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| 平成16年8月 | ||||
京都大学総合人間学部教授 カール・ベッカー(別華薫)氏 米国宗教心理学会アシュビー賞(1983年),国際教育研究会(SIETAR)異文化理解賞(1986年)、ボンベイ国際大学名誉博士(1992年) |
| はじめに 死の痛みを知って人のかけがえの無さを知る この頃の日本人は、病院に老人をまかせてしまって看取りをしなくなっていますね。。それで、一番肝心な見送りたい時に間に合わなかったりします。それは我々も悔しいし、特に子供にとって問題です。私は、人が死ぬ現場に人を立ち合わせない風習が、今の自殺、他殺、殺人問題などに影響していると実感しています。 昔はどの家でも、子供は、おじいちゃん、おばあちゃんに育てられました。日本ではどこでも、20〜30代の親は畑仕事やら漁船の仕事やらに出ていて、産んだ後、数ヶ月の間は赤ちゃんを抱いていても、すぐ離乳しておばあちゃんにまかせたのです。この育て方には色んな利点があります。おばあちゃん達はなかなか飽きない。子供が「もう一度あの歌を歌って」と言っても、20〜30代の親は「もう3回も歌ったんだから自分で歌いなさい」と言うけれども、70ともなれば、同じ歌を何度歌っても飽きない。老人の思考と赤ちゃんの思考は案外近いのです。 また、20〜30代の人は世間をろくに知らないので、子供に礼儀作法を躾けようにも、その資格がありません。しかし60〜70にもなれば、どういう言葉使いが誰に対して適切なのかがわかるし、お伽話やらことわざやら色んな伝統文化が身にしみついているので、そういう人に子育てをまかせると案外うまく行きます。 それで、やがて本人が10歳前後になると、その好きだったおばあちゃん、おじいちゃんが他界する時期になります。さっきまで笑顔で「お世話になりました」、「先にゆくから後で」と言っていたおじいちゃんが、次の瞬間はもう喋らない、息をしない。温かかった身体がだんだん冷えて行く。これを経験すると何とも言えない気持ちになります。心に穴が開いてしまうのですね。そこで初めて、人のかけがえの無さと死の痛さがわかるのです。死は痛いものです。失恋以上に痛いものです。 その痛みが分かっていたら簡単に人は殺せないし、死にたくても自殺は遠慮したい気持ちになります。しかし、現代のテレビやビデオゲームや小説の死は、痛みと繋がっていません。それは嘘の死です。テレビで、警察官が悪者を撃ち殺すとします。いくら悪者であっても、その人には家族があって好きな人がいて、その人が死んでしまうことによって痛みを感じる社会があります。 またたとえ自己防衛であったとしても、それを撃ち殺した警察官は報告書やら手続きやらで大変な思いをする上に、それは夢にも出てきます。人を殺したことが夢に出てこないなどということは、人間ならあり得ません。今の日本では、そういうこともなく物みたいに悪者を殺してしまう「嘘の死」しか知らない子供たちが、気軽に人をカッターナイフで殺したり蹴り殺したりしています。 私は長年、日本の病院や施設などで、末期患者から日本人の死に方を勉強させてもらってきました。それについては後でお話ししますが、話を整理する為に、仏教で言う四苦、つまり、生・老・病・死というキーワードをポイントにします。 |
| 1 現代日本の生活と病気 末期患者を見ていると癌患者が多いのですが、癌は殆ど生活による病気です。生活の中に病気の原因があり、その最大のものがストレスです。空気、飲み物、食べ物、煙草、騒音、蛍光灯のチカチカ、冷房の不自然な冷気等々は、一つ一つは「嫌だ」というほどのものではないのですが、無意識のうちにストレスを高める環境を形成しています。また、座るということもストレスの元です。我々の身体は遺伝子的に猿の身体と全く同じですが、じーっと座ってばかりいる猿は、病気の猿だけです。 うちの畑は山にあり、そこに猿もマムシも出ます。猿はマムシが天敵で、マムシが怖いことを知っています。猿が畑に出かけて美味しいものをかじったりしている時にマムシが現れると、猿の体内に三つの変化が生じます。 まず、胃酸がグンと増えます。すぐに行動を始めなければいけないので、食べ物の消化を速くするためです。次に、コレステロールのような脂肪分がぐんと増えて、血液がドローンと濃くなります。何故かというと、蛇と戦ったり蛇から逃げたりすると、猿でも木から落ちるかも知れないし、落ちたら出血するかも知れません。この時、血液がサラサラだったら大量の出血をする恐れがありますが、血液がドロドロだったらすぐに固まって、あまり出血しないでしょう。だから、緊急事態にはドロドロの血が良いのです。そしてもう一つ、血圧と脈がグンと上がります。ドロドロになった血液を運ぶ為に、心臓が倍くらい働かなければならないからです。 これは、脳内で警報が鳴るために起こる現象で、英語ではファイト・レスポンスと言います。蛇との戦いが終わったり蛇から逃げてしまったりすると、この状態は改善されます。ドロドロだった血液はサラサラになって行き、胃酸は、すーっと消えます。有酸素運動によって酸素をいっぱい取るので、心臓は少しずつ落ち着いて、元の動きに戻ります。 我々も、例えばぎゅうぎゅう詰めの電車ではストレスを感じます。「嫌だなー」と感じて同じことが起こるのです。胃酸が増え、血液がドロドロになり、脈が無意識のうちに上がって行きます。乗り換えのために次の電車まで走って行かなければいけない場合も同じです。やっと会社に着いたり病院に着いたりした時も、上司に叱られたり受付で嫌なことを言われたりすると、同じことが起こります。 そういう時は猿と同じに戦ったり逃げ出したりしたいのですが、我々は人を殴ることもできなければ逃げ出すこともできず、謝ったり言い訳をしたりして、ただ耐えるだけです。その結果、ドロドロの血液、高めの血圧、胃酸などがストレスとして後に残り、これが累積すると、胃潰瘍、脳溢血、心臓病などを引き起こします。 2 ストレス対策の1:有酸素運動 日本人のストレス解消法としては、良く働いてからカラオケやゴルフをするなどと言われていますが、カラオケの後でもゴルフの後でも、血液検査や尿検査をすると、ストレスは依然として大変高く、全然ストレス解消になっていないことが分かります。頭では忘れていても身体はちゃんと覚えているので、ストレスをそのまま抱えているのです。ゴルフでも、殆どの日本人は自分のクラブを背負って18ホールを歩くことはせず、歩いているのはキャディぐらいで、やっている人は車に乗って行く。これでは逆効果です。 我々の身体は、幸か不幸か遺伝子的には依然として猿のものですから、最低1日に10分から20分ぐらいは、一寸汗ばむくらいまで有酸素運動をしたいです。無酸素と有酸素の違いはご存知ですか?無酸素運動というのは、例えば、重たい物をウーッと力を入れて持ち上げるとか、階段を走り上がるとかいうように瞬発力に関わる、例えばダッシュみたいなものです。