| EM革命の戦略 |
平成26年4月 | 小金芳弘 | |
1 私とEM 私が生物技術と経済社会の長期発展を結びつける考えを発表したのは、小金芳弘「経済発展論―産業革命から情報技術革命まで」(1994年、東海大学出版会)が最初であって、そこでは日本と世界の将来への新しい課題として、遺伝子工学の製品に関する研究開発が重要だということを、外国からの情報を元にして次のように述べていた。 ….現在、農業の生産性を上げるために使われている除草剤と殺虫剤は化学工業製品であり、それによる土地の汚染をこれ以上放置しておくことはできない。それを代替することのできる生物学的な非汚染物質はまだ市場に現われたばかりである。「(しかし)専門家は、先進国では農業に使われるすべての農薬が2000年までには化学的なものから生物学的なものに変わるだろうと考えている。」(同書154頁、P.Drucker,”Where the Markets are”,Wall Street Journal,April 9,1992からの引用) このようにアメリカでは、1992年に既に、化学的農薬に代わるものとして生物学的製品の価値が認識されていたのだが、それから22年経った今の日本では、その認知度は極めて低く、新聞やテレビでは全く報道されていない。そのため私は、今年2月になるまでEMという名前さえ知らなかった。昨年1月に出版した小金芳弘「産業社会の過去と未来」(2013年1月、東海大学出版会)の中で次のように述べているのに拘わらず、である。 「…..生物学が遺伝子を読んだり書き換えたりするだけでなく、吸収したエネルギーを使ってハードを動かすための仕組みまでを解明できるようになったら、無生物を対象とする科学との協力によってはできなかった産業技術の行きづまりを打開することも可能になると思われる。その出発点は恐らく、環境汚染対策として化学的な農薬の代わりに生物学的な農薬を作るとか、廃油を食べる遺伝子を埋め込んだ微生物を作ることである(同書130頁)」。 その後私は、今年の2月に雑誌「世界平和研究」で比嘉照夫という日本人が生物技術によって開発したEM(Effective Microorganisms)−有用微生物群−という製品が、農業における化学的農薬や肥料の代わりとしてだけでなく東北地方の放射能汚染対策に業績を挙げていることを知り、直接彼に会って話を聞き著書を読んだ結果、それまでそのことを全く知らなかったことに衝撃を受けた。 ドラッカーの予想によれば、2000年までには先進国では農業に使われるすべての農薬や化学肥料が生物学的な製品に替わっていたはずであり、先進国とは日本のこと、生物学的な製品とはEMのことだったとすれば、それから更に14年後の現在の日本は、多くの化学的製品の代わりにEMを使うことによって電力需要を大幅に削減し、原発廃止に向けて大きく前進できていたはずである。しかし現実の日本でのEMは、多くの農業者とボランティアの高い支持にも拘わらず、政府、大企業、マスコミに無視され続けており、原発再稼働もやむなしという意見さえ有力になっているほどである。 2 日本人の独創性と日本社会における「権威」 しかし、日本人が世界を驚かせるような独創的な業績を挙げても国内では全く知られずにいたり、軽く見られたりしていることは決して珍しくない。たとえば、開国したばかりの日本にやってきた外国人は浮世絵の素晴らしさに驚いたが、当時の日本ではそれは女子供の喜ぶようなものだと見なされて外国人に安い値段でいくらでも売られた。それがフランスでジャポニズムと言われて著名な画家たちが心酔していたことを知って慌てた時には既に、国宝級の作品がどれくらい海外に流出したか判らないほどだった。 日本人が重んじるのは「お墨付き」という権威があるかどうかである。どの国でも権威というものが重要視されることは同じだが、日本の場合は専門的な問題については専門家の意見がお墨付きになりやすいので、彼らが全く新しいものを見た時にはそれを評価することに恐ろしく慎重になる。国外の先進国の権威―たとえばノーベル賞―があれば安心して高く評価するが、それは、万一間違った場合にも専門家全体の責任になり、個人の責任が問われないですむからである。 