| アベノミクスからの脱却 |
平成26年9月 | 小金芳弘 | |
| これは、本年1月に同名で「小金芳弘のホームページ」に発表したペーパーを、その後の新しい発見にもとづいて主として結論部分を書き直したものである。表面的には結論が大きく変わったように見えるかもしれないが、根本的には少しも変ったところはなく、より実現可能性があると思われる選択肢を提唱しようとするものである。 昨年1月、私がこれまでの職業生活の総決算として「産業社会の過去と未来」を出版した直後から日本では安倍政権による通貨増発の効果で需要が増大して、それまでの景気のどん底状態が終わるのにつれてアベノミクスの人気が上がり、そこで私が提唱した根本的な制度改革と技術革新が議論される機会は失われてしまった。しかし、この景気回復によって少子高齢化に伴う需要と供給のミスマッチの増大や原発依存の定着に伴う潜在的な危険が一掃されないことは明らかであり、それらが累積した結果どういうことが起こるか、全く予想できない。 この状況下で日本はどうすれば良いのかという難問に対する答えを見出すことは難しいが、ソ連が崩壊して東西対立が終わった直後にフランシス・フクヤマが「歴史の終わり」(1992)の中で行った予言がなぜ的外れに終わったかを考えることは、そのための足掛かりにはなる。それは、これからの世界は政治的には民主主義、経済的には資本主義をとることになる結果、これまでのような問題はなくなって行くだろうというものだった。 事実その時点で世界の先頭に立っていたのは、アメリカ合衆国、日本、西ヨーロッパの三つだったから、他の諸国もやがてこの体制に移行することによってすべてがうまく行くだろうことを疑う者はいなかった。しかし実際にはその後の世界は、そのような体制に移行することができずに苦しんでいるものと体制内での矛盾の増大に苦しんでいるものとに分かれ、移行に成功して先行者を猛追しているものもそれぞれの問題を抱えている上に、彼らもやがて同じ問題にぶつかることは必至である。 フクヤマの推論の欠陥は、政治体制、経済体制、生産技術の三つの間には重要な相互依存関係があることを無視して、あたかも体制の形だけですべてが決まるように考えたところにある。また未来学者である増田米二は、人類社会の発展を技術の発展と結び付け、どの社会にも社会的技術societal technologyというものがあって、それが狩猟採集技術、農耕技術、産業技術というように変化してきて、将来は情報技術になって行き、その結果、現在の産業社会の問題はすべて解決されると唱えた。 しかしこれにも、フクヤマが落ちた罠と同じように、(社会的)技術の変化だけで体制の抱える問題が解決されると考えてしまい、両者が関連しながら発展して行くメカニズムを見落とすという難点がある。以上にもとづいてこれまでの日本および先進産業社会の発展を分析し、その将来を考えると、以下のようなことが言えよう。 1 明治維新の前と後の日本 2 古典派経済学の誤りとその原因 3 日本の産業政策、政策バブル、政策不況 4 アメリカのリーマン危機とEUのユーロ危機 5 これまでの産業技術の発展とIT革命 6 現状からの脱却の可能性 7 新しい民主主義政治への道 1 明治維新の前と後の日本 日本は、1853年にペリーが来航するまで外国との直接の交流と交易を厳しく禁じる鎖国を守っていたが、50年代末になってしぶしぶ開国し、68年の明治維新によって本格的に開国すると、欧米列強を驚かせるほどの経済的軍事的躍進を遂げた。それまでの日本と他の非欧米諸国との大きな違いは、一般大衆の知的水準が他の諸国のそれとは桁違いに高く、維新当時既に識字率が世界の最高水準にまで達していたことである。 それは、徳川幕府が厳しい身分制度を維持しながらも初等教育の普及に努めたことの成果だったが、幕府はまた、軍事や貿易に繋がりそうなものを除く生産技術の振興を奨励する一方で何回も小判を改鋳することによって通貨供給を増やし続け、商人たちは為替手形などを使って現金によらない商取引を大きく増やしていた。 このため幕末期における日本の経済体制は、欧米における資本主義体制のほとんど入り口まで到達していた。しかも技術的には、商品として開発されることはなくても機械としての性質を持つ「からくり」を何種類も作り出し、平賀源内に至ってはエレキテルという電器製品さえ作っていたくらいだったから、日本人が欧米人との直接の接触によって彼らの資本主義経済体制と産業技術の威力を知ると、直ちにその移植を試みて成功したのは当然だったと言える。 問題は、その二つを使う統一国家を管理するための政治体制が、封建制度と農耕技術にもとづく社会を管理するためにできていた幕藩体制では役に立たないことだった。それまでの日本では、名目的な元首である天皇が武家社会の頂点に立つ者を将軍に任命し、将軍は各藩の藩主を指揮して統治を行うことになっていたが、実際に誰を将軍にするかを決めるのは徳川家と少数の親藩だけであって、天皇には、そうして決まった者を将軍にするしかないという点で、実質的な権力は全くなかった。 開国に伴う内外の混乱によって徳川将軍が権威を失うと、それに代わって元首として国民に認められる者がいなかったので、将軍が政権を天皇に返還すると、天皇が実際にも元首だった大和朝廷時代の体制を採ることになった。この改革が「革命」とは呼ばれず「ご一新」と呼ばれたのはそのためであり、英訳すればrestorationとなるが、これはイギリスやフランスのように民主主義革命が起こった後の王政への一時的な復帰とは違い、千年以上も昔の体制にもどったことを意味する。 ただ、このように古い体制が近代国家で機能できるわけはないので、政府は1890(明治22)年に憲法を作り、イギリスと同じように議会と内閣を柱とする政治体制を採ることにした。