2005/6/30
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2004・12・6〜9  道中記

義姉のお見舞いの帰り寄り道をしました。体力のない私には久しぶりの長旅 
でも、心配された事も起こらず旅を満喫する事が出来ました。道中記を書いてみました。旅がイメージ出来るといいのですが・・・

12月6日
8両編成のひかりレールスターは9時59分定刻発車 列車は一路九州へ 平日だというのに指定席車両は満席 「本日は満席になっております」というアナウンスが流れた。私達の乗った車両にはツアー客が 知らない人同士の会話が弾んでいた。山陽新幹線はトンネルが多く車窓の景色を楽しむ所が少ない。本を読むもよし、寝るのもよし 読みかけの本を持参したが先日来の睡眠不足もあって、いつの間にか夢の中だった。ツアー客は小倉で降りた。どこへ行くのであろう。年輩の方が多かったところを見ると小倉で乗り換えての温泉行きかな。
終着駅博多へは12時44分到着 そこからリレーつばめに乗り換えて久留米へ 
義兄の出迎えを受けた。
そのまま義姉の待つ病院へ 術後18日目まだベッドの中かと案じていたが、それは危惧に終わった。両股関節の置換手術だというのに、もう松葉杖での歩行が許されていた。歩き方私よりはるかに綺麗である。本人は両方やったのでバランスがいいだけ・・と言っていたがそれだけではないような気がした。
しばらくお喋りを楽しみ元気になったら又お会いしましょうと約束して病院を辞した。駅前の居酒屋で遅い昼食を・・ 久しぶりに兄弟が差しつ差されつ楽しそうに飲んでいる、そこだけ暖かな空気が流れているような、そんな気がした。
別れ際義兄と交わした握手 万感の想いが込められていたような・・・久留米滞在僅か3時間半中身の濃い時間であった。
 
久留米から妹の待つ下関へ 途中小倉での乗り換えを含めて2時間ちょっとの移動 その夜は早く休もうと言いながら結局12時近くまでお喋り こうして一日目終了。
 
12月7日
雨が降ったりやんだり、あがってくれること祈りながら10時に出発 姉妹3人 それに夫との珍道中の始まりである。
まだら惚けだった母を伴って旅をした時と同じコースを再び走る。思い出のホテルでランチのフルコースを頂いた。妹がどうしても渡りたい橋があるというのでそこに向かう。本土から2`離れた角島は北長門海岸国定公園に属し、山口県の西部に位置します。その島を結ぶ橋「角島大橋」は2000年11月3日に完成 橋の長さ1780b離島にかかる通行料無料の橋としては日本最長だという。 美しい景観を楽しんだ後一路ホテルへ ホテルではお好みの浴衣が用意されており、それぞれお気に入りを選んでお部屋へ案内された。11月半ばにリニューアルオープンしたばかりだという夕なぎの棟のお部屋はどのお部屋からも美しい夕陽を楽しむ事が出来るという。
部屋に入って驚いたのが広さ美しさであった。間接照明が美しいお部屋を一層引き立たたせていた。オーシャンビューのガラス張りジャグジー それにシャワールーム 旅人の心を満足させるには十分過ぎるくらいのお部屋であった。
早速お風呂に ぬるっとした感触のお湯は肌を優しく包み身も心も溶けていくような感じだった。だが気になったことが一つ温泉の効能書きはあるがお湯の成分表がない。ぬめりの成分が何なのかは判らなかった。でも姉妹3人リフレッシュ出来たからそれで良しと納得 夕食は和・洋・中華と盛りだくさん ランチのフルコースがたたって食がすすまない。一品づつ運ばれる料理が段々重くなってきた。妹曰く「気持ちが暗くなってきた」きっとどの客層にも喜ばれるようにと組み立てたメニューだったのでは 美味しいと頂くお客様もいるだろうが、残念ながら私達の口には合わなかった。夜には回復する筈だったお天気も厚い雲に覆われたまま 美しい夕陽はお預けとなった。
後はお喋りタイム 夫も女3人に負けじと話題を提供 お喋りは深夜に及んだ。
 
