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犬人間シンジ 〜変態〜


 列車はトンネルへ突入した。
 第三新東京市発、ネルフ本部行きのリニアである。
 アスカは耳の奥に痛みを感じて顔をしかめた。隣席に目をやる。
 伏し目がちの少年は、トンネルに入る前と全く同じ姿勢である。シンジはSDATで音楽を聴いていた。窓が全くの闇になると、シンジの白い顔が余計陰気に見えた。
「ちょっとっ」
 アスカは耳から伸びているコードをつかんで、もぎとった。
「うわっ」
 両耳をおさえ、体を縮めて痛みをこらえるシンジ。
「あんたの今後のために言っといてあげるわ。このア・タ・シが一緒に行ってあげてんのに、無言でイヤホンって、どーよ!?」
「え、な、なんだよ」
 シンジはまだ耳を押さえている。アスカの顔と、アスカの手の中のイヤホンを交互に見比べた。
「普通ね、隣に女の子がいるのに………もしあんたに彼女が出来て、デートでそういう真似したら、ソッコーで振られるわね」
 あっけにとられていたシンジだが、アスカの忠告の後半―――彼女やデート、という言葉を聞いて、からかわれている、と判断したようだ。表情に一瞬狼狽が走り、
「そんなの、アスカに関係ないだろ」
 アスカの手の中のイヤホンを名残惜しそうに横目で見て、それでも取り返しには来ない。シンジは、アスカから席を2人分空けて座りなおした。
 アスカはふん、と鼻息を荒げ、イヤホンを丸めて自分の鞄へ押し込む。
 こいつといると苛々する。前から空気の読めないやつだとは思っていたが。
 アスカは、無視されるのが一番嫌いだった。



 思えば、次に会ったときにはもう、シンジの変化は始まっていた。
 アスカはネルフの廊下を歩いていた。
 角を曲がった途端、アスカは人とぶつかり、
「ちょっと、どこ見て歩いてんのよ」
 と言いかけた。
 相手を見れば、同い年くらいの子供である。白い野球帽を目深にかぶっている。つばの影から片目がのぞき、シンジだと気付いた。ぶつかってから時間にして0.5秒。
「ごめん」
 シンジは謝って離れた。
「誰かと思ったわ。なんでそんなのかぶってんの?」
「関係ないだろ」
 シンジは帽子を押さえた。
「ふん、まあいいわ。それより加持さん知らない?」
「知らないよ」
 まるで悪いことでもしたみたいに、シンジは猫背気味の背をさらに丸めて、そそくさと立ち去った。
「いいわよ別に。自分で探すから」
 リツコの研究室が見えた。一応、のぞいておこうか。実は発令所も監査部も探しつくして、あと見ていないところは司令室と赤木研究室くらいだ。ミサトの執務室は最初にチェック済みである。
 研究室の自動扉が開く。リツコの机に、加持は座っていた。
「加ー持さん!」
 加持がすばやく何か操作して、パソコンの電源を切る。立ち上がりながら、
「アスカじゃないか。どうした? こんな所で」
 いつものダンディーな、ミサトに言わせると女たらしの笑みを浮かべた。
「加持さんを探してたの! だってぇ、シンクロテストが終わったら、お昼一緒に食べる約束してたのに、いなくなっちゃうんだもん」
 精一杯鼻にかけて発音する。
「そうだったっけな。おっと、すまん。これから会議なんだ」
「加持さん冷たぁい!」
 アスカは加持の腕をからめとった。
「いやはや、まいったな。埋め合わせは必ずするよ」
 やんわりとアスカを押しとどめて部屋から出て行った。
 相変わらずごまかすのがうまいんだから! アスカはふと、リツコのデスクトップコンピュータを見た。確かMAGIに接続されている特殊な端末だ。加持さんは何をしていたんだろう。
 電源をつけてみる。ハッキングの履歴が残っていた。おそらく、アスカがいなくなってから履歴を削除しに来るつもりだったのだろう。アスカは、データのタイトルを読んだ。
「SEELE…?」



