昭和時代の経済政策 平成15年6月14日 戦前の日本と戦後の日本の発展の比較 小金芳弘

戦前の日本と戦後の日本の発展の比較

                          平成15年6月14日


    社団法人生活文化総合研究所顧問
                       小金 芳弘 氏

敗戦後60年経った現在から、これまでを振り返って戦前の60年と比較して見ると、どちらも三つの時代に分かれていることがわかる。

1 改革と高度成長の時代

 戦前は明治維新から1909(明治42)年(韓国併合の1年前)までは約40年あるが、西南戦争などが終わり帝国憲法ができた1889(明治22)年から数えると20年で、この時期の日本は清国とロシアという大国を破って世界を驚かした。戦後は敗戦から1964(昭和39)の東京オリンピックまでで、この時の日本は廃墟から立ち上がって世界を驚かす経済成長を実現した。

 両時期に共通する強みは、大改革によって国民が古い道徳と制度の束縛から解放され、その潜在能力をフルに発揮できたことであり、ハンディキャップは、国土と資源の制約と新時代の技術での先進国への遅れだった。経済的には、成長のために輸入せねばならないものが多いために国際収支は赤字基調であり、外貨の獲得と節約が大きな課題だった。


2 大国への道の時代

 戦前は1910(明治43)年から1930(昭和5)年のロンドン軍縮会議までの20年で、
この時期の日本は、韓国と南サハリンを領有し満州の利権をほぼ完全に手に入れ、技術経済的には軍事力の土台となる自前の重化学工業を持てるようになって、ドイツとロシアの2大帝国が消滅した後、英米と肩を並べる大国にのし上がったと自負した。

 戦後は昭和40年不況から60年(1985年)のプラザ合意で円レートが1ドル120円台へ急騰するまでの20年で、この時期の日本は欧米経済が石油危機で足踏みする間、新幹線、高速道路、大規模臨海コンビナートなどの社会資本建設と自動車、ハイテク、省エネの技術革新で欧米と並ぶ経済大国にのし上がった。しかしその反面、大幅な国際収支黒字に伴うアメリカとの経済摩擦は激化の一途を辿った。


3 大国の苦悩と挫折の時代

 戦前は1931(昭和6)年の満州事変から1951(昭和26)年の占領終了までの時代で、この時期の日本は1930年代の世界不況からの脱出の方法として選んだ大陸への進出が国際的孤立を招き、日中戦争の泥沼化による経済的苦境を打開しようとして軍事力とナチスドイツへの依存を強めたことが益々事態を悪化させた。最後に、石油禁輸という経済制裁に対抗して英米との全面戦争を選択したことが、敗戦と占領という破局を招いた。

 戦後は、1986(昭和61)年の日米半導体交渉から現在までに至り、恐らく2006(平成18)年頃まで続くと思われる。この時期の日本は、アメリカに代わって世界最大の債権国になったという思い上がりの一方で対米摩擦の緩和策としての金融緩和の行き過ぎがバブルとその崩壊を招き、それが生んだ膨大な不良債権の処理をしないまま銀行と大企業の保護と財政金融政策で危機を切り抜けようとしたことが金融システムを破綻させた。基本的にはこれは、時代の変化に伴って体制の変化が要請されているのにそれまでの体制で問題を解決しようとしたことが破局を招いたものである。


4 今後の展望

 戦前の失敗は、敗戦と占領による追放と改革という外部からの衝撃によって清算され、そこで与えられたアメリカモデルに従って日本は新しい道に進むことができた。これは、鎖国下における幕藩体制の行き詰まりが軍事力の威嚇によって打開されたのと同じである。今の日本にはこのように外部からの変革を強制する力はないので、必要な改革がなされないまま慢性的な破綻が進行する可能性もある。

 しかしその反面、草の根レベルでの国際化の進行が徐々に社会の体質を変えている一方で、国家や巨大組織の力に頼らず21世紀の社会のニーズに応えようとする動きも各所に発生している。今回は明治維新や敗戦の時とは異なり先進国のモデルというものがないので、日本が自身の考えと行動によって自らの道を切り開くことができるかどうかが試される時だと言える。


「昭和時代の経済政策」の目次へ


 トップページへ