しかしその中では天皇は絶対君主であり、議会で作られた法律も天皇の命令である勅令によって何時でも実質的に変えられるようになっていた上に、内閣の長である首相は天皇の「大命」によって任命されることになっていたので、この体制は、外形的には最も近代化されていながら精神的には千年も昔に帰ろうとするという矛盾を抱えていた。 その原因は、前述したように江戸時代末期には既に世界最高水準にまで達していた一般日本人の知識と知的能力が開国によって更に向上していたので、それまでの幕藩体制を更に近代化する必要があったにも拘わらず、新しく権力を握った人たちが正統性を得るためには昔ながらの天皇の権威に頼る必要があったことである。最も新しいものと最も古いものを結合させようとしたことによる矛盾は、日本が英米と並ぶ三大強国となった50年後になってから噴出することになった。 一方この国家の経済体制は、日本銀行が通貨を発行して市中銀行に貸し出し、後者は資産を持つ者にそれを担保として差し出させた上で事業資金を貸すが、その中では必要な部分だけを紙幣という現金で渡して、残りを(金利のつかない)当座預金として預けさせ、事業者は被雇用者等には紙幣で給料等を支払うがお互いは手形などを交換するだけにしておいて、期限がきた時に互いの銀行に持つ当座預金の残高を増減させることによって決済するという仕組みであり、現金で報酬などを受け取った者は、なるべく節約して残った紙幣を銀行に預けて金利を受け取るというものだった。 また銀行借入れの担保になるような資産は持たないが事業をやりたい者は、それが成功すれば利益の分け前を受け取ると共にその経営にも参加する権利を細かく分けた株式を発行することによって、事業に必要な通貨を、事業はしないで増やしたいと思っている者から集めることができるようになっており、信用できる会社の株式は市場で換金もできるので有力な担保にもなった。 維新後の日本が、政治体制とは違ってこの資本主義経済体制を初めから順調に運営することができたのは、前述したように、江戸時代末期の経済体制が実質的に欧米のそれとほとんど違わないものになっていたので、実務家たちがその正しい使い方を理解して実行することが容易だった一方で、技術者や労働者たちは江戸時代の職人と同じように「からくり」としての機械の作り方や使い方を直ちに呑みこむことができたために、欧米でそれまでに発達していた産業技術を急速に移植することが可能だったからである。 それに対して他の非欧米諸国にはこの二つの条件がなかったので、欧米人たちと直接接触すると、争えば負けてしまい真似しようとすれば失敗ばかりするという具合になった結果、大部分が欧米諸国の植民地ないしそれとほとんど同様のものにされてしまった。欧米人たちが明治維新後の日本の成功の原因を理解することができなかった一方で、戦後になってから非欧米諸国の発展を助けようとしても中々うまくやれなかったのは、体制と技術の間にはこのように相互依存関係があることを、実証的かつ合理的に説明する者がいなかったためである。 2 古典派経済学の誤りとその原因 近代経済学の祖と言われるアダム・スミス(1723-90)は「国富論」(1776)の中で、彼が生まれる直前のイギリスに生まれた資本主義経済体制の利点を正当に評価したが、それが経済現象を引き起こす過程を具体的に述べることはせず、自由な市場の中では「見えざる手」が働くというように漠然と表現するのに止まった。これに対して、それをより明確な形で示そうとしたのが、リカード(1772-1823)の「経済学および課税の原理」(1817)である。 彼が創始した古典派経済学は、市場の活動を自由にしておいた場合、取り引きされる物に対する需要は価格が上がれば減ろうとし下がれば増えようとするが、その供給は逆に、価格が上がれば増えようとし下がれば減ろうとする結果、両者が一致した場合に取引の数量と価格が決まるという原理にもとづいて、取引の数量と価格が変動する過程を明らかにしようとした。 リカードの職業が株式仲買人だったことから見て、彼が考えた市場のモデルが株式の市場だったことは容易に想像できるが、どんなものの市場であったにしても市場というものの性質から見てこの原理は正しいし、一国の国内で生産され消費される財貨の数量全体を実質GDPで、その価格を物価指数で表すことにしても、当時としては同じように正しかったと言えよう。問題はそれが、資本主義体制を採る国の市場においては、生産されるものと消費されるものの数量と価格は参加者の自由に任せれば自然に均衡して安定するので、政府はそれに介入してはならないという自由放任政策を主張したことである。 しかし実際は、この体制がイギリスで発足した直後の1711年に設立された南海会社という貿易会社の株価が暴騰し、それに伴って同じような会社が続々と設立されてその株価も上がり、未曾有の好景気となったが、20年にそれが倒産すると他の会社も軒並み倒産して多くの者がそのために全財産を失うという事件が起こり、大不況となった。 次いで、1768年のアークライトの水力紡績機発明などを受けて繊維産業が活発化した産業革命の時も、同じような事件が多発したために70年代のイギリスは大不況となった。その後の英米仏という先進国の景気の波をその物価指数の動きで見てみると、1840年代と90年代にそれぞれ大きな好況がきて、それが去った後は大きな不況が起こっている。そしてアメリカでは、1920年代後半の好景気の後、株価が大暴落するとGDPが30年から4年続いて10%ずつ減少し、最後には失業率が25%にまで達する大不況となった。 