逆落しの現地案内図
滝山バス停に行くルート
 JR神戸駅 北バスターミナルより 65=ひよどり台方面 123=しあわせの村方面
 150=西鈴蘭台駅方面のバスに乗り、滝山バス停で下車、自動車道添いに坂を登る。

鉢伏

 「軍は盛と見たり」と見て取り、義経は西の峠(鹿松峠)で合戦が行われているのを確認、山の手の軍勢の目が、その合戦に目を奪われていることを知り、逆落しが成功するのを確信した。

上段の崖

 下を見下せば十丈計の谷もあり、或は二十丈計の巌もあり、人も馬もすこしも通べき様なし、ここに別府小太郎のすすみ出でて申けるは、先度田代殿御一見の如に老馬が道を知るべきにて候、其故いかにと申候に、伊与殿八幡殿奥の十三年の合戦の時、出羽の金沢の城にて七騎に打成れ、既に御自害候べかりけるに、駿川国の住人大相大夫光任老たりける馬を鉢伏の峠から下す、此馬二十余丈の滝を落て迎の尾へ付く、其時七騎続いて崖を下り、其後に五万余騎に成て貞任等を御追発の候けるとこそ承候へ。
 かかる御計や有べく候らむと申したりければ、尤とも然るべきとて老馬を御尋ありけるに、武蔵坊弁慶相構たることなれば二疋の馬を奉る。一疋は葦毛一疋は鹿毛なり。鹿毛は奥国の住人岡八郎か進たれば岡の島と申、是は三十一歳なりにける馬なり、いかげぢの鞍に錦にかへしたる轡をはけたり。これは平家の笠印しなり。葦毛は石橋の合戦に打たれし岡前ノ悪四郎能実が子に眞田の与一能定が乗たる馬也、夜に入て勇めば夕顔と名付く、是は廿八歳也、白鞍置て鏡轡をはけたり。此は源氏の笠印しなり。 二疋を源平両家の笠印しとて鵯越より落す。―――中略―――
 鹿毛はなにとかしたりけむ、死て落たり。葦毛は尻足をしき前足を延べて岩に伝て落けるほどに事故なく城の内へ落立て、御方に向てたからかに二音三音ぞいななきける。
 源氏の兵の其時色なをりて、人々我先に落むとする処に、三浦の一門に佐原十郎義連すすみ出でて申けるは、人も乗ぬ馬だにも落し候、義連落して見参に入らむとて、威しませの鎧に栗毛の馬に乗て幡一流指上て眞逆に落す。

下段の崖

 五丈計ぞ落たりける。底を見たれば猶五丈計ぞ有ける。御方へ向て申けるは、是より下へはいかに思とも叶まじ、思止り給へと申す。
 三草より是まではるばると下たれば打上むとすとも叶まじ、下へ落しても死むすとても死は敵の陣の前にてこそ死めとて、手綱をくれ眞逆に落されけり。畠山申されけるは我れば秩父にて鳥をも一羽狐をも一立たる時は、かほどの巌石をば馬場とこそ思候へ。必ず馬に任すべきに非とて馬の左右の前足をみしと取て、引立て鎧の上にかき負てかちにて眞前に事故なくこそ落されけれ
 是につづきて佐原十郎義連、実に三浦にて朝夕狩するに是より嶮しき所をも落せばこそ落すらめ、いざや若党とて、一門引具て和田小太郎義盛、同三郎宗実、同四郎義胤、葦名太郎清際、多々良五郎義治、郎等には物部橘六、あま太郎、三浦藤平、佐野平太是等を始として、義経前後左右に立並て、手綱かひくり鎧ふみはり、目を塞ぎて馬に任て落しければ、義経よかめるは落せや若党、とて先に落しければ、落とどこほりたる七十余騎も我劣らじと皆落す。
 畠山は赤威の鎧にうすへをの矢負いて黒馬の三日月と付たりけり。
 一騎も損せず城の仮屋の前にぞ落付たる。落はつれば白旗三十流さとささせて平家の数万騎の中へ乱入て時をどど作たりければ、我方も皆敵に見へければ肝心も身に添はず、慌て迷事なのめならず。馬より引落し、射さねとも落ふためき上になり下になりしけるほどに、城の後の仮屋に火を係たりければ、西の風激しく吹て猛火城の上へ吹覆けるは、煙にむせびて目も見へず、取物も取あへず只海へのみぞ馳入ける。助け船あまた有けれども船に着くは少く海に沈むは多りけり。所々にて高名せられたりし能登守いかが思われけむ、平三武者か薄墨と云馬に乗て陬磨の関へ落給て、それより船にて淡路の岩屋へぞ落給にける。
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