これは筋肉には良いのですが、ストレス解消には関係がありません。 有酸素運動というのは、ずーっと続けようと思えば半永久的に続けられるような運動です。ちょっと早足の散歩でもいいですし、水泳でもそうです。或いは風呂桶や窓の掃除とかを一時的にではなく続けて、疲れたな、汗ばんだなと思うまでやれば、それが有酸素運動です。自分の安静時の脈が倍近くなって、そしてちょっと汗ばんだと思った時、その日はそれで充分です。それをしないで、朝から晩まで無意識のうちに、乗り物で座って、職場で座って、テレビの前で座って、食卓で座って、汗ばまずにいつの間にか夏を過ごすというような生活では、元気に80まで生きようと思っても中々出来ません。 3 ストレス対策の2:和食 次の対策が和食です。今、全世界で和食が健康食として絶賛されているのに、日本人は和食を馬鹿にしようとしています。和食は言うまでも無く海の物が中心で、糖分が少ない。猿は、ベッカー家の畑で大根を引っこ抜いてかじってみて、少しの量の糖分が入っていれば美味しいと感じて、更にかじります。糖分が全くなければ、その一口だけで止めます。ニンジンでもトマトでも一緒です。つまり、自然の野菜に入っているくらいの糖分が、我々猿(サル)類に適当な量の糖分なのです。 しかし食品メーカーは、人間が糖分を美味しいと感じるのを知って、お菓子にもラーメンにも飲み物にも、不必要な糖分を次々に入れて行きます。元々、日本ではこういうことはなかった。サトウキビもないし、甜菜も知らなかったからです。しかし、メーカーがこれを使えばよく売れることを知って糖分をどんどん入れる結果、虫歯や糖尿病だけでなく肥満をもたらし、三大死因の脳溢血・心臓病・癌などにも関わってきます。極力糖分を減らして、必要な糖分はよく噛んだ穀物から摂ることです。お米もパンも、よく噛めば甘くなります。澱粉が唾液と混ざると糖分に変わり、それが身体に適量なのです。 塩分については、猿は元々塩なんてめったに食べられないのですが、我々には塩分が美味しく感じられるので、メーカーはそれを知ってどんどん塩分を入れてしまいます。人間の身体にとって毎日必要な塩分は、大体1グラムから2グラムくらいのナトリウムです。アメリカ政府はアメリカ人に対して、なるべく塩分を2グラム以下にしろと言っており、日本の政府は12グラムまでと言っています。ところが平均的な日本人は15グラムぐらいのナトリウムを摂っているので、これが非常に体に悪く、高血圧などにすぐ表れます。本来の和食は、そんなに大量の塩を使っているわけではありません。 それに脂肪ですが、猿が食べる脂肪の殆どは植物の種から採れるものです。米、大豆、トウモロコシ、菜種、オリーブなどの油はすべて、種を潰して初めて僅かの量が採れるものです。昔、天婦羅が非常に贅沢だったのは、滅多に採れない油を何リットルも一気に使うためで、お祭りぐらいでないとそんなことをする余裕はなかったからです。 今、インドネシアなどの熱帯雨林でパーム油や椰子油などを大量に採って、植物油脂と言っていますが、あれは食用油脂に値する油ではありません。常温で流れる油脂であれば体内でも流れるので、オリーブ、大豆、トウモロコシなどの油はサラダオイルとして良いのですが、ココナッツ油、パーム油、椰子油などは、常温でもトロッとしていて透明ではありません。一見、舌にとっては滑らかな感じがして美味しいですが、身体の中で悪さをします。まして動物系の脂、豚、牛などの白い塊は、温めたら身体に入れることは出来ますが、身体の中で固まろうとして悪さをします。魚の油は、冷たい海で捕れるものは常温でも流れるので、我々人体にとっても猿の身体にとっても健康に好いのです。 4 ストレス対策の3:睡眠 猿も人間も、暗くなれば脳内でメラトニンというホルモンを分泌し出します。暗くなれば、原因が何であっても我々は、ちょっと眠いかなと感じます。まして日が沈めば、人間も猿も、みんな寝てしまいます。明るくなれば、メロトニンが身体から一気に消えます。だから、夏ですと4時、冬ですと6時ぐらいになると、自然に身体が起きようとします。 しかし我々は、夏・冬と関係なく夜の洋画劇場が終わるまで電気をつけて見てしまい、そこで寝ようとしても翌朝7時頃には起きなくてはならない。そうすると、睡眠が慢性的に足りなくなります。慢性的な睡眠不足なのに寝られないという患者が多い。頭が疲れていても身体は疲れていないから、眠れないのです。寝る前に簡単なラジオ体操や腹筋運動のような有酸素運動をすれば、もっと眠れるようになります。 京都大学はこの何年か、国連の健康機構WHOと一緒に長寿村の研究をやってきました。日本で一番長生きしている村には、複数の共通点があります。その一つは和食を多く食べることで、魚と海草は欠かせません。もう一つは、80になっても90になっても畑仕事をしていることです。体を動かすことによってよく寝られるわけです。身体に良いものを食べ、よく運動してよく寝るのが長寿の秘訣です。 5 ストレス予防法:瞑想 日本人が開発した瞑想は、ストレスの唯一の予防法です。インドでは4千年も前から瞑想が発達していますが、インド流の瞑想が出来る人はほんの一部です。それは意識の集中によって出来るので、凡人には中々できない上に、禁欲、つまり酒・煙草・肉食・セックスを一切禁じることが必要です。 日本人はヨーガの集中が出来ない代わりに、よしあしは別として、日本人に出来る瞑想法を開発しました。私も若い時、京都の妙心寺や大徳寺などで座禅を組ませてもらいましたが、半眼になって先生に「息だけを考えろ」と言われても、なかなか出来ない。蚊の音が耳に入って気になるし、雨の音が耳に入って「窓を閉めたかな」と思ってしまう。おなかが鳴って、「今夜何を食べるのかな」と思う。雑念ばかりが湧いてきます。 こういう風に、厳しい頭だけの瞑想は我々凡人には中々出来ませんが、そこへ法然、親鸞などが現れて、木魚を叩きながら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。「南無妙法蓮華経」でも何でも良いのです。唱えごとによって、そして木魚や太鼓などを叩くことによって全身が忙しくなって行くので、蚊の音も雨のザーザーも聞こえないし、今夜何を食べようかと考えようとしても、すぐに考えが止まります。 100年ほど前の日本人は、腕時計すらない時代ですが、ご仏壇の前でご飯などを供えて1本の線香をたきます。その線香が燃え尽きるまで「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。大体10分から15分で、これが見事な瞑想になります。駒沢大学では、この瞑想を朝晩している人とそうしていない人を比較研究しました。 それによると、同じように電車に遅れそうになったり上司に叱られたり、何かの忘れ物をしてしまったりした後、瞑想していない人は無意識の内に血液がドロドロになり、胃酸が尿に出たりしてストレスをまともに受けているのに対して、念仏などをずーっと習慣にしている人は深い意味で落ち着いているので、そうならないことが分かりました。