| 文化と政治 | 平成16年11月6日 | 平和時代の武士道を考える 「葉隠ドット・コム第二集心の花−葉隠暦」より |
小金芳弘 | |
1 バブル期以後の日本と元禄以後の日本 今なぜ「葉隠」なのかという問いに答えるためには、先ず、最近の日本人が見舞われている経済社会の環境変化を理解しなければならない。戦前の日本人は、男なら国のために戦って死ねば神と崇められ、それを育てた女は「靖国の母」として讃えられると信じた。戦後の日本人は、会社は定年までは働かせてくれ、定年後は年金で悠々と生活できると信じた。しかしバブル景気が崩壊した後の日本では、会社には何時リストラされるか分からない上に年金もどうなるか分からない。頼りになるのは自分の能力だけだが、能力のない者はどうすれば良いのか、能力さえあれば何をやっても良いのかという疑問に対しては、納得できる答えはない。 「葉隠」の著者である山本常朝の生きた1659−1719年の時代の武士たちも、これと同じ種類の変化に見舞われた。戦国時代はとうの昔に終わっており、1637年の島原の乱以後は武士が戦争で死ぬことは全くなくなり、1688−1703年の元禄時代には空前の経済的繁栄のお陰でいくらでも贅沢ができるようになったが、それがバブルと消えた後は厳しい引締めと深刻な不況がきた。そのために各藩はリストラを強める一方で幕府による取り潰しのために国がつぶれて浪人する者は後を絶たず、しかも色々とうるさい決まりができたので、昔と同じことをやっていたら何時切腹させられるか分からない。 常朝が1710年から足掛け7年かけて田代陣基と共に書き上げた葉隠は、このような時代、武士たる者は何を頼りに生きたら良いのかという疑問に答えるための必死の努力の賜物であり、その結論は、次の2、3、4の三つの言葉に集約されている。 2 「武士道と言うは死ぬことと見つけたり」(48頁) 戦国時代までの武士は、戦争の艱難辛苦に耐え、泥まみれになって悲惨な死を遂げることを当然とされる存在だった。百姓町人たちは、戦争でひどい目に会うことは度々あるが、それから逃げることを許されている。それに対して武士たちは、人間にとって最も大事な命(いのち)を賭けることと引き換えに他の者からの尊敬と特別な待遇を得ていたのであり、それを怠れば臆病者−−腰抜け侍としての汚名を甘受しなければならなかった。戦争で死ぬことを免除されるようになった後、彼らがそれまでと同じ地位を保ち続けるためには何をすれば良いのか?これに対する答えは、武士道を守れというものだった。 では武士道とは何か?当時の学者たちによれば、武士が人の上に立つことを正当化する根拠は、「百姓町人は力を労するが武士以上は心を労する、心を労する者は上に立つ」ところにあった(丸山真男『日本政治思想史研究』、東京大学出版会、1983年、9頁)。ここでいう心とは知力のことであり、武士の道は国家社会を運営するために頭を使うところにあることになるが、葉隠は、武士道はそんなものではないと言う。 葉隠によれば、人間は死ぬのが怖いから、生きるか死ぬかという岐路に立った時は生きる方へ行こうとして色々な理屈をつけるが、それをしないのが武士道なのである。知恵分別のある者ほど始末が悪い(104頁)、忠・不忠、義・不義、理非曲直等の判断に気を使わず理屈抜きの方が良い(105頁)、見えすぎる奉公人は悪い(247頁)、器量ある奉公人で知恵深い意見を言う者はそれを自分の手柄にしてしまう(338頁)、知恵や利巧ほど鼻持ちならぬ者はない(353頁)、分別がつくと武勇は発揮できない(356頁)等々、葉隠が知力を持つ者を猛烈に攻撃するのは、その多くが責任逃れのために用いられるからである。 葉隠は、武士が無闇に命を粗末にすることを奨励しているわけではなく、立派な仕事をするためには命を大事にする必要があることを、至るところで力説している。ただ、いざという時に死ぬ気でやることは誰にでもできることで別に難しいことではなく、特別な能力も知力を磨くために苦労する必要もない。人間は誰でも死ぬのだから、仮に目的が遂げられずに犬死と言われても、それが武士というものであり何ら恥ずることはない、要は気の持ちようだ(212頁)、と言うのである。 