ケインズが「雇用・利子および貨幣の一般理論」(1936)の中で、資本主義国の市場においては参加者の活動を自由にしておけば自然に需要と供給が一致して安定するとは限らず、需要不足のために不況になる場合もあり、その時は政府が公共事業の増加などの人為的な需要を創り出して介入することが必要だと主張したのもこの時である。それまで古典派経済学が、市場では参加者の活動を自由にしておけば需要と供給は均衡して安定した状態になると主張し続けたのは、市場における需要と供給を決定する要因が、資本主義体制と産業技術が発足する前と後とでは大きく変わっていたことを見落としていたからである。 市場における需要の量を決める要素の中で最大のものは、買い手が持っている通貨の量である。資本主義以前の経済体制においては、買い手が持っている通貨の量は金や銀などの存在量によって制約されていたが、資本主義体制になってからは、それが前述のように紙幣と市中銀行の当座預金に変わったので、いくらでも増やせるようになっていた。 また、供給の量を決める要素の中で最も重要なものは売り手が持っている技術であり、産業技術以前の技術で生産できる物の量は自然のまま使えるエネルギーによって制約されていたが、ニューコメンが発明した蒸気機関がイギリスの炭坑で初めて使われた1712年以後は、自然界から抽出したエネルギーをいくらでも投入できるようになった。 この二つに伴って、先進諸国の市場における需要と供給は急速に増加できるようになったが、当然のことながら両者が増える速度には違いがある。そこで最初の問題は、通貨の量を増やし過ぎないようにすることだった。中央銀行が通貨を市中銀行に貸す時の利率を公定歩合と言うが、それを高くして市中銀行が事業者に貸す時の利率に近いものにしておけば、銀行の儲けが少ないので借りにくくなり、通貨の発行量は少なくて済む。 逆に、たとえば公定歩合ゼロで貸し出したとすれば、市中銀行は安い金利で貸出をいくら増やしても儲かるので、通貨の発行量はどんどん増え、生産力に対して需要が増えすぎて物価が上がるので、人々は稼いだ紙幣を貯めて銀行に預けて金利を稼ぐよりは物を買っておいた方が得だと思うようになり、金貨や銀貨の代わりになるはずの紙幣の信用が落ちて、市場は物々交換の時代に逆戻りしてしまう。そのため初めの間は、中央銀行は通貨の発行増加については非常に慎重であり、市中銀行もその貸出については非常に慎重で、中々貸出を増やそうとはしなかった。 しかし、株式の発行によって大量の通貨を集められるようになると、それを使って新しい技術による事業を展開する者が爆発的な成功を収めることが可能になった。その始まりが、前述した蒸気機関の発明とその使用による石炭業の活況である。このような尖端技術を多く使う部門では、いくら生産を増やしてもそれ以上の速さで生産能率が上がるので、生産量が増えれば増えるほど儲かることになる(費用逓増とは逆に費用逓減の法則が働く)。その一方で、自分自身では先端技術を使わなくてもその恩恵を受ける者も増える。 蒸気機関の発明と使用によって大量の石炭を安く入手できるようになった製鉄業に例をとれば、自分は何もしなくてもそれだけで鉄の生産コストが安くなるので儲けはそれだけ大きくなる。その結果、銀行貸出の増加に伴って生産量が増えても、物価はあまり上がらずに儲ける者だけが増えるので、中央銀行も安心して市中銀行への貸出を増やす。それが続くと余った通貨は株式、土地、美術品などの資産の購入に向かい、その価格を押し上げるので、それを売って儲ける者が増える一方、それを担保にして銀行からの借り入れを増やし、それを使って事業を拡大したり新しく始めたりする者も増える。 これが激しくなるのがバブル景気と言われるものであって、すべての事業者が尖端技術の恩恵にあずかるようになる前に、資産価格の上昇だけによって儲けられる者が増えることによる好況なので、それが下がり出すとそれだけで借金を返せなくなる者が増え、その担保を銀行が処分するとその資産の価格が下がるためにまた借金を返せなくなる者が増えるという悪循環が起こって、水の泡が破裂するのと同じように景気が悪化するからである。 戦前のこの不況を決定的なものにしたのは、不良債権を抱えている銀行が倒産するのではないかと恐れた預金者が争って預金の引き出しに殺到する「取り付け」を放置したことである。元々銀行は、余分な通貨があれば貸出に回してしまうので、用もないのに引き出したいという要求には応じられないものが多く、そのため30年代不況の時のアメリカでは倒産する銀行が続出して、現金と預金を合わせた通貨の量は4割も減ることになった。その原因はもちろん、市場は自由にしておけば需要と供給が均衡して安定するという古典派経済学の理論を、政府も中央銀行も正しいと信じ続けたことだった。 3 日本の産業政策、政策バブル、政策不況 戦前の先進資本主義国が何度も大不況から立ち直って高成長を続けてこられたのは、その後で必ず大きな戦争が起こって政府が国債を大量に発行し、国民にそれを買わせるために中央銀行が通貨を増発して市中銀行に貸し銀行はそれを事業家に貸すという形でそれ以前の減少を補ったからである。1937〜44年のアメリカが平均年率8.8%という超高度成長を遂げたのも、ルーズベルトの行った公共事業の増加などによる人為的な需要増加によるものではなく、第二次世界大戦に伴う膨大な軍需とそれを賄うための通貨増発がそれ以前の通貨不足を一気に消滅させたからだったことは明らかである。 しかし戦後の資本主義経済学は、大不況後のアメリカ経済の復活は民主党政府による人為的な需要増大政策によるものだったと解釈し、それと一般的な金融緩和(通貨増発)による需要増加を並行して行えば需要不足による不況は回避できるとした。