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亭主関白


 朝の光がベッドへ差し込み、シーツを白く照らす。
 シンジはまぶしさを感じ、顔をわずかに動かして枕へうめた。夢の中では昨日の続きが繰りひろげられていた。にやにや笑って夢のアスカを抱き寄せる。シーツをたぐって丸め、しがみついた。
 次の瞬間、落下した。
「いたっ」
 ベッドの端から転げ落ち、ようやく目がさめた。
 最初から全部夢だったのかな? 不安になったが、体を起こすとまっぱだかである。大体、ここはアスカの部屋だ。途中で移動したのだった。
 ベッドにアスカはいない。シンジは自分の部屋へ行き、パンツだけ装着してリビングへ出た。昨日脱いだ服がそのまま散らかっている。
「アスカ?」
 呼んだあとで、どんな顔をして会えばいいのだろう、と思った。とにかく、会わないことには始まらない。それに、アスカがどんな顔をするのか見てみたい。
 キッチンのテーブルに手紙が置いてあった。もう出勤してしまったのだ。シンジは小さく失望した。足腰が軽い筋肉痛だ。男のほうはみんなこんなに疲れるんだろうか。それとも自分のやり方が何かまずかったのか。
 用を足し終えたシンジは、洗面所の鏡の前で呆然とした。
「…うわ…」
 一瞬、皮膚の病気かと思った。
 桜の花びらを散らしたみたいに、あごから首筋、胸元にかけて、痣が点々と浮かんでいる。そういえば、アスカが一生懸命口をつけていた。キスマークというやつか。
 首すじをなでながらキッチンへ戻り、手紙を読んだ。

『 いつまで寝てんの。おかげでこっちは朝ごはん抜きよ、バカ。へたくそ! 』

 寝坊とへたくそは関係ないだろう。
 その続きには筆記体で2行ほど文章があったが、ドイツ語だった。シンジは初めてドイツ語を解読しようと瞳をこらした。………意味不明だ。線がのたくっている以外の何にも見えない。バームクーヘン以外の単語は知らないのだ。
 ふと時計に目をやって、シンジは慌てた。とっくに遅刻である。
 第一高校の制服にそでを通し、カッターシャツは一番上までとめてみた。えりを引っ張ってみたが、駄目だ。服からはみ出ているキスマークは、どうしたらいいんだろう?



 結局、「虫さされだ」の一点張りで通したのだが、シンジが既婚者なのを知る友人は、「詳しく教えろ」とせがんだ。笑ってごまかすこと4回。
 授業中、シンジは手の中でペンを回しながら、昨日のことを考えていた。昨日のアスカは素晴らしかった。抱きついて肌をすり合わせると、体温がまざりあってふたりの平均になるのだ。新しい発見だった。
 考えてみれば、親のあっていないようなシンジには、抱きしめるのも抱きしめられるのも、記憶にあるかぎり初めてのことだった。
 そうだ、今度から学校に結婚指輪をしてこよう。それはいい考えに思えた。高校生でも、恋人の指輪を薬指にはめている人間はいた。
 学校の帰り、シンジは、一緒に下校するトウジと洞木ヒカリを見かけた。肩が触れるような距離で話しながら、互いをふりかえっていた。
 シンジは初めて心から微笑ましいと思った。自分とアスカだって、誘えばあんな風に歩くことができるかもしれない。そうだ。遠慮することなんてない。だって、僕の奥さんなんだから。
 シンジはその日、初めてデート情報誌を買った。



