| 21世紀日本の構想 | 平成20年1月 | 産業革命から情報革命へ 〜古典経済学からの脱却〜 |
小金芳弘 | |
| 1 技術進歩と市場均衡 村上泰亮教授は「反古典の政治経済学要綱」(1994年、中央公論社)の中で、経済発展に果たす技術進歩の役割を古典派経済学が無視していることについて、次のように述べている。 経済学の本来の分析課題は、産業化の全体的なダイナミックスと経済主体間の調整メカニズムの二つである。しかし、アダム・スミス以後の古典派経済学者は、後者の研究に従事する内に整合的で効率的な資源配分メカニズムとしての「競争市場」を発見し、その分析にのめりこむ余り、前者の決定要因である技術進歩のダイナミックな要素を切り捨ててしまった...... 現在の新古典派経済学は、発展要因としての技術進歩を無視しているわけではない。しかし長い間そうしてきたために、それを取り扱うための理論的実証的な武器がないという弱みがある。たとえば、代表的な国民経済の生産関数 生産の増加率=αx(投入労働の増加率)+βx(投入資本の増加率)+技術進歩率 α、βは定数 において、投入労働の増加率は人口動態により、投入資本の増加率は増加した生産のうちどれだけが投資に回されるかという経済の構造によって説明されるが、技術進歩の原因を特定する理論と観測がないために、過去の成長をこの形で表わそうとすると、これは生産の増加から労働と資本の増加を引いた後の「残差」でしかなくなる。 ところが、例えば高度成長時代の日本では成長率が10%だったのに対して技術進歩率はその5%を占めていたし、同じような現象は、どの国のどの時代の成長についても見ることができる。一つの現象の原因の半分を占めるほどの重大な要素を残差としてしか扱えないような理論は、実際の役には立たない。 しかし、経済学者たちが技術進歩の問題に正面から取り組むことをしないできたのは、村上の言うように市場均衡という問題の面白さに魅せられたからと言うよりは、創業者が手を着けなかった問題だからだと考えられる。 アダム・スミス自身、「諸国民の富」を書いた1776年頃のイギリスは産業革命の真っ最中であり、技術進歩のもたらす生産能率の向上が経済発展のための不可欠な要素であることは十分認識していたであろうが、それがどんな形をとって表われるかは産業により製品により千差万別なので、「分業によって生産能率は向上する」という程度にしか、それを表現することができなかったものと思われる。 一方「市場」について言えば、実際の市場で売り手と買い手の交渉の結果、価格が決まって売買が成立することは誰にでも判る上に、1694年にイングランド銀行が設立されて金融システムが整備されるのに伴って、商品市場と株式市場が急拡大していた。スミスがそれを一般化して、市場というものは自由にしておけば需要と供給を均衡させる場であるという命題を提出すると、株式仲買人だったリカードが、それを裏付ける理論を創り出した。 2 古典派、マルクス派、新古典派のパラダイム 科学史家のトーマス・クーン(「科学革命の構造」、1971年、みすず書房)によれば、科学は真理というものを探究するために直線的に発展してきたわけではなく、パラダイムというものの形成と交代によって発展してきた。パラダイムとは、科学研究に従事する者にとって、どのような問題を取り上げどのように答えるかを決めるための共通の模範例であって、これがあれば、なぜこの問題を取り上げるのかとか、なぜこのような前提から出発しなければならないのかとかについて、一々頭を悩ます必要がない。 スミスとリカードは、自由な市場においては需要と供給は均衡するという命題を裏付けるための問題の出し方と答え方の模範例を示すことによって、経済学のパラダイムを創ったのである。 一度パラダイムができると、それによって研究の能率は著しく向上するが、やがて、これにもとづく理論では現実をうまく説明できない場合が頻発するようになると、これを変えなければならないと考える者が増える。その結果、新しいパラダイムが古いパラダイムに取って代わることが科学の「革命」であり、天文学でコペルニクスの地動説がプトレオマイオスの天動説に取って代わったのは、その一例である。 しかし、リカードが古典経済学のパラダイムを完成した1810年代の直後の20年代から40年代にかけて世界不況が定期的に起こり、失業と貧困に悩まされる者が続出したが、経済学者たちは、雇い主が賃金を下げ失業を増やすことを是認した。クーンの言うような革命を起こす者はいなかったのである。 これに対して雑誌の編集者だったマルクスは、1848年の「共産主義宣言」と85〜94年の「資本論」で、資本主義という制度の下での市場は資本家が労働者を搾取するための場であるという理論を裏付けるための問題の出し方と答え方の模範例を示したが、これらは、需要不足による不況のために労働者が苦しむ時期は説明できたが、好況がきて完全雇用になる時期は説明できなかった。 