震災後の日本―危機か好機か 平成23年4月 小金芳弘


二度あることは三度あるか
幕末の危機と大戦の危機
大震災と55年体制
新しい時代への課題と「和」の社会

二度あることは三度あるか

 あの戦争が終わった時、私は20歳だった。86歳を迎えた今、東日本大震災で受けた日本の打撃はあの時のものに劣らないと感じている。ただ同時に、その後の経済発展に伴って失われたと思われていた日本人の強い連帯感が今もなお健在であることを知り、他国だったら大混乱に陥っても不思議でないほどの惨状にも拘わらず被災地の秩序が整然としているのを見て、日本人は昔と変わっていないと感心したことも事実である。

 そうだとすれば、日本が今回の危機もあの時と同じように克服するだけでなく、それを契機としてこれまでの長期にわたる低迷を脱し、不死鳥のようによみがえったとしても不思議ではない。事実、敗戦の更に80年前には、日本は文字通りの亡国の危機を乗り切っただけでなく、それを契機としてどんな革命にも劣らないほどの改革を行うことによって、極東の小国から世界の大国へ飛躍したのである。「二度あることは三度ある」という格言を信じるなら、今回も同じことが起こると予言することは可能である。

 しかし、明治維新後の日本がやったことも戦後の日本がやったことも「奇跡」に近いと考えるなら、そんなことが二度も三度も起こることはあり得ないと見るのも当然であり、それがむしろ世界の「常識」というものであろう。ただ私は日本人として、また日本が戦後の復興から経済大国になるまでを経済官庁の中で過ごした者として、戦後の成功だけでなく維新後の成功も、ある条件の下に今と同じ日本人の努力と工夫によって成し遂げられたものであることを知っている。

 そこでここでは、過去の二度の危機が起こる前に日本が置かれていた国内的および国際的な状況と、日本人がどのような条件の下にどのようなことをやって危機を好機に変えたかを振り返ることによって、今回も同じことができるかどうかを考えてみたい。

幕末の危機と大戦の危機
 幕末の危機は、日本が200年以上にわたって守ってきた鎖国下における生活と経済が、1853(嘉永6)年のペリー来航によって脅かされた時から始まった。徳川幕府は、日本には諸外国の要求を拒絶できるだけの力がないことを悟って開国したが、間もなく、長い間の鎖国にもとづく双方の誤解や対外貿易の再開に伴う経済の混乱のためにそれに対する不満が噴出し、62(文久2)年に起こった薩摩の武士による英国人殺害事件などの衝突が頻発するにおよんで、鎖国体制にもどれと言う声が急速に高まった。

 幕府は、それが不可能だということを知りながら朝廷の顔を立てて63(文久3)年に攘夷を決定すると、長州藩は直ちにそれに乗って、米・仏・蘭の商船を砲撃し、戦争を起こそうとした。幕府は慌てて各国に謝罪したが相手は許さず、翌年には英国が薩摩を攻撃して鹿児島を焼け野原にした上に四国の艦隊が下関を攻撃して占領することにまでなった。

 そこで幕府は莫大な賠償金を支払った上に長州藩を処罰したが、このような対応を見て批判勢力は幕府に見切りをつけ、幕府が二度目の長州征伐に失敗すると、徳川家が政権を朝廷に返上したにも拘わらず朝廷と薩長は徳川家討伐を図り、68(慶応4)年の戊辰戦争によってこれを倒した。

 もう一つの危機は、1930(昭和5)年、アメリカ発の世界大不況によって日本経済が大打撃を受けた後、満州(中国東北部)を実質的な日本領土とすることによって食料と工業原料を確保すると共に工業製品の市場とするという考えの下に陸軍の関東軍と朝鮮軍が満州事変を起こし、満州国を作ると日本政府がそれを承認したことから始まった。

 これに対して抵抗する中国軍とそれを抑えようとする日本軍の戦闘が各地に広がる内、1937(昭和12)年に盧溝橋事件が起こると、間もなくそれは日中の本格的な戦争になった。日本政府はそれを止めようとしたが、軍隊の指揮権は天皇にあるので総理大臣も口を出せず、天皇は政治の実際には口を出せないことになっていた上に、満州事変以来軍首脳でさえ現地軍が勝手に戦争をするのを止めることができなくなっていたからである。

 この戦争は国際世論と特に米英の激しい対日非難と対中援助の強化を招き、日本がそれに対抗するために行った独伊との三国同盟の締結は米英との亀裂を決定的なものとした。その行き詰まりを打開しようとして、当時ドイツに占領されていたフランスの領土のインドシナへ軍隊を送り込むと、米英蘭は、石油の対日禁輸という経済制裁を発動して、日本に大陸からの全面撤退を迫った。石油が入ってこなければ、1年後の日本は軍艦を動かすこともできなくなる。これによって日本は、軍の首脳でさえ誰も望まなかった対米英全面戦争に、追い込まれることになった。

