| >>top 犬人間シンジ 〜しつけ〜
学校から帰宅したアスカは、マンションのドアが開けっ放しなのに気付いた。
「お、おかえり」
シンジがドアの影から顔半分と、三角の耳をのぞかせた。それには答えず、
「あんた、玄関あけっぱなしじゃ危ないじゃない。だいたい帰って来たのがあたしじゃなかったら、その頭、ばれちゃうわよ。気をつけなさいよね」
そう言って靴を脱ぐ。
シンジはその靴音に、わずかに耳を―――犬耳を、動かした。ズボンに穴をあけて、しっぽも出しているようだ。
「開けっ放しじゃないよ。アスカの足音がしたから開けたんだ」
「足音の見分けがつくの?」
「うん」
アスカは気付かなかったが、シンジはアスカの後ろについてきて、アスカの部屋の前でしめだされた。
着替えを終えたアスカが部屋の扉を開けたとき、"勝手に入ったら殺すわよ"のプレートを凝視していたらしいシンジと、真正面から目が合った。
あっ、と先に目をそらしたのはシンジである。
アスカは深く気にもとめず、
「なんか疲れちゃったー。今日ネルフいく日じゃなくて正解ね」
リビングへ出てのびをした。
「ね、ねえ。肩でも揉もうか」
「うん? 気がきくじゃない。じゃあお願い」
アスカはあぐらをかいて座り、シンジはその後ろに膝立ちになった。
シンジはそっと紅茶色の髪をたばねて、アスカの右肩から前へ垂らした。シンジのうやうやしい手つきを見て、アスカは気をよくした。
だが、シンジのマッサージはどこかツボを外している。アスカは「揉むより拳でたたいてよ」と頼んだ。シンジは言われたとおり、たんとんと弱めの力でアスカの背を叩いた。
アスカは心地よいリズムに揺られながら、
「アイス食べたいなぁ。まだあったかしら」
何気なくつぶやいた。
「アイスは切らしてるよ。コンビニで買ってこようか?」
なんだか気が利きてすぎないだろうか。
「いいわ。あした自分で買うから」
シンジは黙ってしまった。だが、肩たたきは続いている。
アスカはテレビをつけた。バラエティ番組の笑い声が、どっとリビングを包んだ。しばらくしてシンジが、テレビの音に負けないよう声を大きくして、
「あ、あのさ。夕飯なにが食べたい?」
「なんでもいい」
アスカは少しうざったく感じて、テレビに集中した。
「じゃあ、明日のお弁当は何がいいかな? アスカの好きなもの入れるよ。なにか…なんでも」
「えぇ?」
ちょうどCMになってしまった。テレビ画面は、♪お疲れ様の日本に、愛情、一本♪ と歌っている。
アスカは投げやりに答えた。
「愛情」
シンジが何も切りかえしてこないので、冗談が通じたのかどうかはわからない。
アスカは、日本式のジョークがまだうまくつかめていない。やはり鈴原の言っていたとおり、ジョークには必ず、ボケとツッコミ、がいるのだろうか。
翌日、学校から帰ったアスカは、玄関へ出迎えに出たシンジをはりたおした。
足をもつれさせたシンジは、傘たてを巻き込んで倒れた。
「こんの馬鹿っ。どういうつもりよ!」
シンジは殴られた頬を押さえ、片手を地面についてアスカを見上げる。
「赤っ恥よ! お弁当のふりかけをハート型なんかにするから! 死ぬほどからかわれたわよ!」
アスカの怒声が大きくなるのに合わせて、シンジの犬耳はぴくぴくと震える。
「ごめん」
アスカはシンジを踏み越えて家へ入って行った。
思い出しても腹が立つ。シンジがアスカの弁当を作っていることは、クラス中が知っているのだ。シンジは犬耳を隠すために学校を休んでいるからいいだろうが、こっちは明日からもしばらくからかわれつづける。
シンジは散らばった傘をあわてて立てて、
「ごめん」
と謝りながら、アスカについてきた。
まだ何か言いかけていたが、アスカは自室のドアをすばやく閉めた。
アスカは制服のリボンを解き、着替え始める。シンジは絶対に入ってこない。以前は、各部屋に鍵がない日本の家屋に疑問を感じていたが、あの意気地なしが相手の場合は問題ない。
動きやすいタンクトップとショートパンツに着替え、部屋の戸をあけた。
真ん前にシンジが立っていた。
「あんた、何してんの」
そういえば昨日もあたしが着替えてる間、ドアのところにいたような…。
「のぞいてたんじゃないでしょうね」
「そんな! まさか」
シンジは手と頭を大きく振って否定した。