これに続いてケインズは、1930年代の大不況に当って「非自発的失業」の存在を認める一方で、不況期には政府が需要を創出することによって均衡を回復し好況に向かうという理論を提出した。しかし、これを受けて生まれた新古典派のパラダイムも、平成不況の時の日本がGDPの1倍半に及ぶ財政赤字を累積させ何年もゼロ金利政策を続けたのに全く効果を挙げられなかったのを見れば、現実をうまく説明できたとは言えない。 3 技術革新と産業部門 以上の三つのパラダイムは、市場の変動が技術進歩とは別の次元で起こっているという認識にもとづいているために、実際には技術革新によって動かされている市場の実態を正しく把握できかったのである。これは、天動説が、実際には天体の一部である地球をそれとは別の存在だという認識の下に天体の動きを説明しようとしたために冒した過ちと、同じ種類の過ちである。そうなるのを防ぐためには、生産物、生産過程、生産者の三つを、技術革新との関連にもとづいて分類して見る必要がある。 生産物には、伝統的な財貨サービスtraditional goodsと全く新しい財貨サービスnew goodsがあり、後者を創り出すのが生産物革新product innovationである。ただこれは、時間が経って普及が進むのにつれて全く新しいとは言えなくなるが、伝統財と言えるほど古くはないので、成熟財 matured goodsと呼ぶことにする。これらを生産する過程にも、昔からある伝統的な過程traditional processと全く新しい過程innovative processとがあり、後者を創り出すのが生産過程革新process innovationである。 新規財には昔からの生産過程というものはないので、それが普及する時の生産過程はすべて革新的なものである。そして一旦これが起こると、伝統財や成熟財の生産者もそれに刺激されて独自の生産過程革新を起こしたり、新規財を利用して生産物の種類を増やしたりすることによって、しばしば技術革新の連鎖反応が起こる。技術進歩には、このように飛躍的なものばかりではなく生産現場での技術者等の地道な努力によって行われるものも多いが、フリ−マンはこれを連続的革新incremental innovationと呼んでいる。 生産部門には、伝統財を作る伝統産業traditional industryと新規財を作る先端産業pioneer industryがある。後者が発展すると、やがて生産部門全体を牽引する役割を果たす主力産業leading industryとなる。それが更に発展したために成長テンポが落ちると成熟産業matured industryとなり、これが成熟財の生産を続けることになる。 最近までの日本では、伝統産業は農業、流通(商業)、金融、建設、教育、文化などであり、先端産業はいわゆる情報技術(IT information technology)関係のハード・ソフトを作る情報通信業であり、主力産業は自動車をはじめとする耐久消費財産業であって、電力、鉄道やその他の製造業の大部分は成熟産業だと言える。 産業革命後の先進産業社会は、先端産業が主力産業へと成長して経済を牽引しながら新しい先端産業を育て、それがまた主力産業になるという過程を繰り返しながら発展してきた。しかしそれは、古典派や新古典派が想定するような安定的で直線的なものではなく、マルクス派の言う資本主義の終わりを思わせるような不況と失業の時代の後は「神武以来」の好景気がくるというように、大きく長い山と谷を繰り返してきた。 4 技術革新と長期波動 ソ連の経済学者コンドラティエフは、1770年代から1920年代にかけて、イギリス、フランス、アメリカの卸売物価の変動を観測することによってこの波の存在を発見し、その原因が技術革新にあると推理した。西側の経済学者シュンペーターもそれを支持したが、技術革新が起こると何故長い景気の山と谷が発生するのかについては、説得力のある理論を展開することができなかった。 しかし、コンドラティエフが観測した時期の後もこの波動は生き続けており、我々は今では、1930年代のアメリカの大不況、第二次世界大戦後の世界的好況、90年代の日本の平成不況などを知っている。そこでコンドラティエフの波動を21世紀まで延長して見ると次表のようになり、技術革新に伴う産業部門の交替が波動を起こしている状態を観察することができる。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コンドラティエフの卸売物価指数の変動 小金芳弘『経済発展論』(東海大学出版会)より |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
技術と経済、コンドラティエフ波動から見た日本経済の現状(参照) 小金芳弘「経済発展論:産業革命から情報技術革命まで」(東海大学出版会、1994年、68〜95頁) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