 シンジがじゃがいもとソーセージのスープをかきまぜているとき、アスカは帰って来た。
「おかえり!」
 シンジは首を伸ばして言った。いつものアスカの帰宅時間より、一時間近くも早い。
「ただいま」
 と言って、アスカはキッチンを通りざま、横目でシンジをみた。シンジが照れたような笑みを向けると、アスカはふんと鼻をならした。
 予定より夕飯の時間を早めるため、シンジは急いでスープを完成させた。着替え終わったアスカが化粧を落とす頃には、ちょうど御飯が炊き上がった。
 シンジがいただきます、と手を合わせている間にも、アスカは箸をとって食べはじめている。
 こうして向かい合って食べていると、新婚みたいだ。シンジは茶碗を持ったままアスカをみていた。化粧をおとすと、さっぱりして顔立ちが柔らかく感じられる。
 アスカが言うには、職場でナメられないよう大人っぽい化粧をしているのだそうだが、シンジは素顔の方がいいと思っていた。
「今日は早いんだね」
「たまたまよ。疲れたから帰って来たの。一日中パソコン見てたら…」
 アスカが初めてシンジの顔を見た。青い瞳がシンジの視線と衝突する。
「何みてんのよ」
 とアスカは、ヤクザの兄さんのような台詞を吐いた。
―――アスカって美人だったんだね。
 そんなことが言えるはずもなく、シンジは慌てて目をそらした。
「べ、別に」
「ならよし」
 アスカはソーセージにぶすりと箸を刺した。アスカは昨日までと同じに見えた。



 寝る前にリビングを見ると、アスカは足を投げ出してテレビを見ていた。ホットパンツからおしげなく素足をさらしているところなんかも、以前と同じ無防備さだった。
 案外、女性にとって初体験はあんまり大事じゃないのかもしれないな。ドライなアスカらしい。
 いつもなら自分の部屋に戻ってチェロを弾く時間だ。けど今は、一緒にテレビを見たいと思った。いきなり側に寄りすぎると嫌がられるかもしれない。"夫婦の契約"は、もう破棄されたのだろうか?
 迷っていると、アスカがテレビを消した。
 立ち上がってシンジのところへ来た。
「今日も一緒に寝ましょうか」
 と優しく言った。
「えっ…でも、その」
 アスカは昨日痛がって、血もずいぶん出たのだ。昨日の今日で大丈夫だろうか? 傷が開いたり……?するかもしれない。デリケートなことはよくわからないが。
 シンジの迷いは、アスカの熱烈なキスでかき消された。アスカがシンジのシャツのすそから手を入れると、体は勝手に高まっていく。
「今日はあたしがしてあげる」
 アスカはシンジの耳元でささやいた。昨日まで処女だった女の言うことだろうか。腕の中の人が魔女のように思えた。
 アスカは意地悪な微笑みを浮かべていた。アスカの手がズボンに侵入してくると、シンジは簡単に陥落した。



 シンジは、映画館の前で立ち往生していた。
 大立ち回りのあるアクション物と、感動のラブロマンスと、どちらがいいのだろう? いま流行りはこのふたつらしいのだが、決め手がない。
 アクション物を選ぶとどうなるだろう。…たぶん、「がきっぽい」と言われる。
 ラブロマンスは? 「あんた、ロマンスって顔?」って言うだろうな。
 巨大な看板を見比べて、パンフレットをめくっていた。
 と、肩を叩く者がいる。振り返ると、洞木ヒカリだった。
「委員長」
「もう委員長じゃないわ」
 ヒカリは苦笑した。
「あ、ああ、ごめん。どうしたの。映画みにきたの?」
「うん。2階で待ち合わせなの」
 とヒカリは少しうつむいてはにかんだ。
 いくら鈍感なシンジでもわかった。委員長はトウジと待ち合わせをしているのだ。
「あの、今時間ある? この映画とこの映画、どっちがいいかな?」
 助けに船だ。今でもアスカと仲がいい委員長なら、アスカの嗜好をわかっているはずだ。
「アスカと観にくるの?」
「うん」
 今度はシンジがはにかむ番だった。
「そりゃあ、断然ラブロマンスよ! 私たちもこの間みたの。すんごい感動よ。ハンカチ何枚もいるんだから」
「トウジとみたの?」
 うん、とヒカリは答えた。
 トウジがラブロマンスかぁ…。シンジは遠い目でパンフレットをながめた。
 ここは自分も奮起せねばなるまい。
「もうすぐアスカの誕生日だものね。アスカったら、碇くんがアスカの誕生日を忘れてると思ってるの。お祝いしてあげたらすごく喜ぶわ」
 ヒカリは腕時計に目をやって、
「あ、私もう行くわね。アスカのこと、気遣ってあげてね。最近無理が多いみたいだから」
 時間がないのだろう、ヒカリは小走りで駆けて行った。