 僕は何をしてるんだろう。
 シンジは、声に出さずにつぶやいた。
 シンクロテストの後、何故かひとりだけリツコに呼び出され体のチェックを受けた。世間話のついでに、「あんまりエヴァに乗りたくない」という話をした。本当は"すごく"乗りたくないのだが、そこはシンジの遠慮である。
 するとリツコは栄養剤をくれた。「もっと欲しくなったらいらっしゃい」とのことだ。リツコから薬をもらうのはこれが最初ではなかった。バリウムやら注射やら、ひと月にいくつも投与されるのだ。
 見たこともない色の薬にシンジはわずかな抵抗を覚えたが、どうせ説明を受けてもわからない。嫌がったって最後は飲まなくちゃいけないんだ。
 リツコの言いなりに錠剤を飲み下した。リツコは帽子をくれた。
 それからである。
 自販機前で父をみかけたとき、シンジは言いようのない気分の高なりを感じた。
 この感じを、自分は知っている。前に父を食事を誘おうと決めたときこんな感じだった。結局、断られてひどく落胆したのだが。
 ゲンドウがこちらに歩いてきて、シンジは柱に身を隠した。膝が震える。
 シンジに気付かず、遠ざかっていく父の背中を見て、よっぽど声をかけようと思った。
―――父さん!
 舌先まで出かかった言葉を飲み込む。声をかけて、それで、僕は何をする気だろう?
 だが、このまま父を行かせたくなかった。父への恐怖と憎悪に押しつぶされそうになりながら、シンジはふらふらとゲンドウの後を追った。
 ゲンドウは司令室へ入って行った。シンジはそこに立ち続けた。3、4時間ほどして、ゲンドウは司令室を出、本部の庭を抜けて官舎へ向かった。ポストの中を確認し、どうやら自室に戻ったようである。シンジは視界のぎりぎりからずっと後をつけていた。
 僕は何をしてるんだろう。これじゃ、父さんのストーカーじゃないか。
 シンジは野球帽を深くかぶりなおした。
 いくつも同じ部屋が並んでいる官舎の、奥から2番目に灯りがともった。
 あそこが父さんの部屋だ!
 その灯りを見ている間は、足の裏がちょっと痛いことも、エヴァのフィードバックで怪我をしたことも、全部忘れていられた。確かに父さんがここに住んでる。ご飯を食べたり、寝たりするんだ。父さんも。
 そう思うとひどく嬉しくなった。
 隠れるのにちょうどいい植え込みと、部屋の明かりの真下を、何度も往復した。明かりが消えたあとも離れることができなかった。
 結局シンジは、黒服から連絡を受けたミサトが迎えに来るまで、ずっとそこにいたのだ。