12月8日
晴れ ホテルの人に見送られ次の目的地松江に向かうため最寄り駅長門市駅へ ここで妹達とは別れ二人旅となった。
10時38分発特急いそかぜで益田へ駅弁を買い スーパーまつかぜ10号に乗り換えて松江に向かう。車窓からは冬の日本海が迎えてくれた。荒々しい海をイメージしていたが海はまるで春を思わせる穏やかさ 所々沖縄を思わせる海の色に沖縄で一人で暮らす叔母を想った。元気でいるのだろうか。
14時10分松江到着 タクシーで市内観光することにした。最初に案内されたのが松江城(別名・千鳥城)出雲の領主・掘尾茂助吉晴が5年の歳月をかけて完成した。以来堀尾氏・京極氏・松平氏と10代234年にわたり出雲18万6千石を領した。このような事がパンフレットには書かれてあった。天守閣の最上階は四方を展望出来る望楼式になっている。松江市内が一望でき領主達はどんな思いで城下を見たのかとそんなことに思いを馳せてみた。 雑な積み方をしていると思われた石垣は計算尽くされた頑丈な積み方になっているという。
春は桜の名所としても名高い。桜名所100選に指定されているとか・・・
続いて武家屋敷へ 中級武士の住んだ建物が当時のまま保存されている貴重なものである。表側の玄関から座敷にいたる部分は武士の格式をしっかり保っているが裏側の私生活の部分は天井も低く作りも非常に質素である。公私の別を厳しくしていた事が窺える。次ぎに小泉八雲旧居・小泉八雲記念館へと続く。八雲の旧居は旧松江藩士の武家屋敷 庭のある侍の屋敷に住みたいという願いが実現したものだった。枯山水のお庭を八雲はどのような思いで眺めていたのでしょうか。
記念館には直筆の原稿・書簡・机、衣類、キセル、望遠鏡等の遺品・著書並びに関係図書・関係資料が展示されている。
多くの著書があるが中でも「耳なし芳一」「雪おんな」「梅津中兵衛」など怪談物は映画やテレビドラマなどにもなり良く知られた作品でもある。
夕陽が見たかったので早めのチェックイン今宵のお宿は宍道湖温泉 荷をほどいてすぐお風呂へ サラサラとしたお湯で匂いもない。お湯の柔らかさが肌に浸透するような心地よさはあった。しかし、ここでも効能書きはあったが成分表は見当たらなかった。本当に温泉なのか それとも表示義務はないのか少しばかり疑心暗鬼。日の入りは4時55分とタクシーの運転手が教えてくれた。カメラを構えてじっとその時を待つ。 やがて西の空に真っ赤な太陽が顔を見せた。湖面をほんのり赤く染めていく。少しずつ、少しずつ太陽は山に沈んで行く。夫と二人感嘆の声とシャッターの音だけが響く。ところが肝心な時にデジカメが作動しなくなった。電池はある 何故 泣きたい心境であった。オロオロしている間に太陽は沈んでいた。
赤く染まった雲が山の稜線をくっきりと映し出していた。なんたる事・・・
 
夕陽の余韻とデジカメ故障の腹立たしさが入り交じった複雑な気持ちを抱えたまま夕食になった。今宵はカニづくし〜 
美味しいお料理を頂いてやっと気持ちが和んできた。我ながらこの単純さが滑稽で思わず「馬鹿だね」なんて呟いていた。休む前にもう一度お風呂へ そのまま夢の世界へ入っていった。
 
12月9日
旅の最終日 少し早起きして日の出を見ることにした。さすがに朝は寒い。吐く息も白かった。
まだ明けやらぬ湖面には舟が何艘か櫓を漕いでいた。何が穫れるのだろう。 
対岸の空が段々明るくなってきた。湖面は昇り始めた太陽の光りを受けてキラキラと輝き始める。その色が段々赤く広くそしてその光りの中に舟が入って行った。
まるで一枚の絵を見ているようなそんな光景であった。早起きして出雲大社へと思ったが、少し忙しすぎる。最終日はのんびりと言うことで遅い朝食を摂って堀川めぐりをすることにした。
松江城の周りを囲んでいる堀川を小さな舟で一周する これが堀川巡りである。
途中16(?)ある橋をくぐり抜ける。中には体を小さくしないと抜けられない橋もあって、なかなかスリリングで面白い。お城の周りだから当然石垣がと思うが途中樹木に覆われている所がある。船頭さんの説明では経済的な理由で石垣が作れなかったとか・・また水深が深いこと沼地であることが敵の侵入を困難にする事から必要もなかったとの事 気持ちまで暖かくなるコタツ舟 船頭さんのガイド 舟から見る街並みにも松江の歴史を感じさせる風情があり50分近い小旅行はあっという間に終わった。
 
タクシーの運転手さんに教えて貰った蕎麦どころに行った。気を付けて歩かないと通り過ぎてしまうような地味なお店 でもお客さんは次から次ぎ 人気のお店のようだ。歯ごたえのいい食感 噛めば噛むほど蕎麦の香りが口一杯に広がる。お値段も手頃 お蕎麦でしめた山陰の旅もこれで終わり 14時18分のやくも20号で岡山へ そこから新幹線で大阪へ 新神戸を過ぎる辺りから車窓を流れる街並みが賑やかになってきた。色とりどりのネオンが現実へと引き戻していく。疲れているのにこのまま違う路線で旅を続けたい・・そんな思いにかられた。
3泊4日の旅 私にとっては大きな冒険であった。何事もなく無事終えることが出来たのも夫の支えがあったからこそ、沢山の思い出を作ってくれた夫に感謝の意を表したい。ありがとう〜