これが新古典派総合経済学であって、それさえやればどんな不況も克服できると考えたアメリカの政府は安心して、ソ連に率いられる東側諸国に対抗するために日本や西ヨーロッパ諸国の経済復興に力を入れることになった。 ここで再び脚光を浴びることになったのが、第二次世界大戦で惨敗して植民地をはじめとする国外資産をすべて失った上にGDPが10年前の半分にまで落ち込んでいた日本の目覚ましい復興とそれに続く高度成長だったが、その経済的成功を支えたものは古典派経済学が主張するような自由放任政策ではなく、政府が市場に積極的に介入するという明治維新以後の産業政策の伝統を戦後の政府が引き継いだことだった。 維新後の日本の政府が第一に目標としたことは独立を守ることであり、その次は外国に対して自国の利益を守ることだったが、そのためには戦争に強くなければならない。しかし戦争は、いくら兵士が武勇に優れていたとしても武器の数や能力が劣っていたら勝つことはできないし、武器の数や優劣を左右するものは国の経済力であるということを、薩英戦争と下関戦争で惨敗した後で欧米諸国を実際に見た日本の指導者たちは嫌と言うほど思い知らされていた。「富国強兵」政策は、これから生まれたのである。 次に彼らは、国家の「富」とは金銀財宝をたくさん持つことではなく、物を作ったり運んだりする技術の能力が高いことだということを知った。事実、金銀を積めば優れた武器をたくさん買うことはできるが、それを作るための能力がなければ、結局はそれを持つ者に負けて何もかも奪われてしまう。ただ、それを持つようになるためには、当時の日本は外国から色々なものを買ったり学んだりしなければならず、そのためには通貨、特に外貨が必要なことも事実だった。輸出が何よりも大事だったのは、それによって金や銀を手に入れるためではなかったのである。 以後の日本が推進した産業政策の仕組みを一口に言えば、それは、戦略産業というものを選んで育成することである。何を戦略産業にするかと言えば、その時点においては先進国に劣ってはいるが、保護して育ててやればやがては、生産量が増えれば増えるほどコストが下がって利益を上げられるようになるという意味で、先進国において尖端産業を多用する部門と同じ性質を持つ部門である。 戦前の日本の戦略産業は、繊維などの軽工業から始まって鉄鋼や電力などの重工業に移り、最後は乗用車製造などの機械工業になっていた。ただそれは、個別の物としては優れたものを作れるが、それを大量に生産する技術ではアメリカに遥かに及ばなかった。戦後の日本は機械の大量生産技術を学んで身に着けることによって、国内市場から外国製の機械を追い出しただけでなく、国産品の輸出によって相手の市場を奪うまでになった。 日本がその次の戦略産業に選んだものはコンピューターとその部品およびそれを繋ぐための通信手段の生産部門だった。この技術を総称して情報技術(IT、Information Technology)というが、日本が力をいれたのはそれに関連するハードウェアの大量生産技術であり、これはそれまでのように欧米先進国に遥かに遅れて出発したのではなく、すぐ後を追いかけるものだったために追いつくのも早く、あっという間に世界の最先端に到達してしまった。それによって石油危機以後の日本経済は大きな躍進を遂げたが、その反面で大きな障碍にぶつかることにもなった。 それは、日本のこの製品のアメリカ向け輸出が増えすぎて、アメリカのメーカーの存立さえも危うくする一方で、経常収支の黒字が大きくなりすぎたことである。その結果、為替レートは1985年平均では1ドル239円だったものが92年には127円の円高になったにも拘わらず、同年の日本の経常黒字は1176億ドルにまで達した。その原因は、アメリカで1984年にインターネットが民営化されてホームページやブログなどを作成する者も読む者も急激に増え、それに応えるための情報技術関連ハードウェアに対する需要が爆発的に増えていたのに、日本ではそれが遅れたために大きな供給過剰が発生して、アメリカがその吐け口になっていたことだった。 しかしそのことに全く気が付かなかったアメリカの政府は、日本人が異常に輸出に執着することが原因だと考えて、市場活動の自由の原則などはお構いなしに日本の輸出の自主規制を求めただけでなく、1990年から91年にかけて日米構造協議を行うことを要求し、日本の文化までを貿易不均衡の原因だとして攻撃するほどのジャパン・バッシングを繰り広げた。日本の政府は、もちろんアメリカの尖端産業を潰そうなどという気はなかったので、半導体輸出の自主規制を受け入れる一方で、猛烈な内需拡大政策を行った。 前述のような過剰輸出の原因を考えれば、この時の日本の政府はインターネットの普及に力を入れるだけでよかったのに、総需要を増やすことによってIT関連ハードウェアの輸出超過を減らそうとしたために無茶苦茶な銀行貸出を行わせ、未曾有の好景気を招いた。このバブルは91(平成3)年2月になってやっと終息したが、それが破裂した後の反動もまた大変なもので、89(平成元)年12月に3万9千円に達した東証株価指数は1万円台にまで落ち、ゴルフ会員権の価格が1口3億円になるまでに暴騰した地価も5分の1から10分の1にまで暴落した。 それを受けて日本政府と日本銀行は、不良債権を多く抱えた銀行をそうでない銀行と合併させることによってそれまで21あった市中銀行を四つに再編すると共に、預金を無制限に保護すると発表して戦前のような取り付けが起こることは何とか防いだが、10年にわたってGDPが前年比マイナスになり続ける長期不況を防ぐことはできなかった。 それは、不況の原因が資産価格の暴落によって生じた不良債権の激増にあったにも拘わらず、その債務者を倒産させてそれを整理することをせず、返済期限がくる度に銀行が新たに融資して生き延びさせるのを放置する一方、新古典派経済学が主張するような需要拡大政策によって景気が回復して蘇生するのを待つという方針に固執したからである。 