技術革新と産業部門の推移
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5 主力産業の成熟と先端産業の登場 主力産業に牽引されて経済が順調に発展している山の時代でも、失業や貧困の問題はないわけではないし、不景気の時も好景気の時もあるが、それは所得再配分政策や新古典派の勧める需要管理政策によって対応できる。ただその末期になると、主力産業の生産性向上が頭打ちになると同時に成熟産業や伝統産業の技術進歩も停滞するので、コスト面からのインフレが進行する一方で、既存の生産物の普及による需要不足が発生する。 これは、価格を下げて需要を増やそうとすれば生産者の赤字が増し、生産を減らしてそれを防ごうとすれば売上げが減って雇用と設備を維持できなくなるという矛盾を生み、それに対応するために開発途上国への輸出を増やしたりモデルチェンジで目先を変えたりして見ても、途上国は輸入が増えると外貨不足に陥って買い続けることができなくなるし、目先を変えるだけの需要創出は長続きしないので何回も繰り返すことになる。政策面では、政府需要を増やせば景気が回復する前に財政赤字が増えるだけになり、金融を緩和すれば、実需は増えないのにコストインフレが進行することになる。 ここに戦争などの外部からの衝撃が加わると、山の時代は一気に終盤に入る。戦争は需要不足の問題を一時的に解決し軍需産業などは好景気に恵まれるが、これはモノ過剰の代わりにモノ不足というもっと厄介な問題を引き起こすからである。1973年に勃発して10年続いた石油危機は、先進国間の戦争ではなかったが、それを不況、失業、インフレのトリレンマに追い込むことによって、戦後世界の繁栄を終わらせた。 このような時、それまでの好況期に新規財の商品化を終わっていた先端産業が新しい生産過程を引っ提げて登場すると、情勢は一変する。新規財には潜在需要がほとんど無限にある上に、その生産性向上とコストの低下が想像を絶するほど急速だからである。 1882年にダイムラーが発明し85年にベンツが初めて製作した自動車について言えば、ベルトコンベアーシステムによってT型フォードを大量生産するための工場が建設されたのは1915年だったが、ドラッカー(「ポスト資本主義社会」ダイヤモンド社、1993年)によれば、それでもその価格は今日で言えば双発自家用機に相当するほどだった。それが20年代には白人労働者なら誰でも買える値段になり、それをはじめとする耐久消費財の急速な普及が、「咆哮する20年代」と呼ばれるアメリカの大好況を生み出した。 また、石油危機後の日本をいち早く世界経済の機関車と言われるまでにしたハイテクブーム期では、1980年代初めに売り出された時のワープロの値段は600万円だったが、90年代初めには10万円台になり、更にその10年後には、パソコンに駆逐されて製造もされなくなるほどの急激な技術革新が起こったのである。 これらの先端産業の生産性向上率は生産物の質の向上を考慮すれば10年間で何百倍にもなるほどのものだから、売上げが増えれば増えるほどコストは下がり、いくら価格を下げて行っても利益が出るという性質を持つ。 6 バブルの発生・崩壊と金融市場 1770年代のイギリスで綿糸を水力紡績機で大量生産する生産過程革新が起こり得たのは、それに必要な大量の資金を預金者から集めて提供する都市銀行のネットワークができていた上に、個々の資産家から余分な資金を吸い上げてそこへ回すための株式市場も発達していたからである。以後は、鉄道が開通した後の鉄道業や車両製造業、発電所が建設された後の電力業や電気製品製造業、T型フォード工場ができた後の自動車製造業なども、そこから大量の資金を得て成長することができた。 それは、その成長性や将来の利潤の増加を見こした金融業者や証券業者がそこへ資金を投入することによって大きな利益を得るのを見て、他の者が一斉に追随したからである。そして、このようにして先端産業の成長が加速すると、他の産業の中でも、その後を追って事業を拡張しようとする者が増える。 先端産業以外の部門では、前述したように需要が伸びない上にコスト高で苦しむ者が多いが、過去の好況期に溜め込んだ土地その他の資産を元手にして事業の拡張に乗り出そうとする者に対しては、成熟財や伝統財の需要が飽和しているために余った資金が集まってくる。その結果、物価は安定しているのに土地、株、美術品などの資産の価格は急騰し、それによって利益を得ようとする者が増えるので、地価も株価もスパイラル的に上昇する。 この景気がバブルと呼ばれるのは、一旦地価と株価が下降に転ずると、それが高いことを前提にした貸付が不良債権となり、それを処理するために銀行が担保を処分すると 更に地価も株価も下がるので、泡が弾けるように急速に景気が悪化するからである。この結果、銀行が抱える貸付の多くが不良債権となるが、それがある限度を越えた銀行は、預金の引き出し要求に応じられなくなる。 