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2012年6月29日(金)…メールで問い合わせをいただいたので、「教養としてのキリスト教」の中の「『三位一体』の教理」に一部加筆しました。1つは、金子啓一氏からの引用の出典の件で、もう1つはサベリウスの様態的一位説についてのものです。しばらくメールを見ていなかったので、対応が遅れてしまったことをこの場でお詫びしたいと思います。

2011年1月4日(火)…「教養としてのキリスト教」に「10.イエスの処女降誕と死者からの復活」を追加しました。このコンテンツは内容としてはかなり以前から述べていたもので、「1.新約聖書」の中でも書いたものですが、「聖書からの引用が多くてわかりにくい」旨のご指摘も頂戴しましたので、引用なしで改めて論じてみました。

 ときどき、キリスト教批判をされている方からお手紙(メール)を頂戴します。ありがたいことです。拝読するのと、「なるほど」と思うところもあれば、「いや、それはちょっと違うんじゃないか」と思うところもあります。当方のコンテンツの中から有益と思われる部分をご本人なりに咀嚼していただければ結構なので、疑問点をいちいち指摘はしておりませんが、今回述べたような、自然科学的な知見からキリスト教の教義なり聖書の個々の記述を論難するというのは、キリスト教批判の1つの類型のように思われます。確かに、処女が子を産むことはありませんし、死んだ人は生き返りません。

 ただ、それを「あり得ない」と指摘してみたところで、批判としてはほとんど意味をなさないのではないでしょうか。イエスが水の上を歩いたという奇蹟にしても、人間が水の上を歩くことなど不可能だという常識が大前提となっています。常識的にはあり得ないからこそ奇蹟とされるのです。それを「常識ではあり得ない」とか「物理法則に反する」といってみても始まりません。キリスト教ではなぜそんなバカげた(失礼)教えを説いているのか、あるいはそんな教えを信じる人たちが少なからずいるのかを考えてみるべきではないでしょうか。「そんな教えを信じるのは、あいつらがバカだから」では何もわからないままでしょう。

2010年11月27日(土)…進化論のコンテンツへの批判(?)が届いたので、それへの反批判を載せました。細かいところはもう少し時間をかけて直します。それに合わせてサイト全体をリニューアル中です。とりあえず、前々から「文字が読みにくくなる」と評判のよくなかった白っぽい横ストライプを止めました。このサイトを始めたときの設定がアレだったので、惰性で続けていましたが確かに読みにくいものでした。あと、背景色を青っぽいものに変えました。色自体は悪くないと思うのですが、どうも文字が読みにくいように感じます。コントラスト比その他も勘案した上で、そこら辺も調整していくつもりです。

 にしても、習性でいちいち中身を読んでしまうので作業に時間のかかること……。現在、午前2時半ぐらいですが、前日の午前9時くらいからやってますからね。その割りに全然進んだ印象がありません。まあ、ファイル名の上から順番にやっているせいもあるでしょうが。我ながらアグレッシブな書き込みをしたものだなと感心します。説明不足だと感じたところは適宜補ったりもしたので、一層時間がかかっています。まあ、こんな半分眠っているようなサイトでも、覗いている人はいるんだなぁということで。

 リンク先の確認をしていたら、リンクの切れている方が多いという罠。キリスト者のクハ72さんのサイトもinfoseekのiswebライトだったから、10月末のサービス終了にともなってサイト自体が消えてしまったんですね。ブログに移行されたようですが。

2010年03月09日(火)…モルモン教のことで悩んでいる人たちが交流する掲示板へのリンク希望のメールが届いていました。掲示板を拝見した上でリンクを張らせていただきました(リンクはこちら)。利用上の注意が丁寧に書いてあるので、まずはよく読んだ上で利用されるとよいでしょう。ほとんど放置状態のこの「流木のWebサイト」がまだ誰かの何かのお役に立つことがあるのなら幸いです。

 リンク集を編集するついでといっては失礼ですが、久しぶりに「クハ72」さんのサイトの掲示板を覗いてみました。相変わらず、進化論を否定したがるキリスト者さんがネットには出没するのですね。しかも、進化論を否定する「根拠」なるものは、このWebサイトで既に取り上げたようなものばかりで、全く学習というか成長の痕跡が見られません。「せめて生きている間にアタマは使いましょうね」といいたくなってきます。

 キリスト者さんが神による世界の創造を信じるのは自由ですが、それを「科学的に証明」しようとするのは全くおかしな話です。何しろ、「科学的」というのは「何かの証拠が出てきたら覆りますよ」という意味だからです。つまり、神による世界の創造を「科学的に証明」しようとやっきになっている一部のキリスト者さんは神による世界の創造という説は「何かの証拠が見つかったら否定されますよ」といおうとしているのです。そういうと、「いいえ、神による世界の創造は説などではなく、絶対の真理であり、何があっても覆ることなどあり得ません!」という返事が即座に返ってくるのですが、神による世界の創造という説が「何があっても絶対に覆ることがない」のなら、それは「科学的=何かの証拠が出てきたら覆る」ではあり得ません。要するに、「科学的」とは一体どういうことなのかを理解していないから、神による世界の創造説を「科学的に証明」しようなどという矛盾した行いに血道を上げることになるのです。進化論云々以前に、まずは科学とは、科学的とはどういう意味なのかについて科学論なり科学哲学なりを真面目に勉強された方がよいでしょう。そうすれば、自分がいかにバカげた不毛なこと(=神による世界の創造説を「科学的に証明」しようとすること)をやろうとしていたのか、よくわかるでしょう。

