか?
ローマ・カトリックの一派だと思っている人がけっこういます。
これも本などを読んでまったく違うことを認識しましょう。
三 聖障(イコノスタス)の向こうは何ですか?
団体の拝観で引率している人の中には、今日は神父様の御説明は不要ですと宣言し、
「聖障(イコノスタス)の向こうは聖界で、こちら側(聖所)は俗界です」と明言!? する人も
おられ、正直、びっくりすることがあります。
正教会の巡礼についても、「あれは四国のお遍路さんや金比羅さん参りと同じです」、
断言された引率者がおられ、心底おどろいたこともあります。
聖堂はすべて聖なる神の家です。
聖障を境にして、聖界と俗界の区別をし、参祷者を差別化する発想は、正教会にはないものです。
聖障の中央、天門(王門)の上に主の晩餐(機密の晩餐)の聖像を安置するのは、
ここが聖なる晩餐が開催される特別な扉であることを物語っています。
聖障の向こうは、ひらたく言うと「聖なる台所」そして「食堂」です。
ここで、羔(こひつじ)、特別に成聖された聖パンと甘い赤ぶどう酒が準備され、
聖障の門が開いて、準備して聖堂にきた信仰者にふるまわれるのです。
聖障の向こうには、向かって左奥には奉献台という準備ための台、中央には宝座という
おおきな聖卓(テーブル)などが配置されています。
4世紀以降、クリスチャンの人数が急激に増えたことに対応して、
聖堂中央から押し出されるようにして、至聖所が特別に誕生していきます。
たしかに至聖所は特別な部屋ではありますが、瑕疵(かし)なく聖体機密を
執り行うために、聖障が仕切りとして編成されているわけです。
主の晩餐、機密の聖餐の聖像では、聖使徒らが、円形あるいは楕円形に
主イイススを囲みます。
暖かな愛情あふれる情景です。
ただひとりイスカリオテのイウダ(ユダ)をのぞいては。
主の晩餐の聖像は、救いの神をまっすぐに見つめ、たとえ挫折し横道にそれても
かならず立ち帰るようにと、その道すじを照らしている灯台のようです。
たとえ迷いがあったり、疑いがあっても、わたしたちは、主の晩餐の聖像の前に集い、
領聖(聖体拝領)の恵みを信じて祈りつづけましょう。 (パウェル及川信神父)

主の晩餐(機密の晩餐)その一
(2014年 5月のお話)
ああ、大いにして至聖なる「パスハ」ハリストスや、
ああ知恵と神の言葉と能力(ちから)や、
爾(なんじ)が国の暮れざる日において
われらになお親しく爾を領けさせたまえ。
〈聖金口イオアン聖体礼儀「領聖後の祝文」〉
ハリストス 復活!
聖体礼儀、聖体拝領(領聖)後の祝文が、復活大祭で歌われる「復活の讃歌」であることを
知っている人は少数です。日本にあっては、聖職者が使用する『奉事経』を手にする人は少数
だからです。
「ハリストスの復活を見て」にはじまり、「新たなるイエルサリムや光り光れよ」そして冒頭に引いた
聖歌が祝文として至聖所では朗読されています。
日曜日が主の日、まさに復活祭の特別な日であることを、明らかに宣言します。
そうです。聖体礼儀の執り行われるとき、その日、その時間、その場は、いままさに
復活の日、パスハの時となります。
聖歌、祈祷文は、それを表現し、聖堂の聖障(イコノスタス)は、中央の門に左右に
聖所から向かって右にハリストス(キリスト)、左に聖母子(生神女と幼子イイスス)、
門の上には主の晩餐(機密の晩餐)の聖像を安置し、主の日、聖体拝領の時の来ていることを
体験させます。(上記は、イリナ山下りん作と伝えられている人吉生神女庇護聖堂のイコン)
この聖像には十二使徒が描かれています。のちに裏切るイスカリオテのユダ(イウダ)、
だれがユダかみなさん、探してみて下さい。
最年少の弟子、主の十字架後、生神女をひきとった聖使徒イオアン(ヨハネ)もいます。
先日、岡山の聖像画家 白石孝子先生に、人吉聖堂のために素晴らしい主の晩餐を
画いていただきました。
白石先生の主の晩餐は、3月に成聖された茨城県圷(あくつ)会堂にも安置されています。
また足利聖堂のための主の晩餐聖像の制作を、いま継続中とのことでした。
さてその歓談の中、白石先生から、若き聖使徒イオアンの画像についての言及がありました。
あの有名なレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」でうら若き女性のような長い髪の聖使徒像が
描かれ、その影響を受けた? せいなのか、ロシアにおいても、女性のような聖使徒像が画かれる
ようになってしまったのだそうです。
歴史的に見ても、ロシアは西欧の文化・文物の影響を多大に受けた時期があり、聖像にも
そうした時代の波浪が浮き彫りにされています。
若き聖使徒は、イイススの胸に寄りかかるように描かれているものもあれば、ほかの使徒同様に
腰かけて(やや前傾になって)イイススを見つめている画像もあります。
人吉聖堂の主の晩餐は、ほんとうに小さな作品です。
でもこの聖像が、人吉・球磨郡の数多くの信徒の領聖を見守り続けてきたわけです。
この聖像も大切に継承し、なおかつ正教会を盛り立ててゆきたいと祈ります。
実に 復活! (パウェル及川信神父)

大斎期の祈り(領聖の日々)
(2014年 4月のお話)
天の糧と生命の爵を味わえよ。
主のいかに仁慈なるを視ん。
アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ。
〈大斎期 先備聖体礼儀「領聖詞」〉
ハリストス 復活!
