高齢化を生きる 平成16年5月 「人間としての痴呆とその管理」
−『大逆転の痴呆ケアを読む』
和田行男



 痴呆とは、止むを得ない事情で発生した身体的な欠陥によって自らの尊厳と人間関係が危機に曝される状況の一つの典型であって、誰でも、自分がそうなったりそうなった者を抱え込む可能性があり、しかもその蓋然性は増加する趨勢にある。本書は、グループホーム「こもれび」施設長和田行男氏がその体験にもとづいて痴呆老人ケァの実態とあるべき姿について縦横に語ったものであり、これから益々重要性を増してくる痴呆老人問題に対して我々がどう対応すべきか、また対応することができるかについて多くのことを教えてくれる。また副産物としては、その仕事に従事していたり痴呆老人を抱えていたりする者でなくても、これを通じて人間および人間集団の管理についての鋭い洞察によって多くのことを学ぶことができる。


T ばあさんずストーリー

 平成11年3月にスタートした定員8名の「こもれび」では、15年3月までの間、入居者の痴呆の進行は止めようがなかったものの、歩けなくなった者、階段の上がり下りができなくなった者、布団からベッドになった者、こもれびを自分の家だと思うようになった者、帰宅欲求がなくなった者、外に出られなくなった者、経済的理由以外で退去した者は一人もなく、入院した者は2件2名に過ぎなかった。ここではその間の彼女らの行状が、事細かに記されている。


U どう見る・どう考える「痴呆ケア」

 ここでは、高齢者痴呆とそのケアに関する著者の基本認識が示される。それを要約すると、

(1)痴呆とは人間がぼけたのであって、痴呆老人というものになったのではない、
(2)痴呆は記憶力を失ったのであって生きる力を失ったわけではなく、何が残っているのかを見極めてそれを引き出すことが基本だ、
(3)能力がないと決めつけることを前提として考え出された療法やプログラムを集中的に実施することは弊害が大きい、
(4)個人を助けるだけでなく、(職員を含めての)人間同士をどう結び付けるかが大事だ、
(5)どんなに気をつけてもどんなことが起こるか判らないという覚悟を持つことが必要である、
(6)ホームを閉鎖的な集団にしてしまうのでなく、地域社会に開かれたものとし、その一員として大事にしてもらうようにすることが大事だ、
(7)家族との関係を作ることは必要だが、本人と家族の間に入ることはない、
というようなものになろう。


V どう係わる「専門職」

 これは、著者とグループホーム「福さん家」施設長宮崎和加子氏との対談であり、1955年生まれで蒸気機関車が大好きだった著者が1974年に国鉄に入り、87年にその民営化を機会にこの世界に入ったこと、それまでは別に福祉や老人介護に関心があったわけではないことが示された後、両者のグループホーム運営に関する論議が延々と続く。

 これを見てわかることは、痴呆老人のケアは誰でもできるし、事実やってもいるが、その本職がやっていることは普通の人間にはとても真似ができないということであり、この二人の話を読むと、全米プロに参加したゴルファーがその時の色々な駆け引きや技術についての感想を解説者と語りあっているのをテレビで見ているような気がする。
 これはまた一般的な組織管理者にとっても、人間心理のあやと、組織の目的を追求するためにそれに介入するのに当たってどのような点に留意すべきかを考えるために、非常に参考になると考えられる。


W このままでいいのか、宇宙旅行時代の痴呆ケア

 ここでは、これまでの痴呆老人のケアは動物を動物園の檻に入れておくようなものであり、最近はようやくサファリパークで飼うところまできたが、これでもまだ野生動物の本来の姿を生かすものにはなっておらず、本来の姿を生かしながら必要な時には保護して元にもどすケニアの国立公園のようなものでなければならないという著者の感想と理想が語られている。


「やさしさだけでは人は動かない」(153頁)

 人間を相手にする仕事では人間はどうしても心情的情緒的になるが、人間同士だから心は通じるはずだと思ってもそうは行かないことが多い。一番大事な脳に障害がある者を相手にする場合は特にそうであろう。子供を相手にする場合にも、似たことはあるはずである。著者は、やさしさだけでは人は動かないので、先ず動ける状態にあるかどうかを見極め、次にその気にさせることが大事だと述べている。

 和田氏は恐らく、国鉄で電気や機械を動かす仕事をやっていた経験からそれがわかったのである。自動車が動かなくなった時は、いくら頼んで見ても駄目だし、エンジンを蹴飛ばしてもこっちの足が痛くなるだけである。必要なことは、相手がどんな状況にあるのかを知ることと、相手がどういう仕掛けで動くのかを理解し、それに従って必要なことをすることである


「働かないで仕事をしよう」(216〜220頁)

 ここでは、「働く」とは自分でやってしまうことだが、「仕事をする」とは、相手が自発的にやるようになるまで持って行くことを意味する。痴呆老人はロボットではないので、こちらがやらせたいことをやるようになっても、それで十分ではない。意思を持つ人間としてそれを実行するようになって初めて仕事は完成する。脳の障害のために半分死んでいる人間に命(いのち)を吹き込んで完全な人間にすることが仕事だと言うのである。
働くことを、工場労働者のように決められた通りにモノを作ることだとすれば、仕事をすることは、モノに生命を吹き込む職人芸である。「好い仕事ですね」というのはお宝鑑定団の鑑定家の口癖だが、和田氏によれば、痴呆老人のケアは工業生産ではなく文化生産を理想とするということになる。普通は、働かなければ仕事はできない。働かないで仕事をすることのできるケアワーカーがいたら、その人は剣を抜かずに相手を倒す名人の域に達したということができよう

■和田行男・宮崎和加子著『大逆転の痴呆ケア』(中央法規出版)  
 痴呆とは、止むを得ない事情で発生した身体的な欠陥によって自らの尊厳と人間関係が危機に曝される状況の一つの典型であって、誰でも、自分がそうなったりそうなった者を抱え込む可能性があり、しかもその蓋然性は増加する趨勢にある。本書は、グループホーム「こもれび」施設長和田行男氏がその体験にもとづいて痴呆老人ケァの実態とあるべき姿について縦横に語ったものであり、これから益々重要性を増してくる痴呆老人問題に対して我々がどう対応すべきか、また対応することができるかについて多くのことを教えてくれる。また副産物としては、その仕事に従事していたり痴呆老人を抱えていたりする者でなくても、これを通じて人間および人間集団の管理についての鋭い洞察によって多くのことを学ぶことができる。

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