日貫の秘境東屋(あずまや)
( H14年、5月、 双葉へ投稿)
(1)実家のお師匠寺、宝光寺
H、13年3月、31日。母の51回忌、法要に参列する為、石見町、日貫の宝光寺へ参りました。
ご住職は一面識も無い方丈さんでしたので、包み物の仏布施に、”益田神埼”、と表書きしてご挨拶申し
上げ、 一番後ろの席で静かに控えて居ました。仏事が終わって庫裏へお帰りと思って居た方丈さんが
思いがけず 私の方へ歩み寄って、”貴方の名前は良介さんですか?”、”日貫銀座を、ホウムペイジ
へ掲載なさった、 あの、神埼良介さんですか?”。
そな瞬間、ペンネイム を呼ばれた作家に成った様な快い錯覚に陥り、自分の体から後光が差し始めた様な
晴れがましい気持ちに成りました。
日貫の山奥にも、ホウムペイジ、をお開きになる文化人が沢山おいでに成って、日貫銀座の名付け親に
僕を祭り上げて下さって居たののでした。ホウムペイジ、の影響力の広さを初めて知らされました。
(2)東屋の謎
小学校卒業と同時に日貫を離れ、それから70年経った今日に至るまで一度も足を踏み入れた事のない、
、唯一の地区それが東屋です。子供の頃地区の入り口を覗いた事は有りますが、人が1人やっと通れる程の
狭くて険しい急な坂道が奥へ奥へと続いて居たので怖く成って、それから先には陽も当たらない深山幽谷、以外
有る筈がない、東屋をその様な地区と決め込んで仕舞いました。
そんな地区から同級生が5人も通学して来ました。耕す余地など有る筈がない場所に豪農があると
聞かされました。屋号は「岡田」、今でも忘れて居ません。一番大きな疑問だったのは、村の家各の序列
に付いてでした。村一番の家格は県下でも屈指、郡では抜群の大地主、もと庄家の[Y」家、これは直ぐ
納得出来ましたが。村二番があの山奥の東屋地区の、未だ見た事も無い[N]家と聞かされた時には、
近くに古くから続いて居る立派なお家を沢山見慣れて居る僕にとっては納得出来ませんでした。
あんな山奥に幾世代もの歴史の備わった家が有る筈が無いと思ったからです。
東屋は子供心に謎一杯の地区でしたが、70年経った今では深山幽谷に包まれた秘境とは思いませんが、
幾世代にも亘る東屋開拓の歴史を紐解けば様々な秘話を探り当てる事が出来るに違いないと思います。
東屋探訪の執念は高齢に成るに従って止めどもなく強まり続けました。
(3)東屋探訪
産まれ育った実家の跡取り息子が二人共、家を地元の実業家に譲り受けて貰って、広島の病院に就職、
しました。その為日貫へ行っても立ち寄る所が無く成りました。
その頃から不思議に東屋地区への郷愁が募り、今では、”東屋探方の執念”、にまで発展しました。
残念なことに同じ頃から健康上の理由から運転免許証を返却して、て遠出が出来なく成り望みを叶えることが
難しく成りました。
H11年、8月、9日、宿願の東屋入りを初めて果たしました。日貫タクシ−で運転手さんの案内で名門
[Y]家と豪農「岡田」をこの目で確かめさせて貰いました。第二次探訪は8月、14日、運転手は長男、
墓参に帰ったついでに協力して呉れました。お婆ちゃんは後部座席、僕は助手席、家族旅行の気分で
出発しました。その日は東屋の中央道から分岐して居る全部の道路を行き止まる地点まで見極めました。
第三回目はH12年、8月、14日、御婆ちぁんと二人、、益田からタクシ−往復を大奮発しました。東屋
探訪の詳細を報告出来る別の機会に恵まれる事を祈ります。
(4)金比羅さん、と お城山
幼い頃は、実家の縁側から遙か田圃の向こうに聳えるお城山と金比羅さんを毎日眺めて育ちました。
日貫の町並みは両方のお山の裾に沿って東西に連なって居ます。
明治43年に、金比羅さんの頂上から撮った日貫の町並みの写真が見つかりました。僕が子供の頃、
町並みの中に在った歯抜けの様な空き地、[和泉家]跡、「応地家」跡、はどちらも未だお家の屋根が
はっきり写って居ます。[Y]家の土蔵は水害前ですから健在です。金比羅さんの奥には峰、峰、が幾重
二も重なって居ますが、お城山の頂上には大きな松の木が三本、その上に峰は在りません。東屋は
お城山の向こう、南側の裾野に在る地区です。晴れた日の夜、雷が鳴っても居ないのにお城山の
上空に稲妻が煌めいて一瞬、日貫盆地が真っ昼間の様に明るく成って大喜びした事があります。
又お城山の三本松あたりの雲行きを気に掛けながら始めた縁台碁があっと云う間ににわか雨に襲われ
て、大あわてで部屋へ逃げ込む珍事がありました。或る日、爆音に吃驚して居る我々の上空に、初めて
見る飛行機が姿を現し、あっという間に日貫盆地を横切って消え去りました。
翌日の弁論大海に東屋地区の先輩が、”飛行機に学べ”と題して格調高い大演説をぶち上げました。
その演説hは僕にとって大変感銘的で僕自身が飛行機を見た時覚えた興奮を10倍にも昂揚して呉れ
ました。その先輩の名前は、SH氏、東屋の地区名と共に今も鮮明に記憶して居ます。
東屋の名前に「秘境」の詞を付け始めた所以は、
SH、氏に対して、子供心に抱いた畏敬の念かも知れません。
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