昭和時代の経済政策 平成15年4月19日 公共事業論 下河辺淳




公共事業論



元国土事務次官 下河辺 淳氏


1.「公共事業」は無駄の代名詞か?


 近年、財政が苦しく公共事業の国の予算の減額が続き、一部には公共事業は無駄の代名詞のように言われている。その原因は、平成2年6月の日米構造協議において金融政策とともに公共事業増大が内需拡大の手段とされたことである。日本が輸入を拡大するためには個人消費を拡大する必要があるが、公共事業の増加を図れば個人消費の増加に通ずると考えた。

 池田内閣当時、所得倍増計画の中で社会資本整備グループを政府内に作って議論し、各省庁に必要な額を申請させたものを集計すると財政当局の考えていた数字の二倍となったが、大蔵省が申請額の二分の一と査定したら各省は納得した。このように、公共事業の投資には曖昧なところがある。しかし、公共投資が雇用対策に役立つというのは波及効果でしかなく、公共事業本来の目的は、遅れている社会資本を整備して経済活動や国民生活に役立てることにある。景気対策のための補正予算対象にされるのは残念である。本来の公共事業の目的が判れば、安定感が出て、マスコミも悪口を言わなくなるだろう。

2.公共事業の採算性

 公共事業は採算性を無視していると非難する人がいる。採算性を見るには分母の費用と分子の効果が出なければ判らない。ところが費用の方は出るが効果の測定はなかなか難しい。農業の場合は、土地改良を実施すればどのくらい収量が増加するか判るので効果は算出できる。しかし港湾の場合は、埠頭を作っても船の荷物をどのくらい扱うか、港から道路をどのように利用するかなど不確定要素が多く効果の算定は難しい。

 日本では国全体のことを「津々浦々」というように――韓国では「峰峰谷々」という――縄文人は船を使って海の幸を採り、生活していた。日本列島では津波がくるので海岸べりに住むことができず、海から離れた丘に住み、海に出かける通路を大切にした。上りやすい川を利用し、下りには別の川を利用するなど工夫をこらす一方、土木技術の進歩で住みやすい土地に改良していった。それから四千万人程度の人口が二十世紀になると一億二千万人になり、海岸べりにも住みつき、今九千五百万人は、もと海だった所で暮らしている。

3.港と文化

 船は昔、荷物を運ぶために造られたが、今は人を運び文化を運ぶ。明治時代になり横浜、神戸、仙台に大きな港を築き、貿易にも役立てようとした。この三つの港湾計画のうち仙台は技術的に失敗し、街が先に出来て運搬用の道が後回しになったので失敗した。成功していたら、東北地方の開発はもっと進んだであろう。仙台は文教都市として蓄積があり、教会、師団司令部、大学など素地はあったが、横浜、神戸に遅れをとった。港と内陸へのアクセスに失敗した例である。

 最近は船が人を運ばなくなった。コンテナが荷物を運ぶだけでは文化の拠点ではなく、神戸は古都として栄えればと思うが、地元は反対である。セメントの建物が建ち並ぶより美しい神戸、若者が感じる神戸を目指したらよい。そうなれば、経済が破綻しても人間は破綻しない。

4.これからの公共事業

 二十世紀に入り、日本の社会資本(インフラ)はこれまでとは非常に変わり、道路、河川、国鉄が素晴らしい発展を遂げた。終戦後はネットワークとしての鉄道が14%(1950年・明治時代は全体の52%)と小さくなり、道路は一貫して20%を占め、農林漁業投資も増えた。現在は住宅、下水、公園緑地への投資が大きくなった。

 これから十年先は、小さなインフラは都道府県に任せ、国は河川と水について河川法からの脱皮を考える必要がある。地球は雲に包まれた球体である。国は水の大循環を地下水を含めて総合的に考え、公共事業を計画すべきである。

5.環境問題と公共事業

 人間が今日の文明を作り上げるのに五千年を費やした。車社会となった今、いかにして環境問題と対処するかを問われる時代にさしかかった。車の渋滞は大問題である。排ガス、騒音を少なくするよう世界中のメーカーが知恵を絞っている。いつか必ず成功すると思うが、今は鉄道を利用することにより、地球の汚染を少なくするしかない。

 人間が地球に住む限り、インフラの整備は不可欠である。地球との共存の大前提は仁賢が地球に寄生し文明を発展させてきたことである。文明の発展は、食べ物を育てることから始まった。原始的な地球利用から生活に必要な公共事業へと関心は高まっている。

6.社会事業の変遷

 文明は農耕することから始まり、それは権力を維持するにも必要であった。印刷革命も通達をだす必要から生まれ、お互いに意見をつなぐために用いられた。工業生産物は企業を必要とした。企業の中でボランタリーの努力が買われ、次ぎに情報・IT革命が生まれた。

 最後に人間として残るには家族が原点となると思われる。家族一人ひとりが自己責任で、または家族が一団となって共同してやる社会になるだろう。病人は入院させるほうが効率的である。ファミリーを維持するには生きていくためのインストラクチャーが必要である。

7.最近の話題から――道路

 日本は北から南へ弓なりの島国である。中央に山脈があり、太平洋と日本海に水が流れている。日本列島に住み、活動的、流動的な生活を送るためには全国各地を移動して歩かねばならない。そのため自動車、列車、飛行機は絶対に必要な機関となる。日本列島の水系は、上流から下流へ流れており、交通は坂のないトンネルで水平に移動するのが基本である。道路は上下や悪路に強く、災害に対して安定している。しかし、道路は現在騒音防止のため壁を両側に立て、万里の長城のようになり、道路の本来の姿を失っている。このような背景に立ちマスタープランを決める必要がある。高速道路は14,000キロあれば基本的なインフラになる。

 高速道路国道はバイパス国道を含めて14,000キロ建設すればよい。7,500キロの部分で料金を取り、あとは無料に料金内容を変えるのが合理的である。自動車交通量からみると14,000キロの高速自動車道を持つことは極めて重要である。

 財政が苦しい時は建設を延期したらどうか、日本の人口が一億まで減少し、自動車の保有台数が現在の7,000万台から営業車の増加を見込んで3,000万台が利用すると仮定すれば、人々が遊び歩くための車で渋滞することはなくなる。水系と交通問題についてこのようなマスタープランを早く持ちたいものである。


下河辺淳(しもこうべあつし)

東京海上研究所研究顧問
1923(大正12)年9月30日出生
略歴 
1947(昭和22)年9月東京大学第一工学部建築学科卒業(工学博士)、同年10月戦災復興院技術研究所勤務、1952(昭和27)年経済審議庁計画部勤務、1957(昭和32)年建設省計画局勤務、1962(昭和37)年経済企画庁総合開発局調査官、1972(昭和47)年同庁総合開発局長、1974(昭和49)年国土庁計画・調整局長、1977(昭和52)年国土事務次官、1979(昭和54)年総合研究開発機構理事長、1992年(平成4)年東京海上研究所理事長、2001(平成13)年同研究所研究顧問
主な兼職 
日中経済知識交流会顧問、日英2000年委員会委員、日米欧委員会日本委員会委員、     (社)日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)裁定委員会委員

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