復活大祭へと向かう大斎期、祈りの日々にあって、頻繁な祈りと聖体機密での
領聖の日々が続きます。
(上記写真は大斎研修会・先備聖体礼儀 大阪聖堂での領聖光景 3月21日)
あたかも心と身体の奥底へ、祈りを波動として定着させるかのような日々です。
これをじっくり体験すると、ふだんの土曜の晩祷、主日聖体礼儀は、正教会の祈りの
ある部分(もちろんそれは大きなものですが)であることがわかります。
たとえれば、巨大な氷山の海の上に浮かんだ目に見える部分が土日の祈りです。
九割以上の海面下の水没している容積は、厳然として存在しているのに、
多くの人の目には見えていません。
人の体や心、人のあり方に似ているのかもしれません。
物事は、目に見えている、耳に聞こえてくるものだけで判断してはいけない一例です。
大斎期の聖堂での祈りにはいくつかの特徴があります。
一 祈りの基本の確認
天の王・至聖三者祝文・天主経(天に在ます)そして信経(ニケヤ・コンスタンティノープル
信仰箇条・告白)などを、何回も朗読します。これは復活大祭に向けて啓蒙者(洗礼希望者)が
修練を積む期間であると同時に、わたしたち信徒一人一人の確認の日々でもあるからです。
二 時を定めての祈り
聖堂の扉をできるかぎり開放し、時を刻み、人を祈りへと招きます。
人の時が天地を支配しているのではありません。神の時はいま満ちています。
三 領聖(聖体拝領)
平日も含め、できるかぎり頻繁な領聖は人の信仰を清浄に養います。
人はどうしても理屈に拘泥(こうでい)してしまうものです。
でもその呪縛、しがらみをあっさり解く努力をしないと、成長できません。
信仰をすれば周囲の景色が変わっていくように錯覚してしまう人がけっこう多いのですが、
変容すべきは本人自身であって、周囲ではありません。
でも洗礼を受けた時、自分と周囲を曲解して判断してしまう人の何と多いことでしょう。
大斎期の祈りは、そうした曲解を微塵に打ち砕きます。
ともかく信仰者は黙って神の言葉を受け容れることが必要なのです。
他人や周囲への評価は二の次です。
目を覚まし、覚醒、耳を澄ませて、静かに聴くべし。
人を生かし成長させて下さるのは神です。
そう悟ったとき、きっと人生は明るくなり、肩の荷≠ェすっと楽になるでしょう。
実に 復活! (パウェル及川信神父)

石巻 聖堂(旧聖堂の復興)
(2014年 3月のお話)
われらは死より生命に移りしを知る、
兄弟を愛すればなり。
兄弟を愛せざる者は死に居るなり。
彼の誡めは、その子イイスス ハリストスの名を信じ、
かつ彼がわれらに誡めしごとく 相愛(あいあい)するに在り。
〈新約聖書「イオアン(ヨハネ)第一公書」3章参照〉
ハリストス 復活!
1枚の絵。
「ツナガル」
ソフィア佐々木仲子姉の作品。
昨年、京都でも開催された第101回日本水彩展(2013)で観ることができました。
人と人とのつながり、細い糸を選りすぐって、たぐりよせるような思いがしました。
東日本大震災から3年。
大地震に揺られ、津波被害に遭遇しながらも、奇蹟的に生き残った旧石巻聖堂。
「聖使徒・福音者・神学者聖イオアン」を記念する聖堂は、かつて石巻市に寄贈され
長らく市の文化財として人々に愛されてきました。
その傷んだ旧聖堂が、ようやく復興するというニュースを聞き喜んでいます。
わたしが石巻正教会を初めて訪れたのは、故フェオドシイ永島府主教座下の随行と
してでしたから、30年以上も昔のことになります。
当時の司祭は故ニコライ築茂三郎師。
独特な形の旧聖堂の特徴をくっきりと反映した新しい聖堂が印象的でした。
築茂師は、「ちいさなお子さん・赤ちゃんがいても聖堂のお祈りに参加できるよう
ガラス張りの部屋を造った」と、うれしそうに語っていました。
その築茂師のあとを受け継いだのは、わたしの僚友であり、同労者、敬愛する年長の
戦友でもあった故アレキセイ松平康博師です。
日本の東と西に分かれながらも、共に福音宣教に携わり、1年に一度真夏の7月に
東京(全国公会)で会い、年に3、4回電話で長話をする習わしは松平師が永眠するまで
つづきました。
その思い出いっぱいの石巻の聖堂と市文化財の旧聖堂。
思い出は生命を宿しています。
大地震が起きて1年4か月後の7月(2012年夏)、マルコ小池祐幸師のご案内で
名古屋のゲオルギイ松島雄一師と共に石巻を再訪しました。
引退直前のワシリイ田口三千男師は、東海道宣教ブロック時代の静岡正教会の神父様。
またまた懐かしさがこみ上げてきました。
聖金口イオアン聖体礼儀でわたしたちは祈ります。
「われら互いに相愛(あいあい)すべし、同心にして承け認めんがためなり」
「主、われの力や、われ爾を愛せん、
主はわれの防固(かため)、われの避所(かくれが)なり」
信の友への思いは永遠に変わることはない、そういつも祈っています。
その祈りの背景の中に建つ石巻の聖堂。