不良債権を整理して借り手を倒産させれば、そのような貸付を行った銀行の責任者が責任を問われるので銀行は嫌がるが、元をただせば、国策の名において無茶な貸出を要請した政府の責任だと言う論法も成り立つ。貸出は担保価格の6割までというのが銀行の常識であるのに、担保価格一杯まで貸すどころか、それを5割増しまでとするとか、ひどい場合にはその値上がりまでを見込んで貸すように要請したという話もあるほどで、その結果、現実に活動している事業者やそうしたい者に対する貸しはがしや貸し渋りが横行し、それが長期不況の原因になったのである。 この問題は、10年後に小泉内閣が不良債権一掃政策を採ってからやっと解決したが、以上に見るようにこのバブルを作ったのもそれが破裂した後の不況を長引かせたのもその前の政府の責任であって、欧米の通常のバブルとその後の不況のように民間の活動を政府が放置したためではないところが大きく違っていた。 4 アメリカのリーマン危機とEUのユーロ危機 日本がIT関連ハードウェアの輸出の急増による対米摩擦を緩和しようと思って無理な需要拡大政策を採り続けていた1980年代後半、アメリカではインターネットが急速に拡大しながら新しい情報通信業を育てていた。インターネットは、パソコン、携帯電話、スマートホンなどの端末を繋いだウェブ(蜘蛛の巣)というネットワークがいくつも繋がったネットワークであって、その端末の一つから発信された情報が蜘蛛の糸を伝わりながらすべての端末に届く一方、その中のどこからも情報を受け取ることができる。 蜘蛛の巣を作って管理しながらユーザーの間を仲介するのがプロバイダーとかサーバー とか言われる通信業者であって、彼らは自分で情報を創ったり発信したりするのでなく、他から出る情報を流通させることを仕事にする点で、物を作ったりせずにその流通を助けるだけでお金を稼ぐ商人に似ている。ただ普通の商人と違って彼らは、コンピューターなどのハードウェアを使って情報を加工、蓄積、流通させるための道具であるソフトウェアを作る技術を必要とする。アメリカではそれが発達して、1990年代に入ってからはウィンドウズ92などが発売されると爆発的な発展を始めた。 それに対して日本で作られたソフトウェアの多くは、個々のハードウェアのメーカーが自社の製品を使わせるために作ったものだったので、どの会社の製品にも同じように使えるわけではなかったため、汎用部門ではマイクロソフトのウィンドウズやアップルのマッキントッシュに、ウィルス対策ではノートンに、検索ではグーグルやアマゾンにそれぞれ市場を奪われる結果になり、ハードウェアの分野と違いソフトウェアの分野ではアメリカのメーカーが圧倒的な勝利を収めた。 これらの情報通信業が強力な尖端産業となったことによって起こった好景気は、かつてと同じようなバブル景気を引き起こし、それが破裂すると共に金融危機を招いたこともそれまでの先進資本主義国と同じだったが、それを主導したのはサブプライムローン抵当証券という新しい金融資産の価格の暴騰だった。サブプライムローンとは、所得が低いために低い利率(プライムレート)では借金ができない人たちへの貸付のことである。 そんな人たちが住宅を取得しようとする時に金を貸せば焦げ付いてしまう確率が高いので、高い利率(サブプライムレート)を適用することになる。この場合の貸手は、ローンが焦げ付いた時には抵当にとっておいた住宅を競売する外には回収する方法がないが、この債権を抵当権付の証券にしておけば、貸金が焦げ付きそうだと思った時にすぐ売ってしまえば回収ができるし、逆に安い時に買っておいた証券が値上がりした時に売って儲けることもできる。アメリカでこの証券が発売された1990年代初め以降は、新しい情報通信業に牽引された好景気が発生したので、この商品の人気が急上昇した。 李在雄教授の未発表論文によれば、この証券が流通を始めた1994年には年間350億ドルだったサブプライムローンの新規契約が2006年には6400億ドルに膨れ上がり、それに伴って以前は年間1%だった住宅価格の値上がり率は12..5%に達した。このことによってその人気は更に上がり、2000年には1億3800万ドルだったその市場は2004〜6年には5000〜6000億ドルに膨れ上がり、全抵当証券市場の13.7%を占めるまでになった。 しかし、サブプライムローン業者が相手かまわず貸出を増やした結果、貸し倒れが増加し、担保となっている住宅の処分が増えるとその価格が下がり始め、業者の倒産と同時にそれに金を貸していた金融業者の破綻が増え、2008年秋にリーマン・ブラザーズ証券が破産すると同時に大不況が始まった。この時のアメリカの不況は日本の平成不況のようには長引かないですんだが、それは、日本のやり方を真似して取り付けを予防する一方で、日本のように実際には倒産している事業を生き延びさせたりすることをせず、不良債権をドライに切り捨てたからだと思われる。 その一方でこの不況はヨーロッパに飛び火して、ユーロ危機を引き金とするEU経済の不況を招くことになった。その原因となったギリシャの財政の破綻は、財政を赤字にすれば景気が好くなるという発想にもとづいて公務員の数をむやみに増やした上に色々なことをさせ、その赤字を国債発行で補ったために、一旦国債の売れ行きが落ちると援助国からは赤字削減を求められ、その国債を買い過ぎた銀行が破綻寸前にまで追い込まれたことから起こったものであって、イタリヤやスペインなども程度の差はあっても似たような状況になっていた。 以上の二つの問題は、生産量を増やせば増やすほど生産コストが下がって儲けが増えるという尖端産業の出現に伴うバブル景気とその破裂の結果としての金融破綻と通貨供給の減少による不況だという点では戦前のものと同じだが、大きな違いもあった。 