2010年01月31日(日)…統一教会系の新聞である「世界日報」の販売局長を名乗る小林という人物からメールが届きました。京都大学名誉教授の渡辺久義氏を迎えて、「ダーウィン進化論の崩壊と台頭するID(インテリジェント・デザイン)−ID科学革命の文化的意義−」と題する講演会を行うのだとか。

 既存の進化学説で十分に説明できないことがあっても(あって当然ですが)、それはID(インテリジェント・デザイン)論の科学的な正しさを何ら証明するものではないと、全く理解できていないのでしょうね。「生命は複雑だから、知的デザイナーが存在したのだ」で何でも説明してしまうんですから、実に便利ですね。こんなのは何も説明していないのと同じであり、「科学革命」などではありません。ただのエセ科学、科学もどきに過ぎません。「複雑なものには造り主がいる」というのなら、その「知的デザイナー」は誰が造ったのでしょうか。知的デザイナーは最初からいるというのなら、「複雑なものには造り主がいる」という理屈に一貫性はありません。大学の先生にも相当オカシな人はいますから、肩書きだけで判断しないことです。

2007年09月25日(火)…非常に多忙だったので、ここしばらくサイトの更新をしていませんでした。多少時間の余裕もできたので、ボチボチ書いていきたいと思っています。「キリスト教否定論入門」というサイトの掲示板「信じる者こそ騙される」に書き込みをしなくなってからずいぶんと経ちますが、今日久しぶりに覗いてみたら、「本音」とかいう人ってまだ居座っているんですね。ザーっと1ヶ月分ぐらいの過去ログを流し読みしましたが、相変わらずネットで簡単に調べられるようなことを持ち出して、他の人たちの揚げ足をとっているようです。まあ、あの「本音」という人物は立場は宗教否定論(宗教不要論?)のようですが、思考のパターンや言動というのは、勘違いキリスト者さんと酷似していますね。そのうち、気が向けば、「議論のできない人たち(3)」にでも取り上げるかも知れません。「本音」って人は、「不要」と「否定」とがどう違うのか、多分きちんと説明はできないでしょうね。こじつけ的にいえば、「不要」は消極的で、「否定」は積極的・能動的なニュアンスを持ちますが、そういう区別をしているわけでもないでしょうから。

 それにしても、議論を勝ち負けだと誤解している人って、どうしてこんなに多いんですかね。議論が意見の交換だとわかれば、交換に勝ち負けなどないことは自明でしょう。にもかかわらず、誤解が根深いのは、相手に自説を認めさせることを「勝ち」といい、自説を認めさせられなかったことを「負け」と呼ぶからなのでしょうか。確かに、『議論に絶対勝つ方法』とかいうタイトルの本は書店のビジネス書のコーナーに行けば簡単に見つけられるでしょうが、あの手の本でいっている「勝ち負け」というのは「成功失敗」と同じ意味でしょう。つまり、相手の説得に成功した失敗したということです。それは言葉の元々の意味での「勝ち負け」とは違います。ビジネスの世界では、「戦略」だとか戦争を連想させるような言葉が多用される傾向にありますが、議論の「勝ち負け」もその一種なのでしょうか。「説得に成功」より「議論に勝つ」といった方が本が売れるんでしょうか。

2007年04月21日(土)…「科学の方法」に「議論のできない人たち(2)」を追加しました。相手に議論を行う上での最低限のルールを守るように求めることが「横暴」だとするトンチンカンな人物が出てきました。私が「議論の勝ち負けにこだわって」おり、私は「水掛け論」がやりたくて、細部にこだわる議論は「アラ探し」なんだそうです。そう主張する根拠は、結局のところ、「感覚的」にそうだということのようですが、これで議論になるのなら簡単でよいですね。およそ没論理的なご意見です。

2007年04月18日(水)…4月16日付けで進化論についてのメールをいただいていました。現在はメールに対して個別にお返事は出しておりませんので、ご了承下さい。お尋ねの件については、「誤解だらけの進化論(7)」の中で取り上げました。疑問点として挙げられていた中の2つは、「誤解17」および「誤解26」と基本的には同じものだと思われます。そちらをご一読下さい。

2007年02月22日(木)…2月20日と翌21日付けで進化論についてのメールをいただいていました。現在はメールに対して個別にお返事は出しておりませんので、ご了承下さい。なお、お尋ねの件は、「誤解だらけの進化論(5)」の中で取り上げた「誤解36」および「誤解39」と基本的には同じものだと思われます。ご一読下さい。

