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『サマーストーリー』('88 英) 監督:ピアス・ハガート 出演:ジェイムズ・ウィルビィ イモジェン・スタッブス 「少女には永遠の夏、若者には一瞬の夏だった……」
20世紀初頭のある夏の日、弁護士資格を得たばかりの青年フランクは、友人とイギリスのダートムア地方を徒歩旅行中怪我をし、そこで出会った美しい少女ミーガンが引き取られている民宿に世話になる。いつしか惹かれ合う二人は駆け落ちを決意。フランクはトーキーの銀行で小切手を換金し、ミーガンを迎えに戻るはずだった。しかし換金に手間取り列車に乗り遅れ、しかもトーキーで偶然出会った旧友の「ふたりが住む世界や身分が、あまりにも違うのでは?」という助言に一抹の不安を抱く。
約束の時間を過ぎても戻ってこないフランク。ミーガンは「フランクに何かあったのでは?」と心配になり、自らトーキーに足を運び、彼を探す。そんなミーガンを偶然目撃したフランクは、すぐに彼女の後を追った。けれどもミーガンが振り返った瞬間、彼は・・・!?
原作はノーベル賞作家J.ゴールズワージーの「林檎の樹」。文庫本も出ているはずです。大変切なく、悲しいストーリーです。
フランクのミーガンに対する想いは決して偽りではありませんでしたが、アッパーミドルクラスの生活がミーガンに幸せをもたらすかどうかは別の問題です。結局、人生の重要な決断をするには、二人はあまりにも若すぎたのです。
トーキーの街で偶然ミーガンを目撃し、その後を追うフランク。そして例の「鏡」のシーン(これは観た人じゃないと分かりませんね)にかけて、観ているのが辛くなる程でした。
20年後、再びダートムアを訪れたフランクは、ミーガンが彼の子を産んで間もなく亡くなった事を知るのですが、パンフレットでは和洋女子大学助教授(当時)の上松みどりなる女性が、「ミーガンの子供を労働者階級に継続させたのは女性側の復讐」だの「女性の圧倒的勝利」だのとホザいておりました。こういうのを「フェミ女」って言うのでしょうね。ヤな女だぜ。
『スターシップ・トゥルーパーズ』('98 米) 監督:ポール・バーホーベン 出演:キャスパー・ヴァン・ディーン マイケル・アイアンサイド ディナ・メイヤー 「やつらは、群れでやってくる」
未来世界。人類は昆虫型エイリアン=バグズの攻撃により、滅亡の危機にに瀕していた。ハイスクールを卒業したジョニー・リコは、ガールフレンドのカルメンを喜ばせる為という軽い気持ちで地球連邦軍に志願し、最も過酷な機動歩兵部隊に配属される。
自分の判断ミスによる仲間の死。バグズの攻撃による両親の死。実戦での負傷。恩師や、叱咤激励しつつリコに想いをを寄せていたデイジーの死。それらの苦難を乗り越えて、リコは一人前の戦士に成長していく・・・。
うおーっ!!やってくれたぜバーホーベン!!オレ達はこんな映画を待っていたんだ!!
原作はロバート・A・ハインラインの名作「宇宙の戦士」(ハヤカワ文庫)。原作は何かと物議をかもしておりましたが、映画の方でもしっかりと物議をかもしております(笑)。
「軍国主義を賛美している」「いや、むしろ軍国主義を皮肉っているのだ」「どうしてパワードスーツが出てこないんだ!?」「未来の戦争なのに、戦術が稚拙過ぎる」とかいった批評やツッコミは、この映画の持つインパクトの強さの前には全く無意味です。
『プライベートライアン』を遥かに凌駕する残虐な大量殺戮シーン、これ以上何を望むというのでしょう?バグズにスパッと首や手足を切り落とされたり、下半身を丸ごと喰われてしまったりするシーンは、観ていてむしろ爽快ですらあります。パワードスーツが出て来たら、こんな大虐殺シーンにお目にかかることは出来なかった筈です(実際は、単に予算の都合で見送られたみたいですが)。「ライフル一丁で虫の大群に立ち向かうなんて・・・」とお思いの方もおられますでしょうが、彼らは「宇宙の戦士」であり、害虫駆除の業者ではないのです。
女の子がゲロ吐いたり、男女共同のシャワールームがあったり(!!)、人間がバグズに脳味噌吸われたりと、バーホーベンならではの悪趣味も満喫頂けます。
とはいえ、一番好きなのは、戦死したデイジーの宇宙葬のシーン。ここでのリコは実に立派です。「成長したなぁ・・・リコ」と、思わず涙ぐんでしまったのは私だけでしょうか?