 その日、シンジが風呂からあがったとき、アスカは電話に出ていた。
「宅の主人がお世話になっております」
 アスカの言葉に、シンジは衝撃を受けた。―――たくの主人!
 シンジは頭を拭くのも忘れて、脱衣所から出たところで立ち尽くしていた。髪から水が垂れてパジャマに沁みた。
「それじゃあ失礼しますわね。おほほ」
 シンジは、実際に"おほほ"と笑う人を初めてみた。
 アスカは叩きつけるように電話を切った。呆然としているシンジをにらみつけ、
「ファーストからよ!」
 険しい顔つきで、機嫌が悪いと一目でわかる。
「あ、綾波? 何の用で?」
「知らない。あんたに替われの一点張りよ」
 アスカは腕組みして、片手の甲をあごに当てた。シンジをにらみつけたまま、何か考えている風だ。
「…ファーストからの電話って、よくあるの?」
「あ、あるけど、たまにだよ。すごくたまに…」
 アスカは綾波レイと仲が悪いのだ。シンジは、以前喧嘩をしたとき、綾波が好きになったから離婚してくれと口走ったのを思い出す。
「電話に出ても、話すこととかあんまりないから…、両方黙っちゃうんだ。で、電話代が無駄だよね」
 シンジは慎重に言葉を選んだつもりだ。本当にやましいことなんてない。
「この間さ…。本当は綾波は…」
 急にアスカはシンジの手を引いた。シンジをひきずるようにリビングを抜ける。
「あたしの部屋行くわよ」
「でもまだ、片付けが」
「後よ、後!」
 後なんて言って、一度アスカの部屋へ入ったら朝まで出られないのだ。いまパジャマを着たばかりなのに。
 アスカはシンジを先に部屋へ放り込み、後ろ手でドアを閉める。
「このアタシとセックスできるのよ。感謝しなさい」
 アスカはシンジをベッドに座らせ、パジャマのボタンを外しはじめた。
 こういうとき、アスカはいつも半分怒っている。少し気まずい。一回済むとアスカはシンジの首と胸を吸って痣を作る。そしてすぐ寝てしまう。シンジはその後、勝手にアスカに触ったり、髪を撫でたりしている。温かくって、柔らかい。凶暴な虎も眠ってしまえば猫と同じ。アスカは、寝ている方が可愛いのだ。
 手際よくパジャマのボタンを外していく手を見ながら、シンジは、何か忘れていると思った。
―――そうだ。アスカの誕生日にデートに行こうって、誘わなくちゃ…。
 タイミングは逸してしまった。自分の部屋に置いてあるチケットを思った。
 アスカがシンジの頭を胸元にひきよせて、シンジの思考を引き戻した。
「まだ髪が濡れてるわ」
 と、シンジの耳に舌を這わせた。
 シンジは胸の中に、不安がうずくまるのを感じた。