「……まぁいいわ。けどもう二度とお弁当に悪ふざけしないで。なによ、食事当番さぼったくらいで、日本のイジメって陰険ね」
シンジはちょっとうなだれた。
「ごめん」
3回目の"ごめん"だ。アスカはわずかに片眉をつりあげた。
「ほんとに悪いと思ってないでしょう」
「そんなこと、ないよ。本当にごめん。僕…」
伏せていた犬耳が、更に後ろを向いて小さくなるのを、アスカは横目で見た。
「もういいわ」
それで、その話題は終りにした。いきおいで一発殴ってしまったし、ねちねちいじめる趣味はない。
あたしって心広い。
夕方、シンジは帽子をかぶり、普通のズボンにしっぽを隠して外出したようだ。アスカは深く気にもとめなかった。シンジはいつのまにか帰ってきていた。
だが、そのあとアイスを食べようとしたアスカはびっくりした。冷凍庫にアイスが、それも高級品のハーゲンダッツがつまっていたのだ。
今思い出したが、確かアイスは切らしていたはずだ。自分で買い足さなかったのだから、シンジが買ったとしか考えられない。確か、一個250円として、1、2、3…、250円×10個で2500円にもなる。
シンジが自分で食べるつもりで買ったのだろうか。でも、冷凍庫のあたしのテリトリー内に置いとくなんて、食べてくださいって言ってるようなもんよね。
アスカは一個失敬して、久々のハーゲンダッツを味わった。
「ん〜! おいしー! にしてもあいつ、金あまってんのかしら」
舌の上でほどけていく甘さ。味わったあと、まだ物足りなさを感じたアスカは、キッチンの棚の前にかがんだ。
ここには"アスカの籠"がおいてある。アスカの籠にはアスカの好きなおやつが入っていて、食べた分だけ少しづつ自分で買い足して管理している。ミサトにもシンジにも「触んないでよ!」と宣言してあった。
棚をあけたとたん、あふれでた。どさどさとポテトチップや、チョコレートが。
「え、え?」
アスカは受け止めた。
山盛りのお菓子がなだれでてきた。
買った覚えのないマシュマロやキャラメル、ガムまで。色とりどりのお菓子が目の前にあった。カレンダーに目を走らせるが、ハロウィンはまだ遠い。考えて、アスカは、ハーゲンダッツも自分へ宛てた物だったのだと気付いた。
何の断りもなく山積みにしておくあたり、なんだか押し付けがましいと思った。
いい風にも考えてみようとしたが、理由もなく他人の物を―――それもシンジの―――を受け取るのはどうだろう。アスカにとって、シンジはエヴァのパイロット同士、ライバルである。
アスカはこぼれたお菓子をかきあつめた。
籠を底にして支え、なんとか全部抱える。リビングを抜け、足でシンジの部屋の引き戸を開けた。
「シンジ。これ」
お菓子で前は見えなかったが、シンジの気配がした。
「あの…」
何か言いかけたシンジをさえぎり、
「これ、あんたが買ってきたんでしょ?」
「う、うん」
両手のお菓子をシンジにおしつけた。かすかに手が触れたのを、アスカは意識しないようにした。
ちょっと真面目な口調で、
「返しとくわ。どういうつもりか知らないけど、こんなに食べたら太っちゃうし。アイスも一個食べちゃったけど、そのうち返すわ」
「いいよ。アスカがもらってよ」
「借りは作らない主義なの。それに、駄菓子で喜ぶほど子供じゃないわ」
そう言ってシンジの部屋を出た。
シンジは、しばらく菓子の山を抱えてドアを見ていた。手の間からキャンディーがこぼれて転がった。やがて全部落としてしまった。菓子を寄せて、部屋の隅にかためておいた。
しっぽが尻の下にならないよう、気をつけてベッドに腰かけた。
馬鹿にされたほうがまだよかった。アスカのあの、丁寧で、冷ややかな態度。
誰かを喜ばせるのがこんなに難しいなんて。
じっと自分の手を見た。
第三新東京に来る前は、穏やかで何もない日々だった。ただそこにいるだけの。
思い返せば、14年生きてきて、人に贈り物をしたことや、嬉しがらせるようなことを言った経験が全くない。だから、こういうときに何も出来ないんだ。どうしていいかわからないんだ。
自分の心はどこか不具なのかもしれない。
アスカを困らせるつもりでしたんじゃない。それをわかってもらって―――いや、もう、何もしないほうがいいのかもしれない。また、怒らせて、あきれられて―――捨てられたら?