第一は、アメリカのバブルの原因となった資産価格高騰の原因が、普通の企業の株式や土地の価格の値上がりではなく、サブプライムローン抵当証券という、普通の感覚で言えば不良資産の価格の上昇だったことである。サブプライムローンは元々、危ない会社の株式のようなものであって、値上がりするとしても一時的なものにすぎず、リスクが大きい割には大きなリターンを期待できる資産ではない。その人気があれほど高まったのは、アメリカに溢れていた通貨を更に増殖したい人が増えており、それをどうすれば引き合うかという理論を作る経済学者がおり、インターネットがそれを煽ったからである。 第二は、この危機がこれまで資本主義体制が何回も陥ったものと違って、通貨は人間が必要とするものを手に入れるための手段だという市場経済の根本原則が崩れ、通貨の供給を増やしてもその大部分が既にそれを沢山持っている者に渡ってしまい、彼らはそれを増やせると思うところに回してしまうので、ものを買うためにそれを必要とする人たちにはいくらも届かなくなったことである。その結果、貧乏人に通貨を回そうと思って財政赤字を増やしても赤字が増えるだけになり、その財政を助けるために国債の増額を引き受けた銀行までが破綻するというギリシャ型の経済危機が発生することになった。 なぜそういうことになるのかというと、これまで資本主義体制の下で先進諸国の経済成長を牽引してきた産業技術が限界に到達する一方で、新しい尖端技術であるITがその本領を発揮できるような制度改革が行われていないからである。 5 これまでの産業技術の発展とIT革命 産業技術の得意とするところは、標準化した同質的なモノを、自然界から抽出したエネルギーを投入して動かす機械の助けを借りて大量生産することによって生産効率を上げ、そのコストを下げるところにある。しかし、単に既存のモノの生産効率を上げるだけではやがて需要が飽和してしまい、デフレによる長期的な停滞を招くことを避けられない。 これまで資本主義体制を持つ国家がそうならなかったのは、産業技術が常に新しい需要を発掘することによって市場の成長を支えてきたからであって、中央銀行による通貨の増発は、生産者がそのための技術を開発して設備を造るのに必要な通貨を供給するという役割を果たしていたのである。 1760年代に行われた水力紡績機という機械の発明と生産は、安い衣類をいくつも持ちたいというそれ以前からあった人々の需要に応えるものだったが、それ以後の産業技術の発展はほとんど、それまでにはなかった需要を創造してはそれに対する供給を増やして行くということの連続だった。そしてその多くは、科学の進歩と結びついて初めて可能になったものであり、その始まりは、エネルギーを木材、水、風、石炭などの直接の使用に頼るのではなく、それを電気エネルギーに変換してから使うことであり、次は、それを大量に投入することによって生産を増やしながら新製品をも作り出すことだった。 これによって、かつては大きくて動かし難かった機械が小さくて使いやすいものに変わると共に、かつては想像もできなかったような能力を持つ新製品をいくつも作り出せるようになった。そしてそのために大きな役割を果たしたのは資本主義体制を持つ国家の間の戦争であり、その大部分が参加した第一次世界大戦中に開発された新兵器の多くは戦後に家庭用耐久消費財となって現在の我々の生活を支えている。 また第二次世界大戦中に生まれた新製品の中で戦後に大きく発展したものは、コンピューターとロケットと核関連物資である。この内、最後のものについては後述することとして、現在の尖端産業である情報通信業が使用するITは、コンピューターが処理する情報をロケットが作り出した通信衛星を経由して流通させる技術であって、その性質がこれまでの産業技術と大きく違っていることが、4に述べたような問題の根本原因になっている。 今までの産業技術が対象としてきたものはほとんど、モノの生産・変質・運搬などの仕事の能率を、機械やそのシステムを使って大量に行うことによって上げるものだった。その中には電信・出版・テレビなどのように情報を対象とするものもあったが、同質のものを大量に生産することによって単価を下げるという点では産業技術と同じである。 産業技術の対象としてのモノは、沿革的には人間の生理的欲求を満たすための手段であり、その価値は消費されることによって実現される。それに対して情報は、人間が社会の中で協力、調整、支配などを行うための言葉や文字として生まれ、その価値は、人間が目的達成のために適切な行動を選択するのを助ける時に発揮される。 現在の諸産業が成長し続けることが難しくなっているのは、これまでの成長のために新しい欲求を創り出すことができなくなり、市場における需要を増すことが困難になったからである。人間の生理的欲求に発する需要は今も昔と変わらないし、文化的欲求に発する需要の種類も多いが、これまでの尖端産業は、自分自身で新しい需要を創るだけではなく、昔からあった需要を更に増やしたり、変形させて新しく創ったりすることもやってきた。 鉄道ができた時には、農産物を安く運べるようになったために、それに対する需要が遠隔地に新しく生まれて農業が活性化したし、電力業ができた時には、それまで不可能だった夜の営業が可能になったために飲食業に対する需要が激増した。冷蔵庫が普及した時には、果物や魚などの生鮮食品への需要が増えたために農業や水産業が潤った。ラジオやテレビが普及すると、スポーツや演劇・音楽などの文化のプロの活動に触れたいという需要が爆発したし、マイカーが普及すると観光客を相手にする地元産業が栄えた。 