普通の倒産の場合は、どうしても返さなければならない負債を返済した後、残った資産を処分して現金化し、それを債権者に分配してしまえば終わりだが、銀行が倒産すると、その原因である不良債権に関係のない者の預金までが消えてしまう。銀行預金は預金者の私的財産であると同時に、市場での財貨サービスの交換を仲介する「通貨」という公共財でもある。戦前の資本主義諸国は後者の性質を無視して銀行の倒産を放置したので、通貨が急減することによる倒産が頻発して大不況になる「金融恐慌」がしばしば起こった。 1929年末にバブルが崩壊した後のアメリカでは、銀行の連鎖倒産のために4年間で通貨供給が4割も減少し、それに応じて国内総生産も4割減って失業率が25%に達した。戦後のアメリカも、石油危機後の80年代に日本に先立って情報技術革命が起こったためにバブルの発生と崩壊に見舞われたが、政府資金を投入して銀行の倒産を防ぎながら不良債権を整理したので、通貨供給の減少は不良債権の処理に伴うものだけですんだ。 これに対して、91年初めにバブルが崩壊した後の日本は、政府資金を投入して銀行の倒産を防ぎ預金を保護したところまでは同じだったが、その原因となった銀行に責任をとらせた上で不良債権を処理するという政策を採らず、財政赤字と金融緩和という通常の景気対策で不況を乗り切ろうとした。しかし実際には、不良債権が多すぎたために投入した政府資金が実質的には倒産している債務者を延命させるために使われてしまい、市場が必要とする通貨の供給が足りなくなった。財政赤字による景気刺激は、それと相殺されてしまったのである。 おわりに:これからの日本と情報技術 小泉内閣が不良債権を処理したことによって平成不況は終わったが、それまでに累積した財政赤字が政策の自由度を奪っている上に、これまでの産業発展の結果としての自然環境の危機という問題が、これからの日本の上に重くのしかかっている。 人間はかつて、手や足を使ってする仕事の多くを馬や牛や風や水の力を借りてやっていたが、1710年の蒸気機関の発明に始まった西欧の産業発展は、自然エネルギーを蒸気力、火力、電力などに変えて大量に投入するようになったために、人間の肉体的能力の不足のためにできない生産活動は、ほとんどなくなった。 これに対して人間の頭を使ってやる仕事では、知的能力の不足を補うのには他の人間に頼むしか方法がないので、知識をたくさん持っている者や情報の処理能力に優れている者は昔から大事にされ、指導者として人の上に立ったり学者として尊敬されたりしてきた。それが今の日本では、パソコンとインターネットを使えば、誰でもその助けを借りることができるようになっている。 しかし、「知恵者」が皆「人格者」だという保障はどこにもない。今の日本で、この助けの多くが暇つぶしやストレス解消に使われているだけでなく、犯罪やら他人のプライバシーを暴くことやらに使う者が後を絶たないのはそのためだが、それはこの技術が持っている巨大な潜在能力に比べれば大した問題ではない。問題は、そのかなり多くが、エネルギーを大量に投入して同質の財貨サービスを大量に生産する産業の発展を助長するように使われていることである。 これは、今の社会の体制が、人間の知的能力のできるだけ多くをそのような産業発展に注ぎ込むようになっているためだが、現在の情報技術はその能力を20年前の何倍にも増やしたのと同じ効果を持っているので、このままではエネルギーの浪費と自然環境の悪化の速度がやはり何倍にもなることは必至である。最近の地球温暖化に伴う異常気象と異常現象の頻発は、そのサインだと考えるべきであろう。 しかし、情報技術が人間の知的能力を20世紀の発展の時代の何倍にも増やしたとすれば、その方向を転換することもできるはずだし、それはまた、この技術を使う者の義務でもある。それが可能だとする根拠は、情報技術の土台であるコンピューターという機械が、蒸気機関とは反対にエネルギー投入を減らすための機械だったというところにもある。 これまでの日本は、蒸気機関の発明からフォードによる耐久消費財の大量生産革命に至るまでの技術革新を西欧から次々に移植することによって、最も効率的な産業発展をすることを可能にしてきた。これからの日本の技術がなすべきことは、その行き詰まりを打開するために、エネルギーの投入を減らしながら需要に応えるような生産物革新と生産過程革新を行う技術革新に寄与することであり、政策がなすべきことは、それを促すような市場を作るための制度革新を行うことである。 日本の生産者は、自然と共生しながら個別のニーズに応える細やかな財貨サービスを生み出す伝統に恵まれており、情報革命の時代は、その文化的特色を生かすのに適した時代なのである。日本人は、量的な分野での覇権の獲得ではなく、質的な分野での独創性によって国際的に貢献することを目指すべきであろう。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||