2007年01月11日(木)「勘違いキリスト者の迷妄ぶり」に追加しました。「議論は意見の交換であり、交換には勝ち負けはない」とか「世間一般で使われているのとは違う独特の意味をある言葉に込めているのなら、自分がその言葉をどういう意味で用いているのかを明らかにしなければ相手はいたずらに混乱させられてしまう」といったことは議論をしていく上でのイロハでしょう。神様とか、信仰とかとは何の関係もない話です。ところが、勘違いキリスト者さんはその当たり前のことを自分がまるでわかっていないのを「神を信じようとしない人にはわからないのです」とかいい出すわけですね。同じキリスト者さんの中からも批判を受けているのに、神様とか信仰の話に無理やりスリ替えようとするわけです。彼らは、勝ち負けなどそもそもない議論において勝とうとする、あるいは負けまいとするから、批判を受けてまともに反論できなくなると、これまでいってきたこととは正反対のことすら平気でいい出すのです。彼らの前後矛盾しまくる言動はそこから出てきます。要するに、彼らは何か訴えたいことがあってそれについて論じたいわけではなく、ただただ議論に勝ちたい、あるいは負けたくないだけなのです。全く不毛かつ理解に苦しむ態度です。そして、その点について批判されると、「神を信じようとしない人にはわからないのが当然」とかいうのです。神を信じようが、信じまいが、同じ人物がさっき述べたこととまるで正反対のことを平気でいうとしたら、「一体何がいいたいのか。あなたの主張はどっちなんだ」と疑念を抱くのは当然でしょう。それを彼らは神様や信仰の話にスリ替えて正当化しようとするわけです。まぁ、ああいう勘違いキリスト者が自分は模範的な信仰者だとか思い込んで、あちこちで意味不明な証(あかし)をタレ流していれば、キリスト者が日本の総人口に占める割合が1%いくかいかないかという事実も納得できますね。せいぜいキリスト教やキリスト者の評判を落として下さい。彼らがご自分たちのケチなプライドにこだわればこだわるほど、日本での伝道は進まなくなるわけですから。

2006年11月07日(火)…10月28日付けで進化論についてのメールをいただいていましたが、内容は「誤解だらけの進化論(4)」の中で問題点を既に指摘済みのものです。一般論として申し上げれば、メールを送る前に、サイトのコンテンツぐらいチェックするのが礼儀というものではないでしょうか。

2006年11月04日(土)…「科学の方法」に「勘違いキリスト者の迷妄ぶり」に一部追加しました。lightofwayと名乗る勘違いキリスト者さんがご自分の知的な不誠実さを「霊の問題」にスリ替えることで逃げようとしておられます。見苦しい限りです。キリスト者、非キリスト者を含めて、ここまでご自分のケチなプライドにこだわる人物は珍しいと思いますね。これで「救われた」そうですから、呆れます。

 ご自分に課せられた「宿題」は全部放り出した上で、私に「自分の罪を認めるか、認めないか」と突然いい出し、それに答えないならご自分も答えないそうです。私が「罪があります」と認めても、「罪がありません」と認めても、どちらにしてもシナリオは既に出来上がっているのですから、そんな茶番劇にいちいちつき合うつもりはありません。

2006年11月04日(土)…「科学の方法」に「勘違いキリスト者の迷妄ぶり」を追加しました。「キリスト教否定論入門」の掲示板「信じる者こそ騙される」で日本語として意味不明な証を繰り返し書き込んでこられたキリスト者さんのことを取り上げています。議論というのは意見の交換であり、交換に勝ち負けなどないのですが、この方は議論を勝ち負けだと誤解して捉えた上で、形の上で私に負けたようなかっこうになったことがガマンならないようです。別の方から「福音をどう捉えているのか」と尋ねられたのに私が答えたところ横レスをつけてきて、何だかんだとケチをつけています。実に見苦しい限りです。こういう人を見ると、キリスト者といってもくだらない人物はいるという当たり前のことに改めて気づかされます。

 もっとも、キリスト教(とは限りませんが)のよい面を活かし、悪い面を抑えることを考えている私にとって、この手の「悪い実」のサンプルを見る機会に恵まれることは大変有益なことです。とはいえ、この方の場合、肝心の議論に入る以前にご自分のご発言に何の責任も持たずにおっしゃることをコロコロ変えて平気なので、まともな議論にほとんどなりません。大抵の場合、議論の入り口のところでもめて、それで終りになるのです。何を主張しても構いませんが、昨日いったことを今日覆してそれで何の釈明もない上に、ご自分の前後矛盾した議論を「神様が矛盾したお方なのです」とか神様のせいにしたり、相手が信仰に恵まれていない非キリスト者だから信仰者である自分のいっていることをわからないのだといった態度をとる点にはいい加減嫌になります。まともな議論のできない人たちはこれまでも見てきましたが、この方はその中でも最低の部類ですね。知性の欠片もなく、あるのは何の根拠もないプライドだけです。イエスが「自分を高くする者は天の御国では低くされます」と述べたことも、この人は自分には関係のないことぐらいにしか思っておられないのでしょう。まあ、神様から信仰を恵まれたのはご自分が立派だからだとか勘違いしておられる方ですから、別に驚くには値しませんが。