また、この映画は、「(カルメン役の)デニス・リチャーズ=トンデモビッチ」というイメージを決定的にした記念すべき作品でもあります。
『クロウ 飛翔伝説』('94 米) 監督:アレックス・プロヤス 出演:ブランドン・リー マイケル・ウインコット アンナ・トムソン ヴァイ・リン 「誰よりも激しく。何よりも美しく。その夜、復讐のエンジェルが、はばたいた。」
人が死ぬと、カラスはその魂を冥界へと導いていく。しかし、その死があまりにも悲惨な時、魂は深い悲しみのため安らぐことがない。そんな時、カラスは悪を正すため、死者の魂を冥界より連れ戻すこともあるという・・・。
ハロウィン前夜“デヴィルズナイト”、結婚式を翌日に控えたロックミュージシャンのエリックは、婚約者のシェリーと共に、悪の一味に惨殺される。1年後、カラスのパワーに導かれ、不死身の肉体となって甦ったエリックは、自分と恋人を殺したチンピラ共に復讐を開始する・・・。
原作はジェームズ・オバーの同名のコミック(翻訳版はキネマ旬報社より発売されました)。恋人が交通事故死したことが、このコミックを書く切っ掛けとなったそうです。
全編を通じて雨の夜という、モノクロ映画のようなダークな雰囲気になぜかウットリ。それは恋人を残殺されたエリックの、暗く沈んだ心を象徴しているかのようです。
ブランドンの演技もベリーグッド!!単にアクションがシャープなだけでなく、その全身から漂ってくる死の影は、まさに“復讐の天使”といったところでしょうか。
『スピリッツ・オン・ジ・エア』で第1回ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭、審査員特別賞を受賞した監督のアレックス・プロヤスは『ダークシティ』でも、その異才ぶりを存分に発揮しております。
音楽もいいですね。グレアム・レヴェルのスコアと激しいロックミュージックが、映像と見事に調和しています
こういう「ダークヒーロー」物としては『バットマン』が有名ですが、『バットマン』の場合は少年時代の忌わしい記憶がトラウマとなり、悪への憎悪に駆り立てているのに対し、『クロウ』はあくまでも個人的な復讐心が行動動機となっています。いずれにせよ、『スーパーマン』や『ウルトラマン』のような「正義の味方」とは根本的に違うのです。
ブランドンはこの映画の撮影中の事故で死亡(撮影終了後は婚約者エリザ・ハットンと結婚する予定でした)。あわやお蔵入りと思われましたが、映画を完成させたいという遺族の願いとスタッフの熱意により、未撮影部分はCGを駆使してようやく完成。1年後スクリーンに甦ることとなりました。エリックとブランドン、何とまあ共通点の多いことか!
けれどもこの映画、決してそのような話題性だけの映画ではありません。
この『クロウ』シリーズ、2作目、3作目、さらにはテレビ版(関西や関東では放送されましたね)も作られましたが、その出来はまあまあ。
『ガタカ』('97 米) 監督:アンドリュー・ニコル 出演:イーサン・ホーク ユマ・サーマン ジュード・ロウ ローレン・ディーン 「残酷なまでに美しい未来・・・愛だけでは君に届かない」
そう遠くない未来。人間は国籍や肌の色ではなく、遺伝子の優劣で差別されていた。
自然分娩で生まれたヴィンセントは、劣勢遺伝子を持つ「不適正者」だったが、宇宙飛行士という夢を諦めきれなかった彼は、優秀な遺伝子を持ちながら事故で下半身不随となったジェロームからDNAプロファイルの提供を受け、“ジェローム”として宇宙局「ガタカ」に採用される。
ヴィンセントは優秀な成績でタイタン探査船の航行士に選ばれるが、ロケット打上げまであと1週間という時に、ガタカ内で殺人事件が発生。しかも殺害現場からはヴィンセントの睫毛が採取された。捜査当局に殺人の容疑者として手配され、しかも自分の正体が暴かれるのではないかという不安感から、次第に彼は追いつめられていく・・・。
遺伝子工学の進歩により先天的な障害が排除される“デザイン・ベビー”については、批判的な意見が多数派を占めております。その一番の理由が「差別を助長する可能性がある」からでありますが、両親にしてみれば「やはり自分の子供は健康であって欲しい、できれば頭脳も明晰で・・・」というのが本音でしょう。どんなに崇高な主張を掲げる市民団体も、個人レベルではそんなエゴイズムから逃れることは出来ません。