「あ、電車が先に行っちゃった、仕方がない、次を待とう」ということを、頭だけでなく身体で理解する余地が出来ているのです。瞑想を習慣にしていると、ストレスの原因があっても、それがストレスになり難いのです。 100年前の明治期の日本人は、時計も電車もないし締め切りも無く、蛍光灯、冷房、騒音に伴うストレスもゼロで、我々の生活と比べるとストレスの原因がまるで無いのに、その予防を朝晩徹底してやっていました。昔と比べて100倍ものストレスの元に曝されている我々は、その予防法を続けているでしょうか? 6 スキンシップ 猿は、絶えずチビのダニをとって食べたり、お互いにじゃれたり肩を組んだりして、スキンシップを豊富にとっています。日本でも、私が30年前に初めてきた際には、皆で銭湯に行っていました。銭湯に行くと、何気なしに弟の背中を流したり、弟に横で背中を流してもらったりして、それも素晴らしいスキンシップでした。 ところが、色んな理由で我々の生活様式が昔と違ってきたので、懇意にしている人に何日も触ったことがありません。電車の中ではギュウギュウ詰めで触られているけれども、それは決して良いスキンシップではない。出来るだけ健全な形で、良いスキンシップを日常的に持ちたいですね。昔、若い人達がじいちゃん、ばあちゃんの肩を揉んだのもそうだったかも知れないし、大学のクラブで男性同士が肩を組んで道を歩いたりするのも、何か一体感を覚えて気持ちよさがあったのですが、少しばかり個性化の教育云々に伴って、何故か触っちゃいけない、触られちゃいけないというような、淋しい時代になってきてしまいました。スキンシップによって免疫力が高まることは、色んな実験で証明されています。 人間は猿から進化して以来、身内の者、理解出来る者、怖くない人と深いスキンシップを持ってきました。皮膚からのコンタクトは、触る人にとっても触られる人にとっても深い印象を残し、快感でもあるのです。勿論、知らない人に触られたらゴメンですが、よく知っている兄弟や夫婦や、良い人間関係を持っている人がお互いに触りあうことはごく当然のことです。 7 「老」の価値 生・老・病・死の内、老については、日本文化は生活の知恵を多く含んでいると思います。アメリカなどでは若さばかりが賛美されますが、日本では昔から老賢者を尊敬し、老人こそが卓越する分野を誇りにしてきました。茶道、華道、書道、合気道、盆栽などは、体力を無理に使わず長年にわたって楽しめて、繊細な美意識や精神の向上を図るものの例です。 私の育ったハワイやカリフォルニアなどでは、最高の年齢は何歳かというと、14、5、6、多い時で18くらいです。何故なら、生物学的に言ってこの時期が一番盛んな時期だからです。女性にしても男性にしても16から18くらいの時に子供を作らせたら、健康な子供が出来る確率が一番高いです。 昔は明治までは、その時に結婚して子供を産んでいました。みんな小学校までしか行かない時代だったからですが、その時代はもう終わりました。外国語や、電気のことやら光のことやら、生物のことやら、色んな高度な知識を持っていないと、サラリーマン、経営者、医師、普通の主婦でもやっていられません。そうなるともう、16〜18を超えてしまいます。日本では平均結婚年齢が28ぐらいになっていますが、それは悪いことではなく、今の身体では40になっても健康な子供は産めます。 問題は美的感覚です。テレビ、映画、宣伝広告などの中で、肌、体格、髪などが一番美しい時が仮に18だとされれば、20歳の人はどうするのか、30歳の人はどうするのか、ずーっと下り坂じゃないか、ということになります。そうすると、50、60、70になっても、厚化粧して年齢に合わない派手な服を着て、「私は若いわよ」と言うような人が多くなります。情けないと思いますね。 そんな文化では、年をとればとるほど死に向かっていて、下り坂ばかり見ます。人に相手にされなくなるという恐怖のために、皆が若さを競い合うようになります。私が日本に来て非常に感銘したのは、敬老が生きていたからです。老人を尊敬するのは、ただ座って80年暮らしていたからではなく、その年齢の中で磨いてきた腕があるからです。ある人は子育ての腕、ある人は料理の腕、ある人はデザインのセンスとかインテリアの感覚、ある人は書道、ある人はお花というように、人によって強い所は違いますが。 勿論、若い人にも墨と筆を渡して習字を練習してもらいたいですが、18、9の人がいくら練習しても、80歳の人の字の味は出せません。繰り返しによって出来た感覚、腕、味、それが老人の産物で、一本の盆栽であろうと一枚の掛け軸であろうと、我々はハァーっと思ってしまうのです。分野によっては、歳にとって替わるものは無いですね。そういう所をちゃんと意識して、一つの美学にまで高めてきたのが日本文化なんです。 何処の国でもお茶は飲みます。でも、お茶を飲むというごく単純な行為を、一生忘れないで特別な瞬間まで持って行くことが出来たのは日本だけです。我々が全て、お茶をそういう茶室で出来る余裕はありませんが、しようと思えば、今日の花を二度とない花にし、今日のお料理を二度とないお料理にし、今日の自分を二度とない自分にする、ということも出来る筈です。そういうことを忘れていたのでは、たとえ国家としての日本は残っても、文明としては消えてしまう。これは空しいですね。 8 最後の1ヶ月と尊厳死 都道府県などから、養老施設とかホスピスなどを建てたいがどう建てたらいいか、ということをよく聞かれます。関西で一千人ぐらいを相手にして、最後の一ヶ月をどういう環境でどのように過ごしたいか、何を見たいかを聞いた結果を、大雑把にお見せします。これが絶対だとは思わず、むしろ自分の心の中で、一つ一つの質問に対して答えを考えて見て下さい。 白い紙を渡して、最後の一ヶ月で何が見たいかと聞くと、多くの日本人が、山、庭、草花、森、自然などと答えてくれました。何故か人の顔は出てきません。どういう状況でと聞くと、自分の服と自分の布団、つまり病院の中ではないという感じで過ごしたいということでした。あとは、読書、会話などをしながらということです。 最後に聞きたいものは何かと聞くと、鳴き声という答えが一番多かった。これは、鳥だの虫だの蛙だのの鳴き声だと考えて下さい。それから、風、雨、木の音が音楽より多く、その後に川のせせらぎとか波の音などが出てきて、人の声は5番目でした。 最後に嗅ぎたいものは何かと聞かれると、また草花が第1位で、あとは森林のにおい、新鮮な空気、大地のにおい、潮風、畳などが出てきます。面白いことに、畳の上で生活している日本人はもう少ししかいないのに、末期になるとみんな、畳のにおいが恋しいとか畳の上で死にたいとか言います。わからなくはありません。私だって、畳の生活から20年くらい離れていますが、やはり畳には特別な馴染みとか親しみがあります。 最後に味わいたい物を聞くと、かなりばらつきがあり、有意な差は出ませんでした。水と書く日本人は、最近は必ず「美味しい水」と書きます。水道水は飲みたくないようです。