2006年10月24日(火)「誤解だらけの進化論(6)」に【誤解50】を追加しました。例の「論破完了宣言」のTemporal氏からの3通目のメールに対する回答です。相変わらず、「可能性」と「実際にどうなのか」との区別がついておられないようです。その結果、「何かの証拠によって否定される可能性がある」と書いてあるのに、「何かの証拠によって否定された」と読んでしまうわけです。ある人に死ぬ可能性があることと、実際に死んだのとは違いますが、この方はどうも区別できないようで、「実際に死んでいないから、死ぬ可能性はないと考えている」みたいな話を展開されるわけです。ある人は死ぬ可能性があるから死ぬのです。死ぬ可能性がなければ死にません。Temporal氏が本気であのメールを書いているのだとすれば、可能性というのを一体どう考えているのか大いに疑問です。

2006年09月07日(木)…「科学の方法」に「議論のできない人たち〜勘違いキリスト者の典型例〜」を追加しました。議論とは意見の交換です。その過程で激しいやり取りになることも珍しいことではありません。しかし、それは相手のことを「心が小さい」だの「腐った人間」だの罵ることではありません。ところが、批判と悪口との区別がつかず、自分が相手の主張にまともに反論できないからといって、相手を「心が小さい」とか決めつけるような人がいます。実は一部のキリスト者さんにはこの手のパターンがよく見られます。今回は私が書き込みをさせていただいている「キリスト教否定論入門」の掲示板(といっても、常連さんにキリスト教否定論者は誰もいないという不思議なところですが)においてその典型例といえるやり取りがありましたので、こちらに収録しました。いくら「俺は議論ができるんだ」といっても、実際にやっているのは「心が小さい」とか「腐った人間」とか相手を繰り返し罵ることだけというのでは、第三者的に見ても、「ああ、この人は議論ができないんだな」と判断するしかありません。議論ができるというのなら、人格攻撃に終始するのではなくきちんと議論してみせてほしいものです。

2006年08月25日(金)…「科学の方法」に「聖書は事実の集大成だから信じる価値があるのか」を追加しました。これまで「キリスト教否定論入門」の掲示板で議論を繰り返してきたあるキリスト者さんが自分の誤りを認めないまま「誤解されるような書き方をした」とかいい出して誤魔化そうとし始めたので、過去ログを少しばかり調べて載せておきました。自分が何といってきたのかぐらいきちんと踏まえるべきでしょう。ああいういい訳をしていて恥ずかしくないんでしょうか。キリスト者云々以前に、人間としての資質を疑ってしまいます。

 内容としては、「聖書に書かれていることは事実です」と主張する一部のキリスト者が用いている「事実」なるものが一体どういう意味なのか、「旧約聖書に描かれている虐殺行為も神の愛なのです」というのは一体どういうことなのかについてのものです。

 この方が所属する韓国系の教会では「神癒」=神の業(わざ)で病気が治ることを強調しているようです。この方は、クロンカイト・カナダ症候群という病気を「不治の病」といい、「不治の病が治ったから神癒だ」と主張しています。念のために、私がネットの医学系のサイトや図書館の医学事典を調べたり現役の医師数人に確認した範囲では、クロンカイト・カナダ症候群は確かに珍しい病気ではあり原因も不明であり死亡例もあるけれど少なくとも「不治の病」などではなく、食餌療法で栄養管理に気をつけていればきれいに治ってしまう可能性もある病気だとわかりました。そのことを指摘して、「不治の病でない病気を不治の病だというのはおかしい」「不治の病ではなく医学的に治る可能性がある病気が治ったからといってそれでどうして神癒だといえるのか」と尋ねたところ、「病気は本当に治ったのにウソだといっている」とか「神癒なんかないといっている」とか、これまた話を捻じ曲げて受けとめた上で、「ネットの情報が本当だとは限らないのに」とか「議論のための議論だ」とかいって、質問に答えようとしていません。繰り返し繰り返し尋ねても、「不治の病」だとする医学的な根拠も示さず、「神癒」だと判断する根拠も何ら示そうとせず、自分に都合のよいようにどんどん話を変えていくので、この件に関する一連の発言を載せておくことにしました。

 この方はへりくだっているように装いながら、実際にはケチなプライドが捨てられないようで、言葉の端々に高ぶりが感じられます。他人を見下し、自分を他人の上に置こうとする態度です。キリスト者の全員がそうだとはいいませんが、この手のキリスト者が少なからずいるのも事実ですね。だから、「クリスチャンは偽善者だ」とかいわれてしまうわけです。

2006年07月16日(日)「誤解だらけの進化論(6)」に【誤解48】を追加しました。読んでいただけばおわかりになりますが、例の「論破完了宣言」のTemporal氏からのメールに対する回答です。相変わらず「擬似科学」はどこで「擬似」、つまり、科学「もどき」、科学の「ニセもの」なのかを理解しておられませんし、「可能性」と「実際になっている」こととの区別もつかないようです。あれからずいぶん時間が経ったのですから、多少は進歩の跡ぐらいは見せてほしかったものです。