ヴィンセントが宇宙に居場所を見つけようとしたのは、単に憧れだけではなく、「不適正者」という自分の宿命に抵抗し、差別社会から抜け出したかったからです。また、ジェロームは、最高の資質を持った「適正者」でしたが、それが彼にとっては逆に重荷でもありました。下半身不髄となってもプライドだけは捨てきれず、最初はヴィンセントを見下すような態度をとっていましたが、いつしかヴィンセントの成功に自分の存在意義を見い出します。やがてヴィンセントも、ガタカ内で彼が「不適正者」であることを知りつつ、何人もの人々に見守られていたことに気付きます。特に薬物検査の担当者がいいですねぇ。
この映画は、「被差別者のサクセスストーリー」といったヒーロー物でも、「諦めずに努力すれば夢は叶う」みたいな説教じみた映画でもありません。いうなれば、SF版『ないた赤おに』かな? 美しい映像とマイケル・ナイマンの叙情的な音楽にも注目。
『マイ・ネーム・イズ・ジョー』('98 英) 監督:ケン・ローチ 出演:ピーター・ミュラン ルイーズ・グッドール デヴィッド・マッケイ 「哀しみの涙 怒りの涙 歓びの涙」
イギリス。グラスゴーに住む37歳のジョー・カバナーは、アル中を克服し荒れた生活から立ち直ったものの、職もなく、同じ失業者仲間で結成したサッカーチームの監督をして日々を過ごしていた。
ある日ジョーは、甥のリアムの家を訪れた健康管理センターの職員セーラという女性に出会う。始めは反発しあっていたが、やがて二人の間にはほのかな想いが通い始める。しかしチームの選手でもあるリアムがヤクザとのトラブルに巻き込まれたことを知ったジョーは、地元の顔役マガウアンに借りを返すため、麻薬を運ぶ仕事を引き受けてしまう羽目に・・・。
人間は他者との関連にしか生き甲斐を見い出す事は出来ません。自分の仕事、自分の存在が、誰かの生活の支えであり、誰かにとって喜びであり、誰かに感謝されたりして、ようやくささやかな誇りを持ち得るのです。アル中で、しかも失業者とくれば、「お前はこの社会では無駄な人間だ」と宣告されたも同然であり、最後の誇りすら奪い去ってしまいます。ジョーが断酒会に参加して自分の経験を告白したり、サッカーチームの監督をしたり、セーラの部屋の壁紙貼りを手伝ってあげるのも、「自分が誰かの役に立っている」という喜びがそこにあるからなのでしょう。
ジョーの友人は「セーラをボーリングにでも誘えよ」とアドバイスしますが、ジョーは今の自分の立場を自覚しているので、余計思い悩み、こう自嘲します(結局、ボーリングには行くんだけどね)。
「どうして彼女を誘える? 俺には金も職もない。あるのはジョー・カバナーという名前だけだ」
セーラとのささやかな幸せも長くは続きませんでした。リアムの妻サビーナが再びクスリに手を出し、借金を抱えていたのです。借金を帳消しにするためとは言え、ヤクの運び屋をしてしまったジョーを、セーラは許すことが出来ませんでした。しかも一度ヤクザの仕事を手伝った以上、簡単に辞めさせてはくれず、追いつめられたジョーは再び酒に手を出し、酔った勢いでリアムに向かって口にしてはいけない言葉を洩らしてしまう。
「お前が憎い・・・お前さえいなければ・・・」
失業は経済的にも精神的にも容赦なく人間の生活を蝕んでいき、ある者は死を選び、ある者はアルコールに、ある者はドラッグに、そしてある者は犯罪に走ったりします。そんな底辺で生きる労働者の追いつめられていく姿がこまやかに描かれています。一見、何の救いも用意されていないラストではありますが、彼らを見つめる監督ケン・ローチの温かな視線を感じることでしょう。
『激走!5000キロ』('76 米) 監督:チャック・ベイル 出演:マイケル・サラザン ノーマン・バートン ティム・マッキンタイア ゲイリー・ビジー ラウル・ジュリア 「ニューヨークからロスへ5000キロ! 世界の名車をぶっ飛ばす−−− フリーウェイのスピードレーサー!」
会議に明け暮れる毎日にウンザリしている青年重役マイク・バノンのかけ声で“ガムボール・ラリー”の開催が宣言された。ニューヨークからカリフォルニア州ロングビーチまで、制限速度55マイルという約5000キロの公道を、警察の目をくぐり抜けながら、平均速度100マイル以上、ノンストップで走り抜けようという、スピード狂の間では恒例のレースである。
警察の張り込みをかわし、最高に整備されたエンジン音が響き、焼けたタイアが軋む中、ついにレースが始まった。警察の取締り、エンジントラブル、スピード事故と、フリーウェイはスリルと大混乱。警察やライバルを出し抜き、最後にゴールインするのは誰か!?