どんなに独創的であって外国から高く評価されている仕事であっても、日本では「権威」が認めない限り決して高く評価されないということは、私自身が1977(昭和52)年初めの頃、いやというほど思い知らされていた。それは、76年から79年にかけてOECDが行った世界の未来研究計画(INTERFUTURESプロジェクト)に私が次長として参加した時のことである。その経緯は前著「産業社会の過去と未来」の7〜9頁に書いてあるが、この時に私が最も感銘し大きな影響を受けた相手はアメリカ人のダニエル・ベルと日本人の増田米二だった。 ここで私が衝撃を受けたのは、増田さんが同じ日本人でありこのプロジェクト自体が日本政府の提案によって出発したものだったにも拘わらず、それまでの私がこの人を全く知らなかったことだった。この時既に増田さんは、コンピューターと電気通信技術が結びついた情報インフラが世界に広がり世界を変えるということを予言し、その著作は各国語に翻訳されている世界的な著名人であって、チームの長であるジャック・ルスールヌが彼を新需要の研究会のスピーカーに呼んだのもそのためだったのである。 当時の日本では未来予測も情報化論も盛んに行われていて、増田理論はその中でも最高のものだったにも拘わらず、日本の未来学会という権威は決してそれを高く評価しようとはしなかった。その後で私が体験したことだけを述べると、次の通りである。 私は増田理論を国内に広く知ってもらいたいと思い、帰国して経済企画庁の国民生活局長になった後、暫くしてから国民生活審議会に情報技術に関する部会を作り、彼を部会長にした。その後、私は退職して日興証券の子会社である日興リサーチセンターの理事になっていたが、審議会は1983(昭和58)年3月に「情報社会と国民生活」という報告書を発表し、増田さんがそれをシンポジウムで発表したいと言ってきた。そこで6月の21、22日に日興ホールで情報技術シンポジュウムを開くと、椅子を420も入れたのに参加料を5000円払って参加した人が331人に達し、外に無料招待客が107人いたので、日興証券とリサーチセンターの社員はモニターテレビで実況を見るしかないことになった。 この経緯は「情報社会を考える―情報技術シンポジウウムの報告」(昭和58年10月、日刊工業新聞社)に詳細に述べられているが、当時の日本では1973(昭和48)年から十年続いた石油危機がやっと終わり新しい発展段階が始まっていて、それを牽引したものが資源エネルギー節約型の日本の乗用車と情報技術関連ハードウエアの驚異的な輸出の増大だったことは周知の事実である。しかし、乗用車はとにかくとして情報技術関連ハードウェアという全く新しい製品がこれほどのブ−ムを起こしたことについては、このシンポジウム以後は日本のマスコミも増田さんの情報社会論を無視できなくなったことが一つの原因だったと思われる。 3 情報社会論とEMに対するマスコミの態度の違いとその原因 その後の日本のITブーム、バブル、平成不況以後の状況については前著「産業社会の過去と未来」に詳述されているが、2011(平成23)年3月に起こった東日本大震災は、その多大な犠牲にも拘わらず「禍を転じて福となす」好機でもあった。それまで多くの貧困国で使われてはいたが日本の権威とマスコミには見向きもされなかったEMが、放射能対策の切り札として脚光を浴び、その開発国である日本が後期産業社会のトップに躍り出る絶好の機会でもあったからである。 しかし実際には、EMの開発者である比嘉氏がその効力と実績をいくら訴えてもマスコミは耳を貸さず、トピックとしてさえ新聞には1行も出なければテレビに取り上げられることもない。私がその存在を知ったのも、古くからの知り合いで企業経営を止めてから農業をする一方で地域の世話人をしている安江高亮という人が発行している「蓼科だよりー田舎暮らし情報」というメールマガジンでEMというものが農業に使われていることを知った直後に、統一教会の関連団体である世界平和教授アカデミーが発行する「世界平和研究」という季刊誌に掲載された比嘉氏の放射能汚染除去に関する報告を読んだからであって、この二つがなかったら、私が今でもその存在さえ知らなかったことは確かである。 