生活文化特別セミナー講義5月より
| 文化と政治 | 平成15年5月 | イスラームと文化摩擦 | 倉沢 宰 | |
平成15年5月17日 愛知学泉大学教授 倉沢 宰氏 |
米国における衝撃的な同時多発テロ、印パ対立等はイスラームの原理主義の影響などと言われているが、果たしてそうだろうか。 1.イスラームの世界 預言者(予言者ではない)ムハマンド(訛ってマホメットと呼ばれている)は、日本の聖徳太子時代に生まれ、18歳から隊商交易に加わり、40歳でメッカで啓示を受け布教活動を始めた。西暦622年、イスラーム共同体を設立し、62歳で死去、 全アラビア半島にイスラームを拡めた。750年〜1258年、首都をバクダッドに置くアッベース朝は学問、科学を発展させ、16世紀から19世紀にかけては、イスラームを信仰するオスマン帝国、ムガル帝国(インド)、東南アジアの国々は交易を広めて繁栄し、芸術・文化を発展させた。 現在のイスラーム教徒は、インドネシアでは1億6千万人全人口の(82%)パキスタンでは1億3千万人(97%)バングラデシュでは1億700万人(83%)に達し、イラン、エジプト、アルジェリア、モロッコ、イラク、サウジアラビアでは人口の90%以上を占める。 アラビア起源の用語を拾ってみると、コーヒー、シュガー、ズボン、パジャマ、アルコール、アンモニア、ソーダ、ゼロ(数字)など日本人が日常使っているものが多い。 現在のイスラーム教徒は、経済の立ち遅れなど、社会情勢への不満を抱え、統制力の限界を感じイスラームの覚醒をめざす動きが現れつつある。 2.イスラームの文明 英国の哲学者カーライルは「コーランは砂漠と同じくらい無味乾燥なものだ」と言い、ドイツの学者ウエーバーは「世襲的政治制度が市場経済を妨げた」と批判している。その外、「右手に剣、左手にコーラン」は教科書から削除されたが、事実無根の誤認が多いので、イスラーム文明に対する偏見を乗り越える必要がある。 都市文明としてのイスラームはアラブ時代に花開き、中世の世界交易におけるイスラームの果たした世界繁栄への貢献は見逃すことはできない。イスラーム文化はどの国でも同じというわけではなく、各国の中核をなす文化と融合してアラブ文化圏や東南アジアの文化圏を育てている。イスラーム教は、イスラーム共同体における価値規範を形成する点で各国、各地域に共通だというだけである。 3.イスラーム的生活と統制力 イスラームの信仰の基盤は、唯一神、精霊、預言者、啓典、来世、天命の六つであり、宗教儀礼は、信仰告白、金曜日の合同礼拝、喜捨、断食、メッカへの巡礼の五つである。 生活の規範は親孝行、家庭の義務、貧者弱者の扶助、商売上の道徳、利息の禁止、浪費の戒め、男女相互の権利、義務、食べ物の規定、マナー等で、善行を積むことである。 これらは個人と神との直接的な関係で、聖職者(仏教の坊さん、キリスト教の牧師)の介入を要せず、個人主義に基づく社会に重点を置く制度と考えられる。イスラーム法は慣習法で、地域により異なり、中近東だけのものではない。女性のヴェール、ブルカ、スカーフの着用はアフガン、マレーシアでは取り扱いが異なる。最近話題になる「イスラーム原理主義」は、イラン革命など政治色の強い戦闘的急進派の活動を指すが、蔑称的意味合いを伴い適語かどうか疑問が残る。 4.今日のイスラーム主義 社会情勢への不満があって、イスラームの栄光と復権を目指す運動が盛んになっている。改革を求める組織的活動には、パレスチナのハマスやアルジェリアの政治闘争のような戦闘的過激派もみられる。パレスチナ問題のムスリム同盟団のように「アツラーは我等の神、預言者は我等の指導者、神のための死は最高の望み」とジハードを乱用する集団もある。 しかし、これは個人的信念の暴走であり、一部の保守的指導者の影響の結果であって、イスラーム教の本質とは異なるものである。イスラーム教は自殺を禁止しており、他人を殺すことも許していない。自爆テロや無差別殺人は教議で禁止されている。イスラム教会は爆弾テロを支持しないと声明した。 5.おわりに イスラームの伝統は多民族共生と信仰の自由である。西欧社会の慣習との相違(礼拝・断食)等はあるが、給食豚肉問題のように例外を認めることで解決される。共生社会に向かって対立を解いていけば、イスラーム社会との関係は改善されていく。 |
| 倉沢宰(くらさわさい、サイエド・ムルトザ) 愛知学泉大学、愛知学泉短期大学教授 1947(昭和22)年7月27日バングラデシュにて出生 略歴 1968(昭和43)年国立ダッカ大学大学院社会福祉学研究科修士課程修了(修士号取得)、同年バングラデシュ農村開発研究所研究員、1969(昭和44)年ダッカ家族計画教育調査研究所教官、1970(昭和45)年来日慶應義塾大学日本語科入学、1973(昭和48)年慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)、1976(昭和51)年慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学、1979(昭和54)年東京スワン万年筆竃f易主任、1982(昭和57)年愛知学泉女子短期大学専任講師、1988(昭和63)年愛知学泉女子短期大学助教授、1992(平成4)年愛知学泉女子短期大学教授、1994(平成6)年愛知学泉大学教授兼任 主な兼職 愛知学院大学非常勤講師(文化摩擦論、イスラム社会と文化担当) 主要著書論文 「東南アジアの社会変動と教育」(共著、昭和61年、第一法規出版)、”Bumiputra Policy and Islamization in Malaysia”(昭和63年、愛知学泉大学生活文化研究所「研究報告書」No.0604)、”Education for Modernization in Japan : an Analytical Reappraisal”(平成5年、愛知学泉大学「研究論集」第28号)、「クーデター10年後のフィジー多民族共生を巡る問題」(平成10年、経済社会学会年報)、「日本におけるイスラム布教上の社会的抑制」(平成12年、イスラミックセンター/ジャパン季刊紙『アッサラム』第84号)、”Bengal Identity and Muslim Consciousness: the Dialectics of Nationalism”(平成13年、愛知大学国際問題研究所「紀要」第115号) |