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旧制高等学校は、1886(明治19)年に第一高等中学校の創立が決まったのを皮切りに、学制改革によって1950(昭和25)年に廃止されるまで38校が設立され、21万5千人の卒業生を送り出した(秦郁彦『旧制高校物語』、文春新書、平成15年による)。その著しい特色は、学校がなくなってから50年以上が経ち最後の卒業生が70歳を越えるようになっても、それを懐かしむ声が未だに絶えないだけでなく、戦後教育制度の欠陥が指摘される度に、それを復活させろとかその特質を取り入れた教育機関を作れとかいう主張が行われることである。
実際は、学校も他の組織と同じく「生き物」であって、一旦消滅したものを元通りにすることはできない。しかし、死んだ人間を生き返らせることはできなくてもその遺産を利用することはできるように、旧制高校が生み出したものを活用することは、今でもできる。その典型的な例は、卒業生たちがそこで培われた友情と連帯感を生かして、共に寮歌を歌ったり麻雀や飲み会を楽しんでいることである。
これが普通の学校同窓会や職場OB会とは違って多くの地域や分野にまたがる広がりを持ち得るのは、旧制高校が日本列島全域から旧植民地までにわたって設置されていたために、夫々が独自の歴史や校風を持つ一方で、共通の―その制帽の多くが白線を巻いていた風俗から―白線文化とも言うべき文化を持っていたことによると思われる。
この文化は、大学進学率が1%に過ぎなかった時代に旧帝国大学に無条件で進学できるという特権を持つ人たちだけのものだったことと、グループ内の繋がりが非常に強かったことのために、一般社会にまで広がることはなかった。しかしその本質は、戦前の日本では市民権を得られなかった自由と自治の価値を重んじる一方、カネやモノを大量に使うことなく相互の「心の繋がり」にもとづいて思い切り生活を楽しむところにあり、これは現代の日本にとって貴重な遺産だと言うことができる。
そこでここでは、旧制高校での生活がどのようなものであったか、またその時の体験を卒業生たちがどのように今の日本の中で生かしていたかを、彼ら自身の言葉と行動によって示すこととする。
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