それから緑茶、洋食、和食と色んなメニューが必要なので、施設を作るにしても、食べ物はこれ、と言うことは余りできないことがわかりました。 触れたいものは何かと聞くと、圧倒的に高いのが人の手です。その次に布団、本、あとはペットで、猫・犬などもチョコチョコ出てきます。周りに何を置きたいかと聞くと、また、草と木が人工的な本とか写真より高く出てきます。部屋の規模を聞きますと、今は和室で生活していなくても和室で、8畳くらいと書く人が結構います。6畳ではちょっと窮屈だが12畳になるとちょっと落ち着かないということでしょうか。また、天井が高い方がいいと書く人も多いです。大きな窓や縁側を欲しがる日本人もけっこう多くいます。洋室を第一希望にしている日本人は、8パーセントぐらいしかいません。 あと1月しか生きられないと言われたらどのような治療を希望するかと聞きますと、答えは緩和医療、安楽死です。言い換えると、延命治療は中止してもらいたいということです。勿論、人と話したり聞いたり、自力で食べるなどの行為が自然に出来れば長生きしたいけれども、意識が無くなった後、チューブをたくさん付けられ―我々はスパゲティ症候群と言いますが―喉を切られ呼吸器をつけられて、人工的に延命させられるのはやめて欲しい、というわけです。 今、日本の法律では自然死は違法に近い扱いです。病院でチューブを付けられない死に方をしたいなら、前もって手続きをとらなければならず、訪問看護士や訪問主治医を探しておかないと、異常事態として解剖される確率が非常に高いです。そして病院では、これ以上点滴して欲しくないとか、喉を切られて呼吸器を付けられるのは嫌だとか思っても、そうは行きません。 前もってリビングウイル宣言―尊厳死宣言―を書いておけば大丈夫ですが、それがないと、殆どの日本人が自然に死にたいと思っているのに、医師側としてはそうさせられないのです。いつの間にか、法の使い方や解釈の仕方が病院中心になってしまい、病院で死ななければ、チューブづけで亡くなるのでなければ、違法だというようになってしまっています。 10月1日から3日まで、世界中の尊厳死協会が集まって、尊厳死のもって行き方を日本でも考えようとする会議が開かれます。現時点で10万人ほどの日本人が尊厳死宣言をしていますが、老化している人口と比べたらこの10万人は微々たるもので、本来なら歳を問わず我々皆がやっていなければならないものです。若い人だって、いつ交通事故に逢って呼吸器が必要になるかわからないですからね。手続きは簡単ですが、殆どの日本人はやっていません。そうすると、お金をボンボンかけなければいけないし、自分の望んでいなかった形で機械に繋がれて死ぬことになります。 9 残る者へのメッセージ 遺言を書く日本人は少ないです。私も色んな形で人に死なれて、その「後片付け」をやってきましたが、遺言がないと、一番落ち着いて冥福を祈っていたい時に死んだ人のコンピュータの中身をどう処理しようか悩むというように、二重に苦しむことになります。死ぬ前に、これを誰にあれを誰にという簡単な意思表示があれば非常に助かるのですが、それが無いと二重の悩みになります。謝辞、感謝などを表したい人もいます。これが実は「末期の多忙」というもので、寝たきりの患者には何もすることがないように見えますが、そうなる前にやっていなくてやるべきことは、山ほどあるのです。 例えば遺言についても、「普通通りで良い」と言う患者が多いのですが、私が「おばあちゃん、誰かと文通したことない?」と聞くと、「いつも誰々ちゃんと、中学校時代からずっと文通しているわよ」と言うので、「そんならその誰々ちゃんにあなたの使っている筆や万年筆、文房具や便箋などをあげたら」と言うと、「あ、そういうことか」とわかってくれます。その文房具や便箋は、文房具屋さんで買ったら5000円もしないかも知れませんが、問題は価格ではありません。その人が、生きている間にずーっと私と文通していて、亡くなっても私のことを思い出しているんだという、メッセージのこもる形見になるのです。 或いは「おじいちゃん、音楽を聴きません?」と聞きますと「いや、あいつらとよくカラオケに行ったもんだ。」「カラオケのテープか何かお持ちですか?」「勿論、持ってるさ」「では、もし来年いらなくなった時に誰に譲ったら一番喜ばれる?」と聞くと、あーという顔をして、それなら誰それにあげようということになります。テープだって、古テープ屋さんでは100円で買えるかも知れないが、それが問題じゃないんです。一緒に聴いて一緒に歌ったという思い出が、それによって伝わるのです。 お金でいうと、大してお金の無い患者でも、全ての借金や葬儀代などを払った後で5万でも10万でも残っている場合、「あげたい人いない?」と聞くと、まず「いない」と言うのですが、暫く付き合っているうちに、「出来ればあの花の会に」「あのゲートボールの会に」「あの同窓会に」あげようと言い出します。おばあちゃんが亡くなってから数ヶ月経って10万もの寄付が花の会に入ると、みんな凄く元気が出て「あのばあちゃんには花がそんなに大事だったんだ。よーし、もっとお花の魅力と仲間意識を高めて、駅に供えようではないか、図書館に供えようではないか、もっと頑張ろうではないか」というようになります。おばあちゃん自身は往生しているのですが、花の会にとっては、おばあちゃんの存在感が以前よりも倍増するという感じになるのです。 金額の問題でなく、こういう頭の使い方、つまり誰に対して何を、ということによって、人間同士の繋がりが見えてきます。この絵を誰々に、この何々を誰々にということは、皆その繋がりを示しているのです。これは、遺族からではなく、本人から聞いてこそ、深い意味があります。謝辞もそうです。おじいちゃんに自分で書く元気があればどんどんお礼状を書いてもらえば良いし、その元気が無ければ、どういう人に何を言いたいかをテープレコーダーにとっておいて、我々周囲のヘルパーや家族が相手の住所を調べて、それぞれの人に送ると素晴らしい記念になります。 身辺整理をしたい人は沢山いるのですが、入院する際に、まさか入院したまま出られなくなると思う人はいません。でも年配の人は、半分ぐらいが霊安室口までしか出られないのです。そこで我々は、ビデオやデジカメを持って本人の書斎や寝室などに入り、撮影したものを病室で再生して、「この時計をどうしましょうか?」「日記をどうしましょうか?」「絵をどうしましょうか?」などと、一つ一つ聞きます。「この時計は?」と聞くと「あ、それは孫がずっと欲しがっていたから誰某の孫にあげろ」と言われ、「日記は焼却して誰にも見せるな」と言われると「わかりました」と約束します。このように我々周辺の者は、身辺整理を助けることができます。 10 お墓と死に場所 墓地を選べない人もいますし、その墓碑に何を書くかということも問題です。最近、家族と一緒の墓に入りたくないという人が増えていますが、その選択も大いにあります。仲間と一緒に入る女性も増えています。