 なお、アダム・スミスの利己心については、当方の別サイト「目からウロコの経済学」ここで検討していますから、Temporal氏が某掲示板での「顛末」(?)なるものに興味を抱かれているのなら、あちらを参照されるとよいでしょう。アダム・スミスの「利己心」を言葉の悪い意味での利己主義と同じような意味で理解するのは、進化論でいう「進化」を「進歩」と同じ意味で捉えるのと同じぐらいピント外れなものであり、「情報の非対称性」といった小難しい言葉は知っているくせに、経済学のまともな教科書の1冊も系統的に勉強したことがないような、経済学について疎い人たちがやりがちな非常に初歩的な間違いです。

2006年06月25日(日)「誤解だらけの進化論(6)」に【誤解47】を追加しました。お手紙をいただいたので、その回答に代えさせていただきます。それにしても、ロナルド・ワイアットが「発見」したと主張した「ノアの箱舟」なんてのは、創造科学の支持者にも全く相手にされていないのに、今でも一部の創造科学支持者はさも事実であるかのようにWebサイトにその手の話を載せていたりするんですね。結局、日本で読めるその手の本の著者が不勉強で創造科学支持者ですら見捨てたような陳腐なヨタ話を一大発見みたいに紹介するから、それを鵜呑みにしてWebサイトの載せてしまう人たちが出るのでしょう。創造科学の本場は何といっても米国なんですから、日本の創造科学の支持者さんたちも日本語で書かれたその手の本を読むだけではなく、たまには英語のサイトも覗いて情報収集でもした方がよいのではないでしょうか。

2006年06月18日(日)…「教養としてのキリスト教」の中の「新約聖書」に、ラザロの復活についての記述および「ダヴィンチ・コード」についての記述を加筆しました。また、「科学の方法」の中の「沈黙する神〜奇蹟とクリスチャン〜」にも加筆しました。

2006年06月04日(日)…「科学の方法」の中に「沈黙する神〜奇蹟とクリスチャン〜」を追加しました。遠藤周作さんが『イエスの生涯』で描いたこの世的には無力な者としてのイエスに私は大いに共感しましたが、「奇蹟の物語」を重視する日本のクリスチャンの多くには「癒しの物語」に重点を置いた遠藤周作さんのイエス像はすこぶる評判が悪かったようです。小説『沈黙』は、遠藤周作さんが自分の棺の中に入れてくれるように遺言していたぐらい遠藤周作さんにとっては思い入れのある作品でしたが、これまた多くのクリスチャンには極めて評判がよくありませんでした。ここでは、『キリスト教否定論入門』の掲示板「信じる者は騙される」にあるクリスチャンさんが投稿された『沈黙』の感想を巡ってなされた議論を再録しました。なお、再録に当って、明らかな表記の間違いは訂正してあります。

2006年04月14日(金)「教養としてのキリスト教/新約聖書」に「天国と地獄」を追加しました。最近は、一時のようにメールがどんどん送られてくるという状況ではなくなりました。せいぜい、1ヶ月に1、2通程度の反響があるだけです。まぁ、このサイト自体をそんなに頻繁に更新しているわけでもありませんし、それが普通なのでしょう。せっかくメールをいただいても、今は基本的にメールでの返信はしておりません。メールを送ったのに、何の返事もないとご不満の方もおられるかも知れませんが、ご承知おき下さい。メールはきちんと読ませていただいております。

2006年02月11日(土)…「進化論」の中に「ある進化論否定者の軌跡」を追加しました。無知は恥ではありませんが、簡単に調べればわかるようなことも調べようともしないという態度は知的に不誠実というものでしょう。その手の人はどこの世界にもいるわけですが、どうも進化論を批判したがる人たちにはその手の人物が多いように思えてなりません。批判しようとするなら、批判の対象を正確に理解しようと努めるのは本当に最低限のルールではないでしょうか。それすら守れないような人は議論をしてはいけません。

2006年01月03日(火)「モルモン教」内のいくつかのコンテンツに修正を加えました。かなり以前に書いたもので現在の私の立場とは微妙にズレているものがありましたので、「モルモン教会だけが特別じゃないよ」という観点を明確にする方向で表現を直したり、記述を追加しました。内容としては基本的に変わっていないと思います。

 世の中には、読解力が著しく欠けている人たちというのが間違いなくおられるわけでして、このサイトを「キリスト教批判」や「キリスト教否定」だと思い込んで抗議のメールを送ってくるキリスト者さんも跡を絶ちません。進化論への無知や誤解に基づいた批評の問題点を指摘していることを「聖書の創造説を批判している」とか受けとめるキリスト者さんもおられます。ここの「進化論」で取り上げているのは、聖書の創造説を科学的に正しい学説だとする創造科学の立場からなされる進化論批判がおかしいということであり、聖書の創造説そのものを批判しているわけではありません。多分、この区別がつかない人たちは「科学的に」ということがどういう意味なのかおわかりではないんでしょうね。「科学的」というのは、何かの証拠があればいつでも覆されてしまうということです。「科学的に正しい」というのは、覆る可能性はあるけれど今のところ覆されていないからとりあえず正しいとしておこうという意味です。聖書の創造説が「科学的に正しい」という主張は、「聖書の創造説は何かの証拠があればいつでも覆されてしまうけれど今のところ覆されていないからとりあえず正しいとしておこう」といっていることになります。でも、聖書って神様の永遠の真理を説いているはずじゃなかったんでしょうか。永遠の真理は「とりあえず正しい」ということではありませんし、「何かの証拠があれば覆る可能性がある」わけでもないでしょう。聖書の創造説を「科学的に正しい」というのは、こういうトンチンカンなことをいっているわけです。聖書の創造説を「科学的に正しい」という一部のキリスト者さんたちは、恐らくは「聖書の創造説は何があっても絶対に正しい」とかそういう意味で「科学的に正しい」といっているんだろうなと思いますが、「科学的に正しい」ということは何があっても絶対的に正しいということではありません。この辺りの詳しい話は「科学の方法」でも参照して下さい。