 アスカの誕生日はちょうど土曜日だった。
 まあ、土日は休みだから、当日に誘っても大丈夫だろう。お得意の逃げ思考を繰り返すうち、本当に当日になってしまった。朝起きると、アスカは昨日の残りで朝食をすませ、スーツを着ていた。
 シンジは驚いた。
「今日、会社なの?」
「そうよ。色々たてこんでるの」
 口紅をさしたアスカは、表情がひきしまって、もうキャリアウーマンの顔だ。
「何時に帰る?」
「わからないわ。早く帰ると思うけど。いってきます」
 アスカのパンプスが、マンションの廊下をこつこつと遠ざかって行く。シンジは尻ポケットの、映画のチケットを取り出して皺をのばした。チケットには寄り添った男女が互いを見つめ合う絵が描かれている。
「無駄になっちゃったな…」
 さっさと誘わないからだ。自分の要領の悪さがうらめしい。まあ、誘ったってアスカが応じるとは限らないが。
 シンジは、チケットをズボンにねじこんだ。
 まだ、出来ることはある。
 映画には間に合わないかもしれないが、家で誕生祝いをすればいいのだ。
 ケーキとワインを買って、家で何か作ろう。シンジは自分に出来るドイツ料理を頭の中で並べた。
 掃除を済ませて、洗濯機にスイッチを入れたあと、新しいシーツをベッドにかける。アスカの部屋のベッドは一番綺麗にベッドメイクした。
 買い物に出て、ケーキもワインも念入りに選んだ。ワインは全然わからないので、結局、アスカが前に褒めていた辛口のにした。少し高いが、切り詰めれば今月を乗り切れないほどではない。
 夕飯は、ビーナーなんたらという長い名前の料理にした。要するに牛のカツレツだ。
 誰かの喜ぶ顔がみたくて、料理をするのはいいな、とシンジは思った。
 早く帰ってくるというので、いつもより早めに料理にとりかかった。小麦粉を肉に散らしているとき、電話が鳴った。シンジは手をすすいでエプロンの前で拭きながら、「はい、はい」と電話口へ寄った。
「もしもし。碇です」
「シンジ? あたし」
 アスカだった。「今日帰るのおそくなりそう。なんか、飲みに行くことになったの」
「えっ。それって、食べてくるってこと?」
「そうね」
 今日は誕生日なのに。シンジは作りかけのカツレツに目をやった。全部準備するのに、一日かかったのだ。
 だが、シンジが勝手にやったことで、アスカは知らない。
 何か言おうとすると、喉がつっかえた。誰と一緒にいるの? 仕方ないからワインは明日にまわすよ? 違う。知らないふりをするんだ。
 わかった、それじゃ。そう言おうとした。
「帰ってきてよ」
 言葉が勝手に出た。「帰って来て。待ってるから帰って来てよ」
「……」
 アスカは黙った。シンジは、顔が見えないのがこんなに怖いと思ったことはなかった。
「無理よ。付き合いだもの」
 電話が切れた。シンジは受話器を置いた。
 肉にラップをして、冷蔵庫へ入れた。冷蔵庫にはケーキとワインが冷えている。
 リビングのゴミ箱に、映画のチケットをやぶいて捨てた。ついでにワインについていたリボンと、ケーキのバースデーカードを捨てた。
 その拍子に、ゴミ箱が倒れた。床いっぱいにゴミが投げ出された。
「なんだよ、ちくしょう。どいつもこいつも」
 ゴミをわしづかみにしてゴミ箱へ投げ入れる。
 と、ピンク色の便箋がいくつも丸まっているのが目についた。バナナの皮がへばりついていて汚い。シンジが隅っこをつまみあげたときに、中の文字が少しのぞいた。

『 愛しい愛しいあなた 』

 シンジは強張った。バナナは気にせず、慌てて紙をひろげる。他のピンクの紙も集めてひろげた。ドイツ語で書いたものが5枚、日本語が3枚あった。おそらくドイツ語で書いて日本語に清書したのだろう。
 シンジは日本語の3枚を日付順に並べた。全て結婚後の日付だ。半分ラブレターで、半分日記のような内容だった。
 ひどくぼかして書いてあってわかりにくかったが、1枚目は、絶対にあなたを振り向かせてみせる、と誓ってあった。2枚目は、あなたはずっと遠くにいる、あなたの心はあの女のことでいっぱいだ、と。3枚目は、今の生活に疲れてしまって、故郷が恋しい、とあった。
 加持さん宛てだ。シンジは確信した。"遠くにいるあなた"なんて、加持さんしかいない。
 アスカが加持さんを好きだというのは知っていたが、半分冗談だろうと思っていた。