原題は“THE GUMBALL RALLY”です。映画の内容はルール無用のアメリカ横断公道レースってことで、かの有名な『キャノンボール』を連想する方もいらっしゃると思います。が!『キャノンボール』は81年の作品、つまり元ネタはこちらなんです。両者の違いは、『キャノンボール』が「オールスター大運動会」のような香港流の寒いギャグ映画に過ぎないのに対し、『激走!5000キロ』は遥かに真面目な作品だということです。
まず、エントリー車がスゴい!! シェルビー・コブラ427(!!)、フェラーリ365GTB/4(スパイダー!)、ポルシェ911タルガ(ナローポルシェ!)、メルセデスベンツ300SL(ロードスター!)、ジャガーEタイプ・ロードスター、シボレー・コルヴェット(アイアンコルヴェット!)、シボレー・カマロ(サメカマ!)、ダッジ・インターセプター(パトカー仕様!)、カワサキKH400(!!)・・・と、エンスーが泣いて喜びそうなクルマが大集結!!
引退した老人紳士、主婦、プロレーサー、パトカー警官(!)、スタントドライバーと、ドライバーも様々。
レース開始直後、早朝のオフィス街を爆音を轟かせながら疾走するシーンは実に気分爽快!! 散々な目に遭いながらも涙ぐましくレースを続けるハンガリー人ラプシック(KH400)には心から同情したくなります(笑)。基本的にはコメディ映画なので、「クルマなんか興味ない」という方にもお楽しみ頂けることと思います。
まあ、『キャノンボール』とこの『激走!5000キロ』、見比べてみるのもいいかも知れません(って、もうレンタルビデオ店に置いてねーっつーの!)
尚、この映画には、あのゲイリー・ビジー(『リーサル・ウェポン』『沈黙の戦艦』)や故・ラウル・ジュリア(『アダムス・ファミリー』『推定無罪』)も出演しております(若い!)。マイケル・サラザンは最近『フィアー・ドット・コム』に出演しております。
『砂の器』(昭和49年 日) 監督:野村芳太郎 出演:丹波哲郎 森田健作 加藤剛 島田陽子 山口果林 緒方拳 加藤嘉 渥美清 笠智衆 菅井きん 「人間の宿命を追って胸迫る感動!」
国鉄蒲田操車場構内で扼殺死体が発見された。
警視庁の今西(丹波哲郎)と所轄署の吉村(森田健作)らの聞き込み調査によると、被害者が駅前のバーで若い男と酒を飲んでおり、東北弁で「カメダ」と何度も口にしていたらしい。二人は真夏の秋田県・亀田に向かったが、何の収穫も得られず帰京する。その帰りの列車内で、新進気鋭の作曲家・和賀(加藤剛)と出会う。
2ヶ月後、突然被害者の息子が警視庁を訪れる。被害者の名は岡山県江見町在住の三木謙一(緒方拳)。一人旅に出た三木はお伊勢詣りの後、消息を絶ったという。彼は元警察官で、巡査として島根県に勤務していたが、東北には縁がなかった。
今西は、出雲地方の方言が東北弁と似ており、聞き込みで得た「カメダ」は、三木がかつて勤務していた島根県の亀嵩(かめだけ)ではないかと推測する。一方、吉村は「紙吹雪の女」という新聞の紀行文に注目、中央線塩山で理恵子(島田陽子)が撒いたと思われる“紙吹雪”を採取した。それは布切れであり、付着していた血痕は三木の血液型と一致。しかし、和賀の子を身籠っていた彼女は流産し、そのまま息を引き取った。
やがて二人の刑事の執念は、かつて石川県の片田舎を追われ、流浪の旅の最中、亀嵩で三木に保護された父子の数奇な運命、そして今まさに栄光を手に入れようとする一人の作曲家に辿り着く・・・。
原作は松本清張の同名の小説。その清張をして「原作を超えた」と言わしめた日本映画の金字塔。小説を映画化すると俗悪化するのが世の常だが、これは希有な例といえよう。
『踊る大捜査線The Movie 2』に引用された、「カメダは変わらない・・・とか・・・」の元ネタが、この『砂の器』である。