実は、代々の墓というものは明治以降の100年の伝統にすぎず、それ以前に代々の墓を持っていたのはお殿様だけで、平民には代々の墓なんてなかった。 これは、長い伝統のように思えるけれども、明治政府の作った伝統です。それを尊重して代々のお墓に入りたいなら問題はありませんが、別の形でもいいのです。「土葬がいい」「散骨がいい」などと言う人はグンと増えています。火葬でなければ違法だというのは嘘で、条例で決められている火葬以外の手続きをとれば、土葬も散骨も可能です。しかし、ただ土に戻りたいとか、あの海に散骨してもらいたいと言うだけでは、そうはなりません。その気持ちを言葉だけでなく字にして示さないと、我々はそれを実行出来ないのです。 本来ならこのような話は、末期患者になってからではなく元気なうちに、テレビで死ぬ場面を見る時などに「お父さんどう思う?海に戻りたい?土に戻りたい?空気に戻りたい?」などという話が出来れば、ごく自然な生活の中で解決できます。最悪の場合は、末期患者との交流の中でできるかも知れません。 以上から理想的な死に場所をまとめますと、山、海、田んぼ、森などが遠くに見える所で、病院らしくなく、来客が自由に出入りでき、好きなものを持ち込め、動植物も持ちこめる所が好まれるようです。建物としては、天井が高く明るくて、一部スカイライトか縁側みたいなものがあって、照明は間接照明で、鳥の声や虫の音、川の波の音などが聞こえ、広い窓かベランダから緑が見え、花の鉢が置けるような所が良いということになります。 これから魅力的なホスピスを作ろうと思うなら、このようなヒントにもとづいて患者の憧れる環境を創り、患者に選ばれるようにしたいのですが、ホスピスやケアを提供する施設は、同時に、患者を選ばなければなりません。10人の患者のうち1人ぐらいは非常に厄介な家族を持っていて、特にこういう末期などの時には、厄介な家族と付き合ってはいられないのです。 私の見ているホスピスや末期施設などの多くが、無差別に患者を受け入れているために、最終的にやけどをしています。差別は勿論いけませんが、協力的な人を選ぶことは差別ではなく、ごく当然なことです。しょっちゅう見舞いに来られ非常に健全に身内の世話をする家族なら喜んで歓迎しますが、預けっぱなしで2度と来ないがお金だけはケチケチするというような家族は、後で問題を起こす前触れです。 11 肉体的な痛みと精神的な痛み 末期患者にはいくつかの恐怖があります。一つは、日本人の多くが死を痛いものではないかと恐れていることです。実は、死自体には何の痛みもなく、殆どの場合痛いのは、それまでの癌によるものです。これについては、患者がこれから痛くなるなと気付いた時に前もって言ってくれれば、医療側は必ず痛みを取ります。それだけの医療技術はあるのです。 しかし、痛いのを途中まで我慢して、もうこれ以上我慢できないというところまで行ってしまうと、いくら注射しても痛みを完全に取り除くことはできなくなります。本人には、これから来るなーということが大体わかるので、その時に看護士を呼んでくれれば、まず痛みは心配しないですみます。この肉体的な痛みを取り除くと約束するだけで、本人は楽になります。 もっと大きな痛みは、社会的な痛みです。死はあくまでも一人の旅立ちなので、たとえあの世で再会出来たとしても、この家で、この仲間で、この東京で会うことは2度とできません。慣れた身体、慣れた部屋、慣れた仲間、家族などを全部取られてしまうことが非常に痛い。これが、社会的な痛みというものです。それに対して遺族や医療従事者は、「あなたを独りでは死なせない」と約束することはできます。殉死こそはしませんが、最後の最後まで一緒にいてあげると約束し、そう努力することによって、痛みはかなり軽減されます。 精神的な痛みにはいくつかの種類があります。その一つは未達成感とも呼べるようなもので、「あれもこれもしたかったのに寿命で何も出来なくなった」という悔しさです。それに対して我々は、出来なかったことより出来たことを言い聞かせて納得させるしか方法がありません。家族なら既に分かっていることですが、母さんがこれだけ長年に渡って、空襲の時も震災の時も、飢餓の時も、これだけ頑張って我々を育ててくれたということです。 カウンセラーとしての私も、何度も患者に会っているうちに、その患者の伝記というか生涯についての話をずっと記録しておき、患者が「あれもこれもしたかったのに」と嘆き出した時、「しかし鈴木さん、あれもこれも出来たじゃないか」と繰り返して聞かせ、「あ、そうなんだ。私もそれなりに長い人生を経験し、その中で出来たことも案外あったんだ」というように、マイナス思考からプラス思考へ変えさせることができます。 次は、まだやれることをやらせることです。それが末期の多忙で、身辺整理、遺言、礼状、お詫びや、もう一度この唄が聴きたい、もう一度この映画が観たい、もう一度誰某と話したい、というようなことを実行させるのです。 自分の葬儀の準備もその一つです。最近の葬儀は非常に味気なくてつまらない。結婚式もそうですが、ベルトコンベアーに乗せられて、能率的に処理することしか考えられていません。それに対して、自分らしい葬儀をしてもらいたい、コスモスが好きだったならコスモスを、井上陽水が好きだったら井上陽水を、印象派の絵が好きだったら印象派の絵でも良い。黒い縁の写真がなくても、自分が一番盛んだった時の、自分の一番好きな写真でも良いでしょう。そして、本人の思い出話などを誰に語ってもらうかということを前もって言っておいてもらうと、葬儀の同じ2時間が全然違う意味を持つようになります。 ある時、私は田舎のおばあちゃんの葬儀に呼ばれて行ったのですが、ある程度形式が終わった時点で、一人一人の隣人や知り合いなどが立って、2、3分ずつ色んな思い出話をしました。例えば、雪が非常に深かった時、あのおばあちゃんだけが変な雪靴みたいなのを履いて谷間へ降りて、係りの人から預かった3枚の手紙を配ってくれたこととか、毎年、自分で採った大根を自分の軒下に干して、道を通る人に「大根をどうぞ。今年は美味しく採れましたよ」と、豊作の時でも少ない時でも、大根を全部人にあげちゃったりしていた、などという話を聞いているうちに、私の知らないおばあちゃんが目の前に甦り、そのおばあちゃんの存在感が凄く湧いてきて、良い葬儀だなあと思ったものです。 12 死後の世界 最後が、死んだ後どうなるかが分からないことへの恐れです。人間が一番恐れるのは、知らないことです。試験を受けている最中には恐怖は無く、ただやるだけですが、何が出てくるか分からない時点では怖い。実際に死んでみれば怖いことはないんですが、死を知らない時は怖いのです。そこで、日本人の伝統的な他界観を少し思い出さなければいけないのではないかと思います。 アルフォンス・デーケンの生と死のケアを考える会などでは、あの世を知らない人に対してデーケン神父が「イエス様を信じれば天国に行かれます」とおっしゃいます。デーケン神父は人の魂を救うことに必死で、それは喜びなのでしょうが、私が知る限りでは寝たきりの日本人は、「あ、そうなんだ、私は信じます。