産業文明は波を打って発展している。
第一の波は1770年代の産業革命から始まって1870年代まで、第二の波は1880年代から1970年代まで、第三の波は1980年代から始まって、今まで通りなら約百年は続くであろう。それぞれの波の特徴を物、エネルギー、情報で表すと、19世紀の波では鉄、蒸気、人間交流の高速化が特徴であり、20世紀の波では、合成素材、電気、電気通信が特徴となっている。21世紀の波の内容はまだ確定されていないが、物、エネルギー、情報のすべてにわたってこれまでのものとは全く違った特徴が現れつつある。
以上の波の中にはそれぞれ、コンドラティエフの波というほぼ半世紀の波が入っている。
これは、1790年代にボトム、1820年代にピーク、1850年代にボトム、70年代にピーク、90年代にボトム、1910年代にピークとなっている。これをそのまま延長すると、1940年代にボトム、70年代にピーク、90年代にボトムということになる。
(村上氏はこれを世紀単位の波と前提することによって、産業革命以後の資本主義経済が経験した長期の好不況の波と技術革新の間の因果関係を解明した。)
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2. 突破のための技術と成熟のための技術
一世紀を支配するほどの技術が登場するためには、それに付随する技術やそれを受け止める社会的合意が必要で、それを生み出すには強力なパンチと長い時間を必要とする。
最初のパンチを作り出すのが突破のための技術革新で、ある種の産業に集中し、前の時代の技術との連続性を保ちながら新しい道を切り開いて行く。19世紀においてはそれは綿織物工業だった。
次の時代には、綿織物工業を成立させるために石炭と鉄を運び集まってくる人間のための食糧を運ぶ鉄道が非常なスピードで建設されて、変化を経済と社会に定着させた。この鉄道の発展が成熟のための技術革新である。
20世紀の波における突破のための技術革新は自動車の製造であり、成熟のための技術革新は、洗濯機、テレビ、クーラーなどの家庭用耐久消費財の製造だった。
突破のための技術は、新しい波を登場させるためのものなので、とりあえずは従来の技術が持っていたある部分を置き換えるという形をとり、普通の意味での需要をスムーズに伴うことはない。
このように巨大な生産性向上が部分的に起こることは、アンバランスな産業発展による失業を増大させ、摩擦のコストを発生させる。
欧米で自動車ブームが起こった20世紀初頭における大不況と二度にわたる世界大戦の発生は、その表れだと言うことができよう。
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3. 21世紀における突破と成熟
(21世紀の波における突破のための技術革新は何かについては、村上氏はこのシンポジウムでは明言を避けたが、コンピュータと電気通信の結合がそうであることは、現時点ではもはや疑いを容れない。)
また、突破のための技術革新はブームを引き起こすが他の分野がそれに追いついて行けないために大きな社会的経済的摩擦が起こることも、日本の1980年代のハイテクブーム以後の長期不況とアメリカの90年代のITバブル以後の(恐らく長期にわたる)不況によって、時代は変わっても変わらないことが立証されたと言えよう。
このシンポジウムで村上氏は、21世紀の波における成熟のための技術革新が何であるかについて言及しなかった。
氏の理論によればそれが引き起こすコンドラティエフの波は2020年頃から始まるので、このシンポジウムが行われた時点においてその形が想像できなかったのは当然だと言える。
しかし、21世紀に入った現在人々の最大の関心事が地球環境の危機と人間を含む諸生物の生命の危機であることを考えると、それは環境の保全と生命の復活のための技術だと推測することは可能である。
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4. 人間のニーズと技術的独創性
20世紀の波に入った時、イギリスに代わってこれをリードする候補者だったのはドイツとアメリカだった。
この時点では、科学的技術的能力においてはドイツはアメリカを遥かに上回っており、製鉄業、電気工業、化学工業で世界をリードしていた(自動車を発明したのもドイツ人だった)。しかしドイツは、20世紀の産業文明でリーダーシップをとることに失敗した。
アメリカ人はこれからの技術を支えるものは大衆ないし社会全体に浸透するものでなければならないと考えていたのに対して、ドイツ人は、戦争、軍備、国家というような古い価値を中心にした需要のあり方を考えていたからである。
アメリカは長期的に見た需要を含めた技術の突破力を完成していくという方針をとったのに対して、ドイツは過去ないし現在に近い需要を中心にした発展を考えていた。
このことは、長期的な需要を作っていくためには、広くかつ長期的な視野に立たなければならず、限られた短期的な分野での競争にとっての有利不利にとらわれていたのでは、科学技術にいかにすぐれていても負けるということを示している。
逆に言えば、仮に技術的な独創性で劣っていても需要の方向さえ見誤らなければ、長い目で見た競争に勝つことは可能である。
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