彼が言いたかったことは、武士は能力よりも勇気だ、頭よりも心だ、ということだったであろう。そしてこれは、武士に限らず人間なら男でも女でも同じである。命(いのち)が何よりも大事にされる平和な時代には、大事なことは命がけでやる覚悟が必要だという根本が忘れられ、誰でも自分の安全、出世、外聞、財産などのために知力を使おうとするので、人のためという道徳の基本が失われる。東西冷戦が終わった後の恒久平和の下で知価革命が叫ばれたバブル期以降、官庁、大銀行、大企業のエリート層におけるモラルハザードは目に余るものになったが、葉隠が書かれた元禄期以降の日本でも、恐らく事情は同じだったであろう。 3 「人生は誠に短い。好きなことをして暮らすべきである」(360頁) 戦時中やモノのない時代には、皆がしたいことをするのを許したら皆が困ることになるので、嫌でも最低限の道徳を守らせるような強制力が自然に働く。しかし平和が続きモノが豊富な時代になると、それを許しても大した実害はないので、昔のような強制力は自然に失われる。ただ人間の欲にはきりがなく、豊かになればなるほど誘惑も増えるので、これに伴って起こる問題は増加し深刻化する。 それに対して、色々と細かい規則を作ることによって押さえつけようとする動きが出るが、葉隠の主張は逆である。問題の根源は道徳の基本を忘れた能力主義と知力万能主義の蔓延によるモラルハザードの増大にあるのだから、それを放置したまま細かいことを煩く言っても大して役には立たない。それよりは、自由にのびのびやらせて潜在能力を引き出すようにした方が、状況の改善に役立つと考えるからであろう。 ただ、羽目を外して人に不快な思いをさせることがあってはならないという配慮から、酒は美しく飲め(人にからんだりするな)(9頁)とか、恋は秘めた恋が良い(人前でべたべたするな)(12頁)とかいうように、エチケットの要求はしている。命がけということと並んで葉隠が最も重視しているのは、人前を飾るということとはむしろ反対の、人に不快な思いをさせないというエチケットの基本である。幕末から明治にかけて日本の武士たちが西欧人たちから尊敬されたのはその礼儀正しさのためであり、この意味では葉隠の教えは、江戸時代を通じて全日本に浸透して行ったと言うことができよう。 4 「時代の風というものは変えられぬ」(160頁) 平和とバブル景気の元禄時代の後、天下泰平でモノは豊富なのに道徳は廃れ将来の不安は増すばかりという時代がきて、これを直すためには世の中を昔に戻さなければならぬという復古主義が沸き起こった。今の日本で教育勅語や修身教育の復活が叫ばれるのと同じだが、その代表のように思われかねない葉隠は、それとは全く逆のことを言っている。つまり、今の世を百年昔のよき時代にもどしたいと思ってもできるものではなく、時代時代で何とか良くすることが大切だと言ったのである。 そして、今どきの若い者は無気力で頼りないという老人の繰り言に対しては、今は平和な時代だからそう見えるだけで、何事かが起これば骨っぽくなるだろうと期待した(295頁)。200年後に危機が日本を襲った時、事態はその通りになった。葉隠武士の精神は高級武士の間では失われても、勤皇攘夷の浪士や新撰組の隊士には受け継がれていたことになる。 5 武士の体面 以上のように、葉隠に含まれるメッセージの真髄は現代の日本にも世界にも通用するものだが、それが最も重視する武士の名誉の具体的な表れである「体面」というものになると、現代の我々にはついて行けないものが多い。それが時代の差というものであり、武士の体面に関して葉隠の挙げる数々の事象は、我々の祖先の社会がどんなものだったかを具体的に知るための資料として貴重であるだけでなく面白い。現代の日本との落差の大きさから見て面白いものとしては、次のようなものが挙げられる。 (1)江戸で遊女狂いをして評判になった侍が佐賀へ帰った後、江戸から遊女が尋ねてきたのでまた評判になり、切腹させられた(40頁)。江戸で遊ぶのは良いが、国許で評判になったのでは武士の体面に係わるというところであろうか。 (2)侍の乗っていた馬が他家の中間とぶつかってこれを蹴り殺した。相手側の主人も馬から降りて互いに丁寧に話し合い、こちらに非がないことを相手が認めて落着した(47頁)。 交通事故のようなものは武士の体面に関係がないからか、恐ろしく紳士的な解決である。 (3)刀鍛冶が家に帰った時、妻が雇鍛冶と不倫しているのを発見、二人を切り殺した(197頁)。町人の場合には7両2分ですむところを、武士の妻では体面が立たないからか。 (4)碁を打っているのを見て、うっかり助言したため抜き打ちにされた。された方は不調法をしたと謝り、仲直りに一杯飲んだが、相手が近寄ってきた時に首を切り落として自分も死んだ(303頁)。碁の喧嘩は常に命がけだが、武士の勝負に差し出口をするのはその体面を傷つけることになったのであろう。これに限らず、喧嘩に負けることを武士の恥として復讐することを、葉隠は当然としている。 6 人間としての武士 葉隠の凄いところは、読者に分かりやすいように体系付けするとか理論付けするとかの努力を一切せず、人に読ませようという気が全くないことである。それどころか常朝は、これを他人が読むと悪用される恐れがあるので全部燃してしまえとまで言っている(前著「葉隠ドット・コム」参照)。 7年間にわたり精魂を傾けて書いたものをベストセラーにしようとするどころか発表さえもしないで燃やしてしまうということは、武士が戦場で一つの首も取らずに死ぬのと同じだが、思想家としての常朝の実力は、武士で言えば大将首の十や二十は楽にとれるほどのものである。にも拘らず彼が自殺にも等しい道を望んだのは、恐らく、これが孕んでいる反体制的な要素が体制に及ぼす影響を懸念したからである。 当時の幕藩体制は、武士に対して、是非善悪や理非曲直を明らかにすることによって国を治めること、人々の生活を向上させるために知力を発揮すること、細かい規則をよく守り身持ちを正しくして人々の模範となること、当世風に染まらず質素倹約を旨とすること、等を要求していた。これらは、当時の武士が置かれていた状況と社会情勢から見て尤もな要求であり、葉隠がそれに反対するものでなかったことは、一読すれば明らかである。それでもなお常朝は、人間としての武士の立場から、侍も人間であり、出来ることは命がけでやるが出来ないことは出来ない、と叫ばざるを得なかった。 そのため前述の2、3、4は、よく読めば、これは体制側のための道徳書の仮面をかぶってはいるが、実際はそれを引っくり返して戦国の時代に返そうとする危険な書だと思われる危険のあるものになった。しかし常朝のこの恐れは、実際には杞憂だった。葉隠が発表されると、多くの者はこれを体制側の要求を更に厳しくしたものだと受け取り、常朝の真意を理解した少数者は、これこそ新しい時代の武士が踏むべき道だと共感したので、葉隠は焚書の憂き目に会うこともなく、以後の日本に生き続けることが出来た。 7 未来へ続く武士の道 葉隠の伝えるメッセージは、戦争と貧困の中で武士が命をかけて役目を果たした時代を懐かしんだり、様変わりした現代の世相を嘆くというような「後ろ向き」のものではない。本当の武士道とは、大事なものを守るために自分の能力や知力の限界を自覚しつつ惜しみなくそれを注ぎ込む一方で、人を不快にさせないためのエチケットに絶えず気を配ることであり、その基本さえ守るなら、細かいことは気にしないで好きなことを好きなようにやることだ、と言うのである。 現代の世界には、平和を実現し維持するとか、貧困や病気に苦しむ者を救うとか、自然環境の破壊を防ぎそれを修復するとかいうように、大事なものはいくらでもある。それに対して、やれることを責任を持ってやるだけなら誰でもやれる。それが現代の武士道であるなら、武士の血を引く日本人はもちろんのこと、世界の誰でも守ることは可能である。これを広めることによって多くの外国人を武士に変えることができるなら、それこそ日本の世界に誇る輸出品になるであろう。 |
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