ここで、状況的にはきわめてよく似ている増田氏と比嘉氏−情報社会論とEM−がどのように違うのかを考えてみると、次のことが言える。 第一の違いは、増田氏には敵がいなかったのに対して、比嘉氏には強大な敵がいることである。増田の「情報社会論」が強調した情報技術の(ハードウェア面での)担い手は当時の日本経済の最先端を行く巨大企業であって政府が戦略産業として育成を図っていたものだったから、その将来が明るいことを示す主張には何の問題もなかった。一方、比嘉の開発したEMは、環境汚染や健康被害を伴う現在の巨大企業の主要生産物に替わることを目的とし、しかもコストが安く取扱いも簡単だと言う利点があるので、それが人気を得て広がれば広がるほど日本経済には打撃となる(と恐れる者が多い)。 第二の違いは、作品の価値を説明するための方法にある。増田理論は、世界の技術は狩猟採集技術、農耕技術、産業技術というように変化してきて、将来は自分の言う情報技術になるというものだった。それまでは、経済体制の変化については資本主義体制下で起こる失業と貧困のために労働者階級が革命を起こして共産主義体制に移行するというマルクスの理論はあったが、技術の変化による社会の変化を論じた者はいなかった上に、日本人は全体的に技術が好きなので、この点でも増田氏に敵はいなかった。 これに対して比嘉理論によれば、40億年も前の地球は高温と有害な物質や波動に満ちていて生物が住めるような環境ではなかったが、それが現在のような環境に変わったのは、生物にとって有害なエネルギーを必要で有用なものに変えるシントロピーというものがあり、EMの能力はそれによって生まれる(と私は解釈する)。これは、EMの有用性が十分に一般に理解された後では革新的な理論だと認められるかも知れないが、その有用性が疑問視されている現在では、その判り難さを敵が利用して、EMは偽科学だとか科学的根拠がないとか言って攻撃する武器に使うことになっている。 4 「禍を転じて福となす」ために 今の日本にとって重要なことは、エントロピーかシントロピーかという理論的な争いに決着をつけることではなく、放射能の恐怖に対抗するための有力な手段を見つけることであって、EMが防護服のような受け身の手段ではなく敵を倒すための強力な武器の候補者であるなら、それが実際に効くか効かないかを試してみることは、原発事故の後遺症に苦しむ人たちを助けるためにも将来のエネルギー政策の基本を考えるためにも、緊急の課題であることは明らかである。 比嘉氏の著書と「世界平和研究」での報告によれば、EMの放射能対策としての効力はチェルノブイリで実証ずみである上に、東日本大震災の後では東北地方で多くの成果を挙げている。問題は、今の学界では細菌が放射能対策の手段として有効だということが認められていないことだが、細菌が人間や動物の健康を守るために大きな力を発揮することは多くの実験で認められ、医薬品や健康食品としても流通していることを考えれば、それが放射能を消滅させたり無害なものに変えたりする能力を持っていたとしても何の不思議もない。 ただ、個別の医療や健康維持のために用いる場合とは違い、ある程度の広さのある地域の中で時間をかければ放射能を減らせることを立証するためには、EM以外の要素の影響を遮断するように作られた実験室の中で試すことが必要であり、そうでないところで行われた行為の効果がいくらあると言っても、それは科学的に立証されたとは言えないという、(敵方の)主張を封じることはできない。 しかし今度の場合は幸いなことに、その能力を試すための実験材料として、現在東電がタンクの中にためこんで処理に困っている大量の汚染水がある。EMが放射能対策として本当に効果があるかどうかを見るためには、それを実験に使えば好いのである。これは、2011年の3月11日に、高熱を発している原子炉を冷やそうとしてヘリコプターから水をぶっかけるという無謀なことをやった(やらせた)東電と政府の失敗の産物だが、もしそれを使ってEMが放射能汚染対策として有効であることを証明することができるなら、ここでも日本は「禍を転じて福となす」ことになるはずである。 