2015年(平成27年)1〜3月 88才

1月

1日(木)
 ホームページのアクセスは403で、去年の12月1日は342だったから、12月中は61だ。11時半に永恵のところに行く。竜輔、剛弘、永恵とお雑煮を食べお酒を飲んでから帰り、日記を整理して竜輔に送ってから「最後の科学革命?」を書き始める。

3日(土)
 駅伝では青山学院が新記録で優勝し、2位は駒沢。夜は永恵のところで食べる。竜輔も剛弘も寝ていた。帰ってから風呂。

7日(水)
 17度。朝はホグレルに行く。新谷さんにメールしたら返事が来て、東北では11月に集会をやったし比嘉さんには「平成25年、26年の回顧」を印刷して送ったと言ってきた。昼は星陵会館へ行く。白鳥外8人がきていた。

9日(金)
17度。朝はホグレルの後、ライフサイエンスへ行き、吉野さんにマイスリーを15日分もらう。夜は6時から経友会の新年会。ずっと立ち通しだったので疲れる。パリで週刊誌をイスラム過激派が襲い、12人も射殺。イスラム教を風刺した漫画を載せたので怒った。イスラム国は英雄だと賛美しているそうだ。世界全体が狂っている。

10日(土)
 室温17度。朝はホグレルへ行く。新谷さんからEMの「災害復興支援プロジェクト事例集」を送ってきた。比嘉さんたちはマスコミに無視される中で孤軍奮闘しているが、やる気十分なことはよく判った。

14日(水)
 朝はホグレルに行き、午後はペーパーをやってから永恵と歌舞伎へ行く「番町皿屋敷」吉右衛門 芝弱 幽霊は出てこない。「女暫」玉三郎 正月の顔見世茶番劇。「黒塚」猿之助 勘九郎 木村雪子作と言うが、よくできている。

17日(土)
 朝はホグレルへ行き、昼は銀座ブロッサムで笑おう会の新年会。岡安さんや古堅さんと話す。1時から3時。

19日(月)
 朝メ−ルを見ていたら、康広からきていて、胃に卵大の癌がみつかり22日に入院するそうだ。

20日(火)
 朝はホグレルに行く。安倍首相がカイロで演説し、テロ対策その他に2億ドル出すと言ったらイスラム国が、2億ドル払わなければ日本人の人質2人を処刑するという動画をネットで公開したので大騒ぎだ。

25日(日)
7時に起きてテレビを見たら人質事件のニュース。一人は殺され、もう一人はイスラム国人の死刑囚との交換を要求しているらしい。10時半に永恵、竜輔と会い、純代たちといっしょに来福寺に行く。27日が 道子の命日なので墓参り。帰りに宮川で食べる。

30日(金)
 朝から雪。夜永恵から電話で、康広は癌が二つ見つかり、3か月は抗がん剤で抑えてから手術することになったそうだ。

31日(土)
 朝はホグレルに行き、夜は永恵のところで飯。竜輔は、麻奈さんが帰ってきたので平井へもどった。帰ってから風呂へ入る。寒い。

2月
1日(日)
ホームページのアクセスは403で、1月中は47と大幅に減少した。人質になっていた後藤さんを殺害したというイスラム国の動画が出たという。最悪の結果になった。

12日(木)
 朝は早く起き、税務署で申告をしてからホグレルへ行く。午後は東南荘で3連敗。

14日(土)
朝はホグレルに行く。午後は竜輔夫婦と永恵が橙永をつれてきた。

17日(火)
朝はホグレルへ行き、後はライフサエインスと眼医者。血圧は130−80。「科学革命とこれからの経済成長」というペ−パーを仕上げて竜輔に送る。1月の7日に始めてから1月と10日かかった。こんなにかけたのは初めてだ。株価は18000円台を回復し、10−12月のGDP速報では実質0.2%の成長で、やっと金融緩和の効果が出たようだが、同じことを続けても先はない。