今の先進国の市場では、そういう分野も開拓されつくしたのでこれまでのような需要の急成長は望み得ない。産業別で言えば、インターネットの普及によって宅配業者は繁盛するが個人商店は顧客を失って消えて行くという具合で、プラスもあるがマイナスも大きい。新しい尖端技術であるITが供給する情報はどの産業にとっても役立つので、その供給者である情報通信業への需要は大きく伸びているが、それによって市場全体の需要が同じように伸びるかというと、むしろ逆である。 ITの利用による情報の収集と処理の能力の激増は、今まで必要だった中間的な管理職、技術職、事務職の能力の多くが不用になるために彼らを切り捨てることによるコスト削減には役立つが、そうすれば彼らの所得も減るので、その消費需要は減少する。その代わりに増える仕事は、頭も使わなければ熟練も必要としない単純労働であって、使い捨ての日雇いや派遣労働に対する需要は増え、ニートなどの増加によってその供給も増えているが、彼らの収入は低いので勤労者全体の消費は減る。 つまりこれまでの尖端技術は、長期的に見れば、それを多用する尖端産業だけでなく既存の産業に対する需要をも増やすことによって雇用主だけでなく被雇用者に対しても恩恵を与えてきたが、ITという尖端技術は、今の資本主義体制の下では雇用主だけに有利な状況を作り出しやすく、それが全体の需要を沈滞させて経済の不況感を強めることになりやすいのである。 以上のような状況の中で2012(平成24)年暮に出発した安倍内閣は大々的に経済成長政策を宣言し、4月には物価上昇2%を目標として異次元の金融緩和策を開始した。この内閣が発足すると半年ぶりに1万円を回復した株価は、以後1万6千円台にまで上昇し、日本経済はかつての勢いを取り戻したかに見える。 しかし、量的金融緩和という名の下に公定歩合をゼロに抑えながら通貨を増発する政策は、現在の先進資本主義国では不況対策の定番となっており、日本の民主党政権下でも行われていた。物価の上昇を目標として通貨供給を増やして行くこともアメリカの連銀が前からやっていることであって、アベノミクスと言われるものも、目標を達成するまでは何が何でも通貨供給を増やし続けるということだけであって、その第二、第三の矢も、高度成長期の日本では通用したが今では通用しない。 6 現状からの脱却の可能性 アベノミクスの狙いは、とにかく通貨をだぶつかせることによって実需を引き出し、それを原動力として経済を成長軌道に乗せようとするところにあると思われる。この戦略は、1980年代後半の自民党政権が対米摩擦を緩和するための内需拡大政策として行った無茶苦茶な銀行貸出の背後にあったものと同じである。これは未曾有のバブル景気をもたらした後、10年もの間GDPが減少し続ける平成不況を生んだが、当時の日本はアメリカを抜く世界最大の債権国になっていたので、GDPの総額に等しくなるまで政府の借金を増やすことによって、何とか持ちこたえることができた。 今の政府は、アベノミクスの第二段階として実需を増大させるために、企業に賃上げを求めると同時に企業減税と公共投資増額を図ろうとしているが、その目論見通りに景気が好くなったとすれば、それは株価を先頭にする資産価格の上昇に牽引されたバブルなので、遅かれ早かれ破裂する。 前述したように、現在の技術経済的構造の下では資産家の所得増加を賃金の上昇が上回る可能性はないので、財政赤字を減らすために消費税を引上げれば給料生活者と年金生活者の苦しみは増す。そこをバブル崩壊の打撃が襲ったとすれば、政府の借金は既にGDPの2倍に達するまで増えているので、いくらか減ったとしてもまだ平成不況末期の状態より好くなっているとは思えず、一旦景気が悪くなって税収が落ちたら、日本の財政はひとたまりもなく破綻する。 現在の資本主義体制とITを尖端技術とする産業構造の下では、溢れた通貨は持てる者に集まるようになっているので、アベノミクスにもとづく政策を強行することによって日本の経済と社会を高度成長時代のもののようにすることは到底不可能な上に、もし資産価格の上昇を牽引力とするバブル景気が起こって破裂した場合の被害に経済が耐えられないとすれば、日本はどうすれば好いのか? 今の日本で、欲しいモノやサービスが手に入らなくて困っている人が多いことは事実だが、それは終戦直後のようにその供給が量的に不足しているためではなく、逆にありあまっているための問題が発生していることは周知の通りである。そして不足しているのは、特定のモノやサービスを必要としている者がどこにおり、それを供給する意欲と能力を持っている者がどこにいるかを知らせる情報の流れである。 この問題を人間の病気にたとえると、それを治す方法は、栄養の摂取量を増やすのではなく、逆にダイエットによって体重を減らしながら体質の改善を図ることしかないということになる。この場合、エネルギーの投入量を減らすことがダイエットに当たるとすれは、体質の改善に当たるものが、そのような情報の流通経路を作り出すことだと言えよう。 そしてそのための最強の武器になるのが、社会インフラとしてのインターネットである。このインフラの長所は、多数の者の間で異なった情報や意見を即時に交換することによって関係者にとって最良の意志決定に到達できるようにすることだが、現在のところは、安い値段でしかも匿名で手軽に使えるところから、その能力の大部分がユーザーの個人的な楽しみのために乱用されるだけでなく犯罪や犯罪的行為にも多用されるので、プロバイダーもそれを見つけて始末するのがやっとという状況になっている。 この状況を改善してインターネットの巨大な潜在能力を社会の体質改善のために活用するためにはどうしても法的規制が必要になるが、そのためにはユーザーの言論・表現の自由やプライバシーの保護という問題との折り合いを付けなければならない。