わが身は西日本にありますが、故郷でもある東日本、三陸の光景、信の友を
忘れることはありません。
実に 復活! (パウェル及川信神父)

白い雪(聖なる象徴)
(2014年 2月のお話)
おまえは雪の倉に入ったことがあるか。
霰(あられ)の倉をみたことがあるか。
だれの腹から霰は出てくるのか。
天から降る霜(しも)はだれが産むのか。
〈旧約聖書「ヨブ(イオフ)記」38章参照〉
人を甦らせる雪
「忠実な使者は遣わす人にとって、刈り入れの日の冷たい雪、
主人の魂を生き返らせる」(箴言25・13)
この聖句は、その前文、「聞き分ける耳に与えられる賢い懲(こ)らしめは
金の輪、純金の飾り」に呼応します。
苦衷にある人を立ち直らせ、新たな道を選択させる「きっかけ」となるような「こらしめ」
「忠告」「助言」あるいは出来事は、せっかくの実り豊かな田畑・果樹を雪で覆い尽くしてしまう
一見、過酷な現象に見えることでしょう。
夢に見、期待して精進して努力したものが、獲得できるはずの収穫が、目の前で霧散し
手の中をすり抜けてしまう悔しさ、悲しみ。
でもここからがほんとうの始まりです。そこがスタートラインです。
神様を信じつづける「信仰の体力」を失わないようにしましょう。
復活をあらわす雪
マトフェイ(マタイ)福音書28章は、天使の姿が「稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」
と表現します。
死よりの復活、復生、新たなる人生、真の生命、永遠は、太陽の光に輝く雪のような白さです。
預言者ダニイル(ダニエル)は、神秘的啓示を語ります。
「王座が据えられ、〈日の老いたる者〉がそこに座した。
その姿は雪のように白く、その白髪は清らかな羊の毛のようであった」(7章参照)
雪の白さは、救いの成就を、復活の完成を謳(うた)います。
それは洗礼の衣であり、主教や司祭、聖職者らがまとう祭服であり、
わたしたち一人一人の求めてやまない清らかさの象徴でもあります。
雪はやがて融け、野山・山渓を潤し、地下を満たして聖なる泉を湧きあがらせ、
川を生じ、海を充満し、天より雨と雪を恵む源になるでしょう。
雪は信仰者を生き返らせる「清涼な恵み(恩寵)」です。
(パウェル及川信神父)

十字架を仰ぐ(希望 信の絆)
(2014年 1月のお話)
恵みを必要としている人に
聖神の恵みの賜物を分かち与えなさい。
ちょうど、この世で燃え続ける明るいロウソクが、
自らの光を失うことなく、他の場所に立つ
すべてのロウソクに点火して照明としていくように。
もしこの世の火についてそう考えるのならば、
神・聖神のあらゆる恵みの火については、
何と表現すればよいのでしょうか。
(『ロシア正教会と聖セラフィム』サンパウロ)
ハリストス 生まる! 崇め讃めよ!
祈りとは 何でしょうか。
祈りの人は、無尽蔵のエネルギーをたくわえた蓄電器(バッテリー)を内蔵し、
永く信の火を燃やし続けることのできる静かな人ではないでしょうか。
ながらく文通をしていた遠くの方がいます。
会報や正教会の資料を送り続けていましたが、結婚するので送付を止めてほしいと言ってきました。
相手の方がキリスト教に関心がなく、そこの家の宗教に帰依するためとのことです。
その方の近くには正教会の聖堂があり、行くようにお勧めしたのですが、ついに一度も行かずじまいのようでした。
さいごに送られてきた手紙には、一度どこかの教会へ行ったときに
「聖職者と呼ばれる牧師から心ないひと言があり、
それがわだかまりとなり、怖くて教会へ行けなくなってしまった」
と書いてありました。
残念です。
本や聖歌のCDで見聞した憧れの正教会。
聖像や聖堂のすばらしい神秘に満ちた信仰の世界。
でもその入り口でつまずき、目を背け、耳をふさいでしまう人のなんと多いことでしょう。
祈りの人とは、繊細・過敏でありながら、神様を求めてやまない人です。
ただ「居心地の良い場所」を求めているのではなく、「救いの福音」を信じ求めます。
ある作家が本に書いているように「鈍感」も大事です。
神様の救いに結びつかない出来事を、聞かなかったこと、見なかったことにしてしまい、
さっと心身の整理をつけ、福音に胸躍らせるほうがいいでしょう。
あまりにも賢く利口に生きるのではなく、神様のために思いっきり、お馬鹿になって生きる、
正教会の聖人 佯狂者(ようきょうしゃ)のように生活してみる、すなわち
わたしには「神様がいっぱい」で、ほかのことは入りようがありません、と自分に言い聞かせましょう。
神様の導きの言葉・救いの福音を信じず、人の妄言(もうげん)を鵜呑(うの)みにする、
この生き方はやめましょう。
もちろん神様へ行く道には、いろいろな障害・遮蔽物があることでしょう。
行く手に大きな川や海があり、逆巻く波浪やどこへ向かっているのかわからない渦巻きも