2005年12月30日(金)「誤解だらけの進化論(5)」に【誤解44】を追加しました。もっとも、今回、メールを下さった方は創造説の支持者というわけではなく、メールの内容も誤解というより疑問といったものでしたが、既にFAQとして載せたものと重ならない部分もありましたので、追加することにしました。

 それから、何通か掲示板へのお誘いのメールを頂戴しています。お誘いいただいたことについては大変ありがたいと思っておりますが、当方、現在書き込みをしている掲示板でかなりの時間を費やしております。これ以上、書き込み先を増やすのは時間的に不可能と思われますので、誠に申し訳ありませんが参加は見合わせたいと存じます。本来なら、個々にメールでお返事を差し上げるべきところですが、似たような内容のメールが何通か届きましたので、こちらで返信に代えさせていただきます。

 その他、あちこちをちょこちょこ手直ししています。いい回しが過度に攻撃的な箇所などは順次直していきたいと考えています。

2005年10月6日(木)「カントの批判哲学について」を追加しました。一部のクリスチャンはWebサイトで「神の存在証明」なるものを試みているわけですが、その内容ははるか昔にカントが批判したものと基本的には何も変わりません。

2005年06月12日(日)「誤解だらけの進化論(5)」に追加しました。キリスト者さんって、本当に進化論批判が好きなんですね。それも同じような論点で。「人間の先祖が猿だったら、道徳が成り立たない」なんて話はあちこちの掲示板やWebサイトで一体何度目にしたことか。いい加減、そのレベルの議論からは卒業してほしいものです。

2005年04月20日(水)…時間が前後しましたが、4月17日に「カルトの話(3)」に「宇野理論の意義」を追加しました。また、本日、「カルトの話(3)」に「愛国無罪と造反有理」を追加しました。余談ですが、最近の中国における反日デモに反発して日本国内でも中国関連施設に対するいやがらせなどが増えているようです。相手が暴力に訴えているからといって、同じレベルで反応するのでは、民度を疑われるのではないでしょうか。

2005年04月16日(土)…どこかの掲示板での書き込みの影響なのか、またキリスト者さんからメールが届きましたので、当方のコンテンツにて回答に代えさせていただきました。「進化論」の「誤解だらけの進化論(5)」をご参照下さい。どうも「信仰の自由」という話を履き違えておられるような議論が多いと思います。信仰の自由は、個人の信仰に対する国家の干渉からの自由であり、個人レベルでの他人の信仰と称するものへの批判を禁止するものではありません。進化論を批判しつつ、創造論(というか創造科学)は信仰だから批判するなというのは、単なるご都合主義としか映りませんよ。

2005年04月08日(金)…「カルトの話(1)」の「モルモン教」の中の「ネイティヴ・アメリカンの主な先祖はイスラエルから来た」?および歴史と教義に一部加筆しました。先日、モルモン教会員と思われる方からいただいたメールへの回答です。

2005年03月11日(金)…「進化論」の「誤解だらけの進化論(4)」にいくつか項目を追加しました。また、「科学の方法」の「聖書と科学」にも加筆しました。その他、「カルトの話(3)」に「資本主義の諸問題とマルクスの処方箋」を追加しました。自分が話をした相手がいい人たちだったという理由で、「オウム(アーレフと改称)は正しい」などと結論するのは愚かです。革命の名の下、爆弾テロによる無差別殺人を正当化する極左過激派のメンバーでも、会って話せば、皆いい人たちです。

2005年01月29日(土)…「進化論」の「誤解だらけの進化論(4)」に「【誤解30】生物学者はダーウィンの進化論を盲信している。私は素人だが、ダーウィンの進化論が十分な証拠もなく通説となったのは許せない。カンメラーの実験によって獲得形質の遺伝は証明されたのに、その後、誰も追試をしないのはおかしい。ワイズマンのネズミの尻尾切り実験はラマルク説の反証としては不適切であり、こうした知的に不誠実な行為によってダーウィンの進化論が通説となったことは学説史的に問題だ。ラマルクの進化論も、その後に得られた進化論の知識に基づいて修正すれば、ダーウィンの進化論と同じになると科学的に証明できる」を追加しました。日本では、今西進化論の影響なのかラマルク説に好意的な人たちも少なくないようですが、今さらといった印象は否めません。