監督の野村芳太郎、脚本の橋本忍らは早々に映画の準備を始めたが、当時の松竹社長・城戸四郎の「内容が暗過ぎる」の一言で一時は挫折。野村監督らの執念により、脚本第一稿完成から14年、ようやく企画の実現に漕ぎ着けた。原作はミステリー色が強いが、映画の方は社会派のサスペンスに仕上がっている。
ベテラン刑事に丹波哲郎、若き熱血刑事に森田健作、注目の作曲家に加藤剛、その他、島田陽子、緒方拳など、配役も豪華である。
見どころは、捜査本部が解散してからも、地道に事件を追い続けた刑事2人が解き明かした犯人の暗く悲しい過去と、その情念が折り込まれた協奏曲「宿命」が交錯する、ラスト30分余りのシーン。
癩病を患った父(加藤嘉)とその幼い息子が、故郷を追われ遍路の姿で流れ歩き、行く先々で偏見による差別を受け忌み嫌われ、厄介物扱いされる。そんな中に垣間見える父と子の絆と情愛。丹波扮する今西刑事が、療養所でその年老いた父親に面会し、一枚の写真を見せるが「そ、そんな人ぁ、知らねぇ〜!!」と泣きながら否定するシーンでは、(社会的名声を得た息子にとって自分は最早存在してはいけない人間なのだ)そんな彼の思いが痛いほど伝わってくる。
撮影は青森県竜飛ロケからスタート。以後、巡礼の親子の旅のイメージに一致するシーンを求めて、長野、北茨城、阿寒湖と、一年半に渡り日本全国の四季をカメラに納めていった。謎解きのカギとなる山陰亀嵩は現地の周辺各地で撮影されたが、亀嵩駅は旧国鉄木次線の2つの駅で撮影。ホームと外観が別々に撮られ、巧みに編集されている。
クライマックスのコンサート会場、警視庁の会議室、父と子の巡礼の3つの場面のカットバックによる物語進行は余りにも有名で、世界映画史上にも類を見ないという。音楽監督・芥川也寸志による「ピアノと管弦楽のための組曲『宿命』」(作曲は菅野光亮)も素晴らしい。
P.S.1
平成13年5月の熊本地裁におけるハンセン病国家賠償請求訴訟について、小泉首相は控訴を行わないとの、極めて異例な決定を下したが、そのきっかけとなったのがこの作品らしい。しかし、政治家としても人間としても、彼を評価する気にはなれない。ポピュリズムに迎合しようとする胡散臭さを拭い去ることが出来ないのだ。
確かにハンセン病はこの作品の大事な要素ではあるが、何も社会的偏見の告発を目的とした映画ではない。重要なのは「自らの宿命から逃れようと必死にもがき苦しみ、それでも逃れられない人間の哀しさ」であろう。
ハンセン病への誤解と偏見はいまだに根強く残っており、平成15年11月には、熊本県のホテルが元患者の宿泊を拒否し、騒ぎになったばかりである(このホテルの母体であるアイレディース/アイスターも些か胡散臭い団体であるが)。しかし一方で「社会的弱者」という立場を利用して悪事(主に恐喝)を働く不逞の輩がいるのもまた事実なのである。
P.S.2
中居正広主演のドラマ「砂の器」は、美しい映像が印象的。別に中居ヲタではないが、俳優陣の演技も悪くないと思う(まあ、永井は別として)。実際に亀田、亀嵩、伊勢などでロケしたり、ドラマのために新たな協奏曲を作曲したりと、制作にもかなり力が入っているように見える。千住明によるピアノ協奏曲『宿命』は、映画の菅野版・ピアノと管弦楽のための組曲『宿命』のイメージを生かし、美しいピアノの旋律と壮大なオケの演奏で聴く者の心を捉え、切ない余韻へと導く。
とはいえ、今回もやはり脚本に問題あり、と思わずにはいられない。別に「千代吉をハンセン病にしろ」とは言わないが(仮に人権への配慮に関する抗議がなくても、そもそも現在のドラマにハンセン病を持ち込む事自体、無理がある)、親子が放浪に至る理由をもっと煮詰めるべきではなかっか?
これまでも何度かドラマ化された「砂の器」であるが、いずれも脚本や演出に難ありで、評判はあまりよくなかったらしい。過去に、田村正和/仲代達矢が出演したものもあるが(他に佐藤浩市/田中邦衛出演のものもあり)、まったく惜しいと言わざるを得ない。
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