あるかもしれません。溺れそうになることもあるでしょう。
でも預言者イオナ(ヨナ)が大魚に飲み込まれ吐き出されたように、わたしたちは苦難に
飲み込まれそこをくぐったときに、神の手を発見することでしょう。
それをわたしたちは、
「希望」
と呼びます。
その一歩を、踏み出すか、縮こまったまま現状維持を選ぶか、きびしい話ですが、
選択ができるのは「本人」ひとりです。
神様を信じるのであれば、人生上のいろいろな「こだわり」「わだかまり」「しがらみ」から
自らを解き放す、解放する努力も大切なのではないでしょうか。
人が自分を解放するきっかけが大事です。
それゆえ正教会には「洗礼」があります。
復活、永遠の生命はただの格好の良いキャッチフレーズではなく、
泥臭く一生懸命「神様を信じて生きるとき」に獲得できるのではないでしょうか。
心ないひと言……、いろいろな人間関係を盲目に信じてしまうのではなく、
いま目の前に広がる神様の救いを確信するほうが、人生を豊かにするのではないでしょうか。
あなた、わたしが、思わず立ちすくみ、歩みあぐねてしまった障碍(しょうがい)は
神様の導きのもと先に進んで、ある日振り返ってみれば
なんとちっぽけで、ささいな一事ではないか、そう感じられる日が来ることでしょう。
「希望」
神様への希望はわたしたちに勇気をあたえ、未来へと足を踏み出させる信の絆です。
十字架を仰ぎ生きていきましょう。
*写真:ルエン修道院近くの山に立つ十字架(ブルガリア バウレンスカ・マリア姉撮影)
(パウェル及川信神父)

聖預言者モイセイ(モーセ)
(2013年 12月のお話)
昔 奇蹟を行うモイセイの杖は
十字形に打ちて海を分かち
車に乗りて追い来るファラオンを沈め、
徒歩(かち)にて逃るるイズライリ、
神を讃め歌う者を救いたまえり
(土曜・晩祷 早課 第8歌頌)
ハリストス 生まる! 崇め讃めよ!
正教会の信仰において、聖預言者モイセイ(モーセ)は特別です。
旧約聖書の、最初の五巻、創世記〜申命記は「モイセイの五書」と言われます。
聖書の根幹には律法と預言がありますが、モイセイは双方を確立し神と人との仲立ちとなった
「仲保者(ちゅうほしゃ)」です。
出エジプト記が記述している「紅海の奇蹟」は、聖洗機密(洗礼式)の予兆であり、なんと言っても
生神女福音、永貞童女マリア(マリヤ)の神秘の懐妊と救世主イイススの誕生を表信する奇蹟。
そのときモイセイの携え掲げた杖には、ヘビ(蛇)が巻きついており、その杖は主イイススの
十字架を啓示しています。
ヘビに象徴される罪、陥罪、苦痛、死は、同じヘビの巻きついたモイセイの杖によって
新たな生命を恵む「十字架」となります。
復活、再生、新生があります。
モイセイの杖は、エデンの園の善悪を知る木と命の木を象り、同時に救いの十字架を象ります。
罪と死を表すヘビがまとわりついた木(杖)に、自ら上ったイイススは、「ヘビの首(かしら)を
砕く者」となりました。
モイセイは預象し、イイススは神の事業を完成させます。
その生命の木の実の果実こそが、聖体機密(聖体礼儀)の聖血・赤葡萄酒、
聖体・羔(こひつじ)聖パンです。
壮大な救いの歴史、神の救世の事業の一翼を担い、わたしたちに初めて十字架の徴(しるし)を
画いて見せた聖者こそがモイセイです。
それゆえわたしたちはこう祈ります。
「救世主や、わが不法は多し、祈る、われを悪の淵より引き上げたまえ。
われなんじに呼べばなり、わが救いの神やわれに聞きたまえ」
(パウェル及川信神父)

奇蹟の聖像(京都聖堂へ)
(2013年 11月のお話)
印(しるし)の生神女(聖母子)
Kursk-Root Icon of the Mother
of God
Курская Коренная икона Божией Матери
至聖なる女宰、神を生みし者よ、
爾は凡その天使、天使首らに超え、
凡その被造物に優りて誉れある者、望みなき者の望み、
貧しき者の守護者、悲しむ者の慰め、飢うる者に食を施す者、
裸なる者に着せる者、病む者の癒し、罪人の救い、
凡そのハリスティアニンらの助けと守りなる者。
嗚呼、憐れみ深き女宰、童貞にして母たる者よ、
爾の慈憐によって尊貴なる府主教、大主教、凡その神品、修道士ら、
忠信なる為政者、国を衛る者、凡そ権威にある者、
凡その正教のハリスティアニンらを助け憐れみ、
彼らを爾の尊き覆いによりて守り、爾より種無くして身を取りし者、
ハリストス我等の神に、上よりの能力(ちから)による、
見ゆると見えざる敵からの守護を熱切に願い給え。
嗚呼、最も慈憐なる女宰よ、罪の淵より我等を引き上げ、
飢饉、疫病、地震、水難、火難、剣難、外攻、内乱、
予期せぬ死、諸敵の攻撃、凡その凶悪より救い給え。
嗚呼、いと純潔なる者よ、平安と健康を爾の僕婢、
凡その正教のハリスティアニンらに与え、彼らの心を照らし、