2005年01月01日(土)…「科学の方法」に「聖書と科学(3)」を追加しました。旧約聖書の民数記第22章にあるバラムのロバが喋ったという話を「歴史的な事実だ」と言い張るキリスト者さんの主張を考えてみました。「ロバが喋る」という話に自らの信仰の総てをかけるわけです。ここまで来ると、もはや呆れるしかありません。

11月07日(日)…「進化論」に「『論破完了』宣言への道」を追加しました。世の中には下らないことに生きがいを感ずる人たちがいるんだなぁと改めて実感しました。過去ログが揃ったところで、検証を再開します。

10月31日(日)…先の予定通り、このサイトのデザインなどを変更しつつあります。一部コンテンツに加筆・修正も行っております。田舎の旅館の建て増しと同様に、ゼロから作り直すわけではありませんので、ページのソースを見ると、ずいぶんと汚くなっています。まぁ、エディタを使ってHTMLを直打ちしたおかげで、いろいろと勉強になったのも事実ですから、こうした作業もムダではありませんが。

10月13日(水)…10月下旬からこのサイトのディレクトリ構成およびデザインを変更します。経済学関係のコンテンツを「目からウロコの経済学」に移転する作業が完了し、あちらのコンテンツもある程度整ってきたからです。

2004年10月初旬…「カルトの話」の中の「教養としてのキリスト教」の「異端と魔女」に「初期キリスト教会と異端 マルキオンの二元論」を加筆しました。また、同じく「カルトの話」に「マルクス主義とは何だったのか?」を追加しています(9月初旬)。私はマルクス学徒でした。政治党派に所属して活動こそしなかったものの、マルクス主義は科学的社会主義であり、資本主義の崩壊と社会主義の到来とは歴史の必然であると考えていました。その後、マルクス主義の誤りに気づいて長い年月をかけてマルクス主義を克服したという経緯があります。私にとってマルクス主義批判はいずれきっちりやらなければならない課題なのですが、マルクス主義については今でも冷静に語れる自信はありません。今回のコンテンツはほんの短いものですし、私がいいたいことの100万分の1も述べてはいませんが、まずは第1歩として記しました。

2004年08月28日(日)…「カルトの話」の中の「教養としてのキリスト教」の「異端と魔女」に「(注4)フスとルター」その他を加筆しました。

 順番が前後しますが、「科学の方法」に「誤解だらけの進化論(3)」を追加しました。しかし、恐竜土偶みたいないわゆるオーパーツまで持ち出して進化論を否定しようとする創造科学の支持者さんたちのサイトを見ていると、世の中には本当にトンデモさんが多いんだなと改めて実感させられます。確かに、「地球の歴史は6000年」とか「化石はノアの洪水で逃げ送れた生き物のもの」とかいう説は非キリスト教国である日本ではほとんど影響力を持っていないでしょうが、漠然と生物進化を「信じている」だけでは、創造科学からの進化論批判の間違い(擬似科学性)を見抜くことは難しいと思います。

2004年08月15日(日)…「科学の方法」に「誤解だらけの進化論(2)」を追加しました。

 某掲示板である方からお聞きした話では、「聖書の天地創造は科学的に正しい」と主張している久保有政さんという牧師さんは、ナントカという音楽を聴くとDNAの二重螺旋が変化して6本になるとか説教していたそうです。このお話が事実なら、かなりのトンデモさんと見て間違いないでしょう。そういう説教を聴いて、感激していた女性もいたとか…。世も末ですね。

2004年08月14日(土)…「科学の方法」に「誤解だらけの進化論(1)」を追加しました。また、「科学の方法」の「聖書と科学」にも加筆しました。うーん、世にトンデモのタネは尽きまじですねぇ。底無しにトンデモな人っているんだなぁと実感しました。

2004年08月13日(金)…「カルトの話」の中の「教養としてのキリスト教」の「旧約聖書(2)」に、「ヨシュア記は非キリスト者の目にはどう映るか?」を追加しました。こちらのリンクにもある佐倉哲様のサイトでも既に考察されていることですが、「神が殺人を命じたら従うのか」という問題に関するキリスト者からのまともな反論を私は知りません。「現代の常識で過去を裁くのは間違い」などという逃げ口上で非キリスト者が納得すると本当に信じているとしたら、キリスト者というのはよほどオメデタイ人たちですよね?カナン征服の是非ではなく、今、神が「殺せ」と命じたらどうするのかを尋ねているのです。もし、意図的にやっているのなら、議論のすり替えでしょう。

2004年08月13日(金)…「カルトの話」の中の「教養としてのキリスト教」の「新約聖書」に、「洗礼者ヨハネとイエス」を付け加えました。その他の細かい部分もいじっています。

2004年08月03日(火)…「<経済が苦>の部屋」のコンテンツを他のWebサイトに移し始めました。多分、この夏の間には引越しが完了すると思います。このサイトは、もともと私の本業である経済学の話題をメインにするつもりで作り始めたのですが、最近では擬似科学関係のコンテンツばかりいじっていますので、趣旨が不明確になっております。この際、経済学関係のコンテンツはきれいに分離してしまった方がすっきりするように思います。