18日(水)
 朝はゆっくり起きて、10時半に永恵と会って歌舞伎座へ行く。「吉例寿曽我」歌六 芝雀 石段のどんでん返しなどの舞台装置で見せる。「彦山権現誓助剣」毛谷村 菊五郎 時蔵 毛谷村六助だが、長い話の一部だけを見せるので、せりふが長くなりすぎ、眠くなる。「積恋雪関扉」幸四郎 菊之助 雨で寒い。

20日(木)
 朝はホグレルへ行き、後はテレビと録画を見て過ごす。国際社会は、ロシアとウクライナの戦争、ISとボコ・ハラム、ギリシャの金融危機などで騒然としている。

21日(土)
 朝はホグレルに行く。竜輔がやっとペーパーをホームページへ上げてくれたので、新谷さんにメールを出し、安江さんや小山さんにも転送する。約10人。これでこの1年の俺の仕事は終わり、やることは完全になくなった。夕飯は永恵のところで食べる。

22日(日)
 朝は東京マラソン。36000人は壮観だ。優勝はエチオピアで6位まで外国人。日本人1位は今井だが2時間6分台がやっとだ。

23日(月)
 朝はホグレルに行く。凄く好い天気で暖かいのに身体は冷たい。老化現象はどうしようもない。三津五郎がなくなった。59才と若い。勘三郎は57だった。


3月

1日(日)
 3月1日のアクセスは540で、2月中は90と、久しぶりに大きく増えた。

3日(火)
朝はホグレルへ行く。川崎の事件の関連でテレビを見ていたら、今の子供は8割がスマホを持っていて使いまくっていることがわかった。これでは俺が2年前に書いた「産業社会の過去と未来」で論じたインターネットの規制などは机上の空論になってしまった。

5日(木)
 朝はホグレルへ行く。午後は東南荘。3局目と4局目に凄くついて4万以上浮き、2位に入る。身体はぐったりしているのに頭だけはさえているようだ。4勝4敗。

9日(月)
 朝はホグレルへ行くロシアでは野党指導者が暗殺され、政府はイスラム過激派を容疑者としているようだが....。中国では習近平政権の粛清政策が激しい。この国では腐敗が進んでいるというが、独裁政権と資本主義が平和の中で結びつけば当然のことだ。

10日(火)
 朝はホグレルへ行く。今日は東京下町の大空襲から70年。今でも、北の空に真っ赤に上がる炎の色やB29と日本の戦闘機の空中戦などの状況は目に浮かぶ。それからの俺の人生を思えば、すべて結果オーライの連続ではあった。今でもその幸運が続いているとは思う。EM運動を助けることができないことだけが残念ではあるが、これは俺の運の領域ではない。

11日(水)
 今日で震災から丁度4年。テレビも新聞もそれで一杯だ。ただ、原発事故の後遺症に対する対策は全くなく、汚染水の垂れ流しが700トンというような報道ばかり。

14日(土)
 朝はホグレルへ行き、後は何時ものように過ごしてから6時半に永恵のところへ行ったら、純代が俊助を連れてきていた。結局9時前に俺の方が先に出ることになった。それから風呂に入って10時半前に寝る。寒い。

15日(日)
 今日も18度。昨日、剛弘が何故瓜生のおばあさんが10歳でアメリカへ留学したのかが判らないと言っているのを聞いたので、改めて生田さんの「瓜生繁子」を読んだら納得した。これは個人的には兄の増田孝、体制的には北海道開拓使次長の黒田清隆のお蔭だ。黒田は日本の女子教育の重要性を早くから感じており、彼が次長になると同時に女子留学生制度を作り、期間10年、旅費、学費、生活費の全額免除の上に年額800ドルの小遣いまで与えるという条件の下で留学生を募集したが申し込みがなく、2度やってやっと申込みが5人きたという。一方繁子は、4人姉妹の内3人まで早死にしてしまったので、孝が友達の永井に養女に出したが母親との折り合いが悪く、孝は若い内からフランスに留学するなどのエリートで、アメリカ留学を申し込んだら繁子は喜んだと言う。これは俺のオランダ留学と同じに、戦後と維新後という特殊条件の下で試験などの条件もなしで、当時行先がなくて困っていた俺に旅費、学費、生活費なしで留学できるという好条件を大来さんが持ってきてくれたのと全く同じだ。改めて俺と瓜生繁子という曾祖母の運の好さが特別だったことを思い知った。