彼らの霊の目を救いに向かわしめ給え。我等、罪なる僕婢に爾の子、
ハリストス神の国を与え給え。蓋、爾の権柄は無原の父と、
至聖至善にして生命を施す神(しん)とともに、
讃美と光栄を満ち被るがためなり。
今もいつも世々に、アミン。
クルスクの聖母子聖像の記念
祈祷文試訳(マリア松島純子マトシカ)
11月8日(金)晩祷(モレーベン・感謝祈祷とアカフィスト・生神女への讃歌)
9日(土)記念聖体礼儀が、京都生神女福音大聖堂において献げられました。
(上記聖像写真 キリィル大主教座下から贈呈された
左「受難者聖ニコライとその家族」(さいごのロシア皇帝の一家)聖像、
中央「クルスクの聖母子(生神女)木の根のイコン」、右「至聖生神女之福音」イリナ山下りん画)
サンフランシスコおよび西アメリカの大主教キリィル座下はじめ、長司祭セラフィム・ガン師、
司祭ニコライ・オルホフスキー師、長輔祭アレキサンドル・コトラコフ師、
駐日ロシア正教会(ポドヴォリエ)のニコライ・カツバン師、大阪のニコライ松田光剛輔祭。
8日は130人、9日は265人(領聖者 大人90人 子供35人)。
南は九州から北は北海道まで、大阪の水口マトシカ、豊橋の酒井マトシカ、
名古屋の聖歌指揮者松島マトシカ、神戸のイーゴリ清水兄ら、多くの皆様と共に祈りました。
これだけたくさんの参祷者に恵まれたのは、奇蹟の聖像の恩寵です。
京都の信徒の皆様、なんといってもアレキサンドル安田兄・クセニヤ安田姉ご夫妻のご尽力、
有形無形の神恩に満たされ、聖神の充満を体感し、感動しました。
京都そしてわたしたちにとって新たな出発点となる祈りの日、奇蹟体験です。
(パウェル及川信神父)

奇蹟の聖像
「クルスクの木の根の生神女イコン」の由縁
1295年生神女誕生祭の日、タタール(モンゴル)軍の侵攻によって焼野原となったロシア、
クルスク郊外の森で、木の根もとに裏返しで落ちている聖像を、ある猟師が発見した。
持ち上げたところに泉が湧いたので、猟師と友人らは、聖像を記念・安置する小会堂(ほこら)を造った。
ところが再度タタール軍が侵攻し周辺と小会堂を焼きはらい、聖像を真っ二つに割ってしまった。
タタール軍の捕虜になったボゴリュボフ神父は解放後、その聖像を再発見し一つに合わせたところ、
元通りに直った。
1597年皇帝フェオドル・イワノヴィチ帝が聖像をモスクワに移し、
9人の預言者を聖像の周りに画き加えた。
主の降誕について預言したソロモン、ダニエル、エレミヤ、イリヤ、ハバクク、ギデオン、
イザヤ、モーセ、ダビデの画像である。
1917年ロシア革命の時、戦乱により聖像を安置していた聖堂が爆破されたが、聖像は無傷であった。
そのあと、難を逃れた聖像は、在外シノド(亡命した在外ロシア正教会)のアナスタシイ府主教たちと共に
アメリカ、ニューヨークに渡った。現在はニューヨークの在外シノド聖堂に安置されている。
渡米後も、癒しの奇蹟などが相次いで起こり、奇蹟の聖像として敬愛されている。
京都聖堂のあと、東京の駐日ロシア正教会(ポドヴォリエ)と東京復活大聖堂を訪問、離日後、
ウラジオストック・ナホトカなど極東シベリアの各聖堂を巡ったのち、帰米の予定。

聖堂百年記念(愛知県半田聖堂)
(2013年 10月のお話)
もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、
ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、
悪の道を捨てて立ち帰るならば、
わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、
かれらの大地をいやす。
今後この所で献げられる祈りに、
わたしは目を向け、
耳を傾ける。
今後この神殿を選んで聖別し、
そこにわたしの名をいつまでもとどめる。
わたしは絶えずこれに目を向け、
心を寄せる。
旧約聖書『歴代誌下』7章参照
10月19日(土)晩祷 20日(日)主日聖体礼儀・祝賀会、教区協賛行事
「信徒交流の集い 半田正教会 百年祭」
(写真は晩祷の光景 左:マリア松島聖歌指揮者 右:ゲオルギイ松島師)
百年前の半田の聖堂成聖のときも、小雨が降っていたそうですが、
今回は台風27号、28号の接近にともなう、かなりの大雨でした。
これぞまさに「祝福の雨」。
半田のダマスクの聖オアン聖堂(聖イオアン・ダマスキン聖堂)。
外見は小さく見えますが、参集した90人ほどの信徒をすっぽり収容しています。
まずこれに驚きました。
「5つのパンと2匹の魚」の奇蹟のように、なんなく祈る人を包みこむ聖堂。
十分に練習を重ねた聖歌は、史上はじめての半田での主教祈祷を
いやが上にも盛り上げました。
当日は、東京からダニイル府主教座下、パウェル松浦長輔祭、
半田の歴代管轄司祭、ワシリイ酒井満師、ゲオルギイ松島雄一師とともに