救われました」などと言うことはないように思います。 私は、むしろ日本人に教えてもらうために、死が怖いと言っている人に対して「死んだらどうなると思う?」と聞きます。すると多くの人が「別に、わかんない」と言いますが、白紙と絵の具とペンなどを1週間ほど置いておくと、何も描かない人はいません。虹を描く人、夜空を描く人、阿弥陀様を描く人、蓮華の花を描く人、いっぱい人がいる何かを描く人、花畑を描く人、三途の川を描く人など、色んなイメージがありますが、イメージの無い人は少ないです。 我々がその絵―といってもスケッチ、ちょっとしたイメージなんですが―を使って、「これはどういうことですか?」と聞くと、「虹のような、太鼓橋のような。どう描いていいか分からんけど、何か描けというから描いてみた」と言います。「じゃあ、今、我々はどっちにいるんですか?」「太鼓橋の虹のような所のこっち側だ」「じゃ、死んだらこの太鼓橋みたいな虹を超えていくわけですか?」「うーん、よう分からんけど、もしかして」「それが死だったら怖くないじゃない。ちなみに、向こうに渡ったら誰がいるの?何があるんですか?」「もしかしたら親父や亡き夫や、よう分からんけど」「いいですね。それだったらまた再会出来て。一人じゃないじゃないか」というように、本人のイメージで本人を癒せるのです。それが唯一の解決策じゃないかと思います。 日本には古くから、自然に、潔く死んで行く風習があります。潔くというのは、切腹だの心中だの、特攻隊だのという話ではありません。ごく普通に、家族に囲まれて「お世話になりました、後はよろしく頼む」という潔さです。それが、西洋風の病院死より素晴らしい、自然な死に方ではないかと思います。 そして、身体が死んでもその人は身近にいます。数年前までは、私は皆の前でこんな話をする勇気は無かった。阪神大震災の時、大きな体育館で何千人もの避難者の前で、私と医師と弁護士と3人で講演をしました。その後の質疑応答で、「ベッカーに聞きたいんだけれども、死んだらどうなるのか」という質問がきました。つい先日、何千人もの人が死んだ所です。 その時に私は変にこだわって、国立大学の教官だし、あんまり信仰心を示してはと思って「それは難しい質問で一概には言えない」と言った途端、それまで暖かった体育館の空気がシーンと冷え込んで、しまったと思いました。何を隠そう、私にだってそういう体験はあります。身近な人に死なれて、49日であろうと暫くの間は、身体は消えてもその魂は近くにいるのです。日本人はこれを昔から知っていた。ただ戦時中、人を殺す恐怖を取り除く為に魂という概念が歪曲されて利用されたものですから、戦後は一切、魂云々の話は教育現場などでは出来ないことになりました。 でも、魂が無ければ人間には何があるのか、我々は単なるロボットなのか、動物なのか、ゴキブリ同然のものなのか。魂があってこそ色んな試練を越えて、ひょっとしたら死をも超えて、初めて生きる意義があるのではないか。それを否定していたのでは、どんな哲学も宗教も、生き方も成り立ちません。 魂は感じるものであり、目に見えないエネルギーなので、色んな人に色んな感じ方があって「俺はこう思う」「私はこう思う」という衝突もあり得ます。だから非常に謙虚に注意深く研究しなくてはいけない領域なのですが、まるごと否定することはおかしい。5万年前のネアンデルタール人から現在に至るまで、「人間が死んだら何も残らない」と信じた人類はいなかった。そのような文明はないのです。日本は、世界で初めて「死んだら何も無い」と信じようとしている文明かも知れませんが、やっぱり、自分が寝たきりになって、どうなるのかと思う番になった時、何も無いと最後まで信じられる人はそう多くはないのではないでしょうか。それに対して、死者を厳重に畏れ敬う慣習は、日本にはずっと以前からあるのです。 来世の可能性を認めることには、色んなメリットがあります。死が全ての終わりではなく好きな人との再会なら、不安はあっても恐怖は無いので、さきほどお話ししたように、死に対する恐怖や孤独感を治癒できます。 13 末期医療の役割 私は京大医学部で医師も育てていますが、その詰め込み教育の中で、魂についての教育は全くありません。そのため医師は、全ての医療が細胞によるものだと思い込みます。特に末期患者になると、いかにして細胞を生かせるか、延命出来るかが唯一の勝負であって、本人の心がどうなのかは考えません。それは教わっていないからで、医師が悪いわけではなく、教育が悪いのです。 本人が「自分らしく死にたい」と言っても、医学では、このような装置を付ければ何時間、或いは何日間、細胞がまだ動くということを教えられているので、とにかく細胞を生かそうとします。治る見込みのある病気と闘ってもらいたいです。医師は死と闘っているつもりですが、死と闘って勝つ人間はいますか?必ず死が勝ちます。もし医師が、死は敗北だと思ったら、医師は敗北の連続ではありませんか。逆に、死は敗北ではなく自然の摂理の一部であり、場合によってはその人の魂が別の次元で存続することだと思えば、これは敗北どころか最後の見送りで、目出たいことかも知れません。そういう見方を医師が理解すれば、少しは過剰な医療を控えてもらえるのではないでしょうか。 私が一番尊敬している職種の一つが看護士ですが、その中で末期医療に携わっている者が一番しんどいです。若い子たちの医療に携わっていると、後で元気になって「お姉ちゃん、有難う」と花でもチョコでも持ってきてくれます。しんどい思いはしていても、やっていて良かったと思うんですね。ところが、私も末期患者の身体をてっぺんから爪先まで拭かしてもらったり、汚物を始末したりシーツを替えたり、手を揉んだりしてやっていると、その内に情が移るんです。どんなに皺だらけの、臭い、汚い老人であっても、生きていて欲しい、元気で気持ちよくしていて欲しいと思います。次の日に病院に行くと、ご臨終ですとなる。そうすると何か、心に穴が開き、痛むんですね。 その結果、毎週のように人が死んでいる末期病棟では、看護婦達が二分されます。一方は、しんどくならないように事務的にやるべきことはやるが、感情移入は一切しないという人たちです。患者も、この看護婦は何もかも事務的にはやるが人間にはなっていないということが、すぐにわかります。ところが、本当に人間味の深い看護婦は痛むんです。患者ごとに全力を尽くしても、また霊安室送りになる。もし霊安室がゴミ箱同然の物だったら、なんと空しいことでしょう。情けなくなってきて、燃え尽きてしまう。ところが、これがゴミ箱行きではなくて最後の見送りだというふうに解釈すると、それでも痛いんですが、無意味ではなくなります。無駄ではない。もしかしたらあの世であの人にまた出会えるかも知れないと期待出来れば、その末期は極めて重要な、大事な瞬間かも知れません。 死生学を欧米で立ち上げているジャック・モーガンというカナダの西オンタリオ大学の名誉教授がおられますが、何年か前にお会いした時、何百人、何千人も見送っている先生に率直に「それだけの人を見送ったら燃え尽きませんか?