そしてそうなるためには、仮にEMが役に立たないことが判ったとしてもダメ元であり、その開発者がやりたいと言っているのならやらせてみたらどうかと考えるのが普通だろうが、実際にはそうなりそうにない。それは恐らく東電自身がそうしたくないからであって、建前としては、汚染水をとり扱うのは大きな危険を伴うので、専門家を連れてこなければ駄目だというようなことを言うであろう。 この場合、自発的にその実験を助けてくれる原子力の専門家が出てくれば問題はないが、これも実際には難しいと思われる。なぜなら、EMが放射能対策として有効なことが立証されてしまったら、これまでの専門家たちの意見が間違っていたことが判ってその権威に傷がつくので、そんなことには関わりたくないだろうからである。これに対して、原子力の専門家の助けを得て安全を確保しながら費用は全額EM側に持たせて好きなだけやらせてみろという強力な発言者が出てくれば問題は解決するが、今の政府にもマスコミにもそういう者がいるとは思えない。 今の日本には、増田の情報社会論の時には世論を動かすどころかその形さえ見えなかったインターネットというものがある。現在これは、無責任な暴論、遊び、いじめ、犯罪の手段などに満ちてはいるが、多くの者が自由に意見を言える立場を使って社会を健全に運営するための強力な手段となり得るものでもある。EMの開発者とその支持者たちはこれを使ってEMが有効であることを主張しているが、それを否定する人たちはその実績が信用できないと言っている上に、東電の汚染水を使って実験することさえ許さないでいる。そしてこの「事実」までを新聞やテレビが全く報道しないのでは、世論は動きようがない。 5 最終目標と当面の目標 EMを推進しようとする側の最終目標は、その、農業、環境、災害対策などに関する圧倒的な力を活かして、現在行き詰まっている日本の経済と社会を活性化させると共に人類の危機を救うというところにある。私も、現在の産業技術と資本主義経済制度の結びつきの下での先進社会の行き詰まりを打開するためには、政治文化的にはインターネット、技術経済的には生物技術の活用によるしかないと考えており、前述した著書においてもホームページにおいてもそう主張しているところからこの目標には全面的に賛成するが、今のところそれを達成するためには大きな障碍があることは認めざるを得ない。 それは、その私でさえEMというものを今年の2月まで全く知らなかったほどマスコミがその存在を無視(ないし隠蔽)していることであって、このままではEMが全面的に使われるようになるまでには恐ろしく時間がかかり、その間にどんな事件が起こるか判らないからである。 昭和初期の日本は似たような状況にあった。この頃の日本は明治維新以後の富国強兵政策が成功した上に第一次世界大戦のためにロシア帝国とドイツ帝国が消滅し、米英とならぶ3大強国となっていたが、同時に大正デモクラシーと言われるものが盛んになったことで判るように、平和主義と民主主義への移行も始まっていた。しかしそれに対して、戦争によって権威や利益を得ていた人たちの反発もまた激しく、1935(昭和5)年の世界恐慌に遭遇すると陸軍の一部が大陸で戦争を引き起こし、それが一時的に成功したために歯止めを失った日本はずるずると戦争に深入りして行って、最後には全面戦争から敗戦という破局を招き、どれくらいの人命と国の名誉を失ったか判らないまでになった。 もちろん、今回も同じことが起こる危険があると言うわけではないが、高度成長の復活を夢見るアベノミクスの一時的な成功に世論が引きずられて行く中で、日韓、日中関係の悪化やロシアと欧米の争いの進展の如何によっては、EMの可能性を活かす機会が失われるために多くの犠牲が生まれる危険がないとは言えない。 そこで当面の目標としては、現在、EMという製品の放射能汚染の除去に関する能力を試して見るための絶好の機会があるのに拘わらず、金銭的な利益や専門家としての権威を損なうことを恐れる人々の妨害と怠慢によってそれが失われる危険があるという「事実」を、全国紙を通して全国民に知らせることが必要だと思われる。 参考 「EMを原動力とする第二の産業革命」 「平成26年1〜3月の日記」 「アベノミクスからの脱却」 |