豊橋のイサイヤ酒井以明師、神戸のエフレム後藤伝教者も加わり、
壮麗な祈りが献げられました。
かつてペトル望月富之助(鼓堂)伝教者は
「覚醒」という啓蒙雑誌を刊行していました。
「警醒せよ、覚醒せよ」とは救世主イイススの言葉です。
信仰者が心に刻んでおかねばならない重い言葉。
「それを造れば、かならず彼はやってくる」
わたしの大好きな映画「フィールド オブ ドリームズ」(原作「シューレスジョー」)の
テーマの言葉。
聖堂を造り、信・望・愛をもって祈るとき、神は必ず来臨します。
(パウェル及川信神父)

天地創造(てんちそうぞう)
(2013年 9月のお話)
神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。
鳥は地の上、天の大空の面を飛べ」
神は水の中に群がるもの、
すなわち大きな怪物、
うごめく生き物をそれぞれに、また
翼ある鳥をそれぞれに創造された。
神はこれを見て善(よし)とされた。
神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、、海の水に満ちよ。
鳥は地の上に増えよ」
夕べがあり、朝があった。第五の日である。
旧約聖書『創世記』1章参照
7月30日31日に開催された教区「夏の集い ぎらぎら燃えるぜ! 正教信仰!」
のとき、子供たちが作成した、大きな絵(ちぎり絵)です。
タイトルは「天地創造」。
さあ、みなさん、動物と植物、何種類、見つけられるかな?
神の国、エデンの園、それは「楽園」とも言います。
四季折々、めぐる季節の中で、人も動植物も、おだやかにゆったり暮らせる
世界。
そこにはなんと言っても、平和があります。
「われら安和にして主に祈らん」
「主、憐れめよ」
正教会の祈りは、「安和」、平和を希求し実現を望むものです。
その祈りは、人の内面ばかりではなく、人と、人を取り巻く自然の眺め、
外界にも「聖なる変容」をもたらし、神の光、顕栄の体験が恵まれます。
「わたしは、天国の喜びが、どうしてこれよりもっと大きなものでありうるだろうか
と考えました。この幸福はわたしの内面だけを照らすものではありませんでした。
外の世界をも、わたしに恍惚の眺めのもとに、現してくれました。
あらゆるものが神を讃え、愛するようわたしを招いてくれます。
人々も草木も、獣も、そのすべてが、わたしにとって親しい家族のようでした」
(「順礼者の手記」)
祈りとは「記憶」です。
人の幸福な存在、動植物の幸福な存在を記憶しない祈りは、破壊と滅びを
招くのではないでしょうか。
そういう祈りのあり方は、おそらく空虚で冷たく、残酷なものにちがいありません。
わたしたちは、他者の幸福を、他者を記憶しつつ祈りましょう。
さらにわたしたちはこう祈りましょう。
「上より降る安和と、われらが霊(たましい)の救いのために主に祈らん」
「主、憐れめよ」
神の恵み、平安に満たされたいま、わたしたちは日常の生活を、信仰生活を
せいいっぱいの笑顔と元気で送るために、神と共に出発します。
「平安にして出(い)ずべし」
わたしたちはつねにこう応えるでしょう。
「神はわれらと共にす」と。 (パウェル及川信神父)

日本の印象(幕末〜明治)
(2013年 8月のお話)
日本の古都、
日本人のモスクワ(京都)で素晴らしい出迎えを受けた。
それから大群衆のいる街路を人力車で進んだ。
いたるところにロシアと日本、ギリシャの国旗が掲げられていた。
大きなホテルに案内されたが、ゲオルギオスと私はそこを断り、
素晴らしい日本式家屋に投宿し、満足した。
夕食会の後に本物の芸者の踊りを見るために茶屋に出かけ、
夜十二時まで芸者たちと陽気に過ごした。
保田孝一著『ニコライ二世の日記』講談社学術文庫参照
昨年9月の日本の国の光照者 亜使徒 大主教 聖ニコライ 永眠百年祭のとき
ロシア正教会のキリィル総主教聖下より、日本正教会に寄贈された大きな聖人の肖像画が
東京復活大聖堂境内、ニコライ会館に飾られています(上記写真はその上半分です)。
りりしく描かれた聖ニコライの偉容と共に、わたしたちの目を引くのが、松の木、
雲海に浮かぶ富士山、江戸城? などの、日本的な風景です。
講談社学術文庫の宣伝をしたいわけではないのですが、この文庫シリーズからは
『ニコライの見た幕末日本』はじめ、ゴロウニン著『日本俘虜実記』、あるいは
『ゴンチャローフ日本渡航記』など、江戸時代後期や末期(幕末)、明治時代の
「外国人から見た日本」を知る貴重な手がかりが散見できます。
外国人の見た日本の風景、日本的な印象には、やはり今年(2013年)世界遺産に
登録された富士山と三保の松原(松の木)、あるいは雲海と日本の山々、
日本画にも描写されている滝、神社仏閣に、お城と侍(武士と刀)、
着物と芸者(舞妓さんも含む)などがあるのでしょう。