疲れませんか?」と聞きました。その時彼は、極めて明るい慈悲深い顔で「ベッカー君よ、これが人間の一番尊い瞬間です。その瞬間を一緒に過ごさせていただくことは何と貴重なことだろうか。色んなことを思ったりするし、痛む時もありますが、こんな仕事はお金を出してもさせてもらいたいものです」とおっしゃり、私は頭が上がりませんでした。 14 遺族カウンセリング 遺族カウンセリングも、日本の知恵をアメリカの病院などが取り入れたものです。末期癌患者が病院に入ると、あと数ヶ月しかない時に始めます。毎月、その患者を中心にパーティーを開きます。何しろ末期だから、酒でも煙草でも何でもいい。好きな友達を呼び寄せ家族を呼び寄せて、一番お気に入りの看護婦も中に入れます。それで1、2時間、一緒に笑ったり泣いたり話したりして、それを毎月繰り返します。本人は4、5回目で他界していますが、それでも6回、7回と、縁の黒い写真を中心にして同じ仲間が続けます。 病院にとって、部屋代に酒代、医師や看護士が入るとそれだけの人件費もかかって、これはかなりの負担です。50万円ぐらいにはなります。それをなぜ病院でやるかというと、安上がりだからです。追跡調査をして見ると、遺族カウンセリングを受けていない遺族では、死なれてから1、2年もたたないうちに、突然死、交通事故、自殺未遂、精神異常、急病など、昔の日本なら祟りと呼ばれたような、あの世からの呼びかけかなと思うようなことが続発することが分かります。 遺族カウンセリングを受けた親しい者や遺族たちの中でも、時々事故や病気や何かがあるかも知れませんが、普通の人口のものと同じで低いです。現在では、交通事故の原因は不注意であって祟りなどではないと言って済ますこともできるのですが、交通事故を初めて起こすのは、精神がまだモヤモヤと統一されておらず、色んな未整理な所がどこかにまだあるからです。その50万を遺族カウンセリングにかけないために一つでも事故が生じてしまうと、何百万もの医療費やら警察の費用やらがかかってしまいます。 何を隠そうこれは、昔ながらの日本の知恵なのです。人が死ぬと、1週間、2週間、7週間、1周忌、3回忌、新盆などなど、繰り返して身内を呼び寄せて、その人を中心にして心の整理を試みます。時には僧侶があの世の話をして、皆が納得して、倒れず狂わず、自殺を考えずに済むわけです。 15 人生の最良の時 世間では、偏差値だの何かの順番だの、アルマーニのスーツの値段だのと、人を数値で測りたがります。我々もそんな表面的なことでおかしくなりかねないんですが、人間の本当の価値はそういう表面的な数値ではないことを、我々はどこかで分かっているはずです。 あるおばあちゃんに、自分の人生でどういう時が一番良かったかと聞きますと、ある時、あの木造の校舎を誰も気付かんように気を付けて、汚れている教室に入って竹箒で掃除して、机を並べて、陛下の写真を正して、拝んで出てきた時だったと言われました。「80歳の人生の中でそれが誇りだとおっしゃるのは何故ですか」と聞くと、素直に考えてみると私の人生は殆ど何かの見返り―愛情とかお金とか、褒めてもらうとか―を期待していたが、何かを期待してやったことは結局大したことじゃなかった、あの時の若い私は、褒めてもらおうとは思わず、ただ綺麗な方がいいと思ってやっただけだった、と言いました。 別の人は、雨戸にぶつかって羽を折ったツバメにご飯を食べさせたりしてずっと育て、自分でまた飛べるまでにしたことを、見返りは一切無いけれども自分がやった一番良いことだと思うと言っていました また、目的を目指して貢献することや、協力をし合えた人間関係が最大の宝物だと言う人もいます。人生の最良の時が肩書きを貰った時だったとか、ボーナスが入った時だったとか言う人は、探してもいません。皆と一緒に汗を流して、徹夜して、やっと何かが出来た時が嬉しかったと言います。人間は、最後の時になると、無償の行為の価値が分かるのです。 私は大学生の時、紀伊半島をサイクリングして青年の家で泊まったりしていたのですが、その青年の家のおじさんが次のような話をしました。「わしとばあちゃんの老夫婦がこの広い青年の家の食堂を見ているので、皆さんが少しでも汚してしまうととても追いつかない。あちこちを見張って、ちょっと汚い所があると思った時にそれ以上にきれいにしてくれると、次の団体も次の団体もそうやってこの家の食堂をきれいにしてくれるので、何時まで経っても使えるから頼みますよ」。それで我々が、適当に草取りをしたり窓を拭いたり、トイレ掃除もしたりして、そのお陰で食堂がピカピカになった時、気持ちが良かったです。 考えてみれば我々は、生まれた時から何十年かの間に自分の身体だけで、東京ドームの何倍分もの汚物を出して、綺麗な酸素を二酸化炭素で汚しています。紙の為、牛の為、石鹸の為、或いはコンクリートの建物を建てる型を作る為などで、熱帯雨林をかなり切り倒しています。まして、車を使う人、旅行する人、綺麗好きな人は、とんでもない量の石油を燃やし、とんでもない量の水を汚しています。せめて死ぬまでには綺麗にしろよと、時々考えています。 一人では全部は戻せませんと言われたら、それはそうですね。でも、自分が出来るところから、自分の気付くところからやることはできるでしょう。場合によってはリサイクル運動に加わる、場合によってはノーカー運動に加わる、場合によって低エネ運動に加わるというように、色んなやり方があります。身近で、やりやすいやり方で良いのです。自分で汚した以上に、壊した以上に、駄目にした以上に、地球を何らかの形で―恩返しでは無いですが―補ってあげたくはありませんか?これはベッカーの思いつきというよりも、永続可能な、維持可能な社会を作るための日本人の知恵です。消費するだけは許されません。消費するだけでなく、我々がそれを補って元に戻す作業を考えなければいけません。 16 日本の将来 全世界を見渡しても、日本のような文明は無いと思います。日本だけが徳川幕府の間、GDPゼロ成長の時代に達していたのです。日本の人口は、ずーっと徳川の間 (注、正しくは徳川中期から末期までの間)、 2600万から2700万ぐらいでした。少しでも穀物が高くなると、親が自分の手で子供を殺す間引の率がグンと上がり、それで初めて、満杯の列島を維持することができたのです。 それまでのローマ、ロンドン、パリ、ニューヨークなどは、いずれも大変な軍事力を持って外地で植民地を作り、外地から沢山の穀物を輸入して、辛うじてローマ帝国、ナポレオンの帝国、エリザベス朝の大英帝国などを支えました。今のアメリカ帝国もそうです。ところが日本は、江戸のような100万人都市を持ちながら外地を頼らず、食べ物を全部、歩いて1日、2日の距離の房総や今でいう群馬あたりから運んで食べていました。捨てるものも全て、人糞までも背負って1日、2日歩いて、田んぼの上に戻したのです。日本だけが、この循環型社会を200年も維持してきました。 欧米の拡大型社会は限界にきています。人口がこれ以上拡大して行けば、地球は支えきれません。消費を拡大してもエネルギーが足りません。20年したらガソリンが切れることも周知の通りでしょう。ガソリンが無いと飛行機も飛べないし、海外旅行も無理に近いし、2、30年経ったら今の生活ぶりはあり得ないことです。拡大はもう不可能です。 どうやったらもう一度循環型社会に戻れるかは、今生きている我々の課題でもあります。循環には色んな意味があります。一つは資源の使い方で、もう一つは人との付き合い方です。ご恩が循環して、場合によってはこの身体自体が灰になっても魂が循環して生まれ変わる。私は、この日本的な発想を将来に対して期待したいと思っています。 |