16日(月)
朝はホグレルに行き、後は一日家で過ごす。ウクライナをめぐるロシアと欧米の対立は一向に収まる気配はなく、イスラム国との戦いは頑張っているようだが、アフリカではボコ・ハラムがイスラム国への忠誠を誓うし、日本では株価は19000円台を確保する上にトヨタが大幅な賃上げをするなどして、いよいよバブルは本格化しそうだ。その一方でEM問題は相変わらずマスコミに無視され続けており、核廃棄物の処理は解決の糸口さえ見えない。発展の方向は俺の希望とは全く逆になっているのに政治改革や技術革新の芽は全く見えないと言う点では、昭和の初めから10年代と酷似している。この状況下で生きて行くのは苦痛だが、世の中の動きと自分の寿命だけはどうにもすることができない。

17日(火)
 朝はホグレルに行き、後はライフサイエンスと眼医者。血圧は135−80で、眼も異常はないと言われたが、体力ががっくり落ちているのは自分で判る。88になった時に体力が落ちたのが判ったが、90直前の今はもっとひどい。しかし症状は何にもないので、検査はしてもらえないだろう。身の回りのことは自分でやれるので、死ぬまで一人暮らしを続けることにする。

19日(木)
 朝はホグレルへ行く。チュニジアの博物館でテロ。日本人3人を含む21人が死亡した。安全と言われていたチュニジアのテロが起こったのは衝撃で、イスラム国の勢いは止まらない。世界はどうなって行くのか。平和で自由な世界というのは幻想なのか?午後は東南荘。ついているのかつかないのか判らないがマイナス11で4勝6敗。

20日(金)
 朝は10時半に永恵と会って歌舞伎座へ行く。「菅原伝授手習鑑」加茂堤 筆法伝授 道明寺の通しで、役者は菊之助 仁左衛門 染五郎 俺は車引や寺子屋は何度も見たが、これは初めてで、「寺子屋」になるまでの経緯はよく判った。

21日(土)
 20度だが身体は冷たい。12時半過ぎに永恵が来て今半へ行く。橙永のお食い初めで、竜輔夫婦と赤ん坊、純代一家で合計8人。お食い初めという儀式のことは、俺は知らなかったが、平安時代からあるそうで、今は料亭でも盛んにやるらしい。ごちそうはたくさん出たが、俺は食い過ぎて苦しくなり、やっと何とかしのいで3時過ぎに終わって帰り、風呂に入って10時過ぎに寝る。

22日(日)
 朝は10時半に永恵と会ってお寺へ行く。電車では純代たち3人と会い、立会川の駅では竜輔たちと会う。竜輔は赤ん坊を抱いて大健闘。お寺を12時半過ぎに出て宮川へ。全部終わって家へ帰ったのは3時前。三日連続で疲れたが、とにかく何とかやった。相撲では、大相撲の末、白鵬が日馬富士を破って34回目の優勝。

24日(火)
 スペインからドイツに向かうドイツの格安航空がアルプスで墜落。乗員乗客は150人。沖縄の知事と国が工事の許可問題で対立して、どうにもならない。日本は平和だがこれは見せかけだけで、戦後の高度成長期とは全く違う。あの時は、左右の対立は激しかったが、基調については何の問題もなかった。今の状態は戦前の挙国一致状態と似ており、表面的には安倍体制で安定しているが、基本的には誰も安心してはいない。

28日(土)
 朝はホグレルへ行き、昼は笑おう会。

29日(日)
 甲子園の野球は順々決勝の4試合。夜は永恵のところで食べる。気温は高いのに身体はひどく寒い。

31日(火)
 朝はホグレルに行く。1−3月の日記を整理したが、自分で読んでも詰まらない。他人が読めばなおそうだろう。ホームページへの掲載ももう止めようと思う。