日本といえば、もしかしたら、いまだに「浮世絵」の印象なのかもしれません。
聖ニコライは、武士道を高く評価していて、日本の侍は、自らの責任の取り方を知っていると
(切腹のこと)、激賞しています。
後にニコライは、ロシアの青少年を日本に呼び寄せ、柔道などを習得させています。
(永眠百年祭記念写真集に「柔道着を着たロシア人留学生」が掲載されています)
すべての外国人が、こうした日本的なるもの・印象を、好意的・友情的に理解し、
納得してくれたわけではありませんが、江戸後期から明治時代にかけて
日本の柔らかく温暖な風景、人々の折り目正しさ、ていねいな御辞儀、
ウソが少なく約束をきちんと守る勤勉さ、ほとんどの人が教育されていて、
公徳心豊かで、泥棒や犯罪の少ないことなどを高く評価していました。
なんだか東京オリンピック誘致の、現代の世界のIOC委員の評価に通ずる
印象の多いことに、これまた驚きます。
せっかく世界の人が高く評価して下さっているのに、たとえばある社会的に
地位の高い人たちの未熟なというか、視界不良の言動で、日本と日本人への
良い印象が崩れていってしまうことの残念さもあります。
わたしは祖母のマリアあやさんに昔、何度も言われました。
「信用は一生もんだが、たった一度の失態で失うこともある」と。
信用を得るまでの努力はたいへんですが、一瞬のうかつなふるまいで
砂の城が崩れるかのように、その信用を失ってしまう怖さ。
いま日本正教会ばかりでなく、日本社会全体に、海外から来る人、
日本で働き暮らす外国の人が、どんどん増えています。
(逆に留学、就職、結婚などで、海外へ出て行く日本人も増え続けています)
地位のあるなしではなく、わたしたち一人一人も気をつけてゆきたいと思います。
でも一方では、さしたる失言・失態でもないのに、それみたことかと
ウンカのごとくに群れ集まって攻撃を集中する(ネットの世界では炎上というそうですが)、
その怖ろしさにも、わたしたちは心を配らねばなりません。
これは「ゆるし」ではないからです。
わたしたちは「オーソドックス・クリスチャン」、ハリスティアニンです。
時には、おおめにみること、ゆるし、寛容を大切にしましょう。
寛大・寛容のない息苦しい世界には、住みたくないし、ギチギチのゆとりのない社会を形成しない
努力も大事ではないでしょうか。
さて話が脱線しましたが、良い日本、良い日本人、そして「善き信仰者」を、
わたしたちは、善き正教会、より善き正教徒をめざしましょう。
(パウェル及川信神父)

蛙(かえる)
(2013年 7月のお話)
アロンがエジプトの水の上に
手を差し伸べると、
蛙が這い上がってきて
エジプトの国を覆った。
旧約聖書『出エジプト記』7〜8章参照
5月の九州巡回中、時間調整で休憩した、ある公園の池の日だまりに、
たくさんのおたまじゃくしが、黒くて丸い頭を寄せ合っていました。
これはおもしろい、と写真をとろうとしましたら、素人の悲しさ、お陽さまの
光が池の表面に反射して、水中のおたまじゃくしが撮影できません。
これもアイデア倒れか、とあきらめかけたところ、おたまじゃくしのお母さんが
(ということにしておきます)、スイっとやってきて、
「わたしを撮ってもいいよ」
と言います。
なんとわたしの足もとに来て、ぴたっと、ご挨拶したのです。
わたしにはそう見えましたし、直感しました。
そこでパチリ!
お母さん? 蛙は、わたしがそおっと立ち去るまで、じっと見送って
くれました。
聖書では、出エジプト記のほかには旧約の詩編78篇や105篇、
新約の黙示録16章に蛙が登場しますが、その姿形が災いしてか、
好印象では描かれていません。
ヘビやトカゲ、クモやムカデのように、人間に嫌われる生き物として
描かれています。
人間とは身勝手な生き物です。
いまでも実施しているかどうかは知りませんが、40年ほど昔の小中学校では
「カエルの解剖」という授業がありました。
生きたまま解剖する授業でしたので、わたしは(両生類や爬虫類が大好きなので)
とってもかわいそうで、ほかの男の子の生徒らのように、はしゃいで授業に
参加できませんでした。
日本古来の蛙は、平和的な動物です。
はえや蚊を食べてくれる、いわゆる益獣なのではないでしょうか。
外見と中身の異なる恐ろしい動物は、むしろ「人間」のほうです。
あのお母さん蛙は、いまも元気でしょうか。
子どもであるおたまじゃくしは、しっぽが消え、足が出て、大人になったのでしょうか。
蛙が安心して棲息できる、田んぼや小川、水路や池のある田園風景は
人間も安心して暮らせる、豊かな水と緑の大地であることを忘れずにいましょう。
(パウェル及川信神父)

麦畑(むぎばたけ)
(2013年 6月のお話)
気候順和、
五穀豊穣、
天下泰平のために
主に祈らん。
主憐れめよ。
正教会の祈り「大連祷(だいれんとう)」の一節
ハリストス復活!