その障碍を克服してITの真価を発揮させるためには多くの人による問題提起と討論と試行錯誤が必要である。 第二の問題は、人間の必要を満たすために大量のエネルギーを自然から抽出するだけでなくその後始末にも大量のエネルギーを投入しなければならない産業技術に替わって、それよりも遙かに少ないエネルギーで目的を達成するために生物が遺伝子の中に蓄えているに違いない情報を活用するための技術の開発を促進することである。ワトソンが遺伝子の暗号を読み解いてからまだ日が浅いので、人間は遺伝子をコピーして複製を作ったり書き換えたりすることしかできない段階にいる。 そのため現在の生物学や微生物学の利用は専ら、既存の製品の能力の向上や(バイオマスのように)エネルギー源の補完を目的とするものになり、前者はクローン人間の製造のように反倫理的なものになりやすく、後者はこれまでの産業発展を続けるための手段にしかならない。 この点で、日本人が三十数年前に開発し150もの国で使用されているEM(Effective Microorganisms)―有用微生物群―は、多くの分野で化学的製品を代替することによってエネルギーの使用を大幅に節約する一方で、通常の環境保全分野はもとより核廃棄物から出る放射能汚染対策の手段としても強力なことを、その開発者および支持者たちは主張している。 問題は、これが環境対策の手段として有用であることを、外部からの影響を遮断した実験室内での実験によって立証できないために、その主張には科学的な根拠がないという反対意見によって、その使用の広がりが妨げられていることである。これに対しては、現在大量に存在しながら増え続けている汚染水の一部を実験材料として使うことによってEMの有効性を検証する以外に方法がないが、政府も東電もその処理には困り抜いているのに拘わらず、頑としてその要請に応じようとしない。 この実験は、大震災による事故が発生した時、高熱を発している原子炉にヘリコプターから水をかけるということまでやったのに比べれば遥かに容易にリスクを避けることができる上に、費用も全額EM側に負担させれば問題はないと思われるのに政府と東電がその要請に応じない理由はただ一つ、これまで原子力分野ではもちろん微生物学分野でも、生物技術による製品が放射能汚染を含む環境汚染対策として有効だと主張する者がいなかったためだと思われる。 しかし考えてみれば、科学の進歩というものは元々、「常識では考えられない」ことが実際に起こり得ることが立証されることが何回もあって初めて可能になったのである。今回も、実験の結果、EM側の主張が間違っていたことが判ったとしても政府や学界にとっては何の問題にもならないが、もしもそれが正しいことが立証されたとしたら大変なことになる。被災地の復興はもとより、今後の原子力政策ひいては日本および世界の進路に関して途方もなく大きな影響を与えることは必至である上に、現在の学説とそれにもとづく体制が揺らぐので、その代表者たちが実験を望まないのはそのためだと思われる。 そしてマスコミがこの問題の報道を避けようとするのも、資本主義体制の下ではスポンサーの意向に逆らえないことから当然ではあるが、インターネット上に飛び交う情報を仲介するだけで仕事になるプロバイダーたちや利害に関係なく意見を表明できるそのユーザーたちの立場はもっと自由である。その意味でもインターネットの果たし得る、また果たすべき今後の役割は大きい。 7 新しい民主主義政治への道 以上に述べたような社会インフラとしてのインターネットの利用に関する法的規制の確立は、現在の日本の政治体制と経済体制の下では困難だと考えざるを得ないが、それは費用がかかりすぎるためではない。逆に、このような制度的政策はほとんど費用がかからない上に、うまく行けば現在のような行き詰り状態を脱して経済と社会を活性化することによって、財政赤字の大きな削減にも役立つ可能性がある。 今の日本の政治にそれができないのは、中国のような共産党の独裁体制でなく選挙で多数をとらなければ政権を獲得できないようになっているために、一般国民の人気をかちとれるような政策を行ったり提案したりすることが第一に必要であるのに、法規制の導入や強化は規制緩和や自由化に比べて人気がない上に、インターネットの利用は爆発的に伸びているので、その利用に関する規制を導入したり強化したりしようなどと考える政治家がいないのは、むしろ当然でもある。環境対策としてのEMの有用性に関しては、マスコミがこの問題を全く報じていないので、それが政治的な人気に関係するとは誰も思わない。 しかし現在のように、他人の犠牲において本人の金銭欲を満たしたり欲求不満を解消したりするためのインターネットの利用を今のように自由にしておいたら、経済社会の体質改善のための強力な手段になり得るその巨大な潜在能力は何時までも眠ったままになってしまう。 私はこの状況を改善するための規制の方法を「産業社会の過去と未来」(2013年、東海大学出版会)の中でいくつか提案したが、その狙いは、現在インターネット上に飛び交う情報から「毒」を抜くことから始めて、徐々に有益なものを増やして行く、ということだった。 その中でもすぐにでもやれることは、犯罪行為である詐欺、名誉棄損、プライバシーの侵害、いじめ、公然わいせつなどの行為をインターネット上で行った者に対する罰を、刑法の規定の何倍にも強化することである。現在では、それらによって広がる被害の大きさに比べて行為者たちのリスクが小さすぎる。これらに関しては、有力なプロバイダーたちの意見を聞きながら広くユーザーたちの声を取り入れて行くことが必要だが、これはまた、新しい時代の民主主義政治体制への道を開くための第一歩にもなるであろう。 |