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新しい視点で日翔会の活動する 日の出町

花の写真 中津川小屋部落 雪灯篭祭り  置賜の風景 川西ダリア園


上杉公園




野の花


福島花見山


ロシア サンクトペテルブルク


中津川小屋部落



米沢雪灯篭祭り


川西ダリア園

日本で初めて昭和35年に川西町を代表する観光地づくりを目指しダリア園をオープン。平成11年には場所を移し

、内容も広さも大きくなってオープン。現在、約2.1haの敷地が拡大されて4haになり世界中から集めた650種、

約10万本が咲き誇り国内最大級のダリア園。



置賜の風景写真


今南陽市赤湯にある白竜湖なる周囲2km位の湖沼があるが数万年前は南陽・高畠・米沢に接する広大な湖だったらしい。数万年前にできた自然湖で、置賜盆地が大きな湖だった頃の名残をとどめているものです。この周りの田んぼは「大谷地」と呼ばれ昔は胸のあたりまでぬかる底なし田んぼでした




安久津八幡神社860年(貞観2年)慈覚大師の開基になると云う まほろばの里高畠




高畠町出羽大聖寺境内には亀岡文珠堂があります。 日本三大文珠として有名  御本尊の文殊菩薩は大同二年(807年)徳一上人がこの山が中国の五台山の姿に似た神秘さに打たれ、建立したもので、 それ以来丹後(京都)の切戸文殊・大和(奈良)の安部文殊と共に出羽の亀岡は日本三文珠の一つに数えられています。 三年連続お参りすると知恵がつくそうです。
高畠町出羽大聖寺境内には亀岡文珠堂があります。 日本三大文珠として有名  御本尊の文殊菩薩は大同二年(807年)徳一上人がこの山が中国の五台山の姿に似た神秘さに打たれ、建立したもので、 それ以来丹後(京都)の切戸文殊・大和(奈良)の安部文殊と共に出羽の亀岡は日本三文珠の一つに数えられています。 三年連続お参りすると知恵がつくそうです。



上杉御廟所

初代謙信公から十四代茂憲公まで上杉家歴代藩主の廟が並んでいる  鷹山公は10代目である


上杉謙信公廟所


直江兼続夫妻の墓

林泉寺は曹洞宗の寺で、元和三年(1617年)に二代目景勝公が越後高田にあった林泉寺を米沢に移したものです。上杉家代々の奥方と子供たちの墓、上杉家家老直江山城守金継夫妻、武田大膳太夫信清の墓などがあります兜の前立に科などがあります愛(ラブ)の漢字を付けた武将は彼以外にはない近代性も持つ 平成21年度のNHK大河ドラマになった。

左・梅嶺院三姫二代藩主定勝公四女吉良上野介夫人 中・法令殷亀姫二代藩主定勝公三女松平飛騨守利明公夫人 右・祥壽院皆五代藩主吉憲公夫人六代宗憲・七代宗房・八代重定藩主生母の墓 ここは二代藩主景勝公の創建した禅林寺で今は法泉寺となっている 実は三姫の墓から白髪の髻が入った壺が出てきた これは三姫が持っていた上野介の遺髪ともいわれ忠臣蔵の秘話として注目されている


米沢照陽寺にある上杉憲政の墓 関東管領と仰々しいが鎌倉公方の補佐役で上杉家が世襲していた 所がこの憲政は一人っ子育ちの為甘やかされて育ったので民の愁いも理解出来ず驕り昂り・色に耽り・酒宴に溺れる日々で鉄砲の音を聞くと頭痛すると云う暗愚な戦国武将だったため武田信玄には河越夜戦3000の兵を失うと言う敗北を喫し北条氏康にも攻められ戦意喪失して越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼ったのです 後に彼は景虎を養子として上杉を名乗らせ上杉の家督・系図・重宝を始め管領職も譲渡したのです  家督を継ぎ義に厚い景虎は名前も憲政の政の字を一字もらい政虎と改めたのです 謙信の名は晩年になってからのものであ


白子神社 
米沢の町発祥の地ともいわれる 織物の町に相応しく白蚕に由来するらしい 和銅5年(
712)創建と云われ明徳年間(1390〜)には置賜一郡の総鎮守となる