復活大祭期の九州巡回。
京都から九州へ、えんえんと旅し、さらに九州内を東西南北と疾駆。
好天に恵まれた道を愛車で移動中の一景。
なんと地平線まで、一面の一面の麦畑。
麦秋の季節とはいえ、あまりにみごとな風景にしばし、見惚れました。
さやかに吹き抜ける風に、麦の穂がしゃらしゃら揺れています。
麦の海、麦の波。
光り輝く麦の息づかい。
九州を(北海道もそうですが)「大陸」と形容したくなるような雄大な眺め。
大連祷で、
「気候順和、五穀豊穣、天下泰平のために主に祈らん」
と大きな声で祈りますが、この祈り、わたし、とっても大好きです。
なんだ「単純明快な祈りが好きなのですね」
と笑われそうですが……。
わたしたちの祈願がすべて網羅されているこの祈りの心根が、人間の幸福の根本を
握っていると思うのです。
日本における「五穀」とは、
米、麦、粟(あわ)、豆、きび(時にはヒエ)
です。
もちろん米は特別な存在で、日本人の味覚と生活の柱になっています。しかし麦も
(日本の場合は大麦等も含めて麦と総称)、日本の生活を豊かにしてきました。
西欧では、麦と言えば小麦のことで、大麦・エンバク・ライムギなどは別の用途に使用される
もので、小麦こそが麦の王様、「麦の中の麦」です。
聖体機密、聖体礼儀に用いる聖パンの原料は小麦。
祭日晩祷で執り行われるリテヤ(熱衷公祷)では、
「五つの聖パン(五餅)、麦、赤葡萄酒、膏(香油)」
が祝福されます。
ここでも主人公は小麦です。
麦と葡萄酒は、正教会の祈りの根幹を支える、なくてはならない「日用の糧」です。
戦争や天災のない、天下泰平の地平にしか、この麦畑の景色は存在しません。
でもほんとうに見ているだけで幸福になれる光景です。
「気候順和、五穀豊穣、天下泰平のために主に祈らん」
今日も、明日も、いっしょにこの祈りを朗唱しましょう。
神の恵み、豊穣を祈り求めて。
実に復活! (パウェル及川信神父)

百合(ゆり)
(2013年 5月のお話)
しかし言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、
この花の一つほどにも
着飾ってはいなかった。
明日は炉に投げ込まれる野の花でさえ、
神はこのように装ってくださる。
新約聖書「マトフェイ(マタイ)福音書」6章参照
ハリストス復活!
この季節(また思い出話ですが)、中学・高校生まで暮らした北海道釧路。
三十数年の昔、5月も下旬になると、大気の香りが微妙に変わり、ほんとうの春が
やってきます。
雨上がりの3日目くらいが一番いいのですが、愛用の自転車に釣り道具をくくりつけ、
釧路湿原の中を流れる小川へ釣りに出かけます。
時には学校をさぼって……1年に1回か2回の不良少年になる日。
澄みきった清冽なせせらぎ、小鳥のさえずり、そよかな風の木の葉、草の葉をよぎるざわめき、
美しく咲く花を行き来する蝶や、うなるような蜂の羽音。
いまも脳裏に浮かぶ、鮮明な光景と音。
自然の中で神様と出会う感動や発見がいつあったのか、問われれば、このときの
体験がもっとも鮮烈です。
わたしの原体験、そして聖堂での祈りの奥底には、おそらく北海道釧路の湿原や川、
空と海、霧と爽快な晴れ間と陽光があるのでしょう。
北海道の百合は色鮮やかです。オニユリ、クルマユリ、エゾスカシユリなど、日の光に
透けて美しい橙(だいだい)色というか濃い蜜柑色。
それが本土(内地などは古い表現ですね)、たとえば東京復活大聖堂の埋葬式などで、
白色の百合が飾られ、あるいは復活大祭(聖大パスハ)で真っ白な百合の花が飾られたことに、
素朴に驚きました。
「北海道の野生の百合とは違う色だ」
あたりまえのことなのですが、大量の白い百合におどろいたのです。
北の原野や山あいに自生している野の百合とは、ちがう色でした。
赤い百合と白い百合。
主イイススが十字架から降ろされ、身を清めて香油を塗られ、布に包まれてろばの荷車に
のせられて新しい墓に葬られる道行き、花が一斉に咲き始め、とくに百合が咲き乱れ、
沿道の百合は涙を流すかのように、白から赤へと染まっていったという聖なる伝承があります。
わたしにとっては、京都はじめ九州各地の聖堂での祈りも、最近ますます、湿原で過ごした
時間に似てきました。
人はいつ、神様と出会い、感動するのでしょうか。
九州では、愛車で疾駆していると、野原や山渓にぽつんと咲いている一輪の百合を見ます。
どうしてこんなところに一つだけ百合の花が咲いているのか不思議です。
でもこの花は神様に愛されています。
人も同じかもしれません。離れて孤独に生きているようでありながら、あなたとわたし、あなたと神様
はつながっています。
聖堂に百合が飾られる今の季節、野の百合はますます美しいことでしょう。
しばし携帯を捨てて、野に出てみませんか。神様の温熱を感じに。
実に復活! (パウェル及川信神父)