 以上の二つはどちらも、それまではうまく機能していた体制が行き詰ったために起こった問題に対して、それを変えないまま問題を処理しようとして色々な方法を採り、それによって新しい問題が起こると、それに対して打った手がまた事態を悪化させるという悪循環に陥ったために起こったことであり、その場限りの対応の積み重ねが亡国の危機を招くようになったことの好例だと言える。

大震災と55年体制
 以上の二つの危機が直接的には外国との摩擦ないし衝突から発生したものであるのに対して、今回の危機は自然によって起こされた物理的なものである点で国際問題とは関係がないように見えるが、実際にはこれは大きな国際問題なのである。その第一はいうまでもなく原発事故であって、原子力ひいてはエネルギーと環境の問題をこれからどうするかということが日本を含む世界全体の問題であることは間違いない。

 しかしそれ以前に、日本が1955(昭和30)年以来維持してきた体制が実はアメリカ社会をモデルにしてできたものであり、それが行き詰まりにきたにも拘わらず有効な改革が行われない内にこの災害が発生したということが、アメリカとひいては先進産業社会全体の危機を示しているのである。

 1955年体制は元々、アメリカが日本を忠実でしかも強力な同盟国にしようとして、その体制を基本的には変えないまま西欧的な民主主義の制度と価値を盛り込んだ憲法を作らせると同時に、耐久消費財を大量に生産し消費するライフスタイルを持ち込んだことから生まれたものである。しかし、その種がアメリカ産だったからと言って、日本で育ったものがアメリカのものと同じだとは限らない。日本社会という土壌には、アメリカやヨーロッパのものとは非常に違う価値や態度が含まれているからである。

 戦争前の日本は、天皇の臣下である総理大臣が―戦争で軍隊を指揮する場合は別として―全国から集めた官吏を使って管理することになっており、その総理大臣は、天皇の重臣たちが世論の動向などを見ながら選ぶ場合が多かった。大正時代からは、選挙で選ばれた衆議院議員の多数を擁する政党の党首に「大命」が降下することが多くなったが、昭和に入ってからは、彼らが政争を繰り返すばかりで国家の苦境に対して何の手も打てなかったために国民の信頼を失い、政党以外から総理大臣を選ぶようになった。しかし彼らも駄目だったことは、前に見た通りである。

 戦後のアメリカは、欧米的な民主主義にもとづく制度にすればあのようなことは避けられると考えて、国会で多数を占めた政党の党首が総理大臣になるようにすると共に、女性や若者にも選挙権と被選挙権を与えるという大改革を行った。しかし、国会議員を選ぶのは戦前と同じ日本人であり、その候補者も同じ日本人である以上、戦後の議員たちが戦前の人たちよりも道徳的に正しいとか能力的に優れているとかいう保障はどこにもなかった。

 55年体制下の日本が戦前とほとんど同じ政治家と公務員によって運営されたのに世界を驚かせるほどの業績を挙げたのは、明治以後の日本が抱えていた制度や慣習の中で近代国家に相応しくないものや不合理なものを占領軍がほぼ完全に取り除いてくれていた上に、平和が続いたために軍事費負担が大幅に減り、大量の若い労働力を生産に振り向けることができたからである。

 しかし、耐久消費財がほとんど飽和状態になるまで普及した上に世界に例がないほどの速さで少子高齢化が進んだ後の日本は、金融を緩和したり財政支出を増やしたりするだけでは経済成長が難しくなる一方で環境汚染は激しくなり、技術の進歩は失業や所得分配の不平等を招くことが多くなった。1991(平成3)年にバブルが崩壊した後の日本が陥った長期不況はそのことを示していたが、僅かな期間を除いて政権を維持していた自民党は高度成長時代には有効だった財政政策と金融政策に頼るばかりだったために、財政赤字が危機的状況にまで膨らんだ上に金利がほとんどゼロという状態が続くことになった。

 00(平成12)年に登場した小泉内閣が06(平成18)年に不良債権の処理を終えるとようやく景気は上向きになったが、その後を継いだ安倍内閣は後ろ向きの政策を採ろうとするばかりで何も改革できないまま1年で潰れ、その後の福田内閣は民主党との大連立に失敗してやはり1年で退場、その後の麻生内閣は、08(平成20)年のリーマンショックに遭遇すると何の手も打てないまま翌年の衆院選に大敗した。

 自民党の代わりに数々のマニフェスト―選挙公約―を掲げて登場した民主党の鳩山内閣はそれを実行しようとしたが、そのほとんどが膨大な政府支出や税の減免を必要とするものだったのでたちまち行き詰まり、米軍基地の問題についても何の事前工作もなく公約だけを先行させていたので、小沢元代表の政治資金問題もあって1年保たずに退陣した。

 その後を受けて10(平成22)年に登場した菅内閣も、財政問題と小沢問題に足を引っ張られて動きがとれないまま参院選に大敗し、今年の3月には参院での問責決議を受けて総辞職するか衆院を解散するかという瀬戸際まで追い込まれていた時に、大震災に襲われたのである。
 