質問:先程のお話にありました、延命行為をして欲しくない時は何処でどういう手続きをしたらよろしいでしょうか? ベッカー:文京区本郷2−29−1−201に日本尊厳死協会があります。電話番号は03−3812−6563です。インターネットでも、尊厳死と入れたら尊厳死協会が出ます。私も尊厳死協会のカードを持っていますが、これは、私が死に不可逆に近づき延命する可能性がまるで無いという医学的な判断が下された時、無理な延命治療を望みません、そして意識の反応などが見られなくなった場合、あらゆる延命装置を外すことを感謝し、そのような医療行為に対して医師裁判を起こす権利を一切放棄します、という確認された簡単な明文です。それに自分と身内の一人が捺印して尊厳死協会に収めておきますと、まず大丈夫です。万一、自分の入院した病院の医師がそれに協力的でない場合は、尊厳死協会がより協力的な医師や病院を紹介します。 これには毎年2000円かの登録費が必要です。それは協会の維持の為でもありますが、同時に自分の意思が変わっていないことの証明でもあります。1回きりの登録の人も沢山いますが、10年経った時にそれが本当に今の気持ちかどうかわからないでしょう。しかし、半年前に更に登録を延長していたら、協会などの弁護士が本人の希望ですと言えるので、割合に簡単です。 質問:さっきのお話だと、日本では散骨とか土葬も出来ますが、単なる遺言と同じようにするのでは駄目ですか? |
葬送自由の会は、年に何回か綺麗な帆船をチャーターして横浜港などから出航し、何十人、何百人のお骨を海にばら撒いてきます。かなり厳重な儀式のもとで、皆が納得する形でやっていますし、記念にもう一度同じ海に行きたいといえば、同じ船に乗って行けます。日本近海で散骨して良い場所も、法でいくつか定まっています。自分で勝手に海に捨てるのは困りますが、やりたい人は沢山いるので、手続きを取れば、それなりのやり方があります。 質問:温暖化で今、地球は危機状態ですが、21世紀の将来をどうお考えですか? ベッカー:あまり悲観的なことは言いたくないのですが、悲観的ですね。この夏も温暖化の好い例ですね。ただ単に暑くなるのではなく、局地的に雨が降ったりやんだり。洪水やら台風やら土砂崩れやら、いろんな災害が増えています。 それから、日本に住む者が守られている一つの理由は、毎年の冬、数日に渡って気温が零度より下がることです。冬に連続で温度が零度より下がると、色々な害虫の卵が死にます。コレラ、マラリア、ペストなどを運ぶ蚊の卵も冬を越せない。ところが平均温度があと1、2度ぐらい上昇してしまうと、東京はもう零下にはならなくなる恐れがありますね。その時点で西ナイルウィルスとか色んな伝染病が、人間の密集しているこの東京に蚊などで運ばれる恐れが生じます。温暖化の問題は、単に皮膚癌になるとか、房総半島の海岸が削られるとか、水面が上昇するかというものではなく、一般市民の食物が減るとか、災害が増えるとか、病気が増えるとかいう、切羽詰ったものなのです。 そこで日本は、京都議定書を作りました。あまり政治的なことは言いたくないのですが、日本はブッシュの子犬では駄目ですね。世界中の先進国の中で温暖化に対して危機感を持っていないのはアメリカぐらいです。実は、日本の国のためになっているのはアメリカよりヨーロッパなのです。残念ながらアメリカは、都合のいいことと易しいことをやるだけですが、ヨーロッパは、日本と同様に長い文明の歴史があり、もう少し恩返し的に協力し合うことを忘れないという歴史があります。100年、200年しか考えないアメリカよりは、日本は、500年、1000年を考えるヨーロッパと、温暖化などを含めて協力しあって行かなければいけません。 もう一つ、この日本列島の人口を緊急に4分の1に減らさないといけません。この20年で石油は無くなり、同時に穀物輸出国が殆ど消えてしまいます。20年先に穀物を輸出している国は、人口の足りないカナダとオーストラリアの二つしかなくなります。カナダとオーストラリアから大量の穀物を石油無しで日本に運ぼうと思っても無理です。おまけに、殺虫剤も化学肥料も石油が無いと作れません。石油が無くなると、日本の食物は激減します。 この列島で自給自足できる人口は、どう計算しても3000万ぐらいです。30年先の日本人が毎月100万人単位で死ぬのを避けようと思えば、更に出生率を下げるしかありません。若い人がいなければ労働力と税収が足りないと言いますが、労働したい、納税したい若者を作らなければ、いくら作っても逆効果です。 唯一の改善政策は、退職年齢を上げることです。人間は、一生の間に半分以上働いていないと間に合わないのです。明治期には、みんな12、3歳から田んぼやら漁船などの仕事をやり出し、50歳を平均年齢として死ぬ数年前にやめて、2、3年休んでから死にました。昭和になっても、定年が62で平均寿命より4年前です。平均寿命は男性が66で、18、9から働いて62、3まで働く。 今は、平均の若者がフルタイムで勤め出すのが25で、60まで勤めても35年しか働いていない。そして自殺しなければ、60から男は85、女は90まで生きられます。そうすると、働く前の25年と働いた後の30年、計55年は働かずに、35年だけの労働でどうやって支えられますか?これは、人間が多ければ多いほど困る話で、子供を作れば直るという問題ではないのです。欧米でも同じような老化現象があって、退職について色んな異なった考え方が出ています。 ある国や州では、60何歳をピークにして毎年給料を1割減らします。いつまでたっても給料が消えるわけではなく、80まで働きたい元気な人は80歳でも働けます。少なくとも政府からお金はもらいません。別の所では定年退職は禁止で、本人が生産的に働ける限りは働き、本人が充分に貯金しているから働きたくないと思えば、自由意志で辞めてもいいのです。 本人に全く能力が無い時は、25であろうと85であろうと、それを理由にクビにしますが、本人が元気で能力があって働きたいのに、「60だからご苦労さん」というのはおかしい。平均寿命が66の時に60でお疲れさんというのは分かりますが、今は80歳の人でも昔の60歳と同じくらいの元気があるのに、その経験と生産力を使わないのは大きな荷物です。これは本人にとっても不満です。働きたいのに働けない。これを改善すればそう悲観的ではないのですが、このままではどうしてもバランスがとれません。 |