2004年07月19日(日)…「科学の方法」に「『聖書』における2種類の創造説」を追加しました。このところ、擬似科学に関するコンテンツばかりいじっていますねぇ。ノアの洪水についての英文のページも書きましたし(でも、多分、ひどい英語なんだろうな…)。今回の2種類の創造説は、私のオリジナリティは皆無で、以前から指摘されてきたことの単なる焼き直しです。とはいえ、「聖書に書かれている天地創造は科学的に正しい」と主張して止まない皆さんには、十分意味があるものと考えます。

2004年06月27日(日)…「科学の方法」に「どうして『大地は平らではない』と分かったのか?」を追加しました。創造科学に共感する人たちは、「科学者は頭が硬くて、定説(例えば、進化論)にこだわっている」などと信じ込んでいるようですが、科学者にとって重要なのは科学の方法であり、結論ではありません。進化論が科学的に誤りだとされても、科学者は全然困らないのです。進化論に代わる説が定説となるだけのことです。進化論が定説とされ、創造科学の説く創造説が定説となっていないのは、彼らの創造説が反証可能な仮説を立てて実験によって確認していくという科学の方法を踏まえておらず、科学的にみて全くお粗末であるからに過ぎません。そのことを、進化論ではなく、「大地が平らだ」とする説がどのようにして覆されたのかを振り返る中で示してみました。

2004年06月26日(土)…「科学の方法」に「ノアの洪水は本当に起きたのか?」を追加しました。予備知識が乏しく、かつ物事を多面的に考える習慣の欠けている人たちは、創造科学による進化論への非難を読んで、「進化論は間違っている!」とか叫び出すんでしょうね。何だかなぁ〜。何人かの方とメールのやりとりをしてみて、日本でも、「創造科学」に共鳴するキリスト者の方々って、結構多いんだなぁと改めて認識しました。

2004年05月04日(火)…"Economics"の"Kachigumi and Makegumi"を一部訂正しました。さすがに、半分眠ったような状態で和文英訳すると、意味不明ですね(もっとも、現状でも、まだ十分に意味不明なんでしょうが)。

2004年05月02日(日)…「カルトの話」の「モルモン教」に一部加筆し、ナヴィゲーション機能を簡易的に整えました。

 先日、モルモン教やエホバの証人に関心を持つあるキリスト者の方からメールを頂戴しましたが、当方のコンテンツでも多少なりともお役に立つことがあるのなら、作者としては望外の喜びです。といっても、当方は信仰を持たない身ですので、信仰をお持ちの方とはお話をかみ合わせるのになかなか苦労します。多分、当方の意図(信仰と科学的事実との関係その他)は伝わっていないでしょうね。

2004年05月01日(土)…「『経済が苦』の部屋」の「農業聖域論の虚妄性」に加筆しました。

2004年05月01日(土)…「『経済が苦』の部屋」に「勝ち組と負け組」を追加しました。まだ書きかけですが、以前から非常に気になっていたので、とりあえず公開します。

 なお、英語ページは、オンラインの無料翻訳サービスで英訳したものを手直ししていく予定でしたが、実際にやってみると、「直すぐらいなら、最初から自分で書いた方がマシ」(日本語のページを機械翻訳しやすいような日本語で書いておかないとダメ)ということがよく分かったので、最初から自力で訳すことにします。なかなか楽はできないものですね。

2004年04月11日(日)…英語のページを少し増やしました。とりあえず、各インデックス・ページは英訳する予定です。それ以下のページについては、気の向いたものから進めていくつもりです。

2004年04月08日(木)…「教育に思うこと」に、「教育は公共財か?」を追加しました。とある掲示板でのやり取りを見ていて、あまりの低レベルぶりにいい加減腹が立ったので、今更ではありますが、アップしておきます。

2004年04月05日(月)…細かい修正は1ヶ月おきぐらいの頻度で行ってきましたが、多少なりとも大きな変更は半年ぶりとなります。今回は、英語のページを用意しました。といっても、今のところ、ホームページ(index page)だけですが、翻訳は少しずつ進めております。

2003年10月09日(木)…ナヴィゲーション機能を強化しました。多少は利用しやすくなったと思います。エディタを使ってHTMLの直打ちでやっていますが、なかなか面倒です。

2003年08月15日(金)「参考資料 靖国神社問題」に加筆しました。今日は終戦記念日ですが、この日に更新したことに特に意味はありません。

2003年08月07日(木)「カルトから身を守るには?」に加筆しました。

2002年07月25日(木)「<経済が苦>の部屋」のトップ・ページにナヴィゲーション用ボタンを用意してみました(Netscapeでは、とりあえずそれなりに表示されていますが、IEだとなぜかうまくいきません)。

2002年07月23日(火)…蒸発していたコンテンツ「日本はなぜ学歴社会なのか?」を復旧しました。

2002年05月19日(日)自殺率の地域的な差違についてに加筆しました。

2002年05月19日(日)…「更新情報」のページ(このページ)を追加しました。