藩の学問所禅林文庫の鎮守として創建された 後に鷹山によって興譲館として受け継がれた文殊堂と孔子を祀る聖堂 堂の扁額は鷹公の真筆である 法泉寺にある


上 羽黒神社・下 普門院 隣合わせにある国指定史跡文化財 上杉治憲(鷹山)敬師郊迎(けいしこうげい)跡 要は鷹山が高齢の恩師細井平洲が遥々江戸から板谷峠を越え来るので米沢郊外の関根の羽黒神社まで迎えに出て普門院で労をねぎらったと言う師弟敬愛の情の地なのである 受け継ぎて 国の司の 身となれば 忘るまじきは 民の父母 恩師の薫陶を受け17歳で国(米沢)を継ぐ時に決意した歌である


上 長命山幸徳院笹野寺  
皆さんの家に一個ぐらいはあるあの尾長鳥の一刀彫で有名な笹野観音  昔征夷大将軍坂上田村麻呂が国家安泰を願い千手千願観世音菩薩を安置し旅の僧が最上川の霊木に羽黒大権現の像を刻み笹野村の鎮守とし後に806年(大同元年)4月福島県会津の徳一上人を開山第一世とし入仏供養が行われたと言う 代々の藩主によって厚く信仰された 茅葺屋根が見事です


現在山大工学部の隣にあります
直江兼続・上杉鷹山以来の教育藩である置賜(優嗜曇)は維新後明治43年には東京・大阪・京都・名古屋・熊本・仙台についで全国7番目の旧米沢高等工業学校として設立された 昭和24年学制改革により山形大学工学部として現在に至るがルネッサンス洋式とした木造2階建て全長94mの大規模建築物で昭和48年には重要文化財に指定された


熊野大社 
日本三熊野で東北の伊勢
とも言われている 大同元年(806)平城天皇の勅命により再建された由緒ある大社である 県内最古の茅葺屋根の重厚感は見事で伊勢神宮直伝でその後伝授厳禁とされた太々神楽でここと伊勢神宮でしか見れない御神楽がある なおこの近くで『ないしょ話・かわいい魚屋さん』等の童謡作詞家結城よしおが生まれたところである 大正9年生まれだが戦争で昭和19年24歳の若さで亡くなってる


成島八幡宮 
宝亀8年(
777)創建 大伴駿河麿の蝦夷征伐に宇佐八幡に祈願して勝利したのでここに八幡神社を建立したという 坂上田村麻呂も造営したという 大江・長井・蒲生・伊達・上杉代々の城主により厚く尊崇され各時代の城主の奉納した棟札が48枚も保存されて市指定文化財になっている 伊達政宗が岩出町・仙台へと移動するにあたり分霊してこの地を去ったのです 現在は仙台市の国宝大崎八幡神社として存続している




『鶴の恩返し』の民話発祥の地の一つが南陽市西部にあったのには驚きました 珍蔵寺の山号がなんと鶴布山であり近くには織機川が流れ羽付と言う部落もあるのです 鶴を助けた男が金蔵で約束を破り覗き見してしまい女(実は鶴だった)に逃げられたので僧侶となって寺を開き訛って金蔵が珍蔵寺と云う様になった云う 一般的に『おつうと与平』の話で有名だ 隣の夕鶴の里記念館では民話を聞かせる語りべがいる




鶴布山珍蔵寺の山門 中々風情のあるお寺さんである



上杉神社


松ヶ岬神社

松岬神社は明治35年に上杉神社から鷹山公を分祀し松岬神社として創建する 大正12年には初代藩主上杉景勝公を合祀し更に昭和13年には景勝の重臣直江兼続 鷹山の恩師細井平洲 鷹山の藩政改革に協力した功臣竹俣當綱と莅戸善政を合祀し六祭神を祀る 社号は米沢城の別名松岬城に由来する




上杉鷹山像

上杉鷹山が家臣に示した彼の遺訓に
成せばなる 成さねば成らぬ 何事も
           成らぬは人の 成さぬなりけり


上杉景勝と直江兼続の像









日の出町公民館

〒992-0024
山形県米沢市東大通2−3−27

TEL 0238-21-0305


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