シンジは身震いした。
タオルケットをかぶって丸まり、凍える人のように身をゆすった。
悪い考えはどんどん膨らんで、もう、アスカに嫌われるのは時間の問題のように思えた。この瞬間にも嫌われているかもしれないのだ。
後悔で血の気がひいていった。僕は、どうしてうまくできないんだろう。どうしてあんなことを。コンビニでお菓子を選んでいるときは、最良の考えだと思っていたのに。
「何をやってるんだ。僕は、僕は。ああ!」
シンジは枕をひねりつぶした。
酢豚を温めていたアスカは、ミサトからの電話を受けた。今日は遅くなるとのことだ。
シンジに伝えようかと思ったが、見当たらない。
「シンジぃ、晩御飯できたわよー」
おかずは昨日の残りだが。ちょっとさぼってしまった。
シンジの返事はない。
呼びに行くのがめんどうだわ、と思ったが、なんだかシンジの様子が変だったのを思い出した。弁当にいたずらしたり、菓子を大量に買ってきてみたり。思いつきで行動しているように見える。耳としっぽが生えたので、動物的になったのだろうか。
「シンジ?」
シンジの部屋をのぞくと、シンジはタオルケットにくるまって寝ていた。
たたき起そうかと思ったが、疲れているのかもしれないと思って放っておいた。
夕飯を食べ、風呂からあがったアスカは、新しいキャミソールとジョギパンに着替えて、髪をタオルで拭いた。牛乳を飲み、テレビを観ようとリビングへ行った。
リビングは真っ暗だ。電気をつけようとして、アスカは驚いた。
「シンジ?」
テレビの横に丸まっているのは、シンジだった。
観葉植物やクッションと全く同じに、気配を殺して、こちらに背を向けて座っていた。
「なにしてんの、電気もつけないで」
シンジに反応はない。座ったまま寝ているのだろうか?
アスカはシンジに近づいた。シンジのしっぽは絨毯へ、重力のままに投げ出され、犬耳は斜め下を向いていた。
「あんた、泣いてるの?」
シンジはうつむいていた。薄暗いところで見たアスカには、なぜか泣いているように見えたのだ。
「アスカ」
とシンジがつぶやいた。「ごめん。もう何もしないよ。本当に、余計なことばっかりでごめん」
その声は真剣だった。
「何? あたし別に怒ってないわよ」
「怒ってないの?」
シンジは顔をあげた。
「怒ってないわよ。あんたが変なことばっかりするから驚いただけ」
なぜ怒っていると思ったのか、アスカにはそっちの方が疑問だ。そんなにきついことをしただろうか。
「なんでお菓子とかくれようとしたわけ?」
「アスカにもらってほしかったんだ」
絨毯の上でしっぽが移動した。「何かしたかったんだ。アスカに…」
それを聞き、アスカはふっと笑ってポーズをとる。
「あ〜ら、ほんとにあたしへのプレゼントだったの? 無敵のシンジ様があたしに惚れるなんてね」
シンジはアスカを見上げた。
「そうだね」
そこは否定するところでしょうが!
「あ、アンタ馬鹿ぁ!? 何言ってるかわかってんの!」
「うん」
シンジは膝立ちになって、アスカに近づいた。アスカの体に抱きついた。しがみつくと言ったほうが正確かもしれない。アスカは立っているので、お腹のあたりにシンジの頭が来た。
シンジは顔を横に向け、耳と頬をくっつけてきた。
「ちょ、ちょっと」
いきなりで逃げそこねた。
シンジの腕が腰とふとももを強く抱いてきて、力が入らなかった。
視界の隅で何かが揺れた。下を見ると、シンジの尾が動いている。最初はおずおずと左右に揺れていたいたしっぽが、ズボンから埃をはたきだす勢いで、バタバタと振れはじめた。
―――これって、嬉しいってこと?
「何か役に立ちたいんだ。ずっとそばにいたいんだ」
見ると、シンジの犬耳はぴんととがって自己主張している。シンジの耳はたいがい下を向いていたから、それが普通だと思っていたのに。好奇心にかられたアスカは、それを手で押さえてみた。薄っぺらい感触が手のひらをくすぐり、離すとまた力強い三角にもどった。
わかりやすい。ちょっと可愛いかもしれない。でも…。
「悪いけど…、あたしには加持さんがいるから」
「うん。それでもいいんだ」
シンジの声は、おなかを伝わって直接アスカの体に響いた。「アスカの一番じゃなくても…。けど、アスカに恋人ができても、追い払わないで。そばにいさせて」
シンジは自分の言ったことに傷ついた様子で、いっそう頭をすりつけてきた。
アスカは意外な印象を受けた。他の男子みたいにスケベ心を起してきたのかと思ったのに。引っ込み思案な少年を突き動かす"何か"を、アスカは理解できないでいる。
ただ、シンジが抱きついている場所だけ、布越しに、じんわりと温かかった。
「…じゃあ、そんなの、あんたの好きにしたらいいわ。けどお弁当をハート模様にするのはやめて」
胸に感じた柔らかい気持ちとは裏腹に、口から出たのは、半分ちゃかした、投げやりな言葉だった。
「うん」
シンジはそれを肯定ととったようだ。アスカは
ほっとした。
頭に手をおくと、シンジはいっそう激しく尾を振った。自分がシンジを喜ばせていることが不思議だ。アスカはじっとシンジの尾を見ていた。
つづく
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