新しい時代への課題と「和」の社会
 以上の政治状況は、色々な手を打てば打つほど状況が悪くなり、最後に破局に見舞われるまで何も改革ができなかったという点で幕末の危機や大戦前の危機と同じであり、55年体制の下でも日本社会の基本的な体質は明治以前のものから少しも変わっていなかったことを示している。ただこれは、日本が少しも進歩していないということではない。逆に、日本がその体質を保ちながら進歩を続けている場合、日本人自身がそれに気づかず、新しい時代に即した制度改革をしようとしないために危機を招くことを示している。

 たとえば、ペリー来航前の日本は、世界でも群を抜く高い識字率を持ち、シカゴが真似して作った商品の先物市場を早くから持っていたほど資本主義経済を発達させており、西欧に負けない数学者や技術者を生んでいたのに、大部分の日本人はそれ以前の鎖国と封建体制を変えることを望まなかった。また昭和初期の日本は、当時の日本人の潜在能力をもっと活用できる制度さえあれば、アメリカに負けない生産と生活を実現できる可能性があったのに、経済で苦境に落ち込んだ時の日本人は、かつてと同じように軍事力に頼ろうとして失敗した。

 どちらの場合も、制度を大きく変えることを主張する者はいたが、大部分の日本人はその言うことを聞かなかったのである。これは、日本が島国であるために他国と自国を客観的に比較することが難しかったためもあるが、日本の社会が持つ「和」を重んじるという体質にもとづく部分が多い。

 これは聖徳太子の17条の憲法の「和をもって貴しとなす」から出ている言葉て、集団の全体に関する問題については、多数決でなく全員一致で決めるというやり方の元になっている。これでは、集団内に意見や利害の違いがある時には絶対的なボスに無条件で従うか何も決められずに終わるかしかない。それを避けるための常套手段は、相手の言い分を足して2で割る、決定を曖昧でどうとも受け取れるものにする、解決を先送りしてしまう、というようなものである。

 相手が外国人だとそれではすまない。幕末の日本と戦前の日本はそのために破局まで行ってしまったが、そうなった後は真の意味での全員一致が成立した。維新後の日本は「ご一新」、つまりこれまでの体制を捨てて大昔の体制に還ってやり直そうということで国内がまとまったし、戦後の日本は、負けたことを天皇が認めて相手の言うことを聞こうと決めたので、国民全員が一致して従ったのである。

 震災後の日本は、とにかく復興のために協力しようということでは全員が一致しているが、それよりも遠い将来のことについては、維新後や敗戦後とは状況が全く違うので、それを実現することは難しい。

 震災が起こる直前の先進産業社会には二つの大きな変化が起こっていた。一つは、地球温暖化と異常気象の頻発に伴ってクリーンエネルギーへの期待が高まり、原子力の重要性が再認識され始めたことである。もう一つは、インターネットの普及に伴い従来だったら政府か特別の権利を持つ者以外はアクセスできなかった情報が誰にでも手に入るようになったことであり、尖閣諸島沖の中国漁船衝突の映像の流出やウィキリークスによる米政府の非公式情報の暴露などはその好例である。

 そして前者は、日本の今回の原発事故によって衝撃を受け、中国やインドをはじめとするかつての開発途上大国の産業化とその後を追おうとする多くの非西欧諸国にも重大な影響を与える。また後者は、従来であれば政府かマスコミに頼らなければ充足できなかったニーズが、誰でも情報を世界に向けて発信したりそこから入手したりできるようになったために、それに頼らなくても充足できるようになる一方で、従来は起こり得なかったプライバシーの侵害や他人からの攻撃を受ける可能性が生まれたことを意味する。

 その結果これからの産業社会は、政府と企業による財貨サービスと情報の供給の増加によって生活を向上させて行くという従来のあり方が大きく変わり、それに対応するための技術の革命的な変化と政治制度の大きな改革が求められるようになると思われる。それをどのようにして行うかという問題はここでの主題ではないが、日本が今までの「和の社会」という体質を変えないままでそのようなことができるかということは、初めに掲げた「二度あることは三度あるのか」という問題に繋がる。

 今の日本には幕末の欧米諸国や戦後の占領軍に当たるものがないことを考えれば、それは不可能だということになるが、震災の衝撃でその体質が変わるということになれば、成り行きは違ってくる。「和」の精神は元々、全体の利益のために少数者を切り捨てるようなことはしないというものであって、少数者の利益や面子のために全体の利益を犠牲にしても良いということではないはずのものである。

 今の日本は世界の先進国であり、所属集団の利益や都合に反しても正しいと思う考えを主張したりそれを支持したりすることが「和」を乱すと思って尻込みしていると、そのツケはやがて自分にもどってくる。個人としては世界の中で活躍する者が続出するようになった日本人が、「和」の精神を生かしながらその呪縛から逃れられるようになる日がくるだろうか






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