(1)たばこ三題
( 益田市医師会病院、院内誌“双葉“に投稿した原稿)
医師会病院の”双葉”に,”たばこ三題”、を掲載して貰ってから、
苦手だった作文に初めて興味を覚えました。
(イ)10年目のお詫び
あの頃は夜中に目が覚めたら、トイレに行く前に先ず一服。そんな悪い癖が身に付いて居ました。
開業間もない医師会病院の病室で真夜中に目が覚めましたが、運悪く
看護婦さんの見回り時間と一緒に成りました。

懐中電灯で揺らぎのぼる紫煙と、不埒な犯人の 素顔とを代わる代わる、繰り返し繰り返し
照らしだし、僕の "ご苦労さま”には返事もせず、 ”不愉快です”の気持ちを露骨に態度で
示しながら彼女は病室からでて行きました。何とゆ云うご無礼な態度でしょう。事態が全く
納得出来ません。
いつもの様にトイレで身軽になり寝ぼけ眼が醒めるにつれ、病室は”禁煙”を思い出しやっと
事態の重大さに気付いて身震いしましたが後の祭りでした。翌く朝主治医金森先生から
大目玉を頂戴しました
。あの夜の看護婦さんにお詫びが言いたいのですが何方だったかご存知のお方は教えて下さい。
(ロ)煙草と文庫本
山口線 最終鈍行列車で益田へ帰る途中の ハプニングで御座います。
小郡駅で偶然 染羽整形外科のN先生と乗り合わせました。前の新幹線でお着きに成って
居たのでしょう、座席で読書をしておいででした。先生は最初二言三言詞を交わして下った
だけで直ぐ文庫本に目を戻されたきりで
話し掛ける隙など露ほどもお見せに成りません。集中力には圧倒されました。退屈さの余り
山口駅で待合室に出て煙草を買い序でに自宅へ電話をしましたが、是が大失敗の発端に成りま
した。一応改札を入って、プラットフォ−ムを歩き乍ら周囲が不気味に静まりかえって居る
のが気に掛かり始めました。デッキに足を掛けた途端 ”補聴器”を電話した時に外した
のに気付き
大慌てで引き返しましたが、盗まれたのでしょう影も形も見えません。微かに汽笛が鳴って
居る様な気がしました。列車が動き出すのが見えました。
改札の駅員が”駄目" 手で会図を送って居ます。もう間に合いません。
咄嗟に駅前のタクシ−に跳び乗って列車追跡を始めました!。
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こんな時には鈍行の方が頼り甲斐が有りました。次の宮野駅で停車中の列車に悠々と間に
合いました。
N先生はあの時の姿勢の儘 チラット上目で僕を見られただけで、直ぐ文庫本に戻られ
、僕の冒険談など聞く耳などお持ちに成りそうにありません。 さて一服!
片方の ポケットを探りました。 手に触れた物は煙草では無くて補聴器でした。
(ハ)日貫銀座
生まれ故郷(邑智郡、日貫、山あいの寒村)には”たばこ”の甲板を掲げたお店が6軒も軒を
連ねて全国でも類をみない街並みを作って日貫銀座を誇って居ました。本業はそれぞれ
雑貨店、荒物屋、銀行代理店、旅館、呉服屋、村役場職人でした。
それぞれのお店に特別の想い出が有ります。
高校時代、 碁を教わりに押しかけたH代理店のお爺さんは村で二番目の碁の打ち手でした。
(村一番は邑智郡本因坊のお寺ん、医師会病院の女事務員に本因坊のご親戚がいます。)
遠田の9号線沿いに大きな土木作業 機会が野外展示して有るのが
代理店のお孫さんが経営なさって居る会社の益田支店でず。村役場職員の2階に僕の担任の
女先生が下宿しておいででしたが、勉強を見て貰いにお伺いした時、荒物屋の5歳年上の
男の子と鉢合わせに成って、
俄然 敵意をむぎだしにした事を良く覚えて居ます。その先輩にはその後 北京で大変お世話に
なりました。女先生は転任先の村で間もなく結核でなくなったと聞いた時には一日中泣きました
呉服屋は村一番の豪商だったそうですが、大きな家がいつの間にか解体されて空地になって
居ました。
両親から豪商没落の末路を、処世の教訓として教えらたものです。煙草や日用品を買いに行く
にたびお菓子を下さったM百貨店のお姉ちゃんを大人は ”オ−ルドミス”とか "丙午”、
などと陰口を云って子供を悲しませました。
益田の直ぐ東隣の町へお嫁入りされたと聞かされた時には ほっとしました。益田署を
定年退職なさるご夫婦にお別れの挨拶に伺いました。旅館の鄙まれな美人の一人娘さんを
射とめて婿入りなさった駐在さんが日貫の家業を継ぐため帰郷される日でした。
日貫銀座を誇った6軒のお店の内今何軒に”たばこ”の甲板が残って居るか全く判りません。
60年の歳月を感じさせられます。