「あんたが夜遊びなんて意外ねぇ」
 アスカは、朝食の残りのパンをむさぼるシンジを、疑い深く見た。
 夜遊びなんてしてない、と言いたかったが、口に物が入っていて到底むりだ。家に帰ってきたとたん、昨日の朝を最後に何も口にしていないのに気付いた。喉もカラカラだ。
 シンジは、パンを押し込むように牛乳をたくさん飲んだ。腹がひとごこちついた。
「夜遊びなんかしてないよ」
「じゃあ、何遊びよ」
「それは…」
 答えようがない。
 大体、どういうつもりで父の官舎にまで行ったのか、自分でもわからないのだ。ついていかずにいられなかった。だがこうしてゲンドウから離れて冷静になってみると、昨日の自分の行動が信じられない。
 帽子の下にあるものと関係があるのだろうか。
「ほら、答えられないんじゃない」
「ほ、放っといてよ」
 その言い方がアスカのかんに触ったようだ。アスカの青い瞳に、ぎらりと怒りが浮かんだ。
「あんたねえ、室内では帽子とんなさいよ。レストランでそんなことしたらつまみ出されるんだからね!」
 シンジは慌てて帽子を押さえる。
「関係ないだろ。放っといてよ」
 アスカは腕を伸ばして、シンジの頭をわしづかみにした。シンジをキッチンの椅子からひきずりおろす。
「昨日から失礼な奴ね! 関係あるわよ。ア・タ・シが気持ち悪い!」
 アスカは帽子のつばと、頭をつかんで引っ張った。
 シンジは帽子に深く頭をつっこみ身を縮めたが、今やリビングへ引きずり出され、帽子の付属品のようにぶん回されていた。
「やめてよぉ」
 シンジは訴えた。
 頬にジャイアンの笑みを浮かべたアスカが、シンジの頭を脇腹にホールドし、
「さーて、どんなハゲかしら?」
 思い切り締め上げた。
 く、苦しい。視界がかすむ。胃から牛乳が逆流しそうだ。
 シンジの顔が赤から紫に変わりかけたころを見計らって、アスカは、帽子をもぎとった。
 シンジは数分ぶりに新鮮な空気を吸う。
「…なにこれ」
 アスカのあきれる声が遠くで聞こえる。
 ばれてしまった。変態だと思われる。だが、一日ぶりに頭は外気に触れ、シンジは解放感を感じた。
―――僕じゃない。僕はリツコさんの言うとおり、薬を飲んだだけだ。そしたらそれからあちこちおかしい。自分の耳とは別に、頭の上のほうに犬の耳が生えてきた。そして、尾も。
 シンジは必死で説明したが、
「変態」
 アスカの一言でくくられてしまった。
「こんなもん生やして、ヘッドセットどうやってつけるの。ねえ、この耳も聞こえる?」
 アスカは興味津々だ。シンジを座らせ、後ろにまわって犬耳をつかんだ。
「き、聞こえるけど…。あんまり耳元で喋らないで。普通より大きく聞こえるんだ」
「ふうん」
 アスカは、薄い耳たぶを親指と人差し指で挟んでなでた。
「本当に頭から生えてる…。毛も頭の毛とは違うのね。日本人てみんなこういうのが好きなのかしら」
 お国の名誉のために否定しようかと思ったが、今の自分が言っても説得力はない。なにしろ変態代表である。
「ねえ、しっぽも見せてよ」
「えぇっ!?」
 慌ててズボンの後ろを押さえた。ベルトの下に沿わせてきつく締め上げ、尾はうまく隠してあるが…。
「駄目だよ。しっぽはなんか、こそばいっていうか……触ると変な感じが」
「けちけちするんじゃない。あんたは半分犬なんだから、もう人権なんてないの。変態だって学校で言いふらすわよ」
 恐喝である。
 シンジはしぶしぶズボンのベルトを緩めた。
「そうそう。いい子ね。本当に犬になったらあたしが飼ってあげてもいいわよ」
 願い下げだ。
 声に出ていたのか、アスカに軽く頭をはたかれた。
「もっとちゃんと触りたい」
 というアスカの要求に答え、シンジは、うつぶせになった。ズボンとブリーフを少しずらすだけで尾は飛び出した。顔の下にクッションを持って来て、尻を高くさしあべる。しゃくとり虫のポーズだ。
 屈辱的だ。もうどうにでもなれと思った。
 アスカの目の前で薄茶色のしっぽが揺れる。
 アスカはそれを無造作につかんだ。
「ぎゃんっ」
 シンジは全身をひきつらせた。「い、痛い! 痛い! もっと、優しく…」
「こう?」
 握力はゆるめられ、シンジはため息をついた。
 シンジの額に脂汗が光る。アスカにしっぽを見せたのは間違いだったかもしれない。子供に刃物を持たせるような危うい感じがした。
「ふわふわなのね」
 シンジの心中おかまいなしに、アスカはしっぽをいじりはじめる。アスカが毛並みをわけて、地肌を確認している間、くすぐったくてじれったくて死にそうだった。
 シンジはわずかに高く尻を突き出した。
「ふうん、本物みたいね」
 アスカは思いつくまま、ランダムにしっぽをなで揉みはじめた。
「…う、あぁ」
 シンジは慌ててクッションに顔をうずめ、声を噛み殺す。アスカの手は上下左右メチャクチャにしっぽをこねまわし、予想もできない感覚を与えてくる。
―――なんだ、これ。
「ん…んぅ…」
 時々、おしこめきれない声が鼻息となって漏れた。
 幸いしっぽに夢中になっているアスカには聞き取られなかったようだ。何度も奥歯を噛みしめなおすが、すぐに口が緩んでしまう。
 アスカは、シンジのしっぽにとぐろを巻かせ、自分の左手に巻きつけた。観察しながら、右手の人差し指で、ゆっくり、根元から先までを縦になぞって行く。しびれた足をなぞられるような。
 高く差し上げたシンジの腰が、ぷるぷると震えた。
「あ、アスカ、もうだめ。はなして」
 理性を総動員し、泣きの入った声で懇願する。
 だが、シンジの訴えは届かなかった。尾の先端に到達したアスカの指が、くりくりと先っぽを押しつぶした。
「…………っ!」
 必死に声を殺した。腰の奥から脳天まで、何か強烈なものが駆け抜けて行く。
 限界まではりつめていたシンジの四肢が痙攣した。
 腰がくだけて、ぐにゃりと体を絨毯へ投げ出す。アスカはそのとき初めてシンジの状態に気付いた。
「だ、大丈夫?」
 シンジはぼんやり潤んだ瞳で声のした方を見た。口の端からよだれが一筋垂れ、クッションを濡らした。
 アスカが今までと違って見えた。
 それどころか、世界がまるごと変わったようだ。
 もう、父親のことは思わなかった。さっきまで父のいた場所に、アスカがすべりこんで来たのだ。

つづく


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