 自分の部屋へ戻って、ベッドにうつぶせになった。
 ベッドごとずぶずぶと地面にめりこんでいくようだった。裏切られるんだったら心を預けるんじゃなかった。女に裏切られるのは、父親に裏切られるのとはまた別のおもむきがあった。
―――もう、アスカと寝るのはやめよう。絶対に嫌だ。オナニーしていたほうがましだ。
 少年らしい潔癖さで、シンジはそう誓った。
 玄関で物音がしたが、黒い嫉妬にとらわれていたシンジには届かなかった。シンジの部屋の戸が開く音がして、初めてアスカが帰っていたことを知った。ずいぶん早い帰宅だった。暗い部屋へリビングの光が長方形にさしこんだ。
 シンジはうつぶせのままじっとしていた。アスカが近よる気配がした。
「ただいま」
 とアスカが言った。「冷蔵庫のケーキ、みたわ」
「……」
「どうしたの。さみしかった?」
 シンジは、アスカが早く部屋から出ていくように、念じていた。
 アスカがシンジの頭に触ろうとしたので、シンジは頭の向きを変えてそむけた。
「怒ってんの?」
「……」
 シンジは黙っていた。
 アスカはシンジを観察していた。早く出て行けばいいのに―――。
 アスカの手が腰に触れた。
 手がシャツの中に入って来た。そのなめらかな感触に、シンジは「やめろ」とうなった。声を出してみてはじめて、自分がずいぶん怒っているのに気付いた。いやらしい。不潔だ。僕は、アスカのセックスフレンドになる気はない。
 シンジは嫌悪感をあらわに、
「やめろよ。すぐそういうことするの!」
 アスカの手が離れた。
 やっぱりアスカは出て行かず、シンジをみていた。
 しばらくしてアスカが言った。
「あたしが嫌いになったの?」
 好きだったことなんてなかった、と言いたかったが、今となってはよくわからなかった。黙っていた。
「あたしと寝るのも飽きた?」
「…うん」
 もうアスカと寝たくなかった。
「そう…」
 そして、しばしの沈黙。シンジはシーツの皺を見ていた。アスカが口を開いた。
「じゃあ、いいわ。もういいわ。許してあげる。アンタ、昔からファーストが好きだったものね」
 何か変だ。食い違っている。それってどういう―――
 シンジが身を起こしかけると、アスカが部屋から出ていくところだった。シンジは目の前で閉まったドアを開けた。
 リビングで追いついて、後ろからアスカの手をつかむ。アスカは振り向かないで、シンジの手の中で指をよじって逃れようとした。
「アスカ、アスカってもしかして…僕が好きなの?」
 アスカが、思い切りシンジの足を踏みつけた。
 シンジは目を白黒させてしゃがみこみ、アスカはその隙にキッチンへ逃げようとした。
 痛みをこらえて、後ろからアスカの腰にタックルする。リビングの絨毯にふたりして転がった。シンジは、アスカの胴体をかかえて引っくり返した。仰向けにすると、アスカは両手で堅く顔を押さえていた。
 アスカの手首の下から手を入れて、片手づつひきはがす。万力のような力だった。
 シンジはアスカを押さえつけた体勢のまま、青い目をのぞきこんだ。
「どうして結婚したの。僕のこと…?」
「大っ嫌い! あたしドイツに帰る」
 即答だった。
 アスカの目に浮かんだ涙が、表面張力に耐え切れなくなって、まばたきした拍子にあふれ出た。
「朝一番で帰る!」
 だだをこねているみたいに聞こえて、笑ってしまった。
「ドイツは嫌いじゃなかったっけ?」
「日本はもっと嫌い! セックスするのも嫌い! あんな…あんなの…」
 シンジはアスカのまぶたにキスした。塩の味がする。
 こんなに可愛い人が僕の奥さんだったなんて。
「僕にラブレター書いただろ?」
「調子に乗るんじゃないわよっ!」
 アスカはシンジの頭を殴った。ごつんといい音がした。
「グーで殴ることないだろ」 と言いかけたシンジの顔に、アスカは突き出すような動きで、何度も張り手をくらわせた。
 シンジがひるむと、アスカは腕の中から逃れていった。猫のようだった。
 顔が痛い。
 鼻の痛みがひくと、シンジはキッチンをのぞいた。アスカはタオルで顔をふいていた。
「アスカ、もう一回僕と結婚してよ」
 アスカはタオルから半分顔を出して、はぁ? という表情でにらむ。
「馬鹿じゃない? ドイツに帰るって言ってんでしょ。だいたい、あんたなんか」
「結婚してくれなきゃ、ラブレター音読するよ」
 ズボンの後ろに手をやる。もちろん今ラブレターなんて持っていない。
 慌ててかけよってきたアスカを抱きとめ、むりやり頬に唇を押し当てる。
 アスカはアッと顔をそむけるが、シンジは唇で追いかけた。やがてあきらめて目をつぶり、耐えていた。
 このネタでしばらくは亭主関白だ。
 シンジはアスカの額にキスしながら、口のはただけでにやりと笑った。

おわり


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